18.提案と真実
バレエ教室の入り口のテーブル、その周りのソファーに、僕、ヒロ、母親、茂木先生の四人。そして、岩島とアキを待っている状況だ。
二人を待っている間に。茂木先生がこう切り出してきた。
「さて、高校受験はどうかな?」
茂木先生のこの言葉に、僕たちは複雑な表情をした。
「どうしたの?まさか、上手くいってないのか?」
それだけだったら、どんなに気が楽だろう。
また次の高校を受験すればいいだけの話、でも、僕の場合は次がない状況。
「ええ、昴は高校受験に落ちてばっかりなんですよ~。どうしたのかしらねぇ。」
母親は少し深刻な表情をしながらも、茂木先生に話す。
「ハハハッ、そうか、そうか、大丈夫。必ず、どこかに合格は出来るさ。」
茂木先生は笑っていたが。
僕は拳を握る。
「ヨッシー・・・・。」
ヒロが心配そうに声をかける。
僕は首を横に振った。
「どうしたのかな?」
僕の動作に疑問を持った茂木先生。
「昴、一体どうしたの?」
母親の言葉。
僕は深呼吸した。そして。
「母さん、ごめん、違うんだ。僕、母さんにだけは心配かけたくなくて。」
「どうしたの昴?」
母親は深刻な表情をしている。
「僕、ずっと、虐められていたんだ。」
僕は、勇気を振り絞って、話した。
ずっと鍵山達に虐められていたこと、その原因は、男のくせにバレエをやっていること。だけど、ヒロ達が転校してきてから、味方が増えたこと。
だけど、鍵山の父親は県議で、その取り巻きたちの父親、つまり、地元企業の社長たちが良く思っていなくて、教師も加担して虐められていたり、ついには、内申書を改ざんされたこと。
そして、その影響はヒロにもおよび、ヒロは、妹、ユリの通う、女子校の高等部に、妹や妹の担任が助言し、その学校に進学できることを話した。
そして、その話はヒロもサポートしてくれた。
さらには。
「吉岡。お待たせ。」
「お待たせしました、吉岡さん。」
このタイミングで、岩島と、アキがやって来たので、僕とヒロの高校受験の状況をもう一度話した。
二人は深刻な表情をしている僕とヒロを見て、話しをしっかり聞いてくれた。
因みにだが、岩島とアキは、公立高校の受験はまだだが、私立はいくつか合格が決まっている。
「そんなっ。鍵山め!!」
驚きに、絶句する岩島。
「まさか、そんな、吉岡さんが、そんな目に遭っているなんて。」
驚くアキ。
そして、最も、悲しい表情をしていたのは、母親だった。
「昴、どうして、そんなことを、そんな大事なことを黙っていたの?母さんが力になってあげたのに。」
母親は少し涙目になる。
「ごめん。母さん。心配かけたくなかったし、バレエ、好きだからさ。それに、内申書の改ざんがわかったのは、最近、ヒロが、高校に合格してわかったんだ。」
僕は母親に必死で謝る。
「ああっ。」
母親は言葉が出ないままだ。
茂木先生は、うん、うんと、大きく頷いた。そして。
「吉岡先生、いや、お母さん。あなたの息子さんは立派だ。虐められても、心を強く持っていたのだから、あなたから、教えられた、バレエを大切にして。そこは、褒めてあげてください。それに。」
母親は涙目になるのをやめる。茂木先生の言葉は少し心に響いたようだ。
そして、僕に感謝の目をするようになった。
「それに・・・・・。」
母親は茂木先生に尋ねる。
「あなた一人で、この巨大権力に立ち向かうのは無理だ。向こうの権力によって、バレエ教室の保護者にも伝わってしまって、経営が厳しくなる。お母様と、このバレエ教室を護るために、息子さんは最善を尽くしたのだと思います。」
茂木先生は大きく頷く。
確かに、バレエをやっている人の保護者もかなりの裕福な人達が多い。そのような人達は、鍵山とその取り巻きたちからすぐに話が伝わりそうだ。
「はいっ。」
母親は黙って、頷く。
ふうっ。と、茂木先生は深呼吸をする。
「そうか、それなら、都合がいい。」
茂木先生はニコニコ笑った。そして。僕の手を握ってこういった。
「吉岡君!!」
茂木先生は大きく目を見開いた。
「思い切って、バレエを学ぶために、海外の高校へ行こう!!」
「えっ。」
僕は驚く。
「勿論、原田君にもチャンスがある、原田君も、吉岡君と一緒に海外の高校へ行こう!!」
ヒロは、アメリカ暮らしが長かったためか、その言葉がどこかスーッと入ってくる。
海外、その発想は無かった。突然の茂木先生の提案。
「少し身構えたかもしれないが、その実力は十分にある。毎報新聞バレエコンクールでも入賞しているしね。」
茂木先生は、鞄から一枚のチラシを取り出す。といっても、かなりの枚数のチラシが入ったファイルの中から、その一枚を取り出したのだった。
そして、先生は、そのチラシの内容を説明した。
「今年の七月は海の日を含めた、三連休になる。その三連休で、海外から高名なバレエの先生を多数お呼びした、バレエのコンクールがある。これに出て、海外の高名な先生、誰か一人の目に留まって、入賞できれば、海外の高校に留学できる。そうすれば、もっと、整った環境でバレエができるし、高校の勉強もできる。それに、海外の有名なコンクールの一つ、ローザンヌだって夢じゃない。」
茂木先生はテンションを上げて、説明した。
「それに、海外の高校は九月始まりがほとんどだ。七月までのこの時期、吉岡君は高校へ行かない時期となるだろう、そこを逆手にとって、練習に集中できれば。いいか、もう一回、言うぞ。ここに出て、入賞できれば、留学だって、ローザンヌだって夢じゃない。勿論、原田君もだ。」
そう、全てのバレエダンサーの憧れ、ローザンヌ。
平成の終わり、そして、令和の時代になってこそ、予選の映像審査があり、どこからでも、出場者の負担なく応募できたのだが。
この当時は、映像審査は無く、予選から決勝までの全日程を現地で行っていた。
それ故に、ローザンヌを目指す人は、先ず、日本の国内のバレエコンクールで入賞して、その実績を基に、海外に留学して、拠点をヨーロッパに移したうえでコンクールに出場する、ということが一般的だった。
だから、この当時は、こういった、海外の高名な先生を招いたコンクールや研修会が頻繁に行われていた。
茂木先生のこのチラシもその一つで、しかも、チラシの内容からするに、ものすごく大きく、大々的にやるもので、かなり有名な大会になること間違いなしだった。
海外の高校。確かに、視野に無かった。
心構えのハードルは確かに高い。でも、このまま鍵山達に目を付けられ続ければもっと、ポジションが悪くなる。
幸いにも、海外の高校は九月始まり。まだ準備の期間はある。
僕は、深呼吸して、覚悟を決めた。
「僕、やってみたいです。少しでもチャンスがあるのなら。」
「おおっ。」
茂木先生は、僕の希望に満ちた顔を見てはっきりしたのだろう。
「でも、大丈夫なの?昴?」
しかし、母親は、高校入学への希望の表情が見えてきたが、少しお不安もあったので、僕にこう聞いてきた。
「うん。このまま、高校に落ち続けるのなら、いっそのことチャンスを掴みに行きたい。それに、ローザンヌにも出られる可能性があるのだから。」
僕は母親に向かって行った。
「そうね。ローザンヌに出られるなら、私たちのバレエ教室も万々歳よ。」
母親は笑顔だった。
「わ、私もやってみたいです。チャンスがあるなら。」
同じくヒロも大きく深呼吸をして、頷いた。
「そうか。そうか。やってくれるか。そしたら、課題曲は主催者側が用意した、練習用の音源で、申し込みと同時に、CDで配布されるから、それを聞いて振付してもらって。自由曲は。また後で決めてくれればいいからね。」
茂木先生はうん、うん、と頷く。
僕とヒロの英断に、一緒に居た、岩島とアキもものすごく喜んでいた。
「すげー、すげーよ。吉岡。」
岩島が笑う。
「頑張ってくださいね。吉岡さん。」
アキも笑顔だった。
そして、茂木先生は再び深呼吸する。
「それと、もう一つ話があるんだ。」
茂木先生は、先ほどの、僕たちの海外留学の提案の時よりも、真剣な表情をしている。そして、今日いちばんの深刻な顔をしている。
「実はこっちの話があったために、ここに来たわけだし、皆を呼んだんだ。」
茂木先生は深呼吸する。
「まずは、吉岡先生、この間のクリスマスコンサートの件、アクシデントがあり、申し訳ありませんでした。倒れたのは私の姪っ子だったこともあり、アクシデントをお詫びいたします。」
「いえいえ。そんな、本番にアクシデントはつきものです。」
頭を下げた茂木先生に対して、首を横に振る母親。
「姪っ子さんは大丈夫ですか?あの後、お見掛けしませんし、学校にも来ていないと息子から伺いまして。」
母親は茂木先生の目を見る。
「ええ。今は落ち着いています。しかし、今後のことで、話があって、今日、息子さんを含め、皆さんをお呼びしたのです。」
茂木先生は少し下を見る。
そして。
「結論から言うと、姪は、茂木春菜は、今年の桜の時期まで持つかわからないと・・・・・。」
再び深呼吸した後に、真剣なまなざしで言った、茂木先生の一言。
―桜の時期まで持つかわからない・・・・・。―
つまり。余命二か月。
「そんなっ。」
「そ、そんなことって。」
「嘘でしょ。」
「マジで?」
僕、そして、ヒロ、アキ、岩島が驚く、そして、絶句するしかなかった。
そして、一緒に居た母親も驚いていた。
僕たちの絶句に、茂木先生はさらに続けた。
「すまなかった。本当に申し訳ない。君たちにはもっと早くに打ち明けるべきだった。」
茂木先生は頭を下げる。
「もともと、春菜は、小学校四年生の時に、小児がんが発覚して、入院していた。一度は手術して元気になって、大丈夫だろうと言われていた。だけど、昨年の末、クリスマスコンサートの直前に再発してしまった。そして、今度は、そのがんが、脳に転移して、さらに、身体の至る所に・・・・。ここまでくると超悪性の癌だ。もう、長くは持たないと・・・・。」
茂木先生の言葉は重く、先生の上にも、そして、僕たちの上にも重くのしかかってくる。
「だから、春菜には、最初の癌が発覚して以降、楽しいことをさせようと、私と、私の兄夫婦、つまり、春菜の両親がそう提案してね。大好きな音楽を続けることに大賛成だった。もともと、がんが発覚する前まではピアノもやっていたんだよ。でも、それも、かなり長期入院して、辞めちゃってね。退院してからは歌、声楽一本でやって来たんだ。」
茂木先生はまるで過去を思い出すかのように、何か遠いものを見るかのように僕たちに話す。
何だろうか、僕は、僕たちは、茂木先生の言葉にただただ、涙があふれる。
一生懸命、生きようとしているハル。そして、それを支えようとする、茂木先生始め、ハルの、ご両親。
余命二か月。二か月って、どのくらいだろう。
ぐずぐずしていれば、あっという間に過ぎてしまう。
「・・・・。なにか。出来ることはないでしょうか?」
僕は恐る恐る、茂木先生に聞いた。
茂木先生は、僕の手を取って言った。
「吉岡君。君に頼みがある。」
茂木先生は涙を拭き、最後の頼みのように、僕に言った。
「高校留学の準備期間だけでいい。春菜と一緒に、夏に皆で行った、私の別荘に、春菜と一緒に住んでくれないか?」
茂木先生の言葉に、僕と、僕の母親も、そして、皆が驚く。
「むしろ吉岡君が、高校が決まらない状態は好都合だったんだ。」
茂木先生は大きく頷く。
「それは一体?どういうことでしょうか?」
僕は茂木先生に言う。
「うん。春菜の余命宣告を受けて、どちらかを選べる。一つは“さらに強い薬を投与して、治療を続けるか”、もう一つは、“治療を止めて、緩和医療メインで、家に帰るか”のどちらか。勿論、どっちを選択しても、未来はない、いずれ亡くなってしまう。」
茂木先生は大きく頷き、僕たちにこう説明した。
二つの選択肢、そのどちらを選択してもいいが、どちらをとっても、もうそんなに長くは持たないのだそう。
その証拠に、過去に選択を提示された家族はほぼ全員、後者の立場を選択していることも、茂木から明かされた。
ハルも例外ではなく、後者の立場。“治療を止めて、緩和医療メインで、家に帰る”という選択をしたいという。
そして。
「春菜に聞いたんだ。やってみたいことはないかって。そしたら。」
この後の、茂木先生の言葉に僕は涙する。
「春菜はこう言ったんだ。“海の見える場所で、友達、ううん、吉岡君と暮らしたい”と。吉岡君。どうだろう?春菜の、最後の夢、叶えてやってもらえないだろうか。勿論、私が必ずサポートする。」
茂木先生は僕に向かってそう言ったのだ。
ハルの言葉。ハルの夢。僕は心に深く刻み、しっかりと受け取った。
「はいっ。勿論です。」
僕は大きく頷いた。
「そうか。それならば、七月のコンクールは、あの別荘を拠点にしてもらった方が早い、私の知り合いに、東京でバレエスタジオをやっている人が居る。そこならば、電車でも一時間ちょっとで行けるだろうし、私が手紙を書くから、その知り合いに、バレエをこの夏のコンクールの特講をやってもらってくれ。勿論、春菜のことは心配するな、近くの病院の先生が往診に来てくれる手はずを整えてくれる。
そして、一緒に、春菜と通信制高校に通ってほしい。通信制の高校なので、教材が別荘に届いて、それを勉強してもらうことになる。その手はずも整えておくから。」
茂木先生は、僕に向かってこういった。
本当にありがたかった、何もかも、茂木先生がサポートしてくれる。
僕は心強い、素晴らしい味方が居たことを本当に誇らしい。
「ありがとうございます。こんな僕に、そして、こんな僕でよければ、精一杯、春菜さんの残りの人生、一緒に、居ます。」
僕は茂木先生に深々と頭を下げた。
「茂木先生、ありがとうございます。」
母親も一緒に頭を下げた。
「気にしないで欲しい、むしろ、お礼を言いたいのはこちらの方だ。春菜の最後の夢。叶えさせてくれて、ありがとう。」
茂木先生はさらに深々と頭を下げた。
僕は頷く。そして、一瞬で、ピンときた。
天を仰いで、その考えが、確信に変わった。
「あの。七月の、海外留学向けのコンクールの自由曲、決まりました。僕の中で。」
僕のこの一言に、全員が注目した。
「何の曲?言ってもらっても。」
茂木先生が僕を見る。
「『春の声』です。ヨハン=シュトラウスの。ハルの歌、もう一度聞きたい。そして、“ハルの声”。もう一度聞かせてくれませんか。バレエ向けの、雄大なワルツの音に乗せて。」
僕の頬には涙が光る。
「吉岡君、ありがとう!!」
茂木先生は、これまで見せたことが無い、大粒の涙を流して、僕の手を握った。
僕の選択した、自由曲に誰も反対するものはおらず、皆、満場一致で賛成していた。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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