26.最後のプレゼント
泣き叫ぶ僕。そして、一緒に僕の両肩をギュッと掴みながら、涙をこぼす茂木先生。
呼吸が落ち着いたところで、茂木先生は僕を家に上がらせ、ハルの部屋へと案内する。
そこには、眠るように、だが、しかし、もう、動くことはないハルの姿があった。
綺麗な顔をしていた。
ここで、ハルの死を実感した僕。
再び涙がこぼれる。
「どうして?どうして?だって、昨日は、そして、今日だって、僕がバレエ教室に行くまで元気だったのに・・・・。」
僕の涙の言葉を聞いて、再び茂木先生が僕の両肩を掴む。
僕に気付いたのか、ハルの両親も駆け寄ってきた。そして、往診に来てくれていた先生も。
「吉岡昴君。今まで、本当に、本当に、春菜を支えてくれて、ありがとう!!」
ハルの父親は涙を流しながらお礼を言った。
「吉岡君・・・・。ありがとう・・・・・。」
ハルの母親は一言僕にそう言って、涙を流していた。
「君には春菜の最期を知る権利がある。だから、往診の先生に残ってもらっていたんだ。」
ハルの父親は、往診の先生の方を向いた。先生は僕に深々と頭を下げた。
「吉岡君。いや、春菜さんの小さな旦那様。あなたには心から敬意を表します。献身的に今まで、サポートしてくれたのですから。感謝しかありません。」
往診の先生は深々と頭を下げ、ハルの、茂木春菜の最期の瞬間を教えてくれた。
僕がバレエ教室に行った直後、ハルの容態は一気に急変した。
往診の先生が来て、インターホンを鳴らしたが、一向に反応はなく、部屋に駆け込むと、呼吸が苦しいハルの姿があったという。
先生は、家族に連絡を入れて、すぐに両親と茂木先生が駆けつけた。
そこからは、一気に山場を迎えることになる。
人工呼吸器という選択肢もあったが、取りに行くためには時間を要してしまう。
だが、ハルの呼吸、そして、心臓の音は一気に弱っていく。
自分の病院まで、人工呼吸器を取りに行って戻ってくるにはあまりにも時間が足りないと、往診の先生は悟ったのだろう。
そこからは、僕がもどってくるまで、何とか、延命の措置をしようと、心臓マッサージはじめ、出来る限り頑張ったのだが、息を引き取ったという。
「申し訳ない。あなたがもどるまで、最善を尽くそうとしたのですが。」
往診の先生は深々と頭を下げた。
「しかし、医学的には、数値的には、もう、いつ、この時が来てもおかしくありませんでした。容体が急変すればもう、すぐに・・・・・。」
往診の先生は僕の目を見て言った。
やはり、医学の力をもってしても、ハルの限界は当に超えていたのだ。
「吉岡君、きっと、春菜は、君に、一番美しい姿を見せたかったと思う。最後の、最後まで。」
茂木先生は今度は僕の背中に手を当て、大きく頷いてくれた。
その言葉に、さらに涙があふれる僕。
ああ。そうだったんだ。
ハルは、僕に、一番美しい姿を・・・・・。
ハルはきっと死期を悟ったのだろう。だから、最後に・・・・・。
「ありがとう。ハル。ありがとう。ありがとう・・・・。」
僕は、眠っているようなハルの顔に触れる。冷たい感触が伝わる。
既に、葬儀社もお入りになっていて、綺麗にしてもらっているようだ。
往診の先生にお礼を言って、その後は、ハルのご両親と茂木先生と一緒に食事をとった。
当然だが、食事は喉を通らず、少ししか食べられなかったが、いくつもの思い出話が、それを和らげてくれた。
数日後、連休明けの最初の週末にハルの葬儀が行われた。
葬儀には、岩島やアキ、そして、ヒロとユリ、さらにはアキの妹の美里ちゃんも駆けつけた。
「どうして、どうして、ハルお姉ちゃんが死ななきゃいけないの?ねえ。どうしてっ。」
美里ちゃんは、何で、どうして、と問いかける。
幼い彼女にとって、人間の死、しかも、高校生で、命の炎が燃え尽きるという現象は想像していなかったのだろう。
その時に、接するのは、年寄りの人しかあり得ないと思っていたのだろう。
僕の方は、今まで、そう言ったドキュメントや本を見たことがあるので、小児がんなどで、幼くして亡くなってしまう人が居ること自体は知っているが、いざ、こう、直面してみると、美里ちゃんの言葉が痛いほどわかる。
「吉岡、本当にお前はよくやったよ。」
岩島が僕の左肩を掴んで、彼は涙を流す。
「本当に立派だったぞ、ヨッシー。」
ヒロも涙を流して、僕の、この数か月の出来事と行動に、心から敬意を表してくれたのだった。
「ハルお姉ちゃん。ありがとう。ヨッシーお兄ちゃんも、頑張ってハルお姉ちゃんのサポート、素敵でした。」
ユリは涙を浮かべながらも、どこか後悔している様子はなさそうだ。
短いながらも、立派に人生を終えたということを、分かっていたのだろう。
葬儀の祭壇には、微笑を浮かべながらこちらを見ているハルの写真が飾られていた。
そして、棺の中には、命の炎を燃やし尽くし、最期の最期まで病気と闘った、眠っているハルの姿があった。
僕たちは、その棺に花を並べていく。多くの花が綺麗に並べられ、棺の中は花で満杯になっていた。
綺麗な花とともに、眠っているハル。彼女の最期の美しい姿だった。
葬儀はここで終わりなのだが。茂木先生から声をかけられる。
「火葬場に来てくれないか。皆も一緒に。それに、吉岡君には、そこで渡したいものもあるから。」
茂木先生は僕たちに向かってそう声をかけた。
頷く僕たち。僕と一緒に、岩島、アキ、美里ちゃん、そして、ヒロとユリが一緒に火葬場へ行くことになった。
葬儀社が用意してくれたマイクロバスに乗り、火葬場へ。
葬儀場からは、十五分くらいで到達した。
最後の棺の蓋が明けられる。
これで、本当のお別れ。微笑むように眠るハルを目に焼き付けた。
全員がハルの顔を目に焼き付けて、棺の蓋が、本当に最後にとじられる瞬間を僕たちは見ていた。
誰かの涙声が聞こえる。
それを聞きながら、火葬炉へ向かう棺。
僕は過去にもこの場面に直面したことがあるのだが、何度見ても、見届けられない光景。
―ありがとう、ハル。―
僕は心の中でそっとつぶやく。
火葬が開始され、この世界で次にハルに会うのは、遺骨になってからである。
一時間ほど経過しただろうか。
その一時間の間に、不思議と、気持ちが落ち着いてきた。それは、火葬場に来ていた他の人達もそうだ。
僕たちが呼ばれ、ハルの遺骨と対面する。
遺骨を骨壺の中に収めていく。ここの場面も立ち会ったことがあるので淡々と作業を進めていく。
「残りは私たちの方で、集めさせていただきますが、よろしいでしょうか。」
全員が遺骨を一つずつ拾い、骨壺に収め終わったところで、火葬場の職員の方からそういう声がかかる。
「ああっ、少し待って、そうしていただくのですが、その前に。生前、話していたことがあって。」
茂木先生が、その作業を少し待つように指示する。ハルのご両親も先生の言葉に頷く。
火葬場の職員の人達は頷いた。
そして、茂木先生は小さな入れ物を用意した。シルバーに輝く入れ物で、親指の大きさほどしかない、本当に小さな入れ物だった。そして、その入れ物からは鎖のような紐が伸びていた。
茂木先生とハルのご両親は、火葬場職員の指示のもと、ハルの小さい遺骨を、その入れ物の中に入れた。
そして。
「吉岡昴君。これまで、春菜のパートナーで居てくれてありがとう。本当に、本当にありがとう。」
ハルの父親は僕に向かって深々と頭を下げる。同じく母親も、そして、伯父にあたる茂木先生も一緒に頭を下げた。
ご両親は涙で言葉が出て来なかったので、代わりに茂木先生が説明した。
「こんな形で、そして、このような場面で、不謹慎かもしれないが、君はもうすぐ誕生日ということを春菜から聞いた。」
茂木先生は僕に話す。
確かにそうだ。こんな場面で申し訳ないのだが、僕の誕生日は五月十三日。誕生日は数日後に迫っていた。
「そこで、春菜の希望で、最後のプレゼント、最後のお願いがある。これを・・・・。」
茂木先生はハルのご両親と一緒に歩み寄る。
そして、先ほど用意されていて、ハルの小さな遺骨を入れた、シルバーに輝く小さな入れ物。
それを僕に差し出してきた。
さらに、茂木先生と両親は、僕の首に、鎖の紐をかけてくれた。
そして、その時に初めて、茂木先生と、ハルのご両親に差し出された物、その正体が判った。
それは、ネックレスだった。
ハルの遺骨が入った、小さな物入れのついた、シルバーのネックレスだった。
「これを君に。いつまでも付けていて欲しい。春菜も大きな舞台に立ちたかった。春菜と一緒に、世界の大きな舞台に、一緒に連れて行って欲しい。春菜からの君への最後のプレゼントで、最後のお願いだ。」
茂木先生は僕に頭を下げた。ハルのご両親も、大粒の涙を浮かべて。
僕は胸元を見る。そして、茂木先生たちを見る。
何だろうか、僕も目に涙が、大粒の涙が、溢れてくる。
僕の答えは決まっていた。
「はいっ、必ず、約束します。精一杯病気と向き合った、春菜さんのために。」
僕は大きく頷いた。
「「「ありがとう!!」」」
茂木先生とハルのご両親は、全てを吹っ切るように、僕の肩をポンポンと叩いて、目に涙を浮かべていた。しかし、涙の理由は、先ほどまでの理由とは大きく異なっていたことは間違いない。
ハルとともに、また一歩踏み出さなければならない。それが残された人の使命だろう。
一緒にコンクールに、そして、世界に行く、僕は胸元のネックレスを見て、そう、心に刻み、火葬場を出たのだった。
火葬場を出ると、綺麗な青空が人がっていた。
そう、ハルの夢と、想いとともに、一緒に、世界の大きな舞台へ行くために、大きな一歩を踏み出すような、希望の青空が広がっていた。
ハルが僕たちを見守ってくれているような、そんな気持ちだった。
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