16.異変
二学期も順調に過ぎていき、中学三年の、バレエ教室のクリスマスコンサートの練習もいよいよ大詰め。
やっぱり、重点的に練習しているのは、メインステージの『ロミオとジュリエット』の演目だ。
茂木先生指揮による、オーケストラ演奏、そして、ハルを含めたオペラ歌手の方々による、歌劇とのコラボレーション。
そして、僕はハルの歌声に、終始、耳を傾けていた。
ジュリエットの独唱部分。『私は夢に生きたい』。
ハルの歌と、ヒロの踊で、会場を一気に盛り上げてくれる、惹きつけられる要素の一つだ。
僕は、ここだけは、練習の見学をさせてもらう。
この練習が始まって以来、この一年間ずっと、そうだった。
ハルの独唱は本当に心に染みるし、今まで聞いてきた中で、この歌が一番、ハルが楽しそうに、そして、一生懸命取り組んでいたのだった。
そういうわけで、僕は、今日も、いつもと同じように、練習を見学していた。
生き生きとした声で、ハルが歌い始める。
まるで、全てがハルに惹きこまれていく。
ハルの力強くて、生き生きとした声は、ヒロにも伝わっているようで。
大きく手を動かしたり、大きく足を広げたり、動かしたりを繰り返している。
ジュリエットの躍動感あふれるこの部分。
ハルは声で、ヒロは体を使ってそれを表現する。
二人の躍動感は、まさに、夢見る少女の圧巻の演技だった。
そうして、次の日、また次の日と、僕は、二人の演技を見学していた。
だが、何だろうか。
ハルの声は安定している。安定しているのだが。
「はあ。はあ。」
「大丈夫?ハル。」
息切れだろうか。ここ数日、歌い終える度に息切れの頻度が上がっている。
「大丈夫。本番も近いし、緊張しているだけだと思う。」
僕の言葉にハルは首を横に振り、再び、歌おうとする。
大丈夫なのだろう。僕もよくある。
おそらく、そう言うのもあるので、本番前には体調をしっかり整えること、ということを、指導者は言い続けているのだろう。
僕も、バレエをやって、舞台に立つ以上、それを肝に銘じ続けている。
だが、ハルの息切れの頻度は、体調を整えていても、日を追うごとに上がって行った。
そして、本番直前の最後の通し練習。
『ロミオとジュリエット』の通しを最後まで追うことができ、今までで一番、最高の練習内容で、これなら本番もばっちりな内容と言える、そんな練習を終えたとき。
すべてを歌い終えたハルが、その場に倒れ込んだ。
「ハルっ!!」
僕はハルの元へ駆け寄り、ハルを抱えて、そのまま、椅子に座らせる。
男性が、バレエで女性を抱えたり、持ち上げたりするのは、結構な頻度であり、僕自身もそれをやったことがあるので。
ハルを抱えて、すぐそばの椅子まで、運ぶのは簡単だった。
その要素ももちろんあるが、一番の理由は、ハルの身体はバレエダンサーと同じか、それよりも華奢だった。そう、ものすごく痩せていた。
「ハルっ。大丈夫?」
「大丈夫。ごめんね。通しだと疲れちゃった。実は、ここ数日は、起きたらふら付くし、目がくらんだりするの。本当にごめんね。心配かけて。」
「マジ?本当に大丈夫?」
僕はハルの言葉に心配になる。
「うん。大丈夫。目がくらむのとか、少ししたら、治るから。別に・・・・。ほらっ、今はもう落ち着いたかな。」
ハルは自信満々に椅子から立つ。
その素振りはどこからどう見ても、元気なハルそのものだった。
「へへへっ。嬉しかった。昴君にお姫様抱っこしてもらっちゃった。」
ハルは少し顔を赤くして笑う。
僕もドキッとするが。
「まあ、心配だったからね。」
と、僕は大きく頷く。
そんなことはさておき、問題はハルが倒れたことなのだが。
まあ、大丈夫か。大事にならなければ・・・・。
しかし、この時の僕は、考えが甘かったかもしれない。
いや、多分、多くの人が、まあ大丈夫だろうと感じただろう。
ハルは、少し疲れているだけだ。
全力で、通しをやれば、倒れこむ話だってよく聞く話である。
そう、この考えで、まあ大丈夫だろうという、考え方の方に引っ張られていた。
そして、中学三年のクリスマスコンサートの当日を迎えた。
各クラスの演技、そして、コンクールの報告。
僕とヒロは、中学生Aクラスと、毎報新聞バレエコンクールの演技をそれぞれ披露する。
大きな拍手の中、それぞれの演技を終える。
そして、メインステージ『ロミオとジュリエット』、このバレエ教室創立二十周年記念。雲雀川管弦楽団と、オペラ歌手たちとのコラボ―レーション。
冒頭部分、最初の舞踏会と、順調に進み、そして。
ヒロのバレエと、ハルの歌による、『私は夢に生きたい』。
僕は舞台袖で、その演技を見守る。
ハルの歌声が心地よく、耳に入ってくる。
最初はそうだった。
いつも通り入っているなと感じる。
だけど。
「・・・・・っ!!!?」
すぐに僕はハルの歌声に異変を感じていた。
綺麗な歌声、綺麗な歌声なのだが。
ところどころ、スッと抜けていくような感じがした。
声がふら付いている、上手く出せていない?
何だ、何だ、何が起きているんだ?
次第にはハルの歌声が一気に走り出したりするようになる。オーケストラの、叔父さんの指揮をちゃんと見ているのかという場面に聞き取れる。
「歌声、走りすぎてない?」
「伴奏と、合っていないような・・・・・。」
舞台袖、バレエ教室のメンバーも次第にざわつき始めている。
そして、歌声は聞こえるのだが、ハルの歌声は、呂律が回らなくなり。歌詞が聞こえない状況に。
ここ数日から続く、ハルの異変が、最悪な形で出てしまったことになった。
しかし、ヒロと、茂木先生は極めて冷静だった。
ハルの歌声ではなく、オーケストラの演奏に合わせるヒロ。
ハルもだんだんと察したのだろうか、歌うのをやめ、オーケストラの演奏とヒロだけで、演技をしていくことに。
このアクシデントをもろともしないヒロの演技はまさに、圧巻だった。
恐ろしいメンタルだな。ヒロは。
僕はそう思う。
そうして、『私は夢に生きたい』の演技を終えて、舞台袖に戻るヒロ。
そして、舞台袖に戻ったが。悲しそうな表情をしているハル。
ハルは、僕とヒロを見て。
「ごめんね・・・・。ヒロちゃん、昴君・・・・・。」
ハルは、そのまま舞台袖の床に倒れ込んだ。
ここは、舞台袖。
一瞬、声を上げそうになるが、僕は声を押し殺して、ハルの元へと駆け寄る。
すぐに担架で運ばれていくハル。
祈る眼をしている僕とヒロ。そして、バレエ教室のメンバー。
しかし、大丈夫。
何が起きるかわからないのが本番だ。
ここからは出られなくなった、ハルの分まで僕は頑張ろう。
幸いにも、オーケストラの伴奏とハル以外の他の歌手の人たちは、まだここに残っている。
ジュリエットの部分は伴奏のみの演出になったが、ヒロはそれに動じず、この先も演技を続けた。
僕だって、それに負けないように、と必死で、ロミオの演技を続けたのだった。
そうして、クリスマスコンサートは終了した。
ハルが担架で運ばれていく、というアクシデントはあったものの、会場からは大きな盛り上がりの拍手があり、まるで、そのアクシデントを感じさせない、そんなのは気にならないほどの大きな盛り上がりだった。
クリスマスコンサートが終了し、僕とヒロ、そして、ヒロの妹のユリ。さらには、このコンサートを見に来てくれていた、岩島とアキ、そして、美里ちゃんと合流して、急いで病院へ。
担架で運ばれたハルは、その後病院へ運ばれたらしい。
搬送先の病院を聞いて、そこへ向かう。
【雲雀川総合病院】という名前の、この町で、一番大きな病院だ。
受付で病室を聞いて、僕たちはそこへ向かう。
病室の入院している患者名には、『茂木春菜』と書かれており、その部屋の扉をノックする。
「ハルっ。大丈夫。」
僕はベッドにいるハルを見る。
そこには、既に意識が回復し、落ち着いているハルの姿があった。
「うん。大丈夫。ごめんね。折角のクリスマスコンサートを台無しにしちゃって。」
ハルの言葉に僕は首を横に振る。
「ううん。ハルこそ、無事でよかった。コンサートはすごく盛り上がっていたよ。」
僕はニコニコ笑っていた。
「ありがと。昴君。」
ハルが静かに微笑む。
「すごく一生懸命歌ってましたね。」
「きっと、疲れたのよ。」
岩島とアキは、大きく頷き、ニコニコ笑う。
「ハルお姉ちゃん、元気になってね。」
美里ちゃんも、病院という場所がわかっているのだろう。ハルの手を握って、そこの場所だけ、無邪気に微笑んでいる。
「ありがと。美里ちゃん。」
ハルはニコニコ笑っている。
そして、ハルは、ヒロの方を向く。
本来であれば、ハルの歌に合わせて、ヒロがバレエで踊る予定だったのだが。
「ヒロちゃん、本当に、ごめんなさい。」
ハルは頭を下げる。
「良いよ。別に。でも、これからは無理はしないで。こいつが、ヨッシーが心配するし。アタシは、別に平気だから。」
ヒロは大きく頷いたが、どこか素っ気ない。
今日のヒロの活躍には感謝せねばならなない。
なぜならば、このアクシデントの後も、必死で、バレエでカバーしたのだ。
練習通りに、ハルの歌声に合わせて踊るものを、自分一人でカバーしたことに関しては、本当に、感謝しかなかったし、ハルは、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「まあ、今日は、一生懸命、申し訳ない気持ちと、謝ってくれた気持ちを汲み取ろっかな。」
ヒロは深呼吸して、開き直った。
「ヒロちゃん、ありがとう。」
ハルは少し微笑んだ。
「あの、ハルさん。早く良くなってください。」
一緒に居たユリはニコニコ笑っていた。
「うん。ユリちゃん、ありがとう。」
ハルは大きく頷く。
そして、少し雑談をしていると。
病室の扉が、ガラガラと開き、ハルの叔父、茂木博一先生がやって来た。
「春菜。気分はどうだ?」
茂木先生はハルに尋ねる。
「うん。今は落ち着いている。」
「そうか。」
茂木先生が深々と頷く。
そして、茂木先生が僕たちの方へと体ごと視線を向ける。
「心配してくれて、来てくれて、ありがとう。」
そして、茂木先生は深呼吸して。
「本当に申し訳ない。このアクシデントを把握しきれなかったのは、指揮者の私の責任だ。吉岡君、原田君の最高の舞台を・・・・・。本当に申し訳ない。」
茂木先生は深々と頭を下げた。
「そんな。頭を上げてください。」
僕は首を横に振る。ヒロも同じだ。
「そうですよ。それだったら、体を休めて、次の舞台で。ハル、絶対次の舞台で挽回してよね。」
ヒロはそう言ってハルを見る。
「うん、絶対。わかった。」
ハルは大きな決意のもと、大きく頷いた。
「君たちには感謝しかない。このお詫びとお礼は、必ずどこかで果たすと約束します。」
茂木先生は大きく頷いた。
そうして、ハルと茂木先生に見送られ、僕たちは病室を後にし、長かったクリスマスコンサートの一日を終えたのだった。
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