表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
振り向けば、君がいた。  作者: 菩提樹
中学2年生編
91/147

捻挫がもたらしたもの①

 英語英文タイプ部の部室である、多目的教室という名の物置き兼空き教室の窓は全開だった。

 教室に入ってくる風が身体を撫でていくが、全然涼しくない。聞こえてくる運動部の掛け声に覇気が感じられないのは、すでに日が傾いている時間帯にもかかわらず、昼間の熱がグラウンドにこもっているせいであろう。

 9月になっても相変わらず続く猛暑。夏休みと変わらない茹だるような暑さの中で授業を受けるのは辛いものがあり、それはお昼休みも、部活の時間である放課後も同じであった。

 しかも左足に巻いている包帯が余計に暑さを増殖させているような気がする。

 汗が首筋を流れて行った。

 それはあくまでも暑さのせいであって、この状況に緊張しているからではない。私は手元のハンカチで汗をぬぐいながら、何故この教室にいるのだろうと自分自身に問うた。通常ならこの時間はバレー部員として練習に勤しんでいる筈なのに。それこそ外から聞こえる運動部の掛け声をこうして教室の中で聞いている立場ではない。


「……というわけで、本日付で荒井美千子さんが我が『英語英文タイプ部』に入部することになりました。では荒井さん、一言お願いします」


 ハスキーボイスであるブキミちゃんの紹介によって読者の方々には疑問が解決しただろう。私も改めて自分の境遇を「あぁ、そうだった」と他人事のように受け取った。

 なんでこんなことになったんだっけと思いつつ、でも決めたのは自分だよねと突っ込み、そもそもバレーの練習も足の怪我のせいでできないんだったと自覚した後、ガタンと椅子を引いて左足に重心を掛けないよう立ち上がった。

 目の前に座っている生徒は、全員揃いもそろってメガネをかけていた。さまざまな種類のメガネをキラリと光らせている真面目な部員達の視線が私に集中する。結構迫力のあるメンツに、引きつりスマイルで挨拶を返す。


「あ、荒井美千子と申します。こ、こ、この度は部長でありクラスメートでもある伏見かおりさんと、担当顧問である梨本先生、及び東先輩の推薦をいただきまして、2学期から『英語英文タイプ部』に入部することになりました。ぶ、部活を掛け持ちという立場上、皆様にもご迷惑を掛けるかと存じますが、どうか卒業までよろしくお願いします」


 一通り挨拶を済ませ頭を下げると、疎らな拍手が返ってきた。それも仕方がなかろう。なんせ部員は私やブキミちゃんを含め、2年生は3人、1年生は2人の計5人しかいないからだ。夏休み前にはもっと部員の数が多かったはずだが……例の幼馴染が引退した途端、この部活本来の姿に戻ったらしい。


「ありがとうございます、荒井さん。改めて『英語英文タイプ部』へようこそ! 皆様もご存じの通り、荒井さんは引退した東先輩のお知り合いでして、すでに英検3級をお持ちの人です。皆様の英語向上意欲を刺激し、また高めて下さると私も期待をしています。新たな仲間を迎え、この部活動でお互い実りある時間を共有していけるよう頑張りましょう!」


 ブキミちゃんの淡々としつつもヤル気の満ち溢れた言葉と気合の入った不気味スマイルに、再び部員の拍手が返ってきた。私はいまだに引きつり笑いを顔に張り付けつていたが、心の中では盛大にため息を吐いた。


***


「本当に助かったわ、荒井さん。東先輩も引退してしまったでしょう? 幽霊部員は出てくるし、私を含め部員も覇気がなくなってしまって困っていたの。やはり英語は実践、会話がものをいいますものね? それにこうして英語に興味を持ち、しかも結果を残す部員がいるのといないのとでは、クラブ活動の気合も違うというものだわ」


 私の歩調に合わせながら横で歩いているブキミちゃんは、相変わらずのハスキーボイスを人気の少ない廊下に響き渡らせていた。その声は水を得た魚のように自信に満ち溢れている。私は頭の片隅で、私1人入ったところでそんなに変るもんかいなという気持ちで「はぁ」と生返事を返したが、そう言ってくれるのは素直に有難いとも思った。褒められて嬉しくない人はいないだろうし、しかも相手は1年の時に一緒だった片岡君ツルちゃんに引けを取らないくらい学年でも1、2を争う才女だ。――例えそれが下心アリアリというのが見え見えでも。


「荒井さんの参加できる活動日が木曜日だけというのは非常に残念ですわ! 気が向きましたら、是非とも火曜も参加してください。タイプライターも使い放題ですので、今から慣れておいたほうがよろしいんじゃなくて? それとも普段からワープロなどでローマ字入力に慣れていらっしゃるのかしら?」

「え……え? ローマ字? ワープロ? な、なんで?」

「あら。だってゆくゆくは海外に留学なさるおつもりなんでしょう? 留学した先でのレポート等提出物は、ほとんどタイプで打つことになりますもの。直筆では、ねぇ? なかには直筆など読みにくいと敬遠する教授もいらっしゃるそうよ」

「えぇ?! そ、そうなのっ? ……って、それより……な、なんで留学のこと……」

「オホホホホ~いやだわ、ワタクシったら! 安西小母さまに内緒にしておいてねと言われたことをうっかりしゃべってしまって! でも、荒井さんの顔を見ればダダ漏れ――ッホン。荒井さんの英語に対するヤル気を見ればわかりますわ!」

「ヤル気……ですか」

「なんでも小さい頃から英語に興味がおありとか? 東先輩のお父様の背中を追いかけて、将来は外資系のお仕事をご希望されるの?」

「外資系というより……って、なななんでっ(そんなこと知ってんの?!)」

「実はワタクシも東先輩のお父様を写真で拝見しましたの。とっても素敵な方でしたわ! 荒井さんの初恋って聞いた時には大いに頷いてしまいました。あんな素敵なお父様を見れば、他はカス同然というもの。もちろん東先輩を除いてですが。あぁ、ワタクシ、荒井さんの初恋が実ることを切に願っているわ!」

「……実る……って、ななな何を言ってるんスかっ!」

「あら? だって東先輩のお父様は、お母様がお亡くなりになった後もいまだ独身なのでしょう? 東先輩自らこうおっしゃってましたわ、『父さんは一生結婚はしないんじゃないかな、母さん一筋だったと思うしね。俺みたいな大きい息子もいることだし、なにかとんでもない間違いがあったらマズイだろう? まぁ、そうやってノコノコ東家に乗り込んでくる雌豚を切り裂くのもまた一興』……んっ、ううんっ! オホホホホ! えーと、ともかく現在恋人の影はないとのことです。ならば荒井さんにも十分後釜……いえ、入り込む余地があるではありませんか! ワタクシ達もあと2年も経てば16歳、法律的にも結婚できる年なのです。それこそ18歳にでもなれば20歳以上の年の差なんてそう大した問題ではありません。現にワタクシのお爺様にも、30歳~40歳年下の愛人がごろごろおりますから。なんでも壮年の殿方は若い方がより好みらしいですわ、それも年を重ねるとその傾向が強いそうよ」

「さ、さいですか……」

「そうなれば……荒井さんとは姉妹ではなくて、『本当の親子』になってしまいますわねぇ。この先のワタクシの未来、バラ色のような予感がするわっ! ……フフフッ、オホホホホ~!」


 ブキミちゃんの高らかな笑いが廊下に響いた。

 私は意外と好奇心旺盛だったのか、それとも単なる怖いモノ好きだったのか……雄臣とブキミちゃん、健人小父さんと私、仲良く手を取り合って微笑んでいる壮大な夢を試みた。2組のカップルが和気あいあいとそれぞれの子供を抱えている的なショットを思い浮かべたところで、雄臣とは違う意味での未知との遭遇を体験するところであった。

 それこそ強烈な弾丸ショットを受け、体中がハチの巣のようになった感覚に心臓が軽く悲鳴を上げそうになった荒井美千子。

 慌てて壮大と言うより壮絶な夢から頭を振って正気の世界に戻ろうとするが難しかった。目の前に引かれた自分の人生のレールが、なぜかバラ色ではなくバラバラに崩れ、電車わたしが脱線の被害にあう幻しか見えない。

(こ、こわっ! いかんいかん、正気に戻れ、私!)

 大体「東小父さんとムフフ!」なんてありえないし、そんな恐れ多いこと考えるだけで罰が当りそうだ。……というか、東小父さんの方から即「ごめんなさい」と断られるだろう。恐らく雄臣だってそんなこと許さないはず。それこそ多恵子小母さんに化けて出てくるよう、悪魔に魂を売り渡すかもしれない。(ていうか、すでに悪魔だし)

 それより鬼神ではなく死神となって、大鎌振りあげて自ら出動すること間違いないだろう。

 ただでさえ東小父さんと恋人らしき人達の仲を邪魔してきた雄臣の姿が、鮮明且つリアルに思い浮かべられるのに……その修羅場の中を自ら好んで飛び込むバカが何処にいるというのだ。恐ろしや恐ろしや。

(東小父さんと2人きりで会ったその瞬間、確実に消されるね……って、おいおい。何考えてるんだ私! 自分を追い詰めてどうするよっ!)

 私はブキミちゃん高笑いに対して弱弱しく「ハハハ」と笑いながら、見えない作者、いや、神様に向かって「私の人生、掻き乱すな!」と苦情を申し立てた。去年の暮れから仏壇のお供え物やお線香、神棚の榊や定期的な掃除を欠かしていないというのに……いよいよ墓参りでもして先祖の供養をしなければならないところまで切羽詰まってきたらしい。

(……でも、荒井家の方の墓参りには行きたくないなぁ。近いけど、あそこの親戚とは折り合いが悪いし。母さんの方の「渡部わたべ」はどうだろ? ……って言ってもずっと御無沙汰だからうろ覚えだし遠いし。第一、父さんがいい顔しないから行きにくいしな)

 完全に対策の糸口が途切れた事実に、心の中でハァと吐息をついた。ついでに荒井家の親戚の顔を筆頭に、「あんまりいい顔しない父さん」の顔も思い出してしまった。複雑そうな、不機嫌そうな、怒っているような……ともかく、感じのいい顔ではないことは確かだ。

 私が言うのもなんだけど、普段優しく顔が整っているだけにそのギャップは激しい。いつからそんな顔を見せるようになったのはわからないが、少なくとも小さい時は普通に可愛がられていた、と思う。

 私は俯いて怪我をして引きずっている左足をじっと見つめた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ