3.天使の歌声
側溝に落ちた女の子を助け、汚れてしまった女の子の靴を洗いに、公園の水道へ向かう僕と岩島。
途中、二人分の荷物を持つ係と、女の子を背中に負ぶっていく係を交代しながら、公園を目指す。
「そういえば、君、お名前は何て言うの?」
僕が女の子に聞く。
「み、美里。【藤田美里】です。五歳です。」
「美里ちゃん。かかわいい名前だね。僕は吉岡昴。よろしくね。」
僕は美里ちゃんに自己紹介をする。
「よろしく、僕は、岩島大樹。」
岩島も美里ちゃんに手伝いをする。
「あ、あの、お兄ちゃんたち、ありがとう。私は、今日、この町に、引っ越してきて、引っ越しの片付けの間、町を探検していたら・・・・。えっと。」
なるほど。どうやら、ご両親が引っ越しの片付けか何かで、手が離せないからと言って、一人で外へ出て行ったら、先ほどのように側溝に落ちてしまったのだろう。
確かに、初めての町を探検していたら、いろいろよそ見をしたりして、そうなってしまうのもやむを得ないだろう。むしろ、五歳の女の子なら尚更。
そして、さらに言えば、僕と岩島はピンッと来た。
「美里ちゃん、今日引っ越してきたということは、おうちは、新しくできた茶色いマンションのことかな?」
岩島が美里ちゃんに聞く。
「う、うん。そうだよ。茶色いマンションの八階。」
凄くしっかりしている。
「そうなんだ。じゃあ、公園で、靴を洗ったら、送って行ってあげるね。」
岩島が美里ちゃんに向かってニコニコ笑う。
「あ、ありがとう。」
美里ちゃんが今日いちばんの笑顔になる。
うん。天使の笑顔。きっと、美人になるのだろう。
すっかり元気になった、美里ちゃんを負ぶって、公園に向かう。
すると。
「ん?」
「なんだ?」
何か響く声が聞こえる。
「あっ、歌が聞こえる~。」
美里ちゃんは僕と岩島と一緒に耳を澄ます。
「♪夕空晴れて、秋風吹き、月影をして、鈴虫なく。思えば遠し、故郷の空~♪」
よく知っている童謡の曲。
「♪夕空晴れて、秋風吹き、月影をして、鈴虫なく・・・・。♪」
美里ちゃんがその響く声の真似をする。
そうして、その声は公園に向かうにつれて、大きくなった。
公園に到着する。僕と、岩島。そして、僕の背中に美里ちゃん。
そして、僕たち三人が見た先には。
思わず見とれてしまう光景だった。
黒髪のストレートヘアー、白いワンピースに、ブルーのカチューシャを付けた、美少女が一人。
美しい声を出して、天使の歌声を奏でていた。
「♪うさぎ追いしかの山、小鮒釣りしかの川~♪」
童謡、『故郷』。思わず聞き入ってしまう。そして。『故郷』を歌い終えた美少女に、心からの賛辞を贈った。
一番、思いっきり拍手していたのは美里ちゃんだろう。
その美里ちゃんに負けないように、思いっきり僕も拍手をした。
「ふふふっ。ありがとう。」
美少女のほほえみ。
「お姉ちゃん凄い。天使みたい。」
美里ちゃんがクスクス笑っている。
思わず僕が思っていた言葉が美里ちゃんの口から出る。
「あっ、あの、本当に素晴らしかったです。」
僕は自然と口から出た。
「思わず絵になります。一枚、撮らせてください。おい、吉岡、お前は美里ちゃんの靴を洗ってこい。アンコールでもう一曲お願いし出来ますか。その間に、お前は早く・・・・。」
岩島が僕に公園の水道を指さす。
「あっ、えっと。ああ。わかった。」
本当であれば、僕もゆっくり聞き入っていたいのだが、仕方がない。
歌はそこの水道で、靴を洗いながら聞くことができるし、まあ、良いだろう。
何だろうか。何か後ろめたさみたいなものがあった。
美里ちゃんを、公園のベンチに座らせ、靴を脱がせ、僕は水道へ向かい、先ほど側溝にハマったときに付着した泥を綺麗に落としていく。
一つ、一つの泥を丁寧に落としていった。
一方の岩島たちというと。
天使の歌が聞こえる。
しかし、水道の方でもはっきり聞き取れる、澄んだ天使の歌声が力強く響いていた。
『ロンドンデリーの歌』だろうか。
美里ちゃんはその歌声に聞き入っていて、岩島は、一枚一枚写真を撮っている。
そうして、その、『ロンドンデリーの歌』が歌い終わるころ、美里ちゃんの靴がピカピカになった。
僕は、美里ちゃんの元へ。
「はい。汚れが落ちてよかった。まだ、水で乾いてないから、帰って干した方がいいね。」
綺麗になった靴を見て、美里ちゃんもまた笑顔を取り戻す。
「ありがとう。お兄ちゃん!!」
「おおっ、良かったよかった。」
岩島はニコニコ親指を立てる。
「えっと、中学生の方と、小さな女の子ですよね。妹さんとかですか?」
さっきまで歌を歌っていた美少女が、僕たちを訪ねる。
「ううん。私ね、藤田美里っていうの。こっちのお兄ちゃんたちはね。さっき、私がドブに落ちて泣いていたところを助けてくれたの。わたしね。今日、引っ越してきたばっかりでね。この町で、迷子になっちゃってね。そしたら、ドブに落ちちゃったの。お兄ちゃんたちが、家まで送ってくれるって。」
「あら。そうなの。優しいお兄ちゃんたちに出会えてよかったね。」
美里ちゃんと、美少女が微笑む。
天使たちの微笑み。
「ああ。良かったです。怪しいものと認識していなくて。」
僕は天使たちの微笑を見て、胸をなでおろしながら言った。
「ふふふっ、優しそうな皆さまですから、そんなことは。ありませんよ。美里ちゃんは今日引っ越してきたのよね。ひょっとしたら、おんなじマンションかなぁ。私も、昨日引っ越してきたのよ。今日は町を探検してたの。」
「うぁ~。お姉ちゃん、おんなじだぁ。」
美里ちゃんと美少女は一緒に笑っている。
「私は、春菜。【茂木春菜】よ。よろしくね。美里ちゃん。」
「よろしく。えっと。」
「難しかったら“ハル”って呼んで。」
「よろしく、ハルお姉ちゃん。」
「よろしくね。美里ちゃん。」
美里ちゃんと茂木さんはにこにこと笑っている。そして、茂木さんは僕たちの方を見て。
「えっと。」
「ああ。岩島大樹です。ホラ、吉岡も。」
二人の微笑に見とれていて、頬を赤くしていた僕。
「よ、吉岡昴と申します。」
僕は緊張してしまったのだった。
「よろしくお願いします。岩島君に吉岡君ですね。私は、引っ越してきて、明日から中学校に通うのですけど。同じ中学校だったらいいですね。」
何だろうか。この言葉に、ドキッとしてしまう。
茂木さんと同じ中学校。
「へへへっ、よろしくお願いします。」
岩島は得意げに答える。
ドキッとしてしまった僕だが、それは一瞬の出来事だった。
いいのだろうか。しかし、学校で虐められている僕は、そんな風に、考える権利もないことに気付く。
きっと、茂木さんも僕の正体にすぐに気づいてしまうだろう。
「あの。よろしくお願いします。」
僕は一気に声のトーンを下げて、頭を下げた。
「よろしくお願いします。緊張しなくても大丈夫ですよ。」
茂木さんはそう微笑んだ。
頼むから、違う学校であって欲しいことを願うばかりである。
しかし、その緊張を打ち消す出来事が、すぐにやって来た。
「美里―!!」
と呼ぶ大きな声がする。
「美里!!」
その声はだんだん大きくなって。
その声とともに、息遣いも聞こえてくる。
「美里!!探したのよっ。勝手に居なくなって。何かに巻き込まれていたらどうするの?」
僕の背後から、突然、大きな声が聞こえてくる。
「ご、ごめんなさい。お姉ちゃん。」
美里ちゃんは泣き顔になる。
振り返ってみると、僕たちと同じくらいの身長の女性が立っていた。
髪の毛をストレートにし、はあはあと息遣いしながら、ピンク色のカーディガンを羽織ってこちらを、美里ちゃんを見ている。
「おまけに、何で裸足なの?靴はどうしたの?」
美里ちゃんのお姉ちゃんらしき人に強く、言われ、さらに泣き顔になる美里ちゃんだったが。
「あ、あのね。よそ見してたら、ドブに落ちちゃって、そこにいるお兄ちゃんたちが助けてくれて、靴、洗ってくれたの。」
美里ちゃんはお姉ちゃんに説明する。
「まあ。なんてこと・・・・。美里。何かあったら本当に、どうなっていたのかわからないのよ。」
お姉ちゃんは、美里ちゃんを諭すように言った。
そうして、お姉ちゃんは僕と岩島に向き直る。
「本当に、ありがとうございました。美里の姉の【藤田晶子】です。えっと。」
「ああっ、吉岡昴と言います。」
僕は美里ちゃんの姉、晶子さんに頭を下げる。
「靴はこちらに。」
僕は洗って綺麗になった美里ちゃんの靴を指さす。
「まあ、本当に、ありがとうございます。えっと、そちらの方は。」
僕は岩島の方を見る。
ガチガチに緊張している岩島。若干顔も赤い。
確かに、晶子さんも美少女だ。岩島の気持ちもよくわかる。なぜならば、先ほど僕が、初めて茂木さんを見たときの気持ちが全く、同じだったから。
「い、岩島大樹って、いいます。よろしくお願いします。」
「よろしくお願いします。妹を助けていただき、ありがとうございました。」
晶子さんは深々と頭を下げる。
「さあ。美里、帰るわよ。お父さんも、お母さんも心配しているんだからね。」
「うん。お兄ちゃんたち。ありがとー。」
「あの、またお会い出来たら、今度、お礼をさせてください。今日はこの辺で。」
晶子さんは頭をさらに深々と下げ、美里ちゃんは、晶子さんに背負われ、大きく手を振り帰って行った。
「そうしたら、私もこれで。またお会いできるといいですね。」
茂木さんもそうして公園のベンチから立ち上がり、僕と岩島に深々と頭を下げて、公園を出る。
「は、はいっ。」
「あ、そうですね。」
僕は緊張して、そして、岩島は何か我に返ったように、茂木さんに挨拶をした。
茂木さんを見送ってから、僕と岩島はお互いに察したようだ。
「吉岡。」
「岩島。」
「「一目惚れか?」」
お互いに顔を見合わせる。
「まあ、いいんじゃねえの。特にお前の場合、そう言う息抜きも必要だろ。」
岩島がニコニコ笑う。
「まあ、そうだな。そして、それはお前もな。」
僕も岩島にニコニコ笑いながら言った。
「まあ、お互い秘密ってことで良いんじゃねぇの。久しぶりに良い放課後だったし。お前も良い時間だろ、もしかして、遅刻するんじゃないのか?バレエ。」
岩島が、僕を見る。
公園の時計を見る。かなりいい時間。後、数十分でバレエが始まる時間だ。
因みに、この時代は、スマホは勿論無いし、携帯も一部の、ビジネスマンと呼ばれる、大人が持っているくらいだ。まして、中学生や高校生が携帯を持つなんて、まだまだ早いと認識されている時代だ。
つまり、携帯の時計は見ることはできない。
頼りになるのは、公園の大きな時計。
この時代は、そう言う時計がいたるところに設置してある。そして、公園の門には公衆電話もある。
「そ、そうだな。ありがとう。岩島。僕も、久しぶりに楽しめた気がする。」
いつも学校に行けば、鍵山に睨まれる僕。
そんな、息抜きを体現した放課後だった。
僕たちも、それぞれ帰路に就き、僕は、その足で、バレエ教室に向かった。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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