63. 失敗(※sideジュディ)
(……あら……?あのネックレス、どこかで……)
クルース子爵令嬢の胸元で輝く、精巧な作りのルビーのネックレス。それが、つい先ほどアリューシャ王女殿下が身に着けていたものであるということを思い出した瞬間、私は反射的に王女殿下の方を振り返っていた。踊る二人の姿を、目を輝かせながら嬉しそうに見守っているアリューシャ王女殿下。その胸元には、先ほど見たものとは全く違うダイアモンドのネックレスが光っていた。
もうすぐ曲が終わる。私はらしくもなく焦りながら、頭を目まぐるしく回転させた。……なぜ?王女殿下が、あの小娘にネックレスを譲った……?いや、まさか。そんなはずがない。先ほどの王女殿下はもう完璧に身支度を整えて、お部屋を出ていた。ここに来るまでにミラベル・クルースと出会って「まぁ王女殿下、そのネックレス素敵ですわ」なんて、たとえ言われていたとしても、じゃああなたに上げるわと言って譲り、わざわざ部屋に戻って別のネックレスを着けてきたりはしないだろう。馬鹿馬鹿しい。いくらあの小娘が貧しい下位貴族出身の狡猾な女だとしても、王女殿下の身に着けているアクセサリーを強請ったりはしないはずだわ。
ではなぜ?なぜあの子が王女殿下のネックレスを……?
「……。」
曲が終わり、拍手が巻き起こる。見つめ合ったままの二人の瞳には明らかに互いへの熱が見て取れて、私の苛立ちは頂点に達した。
貧乏子爵家出身の、金のために下品な伯爵家の息子と結婚した女。問題のある元夫とは、はしたなくもこの王宮でも揉め事を起こしている。それなのに、なぜだかセレオン様や王女殿下、さらには王妃陛下にまでやたらと気に入られている、胡散臭い女。
卑しい身分と境遇は、必ずそのふるまいに表れるもの。あの小娘も、上品ぶっていてもその内面は私たちとは全然違う、下品で狡猾なもののはずよ。
(……盗んだんだわ。間違いない)
私はそう結論づけた。どうやって王女殿下から盗み取ったのかは分からない。王女殿下が落としたのかもしれないし、何かの折に一時的に外したのを見て、上手いことくすねたのかもしれない。
もしそうだとしても、わざわざ盗んだものをその場で堂々と着用するのはさすがにあり得ない。ひそかに隠し持ち、後日売り払ったりするだろう。けれど、ミラベル・クルースへの先入観と極度の焦りから、私はそうと決めつけてしまったのだ。だってまだ、セレオン様は私との婚約を発表してもくれない。列席者の全員がきっと、このパーティーの最初の挨拶の際にそれを発表すると思っていたはずなのに。
(間違いないわ。そもそもおかしいのよ。王宮や王家とは一切関わり合いのない人生を送るはずの卑しい娘が、王女殿下の教育係なんてやっていること自体。いつもこうして上手いことやってきたのね。なんて悪知恵の働く、嫌な女なの)
私はこの絶好の機会に、皆の前でミラベル・クルースを糾弾しようと考えた。そして二人の間に割って入り、ミラベル・クルースの胸元を扇で打ち、堂々と言った。
「ジュディ嬢!何のつもりだ」
「これをご覧くださいませ、セレオン様。この者が着けているネックレス、これはアリューシャ王女殿下の持ち物に間違いございませんわ」
けれど、それは大きな間違いだった。あろうことか、アリューシャ王女殿下がご自分のネックレスを侍女に持って来させ、皆が注目する中二つのルビーのネックレスがそこに並んだのだ。
しまった。やってしまった。そう思った時にはもう手遅れだった。
私は衆人環視の中、その場で国王陛下からお叱りを受け、ミラベル・クルースに謝罪する羽目になってしまった。屈辱と羞恥のあまり、そこから先の記憶がほとんどない。
結局その日、セレオン様と私の婚約発表は行われなかった。
「何という愚かな真似をしたのだ、ジュディ。あれがオルブライト公爵家の娘のすることか。お前は我が家の長年の苦労を全て台無しにするつもりなのか!」
その夜、父であるオルブライト公爵からはきつい叱責を受けた。
「国王陛下が私に苦言を呈された。まさかここに来て、娘の教育をしっかり見直せなどと恥ずかしい説教をされることになるとは……。自分の立場が分かっていないのか、ジュディ。ウィリス侯爵家の娘が例の騒ぎで王太子殿下の婚約者候補から外され、これでようやく我がオルブライト公爵家との話がスムーズに進むかと思った矢先に……!」
「……申し訳ございません、お父様。ですが、あのクルース子爵令嬢という娘は……」
「言い訳はいい。あんな取るに足らん娘のことなど。お前がしっかりとセレオン殿下の御心を掴んで離さなければ済むだけの話だ。一体何をそんなに動揺し、振り回されている?オルブライト公爵家の娘ならば、もっと悠然と構えているべきだろう。みっともない真似を」
……違う。
あの小娘だけは、ダメなのよ、お父様。
長年セレオン様を見てきた私には分かる。あの子は危険。絶対にこれ以上セレオン様のおそばに置いておくべきではないわ。
(どうにかしなきゃ。どうにかしなくちゃ……)
私が焦りを募らせはじめたそのパーティーの日から、およそひと月後のことだった。
ついに王家から、私とセレオン様の婚約の話を白紙に戻したいという話が出た。
その日王宮から戻った父は、深いため息をついた。母はそんな父に食ってかかる勢いで質問を浴びせる。
「ご冗談でしょう?!あなた!今さらなかったことにだなんて……!納得できませんわ!なぜですの?!先日のセレオン殿下の誕生パーティーでのジュディの失態が気に入らないと?」
「……まだ正式に婚約していたわけではないからな。国王陛下からは、我が家にとって最も良いと思われる縁談を世話するとまでの話が出た。あの大失態の後にここまでの話をいただけただけでも、良しとするべきなのかもしれん」
「そんな……!王家に嫁ぐのと他とでは、話が全く違いますわ。それではセレオン殿下は一体どうなさるおつもりですの?妃は絶対に必要でしょう?うちのジュディとウィリス侯爵家のご令嬢とが次の婚約者候補に挙がった時に、他の目ぼしいご令嬢方は皆結婚してしまっているわ。一体どなたを妃に迎えるつもりだと?!」
父の返事を聞かなくても、私にはもう分かっていた。
それは絶対にあり得ないことだけれど、私はもう確信していた。
案の定、父は深くため息をつくと、唸るような低い声で言った。
「アリューシャ王女殿下の教育係の女性だ。パーティーで殿下がダンスを申し込んでいただろう。あの子爵家の娘を、婚約者に迎えると。そう決まったらしい。……馬鹿馬鹿しい」
「……は?あの子爵家の、娘ですって……?そんなこと、まかり通るはずがないわ!一体どうやって……!」
「王妃陛下の縁戚に当たるヘイルズ侯爵家が、あの娘の養家となったそうだ。セレオン殿下の婚約者にするために、王妃陛下が仲介したらしい」
「な……」
母が呆然とした様子で言葉を漏らす。
私の心は急速に冷えきった。そして同時に、憎しみの炎が激しく燃え上がり、私の全身を包み込んだ。




