表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

18/29

18.提案と真実

 

 バレエ教室の入り口のテーブル、その周りのソファーに、僕、ヒロ、母親、茂木先生の四人。そして、岩島とアキを待っている状況だ。


 二人を待っている間に。茂木先生がこう切り出してきた。


「さて、高校受験はどうかな?」


 茂木先生のこの言葉に、僕たちは複雑な表情をした。

「どうしたの?まさか、上手くいってないのか?」


 それだけだったら、どんなに気が楽だろう。

 また次の高校を受験すればいいだけの話、でも、僕の場合は次がない状況。


「ええ、昴は高校受験に落ちてばっかりなんですよ~。どうしたのかしらねぇ。」

 母親は少し深刻な表情をしながらも、茂木先生に話す。


「ハハハッ、そうか、そうか、大丈夫。必ず、どこかに合格は出来るさ。」

 茂木先生は笑っていたが。


 僕は拳を握る。

「ヨッシー・・・・。」

 ヒロが心配そうに声をかける。


 僕は首を横に振った。


「どうしたのかな?」

 僕の動作に疑問を持った茂木先生。


「昴、一体どうしたの?」

 母親の言葉。

 僕は深呼吸した。そして。


「母さん、ごめん、違うんだ。僕、母さんにだけは心配かけたくなくて。」

「どうしたの昴?」

 母親は深刻な表情をしている。


「僕、ずっと、虐められていたんだ。」


 僕は、勇気を振り絞って、話した。

 ずっと鍵山達に虐められていたこと、その原因は、男のくせにバレエをやっていること。だけど、ヒロ達が転校してきてから、味方が増えたこと。

 だけど、鍵山の父親は県議で、その取り巻きたちの父親、つまり、地元企業の社長たちが良く思っていなくて、教師も加担して虐められていたり、ついには、内申書を改ざんされたこと。


 そして、その影響はヒロにもおよび、ヒロは、妹、ユリの通う、女子校の高等部に、妹や妹の担任が助言し、その学校に進学できることを話した。


 そして、その話はヒロもサポートしてくれた。


 さらには。


「吉岡。お待たせ。」

「お待たせしました、吉岡さん。」


 このタイミングで、岩島と、アキがやって来たので、僕とヒロの高校受験の状況をもう一度話した。

 二人は深刻な表情をしている僕とヒロを見て、話しをしっかり聞いてくれた。


 因みにだが、岩島とアキは、公立高校の受験はまだだが、私立はいくつか合格が決まっている。


「そんなっ。鍵山め!!」

 驚きに、絶句する岩島。


「まさか、そんな、吉岡さんが、そんな目に遭っているなんて。」

 驚くアキ。


 そして、最も、悲しい表情をしていたのは、母親だった。

「昴、どうして、そんなことを、そんな大事なことを黙っていたの?母さんが力になってあげたのに。」

 母親は少し涙目になる。


「ごめん。母さん。心配かけたくなかったし、バレエ、好きだからさ。それに、内申書の改ざんがわかったのは、最近、ヒロが、高校に合格してわかったんだ。」

 僕は母親に必死で謝る。


「ああっ。」

 母親は言葉が出ないままだ。


 茂木先生は、うん、うんと、大きく頷いた。そして。


「吉岡先生、いや、お母さん。あなたの息子さんは立派だ。虐められても、心を強く持っていたのだから、あなたから、教えられた、バレエを大切にして。そこは、褒めてあげてください。それに。」

 母親は涙目になるのをやめる。茂木先生の言葉は少し心に響いたようだ。

 そして、僕に感謝の目をするようになった。


「それに・・・・・。」

 母親は茂木先生に尋ねる。


「あなた一人で、この巨大権力に立ち向かうのは無理だ。向こうの権力によって、バレエ教室の保護者にも伝わってしまって、経営が厳しくなる。お母様と、このバレエ教室を護るために、息子さんは最善を尽くしたのだと思います。」

 茂木先生は大きく頷く。

 確かに、バレエをやっている人の保護者もかなりの裕福な人達が多い。そのような人達は、鍵山とその取り巻きたちからすぐに話が伝わりそうだ。


「はいっ。」

 母親は黙って、頷く。


 ふうっ。と、茂木先生は深呼吸をする。


「そうか、それなら、都合がいい。」

 茂木先生はニコニコ笑った。そして。僕の手を握ってこういった。


「吉岡君!!」

 茂木先生は大きく目を見開いた。


「思い切って、バレエを学ぶために、海外の高校へ行こう!!」

「えっ。」

 僕は驚く。


「勿論、原田君にもチャンスがある、原田君も、吉岡君と一緒に海外の高校へ行こう!!」

 ヒロは、アメリカ暮らしが長かったためか、その言葉がどこかスーッと入ってくる。


 海外、その発想は無かった。突然の茂木先生の提案。


「少し身構えたかもしれないが、その実力は十分にある。毎報新聞バレエコンクールでも入賞しているしね。」

 茂木先生は、鞄から一枚のチラシを取り出す。といっても、かなりの枚数のチラシが入ったファイルの中から、その一枚を取り出したのだった。


 そして、先生は、そのチラシの内容を説明した。


「今年の七月は海の日を含めた、三連休になる。その三連休で、海外から高名なバレエの先生を多数お呼びした、バレエのコンクールがある。これに出て、海外の高名な先生、誰か一人の目に留まって、入賞できれば、海外の高校に留学できる。そうすれば、もっと、整った環境でバレエができるし、高校の勉強もできる。それに、海外の有名なコンクールの一つ、ローザンヌだって夢じゃない。」


 茂木先生はテンションを上げて、説明した。


「それに、海外の高校は九月始まりがほとんどだ。七月までのこの時期、吉岡君は高校へ行かない時期となるだろう、そこを逆手にとって、練習に集中できれば。いいか、もう一回、言うぞ。ここに出て、入賞できれば、留学だって、ローザンヌだって夢じゃない。勿論、原田君もだ。」


 そう、全てのバレエダンサーの憧れ、ローザンヌ。

 平成の終わり、そして、令和の時代になってこそ、予選の映像審査があり、どこからでも、出場者の負担なく応募できたのだが。


 この当時は、映像審査は無く、予選から決勝までの全日程を現地で行っていた。

 それ故に、ローザンヌを目指す人は、先ず、日本の国内のバレエコンクールで入賞して、その実績を基に、海外に留学して、拠点をヨーロッパに移したうえでコンクールに出場する、ということが一般的だった。


 だから、この当時は、こういった、海外の高名な先生を招いたコンクールや研修会が頻繁に行われていた。


 茂木先生のこのチラシもその一つで、しかも、チラシの内容からするに、ものすごく大きく、大々的にやるもので、かなり有名な大会になること間違いなしだった。


 海外の高校。確かに、視野に無かった。

 心構えのハードルは確かに高い。でも、このまま鍵山達に目を付けられ続ければもっと、ポジションが悪くなる。


 幸いにも、海外の高校は九月始まり。まだ準備の期間はある。

 僕は、深呼吸して、覚悟を決めた。


「僕、やってみたいです。少しでもチャンスがあるのなら。」

「おおっ。」

 茂木先生は、僕の希望に満ちた顔を見てはっきりしたのだろう。


「でも、大丈夫なの?昴?」

 しかし、母親は、高校入学への希望の表情が見えてきたが、少しお不安もあったので、僕にこう聞いてきた。


「うん。このまま、高校に落ち続けるのなら、いっそのことチャンスを掴みに行きたい。それに、ローザンヌにも出られる可能性があるのだから。」

 僕は母親に向かって行った。


「そうね。ローザンヌに出られるなら、私たちのバレエ教室も万々歳よ。」

 母親は笑顔だった。


「わ、私もやってみたいです。チャンスがあるなら。」

 同じくヒロも大きく深呼吸をして、頷いた。


「そうか。そうか。やってくれるか。そしたら、課題曲は主催者側が用意した、練習用の音源で、申し込みと同時に、CDで配布されるから、それを聞いて振付してもらって。自由曲は。また後で決めてくれればいいからね。」

 茂木先生はうん、うん、と頷く。


 僕とヒロの英断に、一緒に居た、岩島とアキもものすごく喜んでいた。


「すげー、すげーよ。吉岡。」

 岩島が笑う。


「頑張ってくださいね。吉岡さん。」

 アキも笑顔だった。


 そして、茂木先生は再び深呼吸する。


「それと、もう一つ話があるんだ。」

 茂木先生は、先ほどの、僕たちの海外留学の提案の時よりも、真剣な表情をしている。そして、今日いちばんの深刻な顔をしている。


「実はこっちの話があったために、ここに来たわけだし、皆を呼んだんだ。」

 茂木先生は深呼吸する。


「まずは、吉岡先生、この間のクリスマスコンサートの件、アクシデントがあり、申し訳ありませんでした。倒れたのは私の姪っ子だったこともあり、アクシデントをお詫びいたします。」

「いえいえ。そんな、本番にアクシデントはつきものです。」

 頭を下げた茂木先生に対して、首を横に振る母親。


「姪っ子さんは大丈夫ですか?あの後、お見掛けしませんし、学校にも来ていないと息子から伺いまして。」

 母親は茂木先生の目を見る。


「ええ。今は落ち着いています。しかし、今後のことで、話があって、今日、息子さんを含め、皆さんをお呼びしたのです。」

 茂木先生は少し下を見る。

 そして。


「結論から言うと、姪は、茂木春菜は、今年の桜の時期まで持つかわからないと・・・・・。」

 再び深呼吸した後に、真剣なまなざしで言った、茂木先生の一言。


 ―桜の時期まで持つかわからない・・・・・。―


 つまり。余命二か月。


「そんなっ。」

「そ、そんなことって。」

「嘘でしょ。」

「マジで?」


 僕、そして、ヒロ、アキ、岩島が驚く、そして、絶句するしかなかった。

 そして、一緒に居た母親も驚いていた。


 僕たちの絶句に、茂木先生はさらに続けた。


「すまなかった。本当に申し訳ない。君たちにはもっと早くに打ち明けるべきだった。」

 茂木先生は頭を下げる。


「もともと、春菜は、小学校四年生の時に、小児がんが発覚して、入院していた。一度は手術して元気になって、大丈夫だろうと言われていた。だけど、昨年の末、クリスマスコンサートの直前に再発してしまった。そして、今度は、そのがんが、脳に転移して、さらに、身体の至る所に・・・・。ここまでくると超悪性の癌だ。もう、長くは持たないと・・・・。」

 茂木先生の言葉は重く、先生の上にも、そして、僕たちの上にも重くのしかかってくる。


「だから、春菜には、最初の癌が発覚して以降、楽しいことをさせようと、私と、私の兄夫婦、つまり、春菜の両親がそう提案してね。大好きな音楽を続けることに大賛成だった。もともと、がんが発覚する前まではピアノもやっていたんだよ。でも、それも、かなり長期入院して、辞めちゃってね。退院してからは歌、声楽一本でやって来たんだ。」

 茂木先生はまるで過去を思い出すかのように、何か遠いものを見るかのように僕たちに話す。


 何だろうか、僕は、僕たちは、茂木先生の言葉にただただ、涙があふれる。

 一生懸命、生きようとしているハル。そして、それを支えようとする、茂木先生始め、ハルの、ご両親。


 余命二か月。二か月って、どのくらいだろう。

 ぐずぐずしていれば、あっという間に過ぎてしまう。


「・・・・。なにか。出来ることはないでしょうか?」

 僕は恐る恐る、茂木先生に聞いた。


 茂木先生は、僕の手を取って言った。


「吉岡君。君に頼みがある。」

 茂木先生は涙を拭き、最後の頼みのように、僕に言った。


「高校留学の準備期間だけでいい。春菜と一緒に、夏に皆で行った、私の別荘に、春菜と一緒に住んでくれないか?」

 茂木先生の言葉に、僕と、僕の母親も、そして、皆が驚く。


「むしろ吉岡君が、高校が決まらない状態は好都合だったんだ。」

 茂木先生は大きく頷く。


「それは一体?どういうことでしょうか?」

 僕は茂木先生に言う。


「うん。春菜の余命宣告を受けて、どちらかを選べる。一つは“さらに強い薬を投与して、治療を続けるか”、もう一つは、“治療を止めて、緩和医療メインで、家に帰るか”のどちらか。勿論、どっちを選択しても、未来はない、いずれ亡くなってしまう。」

 茂木先生は大きく頷き、僕たちにこう説明した。

 二つの選択肢、そのどちらを選択してもいいが、どちらをとっても、もうそんなに長くは持たないのだそう。

 その証拠に、過去に選択を提示された家族はほぼ全員、後者の立場を選択していることも、茂木から明かされた。


 ハルも例外ではなく、後者の立場。“治療を止めて、緩和医療メインで、家に帰る”という選択をしたいという。

 そして。


「春菜に聞いたんだ。やってみたいことはないかって。そしたら。」


 この後の、茂木先生の言葉に僕は涙する。


「春菜はこう言ったんだ。“海の見える場所で、友達、ううん、吉岡君と暮らしたい”と。吉岡君。どうだろう?春菜の、最後の夢、叶えてやってもらえないだろうか。勿論、私が必ずサポートする。」

 茂木先生は僕に向かってそう言ったのだ。

 ハルの言葉。ハルの夢。僕は心に深く刻み、しっかりと受け取った。


「はいっ。勿論です。」

 僕は大きく頷いた。


「そうか。それならば、七月のコンクールは、あの別荘を拠点にしてもらった方が早い、私の知り合いに、東京でバレエスタジオをやっている人が居る。そこならば、電車でも一時間ちょっとで行けるだろうし、私が手紙を書くから、その知り合いに、バレエをこの夏のコンクールの特講をやってもらってくれ。勿論、春菜のことは心配するな、近くの病院の先生が往診に来てくれる手はずを整えてくれる。

 そして、一緒に、春菜と通信制高校に通ってほしい。通信制の高校なので、教材が別荘に届いて、それを勉強してもらうことになる。その手はずも整えておくから。」


 茂木先生は、僕に向かってこういった。

 本当にありがたかった、何もかも、茂木先生がサポートしてくれる。

 僕は心強い、素晴らしい味方が居たことを本当に誇らしい。


「ありがとうございます。こんな僕に、そして、こんな僕でよければ、精一杯、春菜さんの残りの人生、一緒に、居ます。」

 僕は茂木先生に深々と頭を下げた。


「茂木先生、ありがとうございます。」

 母親も一緒に頭を下げた。


「気にしないで欲しい、むしろ、お礼を言いたいのはこちらの方だ。春菜の最後の夢。叶えさせてくれて、ありがとう。」

 茂木先生はさらに深々と頭を下げた。


 僕は頷く。そして、一瞬で、ピンときた。

 天を仰いで、その考えが、確信に変わった。


「あの。七月の、海外留学向けのコンクールの自由曲、決まりました。僕の中で。」

 僕のこの一言に、全員が注目した。


「何の曲?言ってもらっても。」

 茂木先生が僕を見る。


「『春の声』です。ヨハン=シュトラウスの。ハルの歌、もう一度聞きたい。そして、“ハルの声”。もう一度聞かせてくれませんか。バレエ向けの、雄大なワルツの音に乗せて。」

 僕の頬には涙が光る。


「吉岡君、ありがとう!!」

 茂木先生は、これまで見せたことが無い、大粒の涙を流して、僕の手を握った。


 僕の選択した、自由曲に誰も反対するものはおらず、皆、満場一致で賛成していた。







今回もご覧いただき、ありがとうございました。

少しでも続きが気になりましたら、下の☆マークから高評価とブックマーク登録をよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ