山野中体育祭!~準備はつらいよ・前編~
「荒井さ~ん。これ、テープ剥がれちゃったんだけどぉ」
ガタガタっと建付けの悪い教室の戸を忌々しそうに無理矢理開けた後、まっすぐに私の席まで来た女子が言った言葉がこれだった。
私はビクッと身体を震わし、学級日誌を書く手を止めそっと顔をあげれば、教室に入ってきたクラスメートが不機嫌顔で見下ろしていた。
テープが剥がれたと苦情を言ったのは、原口美恵の取り巻きの1人。よっぽど虫の居所が悪いのか、それとも相手が荒井美千子だから強気に出ているのか、学級日誌の上に学ランをにゅっと勢いよく差し出し、剥がれた部分を力強く指した。
「ほら、ここ! なんでこんなに簡単に剥がれるわけぇ~?」
「え……」
「練習中に剥がれたみたいよ。尾島、すごい文句言ってた」
私はシャーペンを置いてそのテープが剥がれたというところを見ようとしたら、バサッと乱暴に学ランを日誌の上に置かれた。
その学ランの背中の部分には「闘魂」と金色のテープが貼られている。その「闘魂」という文字のテープがところどころ剥がれているようなのだが、どうみても粘着力が弱くて剥がれた感じではない。まるで爪を使って無理矢理剥がしたような……たぶん無理矢理剥がしたのだろう。
(ていうか、このクソ暑いのに剥がれるほど学ラン着て練習やるなよ。本番前の仕上げの時にだけ着ろ)
まぁ、今はそんなことはどうでもいい。問題は、なぜそんな苦情が私のところにやってきたかということだ。
だってこの学ランにしっかりとテープを貼りつけたのは私ではない。尾島命のだれかさんだ。
数日前、その誰かさんは「やった、できた!」と満面な笑みで学ランをこれでもかというほど抱きしめながらどさくさまぎれに臭いを嗅ぐという、誰もいない放課後に好きな人のリコーダーを吹いて関節キッスを喜ぶなどと同類の変態じみたことをしたのを、目の前にいる取り巻き其の一も、ついでに今このクラスにいる連中もガン見していた。
どう見ても規格外である学ランを眺めた後、取り巻き其の一の顔をぬるい目で見上げた。
地味な荒井美千子から漂う白け顔に、取り巻きは一瞬「な、なによ」と少し怯んだ。
「あの……私、尾島……君の学ラン、担当してないんだけど……(つーか、原口が私に触らせなかったでしょ)」
「は?」
「こ、これ貼ったの、原口さん、だよね? だって、尾島君のでしょ?(アナタも見てたでしょ)」
「はぁ? じゃぁ、何? 美恵が悪いってわけぇ?!」
「…………(どう見てもそうだろ)」
「あのさぁ、今は誰がテープ貼ったとかそんなのどうでもいいでしょ! それより、さっさと直して。1組の応援団の準備担当、荒井さんでしょ? 美恵がアンタの代わりにわざわざサポート委員やってあげてるんだからさ、これぐらいしてもいいんじゃないのぉ?」
「…………(コノヤロ)」
フンと鼻息荒くしながら捲し立てる礼儀も慎みも知らない取り巻き其の一に対して、私は心の中で盛大なため息を吐いた。
目の前の女子は原口美恵がサポート委員を「やってあげてる」とぬかしていたが、勝手に成田耀子と原口が決めたことだ。
それに私は暇しているどころか、今は非常に忙しい。なんせメデたく2学期の席替えで隣の席になった、同じ日直である佐藤君がサポート委員で出払っているため、学級日誌の彼のコメント欄の部分に心を込めて代筆しているところなのだ。
おまけにブキミちゃんの補佐として、通年の体育委員並みにこき使われ……いや、動いている。そのうえ応援合戦に出る人たちの学ランの背中にテープを張って装飾したり、軍旗などの準備を無理矢理押し付けられ、ほぼサポート委員の仕事を請け負っている状態だ。はっきりいって、原口もついでに尾島も委員の仕事などしていないも同然だった。
私は怒りを押し隠くすように息を飲んだ後、そっと声を掛けた。
「あの……」
「なによ!」
「本当にいいの? わ、私が尾島……君の学ラン直しても」
「は?」
私は今後憂いの無いように、取り巻き其の一に念を押した。間違っても後から「尾島の学ランに勝手に触んないでよ!」と原口から苦情を言われたのではたまったものではない。
幸いにも教室の後方には、各クラスごとに用意する体育祭用の軍旗の作成ため、数人生徒が残っていた。作業をしながらも息を顰めながらこちらの様子を伺っているのがわかる。彼らは何もせず見て見ぬふりを決めることはわかっていたが、一応私が確認したという承認ぐらいにはなってくれるだろう。
もう一度尾島の学ランをチラッと見た後、「どうすんの、ホントにいいんでしょうね? 後で文句言うんじゃねぇぞ?」と念を押した視線を向けた。そうすると取り巻き其の一は焦ったのか、強気な態度を崩し慌てて、私には関係ないというように明後日の方向を向いた。
「い、いいんじゃないのぉ?! だって尾島が荒井さんにやらせろって言ったから……。と、ともかく、私は持ってきただけだから! 早々に直して、尾島に……ダメ! 美恵に渡してよね!」
取り巻き其の一は言うべきことを言ったと思ったのか、クルッと踵を返して足早に教室を出て行ってしまった。辺りにシーンとした気まずい雰囲気だけを残して。
私はやっとたまりにたまった息を吐き、日誌の上に乗っている尾島の学ランを手に取って剥がれているところを一応確認した。テープが貼ってある背中の部分を西日にかざし目を皿のようにして見ると、何度も爪で引っ掻いたのか、いくつもの筋ができていたし、妙にテカっている。
(やはり無理矢理剥がしたな……あの、類人猿め!)
思わずその学ランをビリビリに切り裂き焼却炉の中へ突っ込んで灰と煙にしたいところだが、残りの学校生活を登校拒否で過ごすわけにもいかないので、無理矢理怒りを収めた。
とりあえず目の前の日誌を完成させようと、佐藤君の机の上に尾島の学ランを置かせてもらった。その時キラッと光ったので何となく目を向けると、学ランの内側がベロッと剥き出しになっており、『乙杯羅武』の裏ボタンがその存在を主張していた。
どうやら無事返却されたようだが……ここは心を鬼にして生活指導の先生に再びこの裏ボタンを献上し、優等生としての株上げ大作戦の足しにしちまおうかと考えたところで人の気配を感じた。
「荒井さん……」
弱弱しい声の方に顔を向けると、クラスでも物静かな鈴木さんと田中さんが不安そうな面持ちで立っていた。あんな苦情を堂々と言われた私よりも、ダメージを受けたような顔をしている。2人の顔を見たら、文句に言われたのにも関わらず泣きもしないどころか心が麻痺している自分が悲しくなった。
「……え、はい?」
「あの……軍旗の絵、完成したんだけど……。あとはマイケル君に『字』を入れてもらうだけなの」
「ほ、ほんとっ?」
私がパッと明るい声を出すと、2人は安心したようにぎこちない笑みを浮かべて頷いた。作業していた教室の後方を見たら、残りの軍旗制作係の人たちも立ち上がって出来上がった軍旗を広げて見せてくれた。
そこには赤い生地に翼を広げた目の鋭い鷹の絵が描かれていて、素人の私から見てもかなり良い出来栄えだ。私は原口の取り巻きに文句を言われた事など吹っ飛び、立ち上がって「あ、ありがとう、助かりました!」と鈴木さんや田中さん、そして軍旗を持っているクラスメートに頭を下げた。
本当は外国人のお偉いさんよろしく、「いや~助かったよ! お疲れお疲れ!」といいながら大袈裟な握手を交わしハグをするか、「Hey、ブラザー、その軍旗NO、出来栄えDOーYO! 期限に間に合い、ご機嫌SAIKO!」などと韻を効かせながら軽快な音楽に乗って拳同士をガチンコしつつこの喜びを分かち合いたいたかった。
しかし、いつものように想像だけで終了。
仕上がりを確認するために改めて軍旗を手に取ってみると、いやぁ本当、中々の上物である。
「す、すごいよ! これ、軍旗の部門で優勝するんじゃないかな」
私が素直に絶賛すると、鈴木さんたちは照れたように笑い「そんなことないよ」と謙遜した。まるでスカジャンの背中に刺繍してあるようなインパクトのあるこの鷹の絵に、大胆な習字のような字を書き込めば、本気で軍旗の部門での優勝もイケル気がする。そこまで考えたところで、ふと肝心な……というか、この教室にいるべき人がいないことに気付いた。
「……そ、そういえば、マイ、いえ、本間君は? 確か掃除のときはいたよね?」
私がキョロキョロと教室を見渡しながら言うと、鈴木さんたちは顔を見合わせ「あ~マイケル君ね」と曖昧な笑いを浮かべた。
「さっきまでいたんだけど、最後の補修をしていたらいつの間にか居なくなちゃって。でも、ほら。靴下とカバンはあるから、まだ帰ってないよ? 尾島君に呼ばれたか、多分どっかで寝てるんじゃないかなぁ」
「…………」
こんな切羽詰っている肝心な時にいないなんて……一体何を考えているのか。相変わらず自由人で予想を裏切らない彼の行動に顔が歪んだ。まったくあんな男の言いなりになるとは、最初の頃に欠伸で返した強者ぶりは何処へ行ってしまったのか。本間君のくせに「BAD」どころか、最近ますます猿に押され気味ではないか。似てるのはあのパーマかかった髪の毛だけ。しかもかかり具合が若干弱めというなんとも締まらない始末。素晴らしいキレのある踊りと共に「BAD」を歌えなんて言わないから、せめてその半分だけでも頑張って欲しい。
何はともあれ、軍旗を完全体にするには彼を奪還せねばならなかった。仕事の終わった鈴木さん達に残ってもらうのは悪いので先に帰ってもらうよう促した後、鼻息荒くさっさと日誌を終わらそうと机に向かおうしたら、有難いことに鈴木さんたちが「私達が探してくるよ」と嬉しい申し出をしてくれた。
「ほ、ほんと?」
「うん、どうせ暇だし。それに……荒井さんやることあって、大変でしょ?」
鈴木さんたちは心配そうに、学ランと日誌が置いてある私の机の方に目配せした。
「文字の位置やアングルなどは私たちが直接本間君に伝えた方がいいし、最後の仕上げもみたいし、ね? もしかしたらもうこっちに戻ってきてるかもしれないし。けどあの本間君が字が上手なんて、なんか意外だよね」
私は鈴木さんたちを一緒に「そうだよね」と苦笑いをした。
そう、意外や意外にも本間君は書道の段を持っている人で、その道のコンクールの入選常連客なのだ。あの眠気を漂わせた、くせ毛頭のヒョロヒョロ小僧にそんな力が隠されていたとは正直驚きだ。『芸は身を助ける』という言葉を地で生きている男・本間厳太――見た目を見事裏切る14歳。どうせなら是非行動も裏切ってほしい。寝てていいから、おとなしく教室にいてくれ。
本間君の件は鈴木さんのご厚意に甘えることにし、私はさっさと日誌を書きあげて青島先生に提出するため教室を出た。
マイケルのPVって、どれも名作ですよね! 私は「スリラー」「Smooth Criminal」に次いでこの「BAD」が好きです。でも、とんねるずのノリさんがやった「BAD」のパロのほうが印象深いのは何故だろう……。