陽菜×ご令嬢×鴻上先生
「それでは今日もよろしくお願いします」
真智先輩のひとことで朝の申し送りが終わった。夜勤帯の人がナースステーションを後にする。
「陽菜先輩、疲れたです」
「昨夜は大変だったんだね。お疲れ様。帰って美味しいもの食べてゆっくり寝てね」
「陽菜先輩が白衣の天使に見える」
「はいはい、これあげるからもう帰りなさい」
そう言っていちごミルクの飴を悟の手のひらに乗せてあげた。
「陽菜先輩、神〜」
悟の背中を見送り、看護記録を確認する。その時、病棟の入り口の扉が開いた。
「あの、すみません」
周りを見たけど誰もいない。仕方ないので私が対応に向かった。
「はい。どうかされました?」
「私、川瀬と申します。鴻上先生いらっしゃいますか?」
──ん? 誰? 担当の子の親御さんって感じはしないし。依元師長に以前教えられた対応をしよう。落ち着け私。
「川瀬さん。失礼ですが、入院している子のご家族か親族の方でしょうか」
「いいえ。違います」
──うん。でしょうね。入院してる子のご家族は把握しているし。
「そうですか。しばらくお待ちください」
鴻上先生に連絡する前に依元師長に報告すると、鴻上先生に連絡して対応指示を仰ぎなさいと言われた。電話にしようかと思ったけど、医局にいるであろうと思いそちらへ向かった。
「ナース矢崎です。失礼します」
声をかけながら医局の中へと歩みを進め鴻上先生を探す。
「あれ、陽菜ちゃん。いらっしゃい」
藤堂先生に声をかけてもらい笑顔が溢れる。私は藤堂先生に頭を下げると、鴻上先生探しを続けた。
「陽菜ちゃん、俺じゃないの?」
「はい。鴻上先生を探してます」
そんな会話をしていたら。
「陽菜ちゃん、僕に会いにきてくれたの? ありがとう」
「鴻上先生、病棟に川瀬さんっていう女性の方が鴻上先生を呼んでほしいっていらっしゃってますけど」
鴻上先生の顔が一瞬曇ったのを見逃さなかった。
「帰っていただくようお声かけしましょうか」
でも、ここで帰ってもらってもきっとまた来るんだろうなとか、帰りを待ち伏せするんだろうなぁと言うのは容易に想像出来た。
「職場まで押しかけてくるなんて何考えてるんだよ。ほんと令嬢かなんだか知らんけど、常識のない人は嫌いだよ」
「令嬢!? あの人が? 令嬢って、もっとツンツンしてて看護師のくせに私に楯突くおつもりですの!? とか言う勢いかと思った」
心の声が漏れていた様で藤堂先生と鴻上先生が大笑いしている。
「陽菜ちゃん、どんな想像したらそうなるの? あはは……」
「ドラマの見過ぎじゃない? あはは……」
「もう。先生たち笑いすぎて嫌いです!」
「ごめんごめん。陽菜ちゃん可愛いよ」
そんなことでは誤魔化されませんよ。上目遣いで睨んでみた。
「陽菜ちゃん、可愛いね。なぁに?」
もう、藤堂先生に勝てる気がしない。放置しておこう。
「それより鴻上先生、どうしますか?」
「ナースさんたちには迷惑かけるかもしれないけど、まだ面会前だよね?」
「それはもちろん。面会は午後からですから」
「祖父には見合いの話は断ったんだけど、相手側が受け入れてもらえなくてしつこくて。職場に来てまで迷惑をかけるようなら、本人にはっきりと断りを言うわ。今から行くよ。陽菜ちゃん、ありがとう」
「いえ、私は何も。鴻上先生に伝えにきただけですから」
頭を下げて、医局を出ようとした時だった。
「陽菜ちゃん、ちょっと待って。これあげる」
そう言って冷蔵庫を開け、中から何かを取り出すと、私に向き直り、手のひらにシュークリームをひとつ乗せてくれた。
「わぁ、シュークリームだぁ。良いんですか? 藤堂先生の分無くなっちゃいますよ」
「陽菜ちゃんが、美味しく食べてあげて」
「それじゃあ、遠慮なくいただきます」
ナースステーションへ戻るとまず休憩室に行き、シュークリームを冷蔵庫の中へ入れようとして名前を書いておくのを忘れていた。師長に怒られちゃう。慌てて名前を書き冷蔵庫へ保管した。
「陽菜、呼ばれてるよ。ご令嬢に」
弥生先輩の言葉に、疑問が浮かぶ。なんで? 鴻上先生何してるんですか。心の中で文句を言いながら休憩室を出ると、いきなり叫ぶような声が聞こえた。
「あっ、あの人に頼んだのよ! 鴻上先生を呼んでって! ちょっとこっちに来なさいよ!」
──えぇ、なんでぇ〜!
「私、ちゃんと伝えに行きましたよ。お客様来てますって。それなのに何か問題が?」
「いつもの鴻上さんなら、こんなこと言わないもの。あなたが鴻上先生に言い寄ったんでしょ! 看護師のくせに」
──おっ、出た! 看護師のくせに。あっ、こんな事に感心してる場合じゃないわ。あまりの謂れのない暴言に、鴻上先生も病棟師長も黙ってはいなかった。ここでは他の職員に迷惑がかかるためカンファレンス室へお通しした。
「翔さん、迷惑ってどういうことですの? 婚約者が会いに来てはいけないんですか?」
「何度もお断りを申し入れております。祖父が勝手にお見合いの話を受けてしまってご迷惑をおかけしましたが、私は川瀬に入ることはありません。全てお断りをさせていただきます」
キッパリと自分の意見を言う鴻上先生。粘るご令嬢。
──私、なんでここにいるの?
「あの看護師がお好きなんですの?」
──え? なんですと? 何故その様な考えに至るかなぁ。お暇なんですの?
「このお見合いを断るのに彼女は関係ありません。これ以上話すことはありません。お引き取り願います」
このきっぱりした態度。かっこいいと思っていたら川瀬さんに。
「あなたはどうなのよ。関係ないって顔して鴻上先生のこと好きなんでしょう? 狙ってるんでしょ! ただの看護師のくせに!」
──出た! 二回目。看護師のくせに。そのセリフ飽きました。ってか、なんで私が鴻上先生を好きって思ってるの? お嬢様ってこわっ。
「鴻上先生のことはドクターとしては尊敬していますけど、あなたが思っている様な事はこれっぽっちもありません。そろそろ業務に戻って良いですか? おふたりでご解決なさってください」
そう言って鴻上先生に一礼し、カンファレンス室を後にした。
──朝からツイてないなぁ。あっ、そういえば朝のテレビ番組の星座占いで、双子座が最下位だったわ。意外と当たるのね。そんな呑気なことを考えながら病棟へと帰った。
その後、医局に岩崎研修医が戻って来たのだが。
「あれ? 僕のシュークリームがない! 誰か知りません? ここに冷やしておいたシュークリーム」
そう。あのとき陽菜が受け取ったシュークリームは、岩崎研修医の物だったのだ。
「何で誰も目合わせてくれないんですか? こわっ!」
これが後に、医局に語り継がれる『シュークリームの神隠し』である。