恋せよ、乙女!~後編・揃った顔ぶれ~
少し長いです。
『よ! 荒井、久しぶりだな!』
黒いツンツンヘアーの佐藤君は爽やかなビッグスマイルを浮かべながら、切れ長のキリっとした目をさらに細くしてこちらを見た。
私はみんなの注目を受け、顔を赤くしながら「う、うん」とどもった声で返した。田宮&佐藤というダブルの視線を浴びてなんとも照れ臭さい。私の心情を一言で表せば、「もう、まいっちんぐ!」、そんな懐かしい名セリフがピッタリだ。
(なんか、久しぶりにだな。佐藤伸君)
佐藤伸君は仲良く並んでご登場した成田耀子と共に、小学校5年、6年と同じクラスだった。勉強は普通だったが、「顔良し・性格良し・スポーツ良し」という3拍子揃った持ち主で、いつもクラスを引っ張っていく明るい男の子だった。しかもそれを鼻にかけないフランクな人柄。
彼が得意とするモノマネはアイドル・お笑い芸人から担任の先生や校長先生までと幅広く、そうかと思えばクラスの男子を集めて「お楽しみ会」の度に、当時「風見しんご」が踊って流行っていた「ブレイクダンス」を練習して披露。
(現在では「ブレイクダンス」と言うと、ナイナイの岡村やガレッジセールスのゴリが踊っている姿を浮かべる人が多いと思うが、私達の世代はなんと言っても「風見しんご」である)
芸人真っ青の多才ぶりであった佐藤君。小学生にとって、「顔良し」はもちろんだが、「スポーツ万能&面白い」というのは間違いなく「頭がよい」よりも確実にモテる要素であり、最高のステイタスである。しかも差別なく皆に優しいとくれば、「天上天我唯我独尊」という言葉以外になにが当てはまるというのだろう。
彼が所属していた特別クラブのサッカーが試合を始めると、3割増しで女子のギャラリーが増え、学校で1、2位を争うモテっぷりだったのだ。
そんな彼は当然、私にも優しかった。
偶然にも彼と隣の席になった時、こんな私にでも熱心に話しかけてくれ笑わせてくれた。私も一緒になって彼と笑った。
『なんだ、荒井って普通じゃん。結構しゃべるんだ?』
『…………』
(普通って……いったいどういう噂が飛び交っているんだろう)
たかだか「普通の女子じゃん」と言われただけだが、なぜかその言葉は私を満たし、十年近く生きてきた中で幸せな瞬間ベスト3に入った。
他の人達はさておき、彼だけには迷惑かけないよう頑張った。席が隣同士の時は一切忘れ物をしなかったし、宿題も毎週行われた漢字テストも頑張った。同じ班で作業する時は出せる力を振り絞った。そうするといつも「荒井、やるじゃん!」とお褒めの言葉をいただいた。
しかし、それ以上の事は何もしなかったし出来なかった。何故なら成田耀子とその取り巻きの視線が、ポッチャリの身体を貫通させるほど鋭く恐ろしかったから。
バレンタインのチョコも渡せず、最後にサイン帳を書いてもらうこともできず、もちろん気持ちを打ち明けるなんぞとんでもない。そのまま静かにフェードアウトして卒業。
後悔してないと言えばウソになる、けど今となってはそれでよかったと思っている。確かにあれは恋と言えば恋だったが、どちらかというと憧れや尊敬、感謝の念に近かった。まるで絶対服従に近い師匠と弟子のような気持ち。例えば「アニキと呼ばせて下さい!」みたいな。
その証拠に田宮君と出会った瞬間、佐藤君は過去になってしまったのだから。
***
揃いすぎたメンバーの顔ぶれを見て、私の気持ちはヤヤどころか大分複雑だった。
詳しく心情を説明せよと言われたら迷わずこう答える、「盆と正月ではなく、結婚式と葬式が同時に来た」と。
方やお釈迦様も真っ青な後光が指す眩しいツートップの田宮&佐藤。もう一方は閻魔も黙るほどの負のプレッシャーをかけてくる悪魔トリオの尾島、成田、原口。天使と悪魔が揃うこの微妙な展開に心は大荒れだ。
「……んだよ……『チュウ』と『カッコ』って知り合いかよ?」
尾島は先程の不穏な空気をいまだに纏いながら、佐藤君と私の方を交互に睨んだ後、非難めいた声を上げた。
(し、信じられん……!)
山野小ナンバー1ともいわれるほどのモテ男を訳の分からぬ「あだ名」で呼んだ挙句、成田耀子、原口美恵、しかも田宮君や佐藤君の前で「チュウ」と呼びやがった、この類人猿!
「なんだよ尾島、そんな怖い顔して。荒井とは6年の時同じクラスだったんだよ」
佐藤くんは尾島の不機嫌さに対してさほど気を悪くせず、キョトンとした顔をしながら、通路を隔てて尾島の横の席に座った。
「それより尾島さぁ、いい加減『カッコ』ってやめろよな。それに『チュウ』ってなんだ? 荒井のこと?」
「……あぁ、そーだよ。チュウは「荒井」だから「チュウ」。間違ってねぇだろ? 俺って才能があるからさ、ポロっと発揮されちゃうんだよな!」
尾島は急に黒いオーラを引っ込ませ、今までとは打って変わったご機嫌な声で答え、ニヤリと口を歪ませた。
(……佐藤君、ダメ押しで確認しないでもらえますか。それにチビ猿よ。私のあだ名ぐらいで発揮されるような才能なんぞ、ポロっと犬畜生にでも食わせてしまえ!)
そんな私の心の叫びも空しく、「だからどうした」的な態度の大きい尾島の意見に、周囲はクスクス笑った。
「やぁだ、『チュウ』だって! 上手いこというね、尾島!」
原口美恵は遠慮せず私を鼻で嗤いながら、尾島には一転して甘い笑みを浮かべた。
「ほんと。お前、相変わらずだよな~」
デカイ後藤という男も呑気に笑っている。
和やかな雰囲気がボス猿を中心に広がり、和気あいあいとしたグループが出来上がりつつあった。そのネタの元である私は若干蚊帳の外っぽいけどな!
「『チュウ』はどうでもいいけど、なんで佐藤くんは『カッコ』なの?」
(「チュウ」はどうでもいいって、アンタ……)
成田耀子は私の事などもはや見えていないのか、スパッと切り捨てるように話題を変えた。
田宮君や佐藤君に微笑みかけるのと同様、キラキラな笑顔を尾島に振りまいている。しかも自分が可愛く見えるだろう計算尽くされた角度ピッタリにチョコンと首を傾げながら。佐藤君を「カッコ」呼ばわりするこのお猿さんが人の輪の中心に来る人物と、一瞬にして見分けるこの力。こういうところだけは鼻が利く女なのだ。不本意ながら、何故か6年間も一緒のクラスだった私にはわかる。
(大概の男はこの笑顔にヤラれるんだよね)
呆れて成田耀子の顔を見たが、そんなことはおくびにも出さない。これ以上ないくらい関係は最悪だし、さらに悪くなるのも恐ろしい。関わり合いになるのはゴメンだ。
尾島は愛想の良い成田耀子に対して鼻の下を伸ばすかと思いきや、結構鋭い視線でジロっと見たので、当の成田耀子は一瞬怯んだ。しかしそれでもめげない成田耀子はニコやかな笑顔を貼りつかせている。尾島は佐藤君のネームプレートに向かって顎をしゃくった。
「書いてあんだろ」
尾島の素っ気ない態度にさすがの成田耀子も「え?」と眉根を寄せたが、尾島のまわりにいた人が一斉に佐藤君の胸元を見るとそれに習った。
『佐藤(伸)』
ネームプレートにはそう書かれていた。
(やだ……もしかして!)
「ブっ!」
いつもはチビ猿の言うことなんぞ笑わないよう細心の注意を払っていたつもりなのに。不意打ちで笑いのツボを刺激されたのと、成田耀子に靡かないその確固たる素晴らしい意志に感心し、思わず気が緩んで吹き出してしまった。
「荒井ウケすぎ」
佐藤君は口をとがらせながらも、「確かに間違ってないけどさ」と苦笑している。
同時に「お前もチュウのくせに笑ってるんじゃねぇよっ」と尾島がいつもの調子で、俯いて笑いを押さえている私の後頭部をバシっと叩いた。
実は我が中学校、制服に学年色のネームプレートの着用が義務づけられている。しかしそんなのを守るのは1年だけで、2年以上になると検査の時以外全員外してしまうのだが。
ほとんどの人は「名字のみ」なのだが、数人例外がいる。その例外に当たるのが、一般に「多い名字」と言われる人達だ。
例えば、「石井」「石川」「加藤」「川口」「斉藤」「高橋」「田中」「中村」「村田」……などがそれに当たるだろう。
そういう名字に当てはまる人は、稀に同じクラスの中に自分と同じ名字の人がいることがある。それを区別するために名字の後に下の名前の頭文字を所謂「()……カッコ」でくくり、小さくネームプレートに表記されるのだ。
先生方も同じ名字である2人を区別するために、大体下の名前で呼ぶ。
これが男女の違いなら「石井、男の方!」とか「高橋、女の方!」となるのだが、これが同性の場合はさらに次のような方法で呼ぶ。
「加藤! (正治)(カッコしょうじ)のほう!」とか「中村! (明美)(カッコあけみ)のほう!」……という具合だ。
佐藤君はまさにその例であり、サッカー部でそう呼ばれていたのであろう。ようするに尾島はさらに略して「カッコ」と呼んだのだ。
「そっか! なるほどねぇ~!」
いち早く気付いた明日香さんが「キャハハ」と屈託なく笑った。彼女はまだハテナ印が浮かんでいる他の人に丁寧に説明し、全員が「あ~そうか!」とさらに笑いが湧いたところで和気あいあいの空気は終了した。教室に実行委員担当の先生が到着し、「親睦遠足会」のミーティングが始まったからだ。
人に「ちゃんと聞いとけよ」と命令して自分は転寝していた尾島は、ミーティングが終わった途端、「いいか? チュウ、くれぐれもドテチンに引き継ぎ、忘れるんじゃねぇぞ!」とデカイ態度と声で念を押し、部活に飛び出していった。
私は恥ずかしさの余り、他の実行委員達に背を向けそそくさと教室を後にした。
田宮君と別れるのはチョッピリ名残惜しかったが仕方がない。とりあえず顔は知ってもらったし、彼がなんと隣のクラスの1年9組でバスケ部所属の下山野小出身ということも分かった。本来の目的とはだいぶズレているが、十分実りあるミーティングだったと思えば、「代理を引き受けたのも悪くなかったかも」と心を弾ませている自分がいた。
贅沢を言えば、最後のチビ猿の一言とデカイ態度さえ無ければもっとよかったのだが。
***
廊下を歩きながら、チラチラと「実行委員」のプリントを見直して漏れがないかを確認していたら、階段を下りてきた担任の梨本先生と偶然出くわした。
「お、グッドタイミング! 実行委員、どうだった?」
「あ、さ、先程終わりました」
「すまんな~荒井。そういえばアイツちゃんと行ったか?」
「え?」
「尾島だよ」
「あ、はい。来ました」
私の答えに先生はホッとした顔になった。
「そっか! や、尾島に一声掛けようと思ったけど、見つかんなくてなぁ。そのまま電話で呼び出されちまって。なんだ、万事OKだな! よかった、よかった!」
御苦労さん! と先生は私の肩をポンポンと叩くと職員室の方に向かうのか、階段を下りて行ってしまった。
「…………」
先生の背中を見ながら思い出すのは、教室に来た時の尾島の不貞腐れた顔。頭の中をグルグル回る声は、明日香さんの問いかけと面倒そうに返した尾島の台詞。
『それよりもアンタが委員のミーティングに素直に参加するなんて、めずらしいよね。こういうのすぐサボるくせにさぁ』
『う、うるせぇな! ……さっき『リポーター』に捕まって言われたんだよ、せっかく部活に行こうとしていたのに。それに――こいつ代理だし、頼んないし』
おそらく深い意味はなかったのだろう。本当に頼りないから心配して来たのかもしれない。それこそ必要事項が洩れていたらこの場合責任を負うのは尾島自身だ。
(それでも、さ)
少しだけ、あくまでもほんの少しだけだが、心が温かくなった。
(……ペキン原人からクロマニョン人くらいには進化させてもいっか)
運命の相手を見つけ、意外な男から意外な優しさに触れた私は、スキップしたい衝動を抑えつつカバンを取りに教室へ戻った。
*******
こうして私は、尾島を取り巻く彼らと出会うことになった。
この先波乱と言う名のレールを進むことになる私は、このミーティングから本格的に回り出した。
彼らとの出会いは偶然だったのか、それとも会うべくして出会った必然の縁だったのか……それは中学当時も、卒業してからも、正直大人になった今でもわからない。
それこそ神のみぞ知るというやつで、人生を終えるその瞬間までわからないのかもしれない。
それでも。
もし、もし……この日一日だけ、やり直しができるチャンスを与えられたとしたら。
この日が今後の中学生活、いや、人生を分かつ分岐点だと知らされたら。
私はどういう選択をするだろう?
やっぱりそのままミーティングに出ただろうか。
それとも――――この日は学校を休んだだろうか。