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5. 王都へ

 ハセルタイン領から遠く離れ、新しい人生を始めたい。

 その一心で私は数日がかりで王都にやって来た。大きな街へ行けば雇ってくれるところはあるはず。そう言ってくれたハンスさんの言葉に後押しされたからかもしれない。

 だけど、辻馬車の代金がだいぶかかっちゃったな……。すぐにでも働き口を見つけなくては。そう思うのに、ヴィントにしたたかに蹴られた左耳の痛みがいつまでも引くことなく、ジクジクと疼き続けている。


(困ったな……。これ、放っておけばそのうち治るのかしら……。もしこのまま耳が聞こえなくなったら……)


 左耳から音がほとんど聞こえていない。不安が大きくなり、医者にかかるべきかと悩むけれど、これ以上残り少ないお金を使いたくない……。せっかくハンスさんが持たせてくれたお金が、あっという間に底を尽きそうだった。


(それに何より、今夜泊まる宿を確保しなくちゃ。野宿ってわけにもいかないものね)


 私は不慣れな王都の街中を歩き回り、中心地からだいぶ離れたところでどうにか格安の宿を見つけることができた。だけどそれでも連泊を続けるには厳しすぎる。一刻も早く職を探さなくてはと強く思った。


 宿の粗末な部屋に入り、ボストンバッグを床に降ろすと、私はようやくその中身をゆっくりと確認しはじめた。


(……よかった。お母様の形見のネックレス、本当にちゃんと入ってるわ。ハンスさん、ありがとう……)


 他にも当面困らないくらいの着替えに、私がいつも使っていた教科書や参考書類、そして、結婚以来両親とやり取りしていた手紙の束まで入っていた。

 私の部屋の机周りのものを、慌てて詰め込んでくれたのだろう。私は心の中で何度もハンスさんにお礼を言った。


(……あ……)


 手紙の束を何気なくめくっていると、学園でお世話になった先生や先輩、クラスの友人たちとの手紙も紛れ込んでいることに気付いた。


(……そうだ。まだ何人かの人たちとは手紙のやり取りを続けていたんだわ。私がハセルタイン伯爵家を出たことを伝えておかなくちゃ。向こうに手紙を送ってもらっても、もう読むことはできないもの……)


 取り急ぎ明日文具店で便箋を買って、親交のある人たちに手紙を出そう。


「……。」

 

 結婚の時に母から託されたネックレスのケースを手に取る。真っ白なケースをそっと開けると、その中には、これまで何度も眺めてきた精巧で美しいデザインのネックレス。中央に一粒、一際大きくきらめくその真紅の宝石は、優しく強い人だった母の瞳の色と同じ輝きを放っていて、懐かしさと恋しさで胸が熱くなってくる。


『ミラベル、これをあなたのお守りにしてね。願いを込めておいたから、あなたが幸せになれるようにって。……ほら、少し変わってて素敵でしょう?このネックレスのデザイン。真ん中のルビーから下がってるこの月の飾り、とても神秘的よね』


 何かを懐かしむような優しい目をして、母は月のモチーフをそっと撫で、このネックレスを私の手に握らせてくれた。


(……もしどうにもならないところまで追い詰められたら、いつかはこの大切な形見の品を売らなきゃいけないことになったりして……、……ううん、冗談じゃない。そんなの絶対嫌よ!)


 縁起でもないことが一瞬頭をよぎり、私は慌てて首を左右に振った。そのはずみでまた耳が痛み、顔をしかめる。

 弱気になってちゃいけない。耳はもう少し様子を見るとして、まずは明日、この辺りで何か仕事を探してみよう。




 そして翌日。

 私は大きな通りに出て便箋を買い、あてもなく街を歩いていた。


(すごいなぁ。さすがは王都ね……。なんて華やかなのかしら)


 クルース子爵家やハセルタイン伯爵家の領地はここからかなり離れているし、通っていた学園も領内にあったから、王都に出てくるのは初めてだ。通りに面したオシャレなお店たちをキョロキョロと見回しながら、どこか従業員を募集しているところはないかな……などと考える。


 その時だった。

 道の前方で、言い争うような声がしていることに気付いた。人だかりができている。……何事かしら。

 気になりながら近くまで行くと、まだ幼さの残る甲高い声が辺りに響いた。


「私は泥棒じゃないったら!あの子がお腹をすかせていたのよ!」







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