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1. 暴力夫と平民の妻

 パリーン……!


 鋭く派手な音を立てて、繊細な模様の描かれた美しい大皿が、座り込んでいる私の後ろの壁にぶつかって砕けた。その衝撃で飛んできた破片が頬を掠め、チクリとした痛みが走る。


(あーあ……、気に入ってたのにな、あのお皿……)


 足元に転がる破片の花柄を見つめながら、私は小さくため息をついた。だけどズカズカと目の前にやって来てこちらを見下ろす元夫ヴィントのせいで、感傷に浸る暇はない。


「もう一度言ってみろミラベル!!誰に向かってそんな偉そうな口をきいているんだお前は!相変わらず自分の立場が全く分かってねぇな!」

「ホントに生意気ねぇ、使用人の分際で」


 奥のテーブルの前には、椅子に腰かけた元夫ヴィントの現在の妻であるブリジットがいて、頬をぶたれた勢いで座り込んだままの私を見て嘲笑っている。


「……何度でも言います、ヴィント様。あなたとブリジットさんの浪費のせいで、このハセルタイン伯爵家の家計は逼迫する一方なんです。いい加減に改めていただかないと、私だけがこんなに切り詰めて生活し、領地経営について頭を巡らせたところで、もう取り返しがつかないことに……」

「ええい黙れ!ごちゃごちゃうるせぇな!!」

「っ!!」


 逆上したヴィントは感情のままに自分の足を振り上げた。その足が私の横っ面にしたたかに打ちつけられた時、感じたことのない強い痛みが耳に走った。ゴッ、という不気味な大きい音とともに与えられたその痛みに、私は思わず左耳を手で押さえながら元夫を見上げる。


「……何だぁ?その目つきは。おい、てめぇいつまで経っても本当に自分の立場ってものが分からねぇやつだな。俺が欠片ほども好きじゃねぇお前なんかと結婚してやったのは何故だった?忘れたのか?お前の父親のクルース子爵が、間抜けにも人に騙されて莫大な借金を背負わされ困窮してたからだっただろうが。俺の両親の温情で、お前は俺の妻となれた。そのおかげでお前の両親や領民たちものたれ死ぬことなく過ごせたわけだ。ならその親が死んで離婚された今でも、お前はこのハセルタイン伯爵家のために身を粉にして働く。それが当たり前のご恩返しじゃねぇのか。なのに偉そうに説教たれやがって……」

「あたしのこともまた“ブリジットさん”って呼んだわね!前にも言ったはずよ!ブリジット様、もしくは奥様と呼びなさいって!」


 ……こんな家畜のような扱いを受けていても、一応このハセルタイン伯爵家の“奥様”にあたるのは、つい先日までこの私だったはずだ。奥様なんて呼ばれたことは、誰からも一度もなかったけれど。


「謝れ!!自分の生意気な態度を詫び、俺とブリジットにきちんと謝罪しろ!!」

「そうよ!!親が死んで帰る場所もなくなったあんたを、離婚後もこうして屋敷に置いて雇ってやっているヴィントに感謝しなさいよ!誰のおかげで生きていられると思ってるわけ?!」

「……。」


 雇ってやっている、って……。お給金なんてまるっきり貰ったことないのですが。私はただこのハセルタイン伯爵家で、最も扱いの雑な無給の使用人として働いているだけ。

 もう、お父様やお母様のためでもないのに。

 この伯爵家の人間でさえないのに。

 ただ他に行くあてがないというだけで……。


(……もう、いいよね。ここにいなくても)


 ズキズキと痛む耳を押さえ、右の耳からしか聞こえてこない元夫とその平民の妻の怒鳴り声を聞きながら、なんだか何もかもがどうでもよくなった。

 どこにも行くあてがなくても、ここにいるよりマシな気がする。こんな人たちのために毎日朝から晩まで必死で働いて、殴られて蹴られて、嘲笑われて。それならもう、どこかの路上でのたれ死んだ方がまだマシだわ。

 

「申し訳ございませんでした、今後はただ黙ってひたすら働きますと言え!!本当にここから追い出すぞ!!」

「あたしにもね!申し訳ございませんでした奥様、よ!ここに置いててもらいたいんなら、今すぐ謝りなさいよ!」

「…………もう結構です。どうぞ、今後はお好きになさってくださいませ。私は今日でこちらを出ていきますので」

「……。…………はぁ?」

「は??」


 






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