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振り向けば、君がいた。  作者: 菩提樹
中学2年生編
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君との距離は天の川よりも遠く⑩

この章は多分に過激な発言が出てきます。PG12指定とさせていただきます、ご了承くださいませ。m(__)m



「……美千子、大丈夫?」


 貴子が私の顔を下から覗きこみながら、ギュッと手を握った。

 溢れた涙を吸い過ぎて最早役目を果たしてないハンカチを膝の上に置き、浴衣の合わせの部分を整えながら黙って頷いた。さっきまで泣いていた目を指で覆う。

 貴子の顔を見た途端、中学生にもなってワンワン泣いてしまった恥ずかしさで、彼女の顔をまともに見れなかった。

 髪がほつれているうなじに、日下部先輩の視線を感じる。せっかく貴子と日下部先生はデートだったのに、貴重な時間を壊したどころか、花火どころではなくしてしまったことが申し訳なくて、ただ項垂れることしかできなかった。「私に構わずお祭りを楽しんで」と送り出したいが、今はそんな気遣いも口も回らなかった。身体も心も酷く疲れ、座ることしかできなかった。いまだ濛々と煙っている来賓客用のテントの中で、静かに座っていることしか。

 目線を合わせなくても2人が酷く心配しているのが、何か言いたそうに、何が起きたのか知りたそうにしているのがわかったのだが……。


 今は――今だけは。

 できればそっとしておいて欲しかった。

 申し訳ないが、貴子や日下部先輩に言いたくないし言えなかった。正直言える状態でもない。


「荒井さん、お待たせしてごめんなさいね?」


 砂利を踏む音の後に、落ち着いた低いハスキーボイスが聞こえた。ドンドンと頭上で響く花火の音に負けないくらいの存在感を、ドッシリと響かせながら。


「…………」


 先刻から、神社の裏山での出来事が壊れたレコードのように頭の中でリピートしていた。頭がパニック状態で考えがまとまらないまま、私は泣きはらした顔をブキミちゃんに向けた。ブキミちゃんは私の泣き顔を眼鏡の奥からジッと見た後、ニヤリ……ではなくて、初めてじゃないのかというほど慈悲深い笑みで頷いた。


「……いいのよ。それより少しは落ち着いたかしら? 歩けますか?」

「あ、あの……私……」

「何も言わなくていいの。荒井さんが気にすることではないのよ? あなたは被害者なんですもの。それよりも今は御自分の身体を心配したほうがよろしいのではなくて? 足、痛いのでしょう? お疲れの様子だけど、悪くならないうちに病院へ、ね?」


 ブキミちゃんは私の背中にそっと手を添え、顔を覗き込みながら小さい子供を諭すように言い聞かせた後、私をゆっくり立ち上がらせた。


「……荒井さん、伏見の言うとおりだよ。足、結構腫れているし、もしヒビでも入っていたら大変だ。ここは伏見に甘えさせてもらって、急いで東と一緒に彼女の病院へ行ったほうがいい。な? 貴子」

「先輩……。そ、そうだよね。美千子、伏見さんと日下部先輩の言うとおりだと思う。……和子達には……言っておくから……」


 日下部先輩は貴子の肩を抱きながらしっかりと頷き、貴子は最初語尾を震わせながら言っていたが、徐々に顔を苦しそうに歪め、浴衣をギュッと握った。


「……そうね。笹谷さんには是非、荒井さんは怪我をした(・・・・・)ので東先輩と帰るということをお友達にお伝えしてもらうといいわ。でないと、ないことないことはおろか、派手に歪んだ事実を伝えられてしまう可能性が大きいものね。『彼女』に」


 ブキミちゃんの慈悲深い笑みは「最早用済み」と言わんばかりに消え去り、いつもの不気味なスマイルに変貌し、意味深な言葉を残した。


「……え? 『ないことないこと』? 『彼女』? ……って……まさか……」


 貴子はそこまで言うと、途端に目を吊り上げた。


「……あのさ、伏見さん。ちょっと聞いてもいい? 美千子に何があったの? まさかアイツら?!」


 貴子はブキミちゃんの言葉にサッと顔を強張らせ青くした私を見逃さず、眉根をキッと寄せてブキミちゃんに問いかけた。ブキミちゃんはいつもと変わらない澄ました表情でチラッと貴子を見た後、瞼を閉じた。


「……悪いけど、今は笹谷さんに説明している時間はありませんの。後日荒井さんから直接お聞きになるといいわ。もしくは、丘の上で呑気に花火を観賞している仲の良い幼馴染達・・・・に御尋ねになれば早いかもしれませんわね。もっとも、」



 誰ひとり本当のことは言えないでしょうし、言わないでしょうけど。



 そういいながら眼鏡の奥にある閉じていた瞼をゆっくり開き、瞳をキラリと光らせて貴子を射抜いた。そのゆるぎない力強さに確信したのか、貴子はグッと息を呑み、徐々に目が据わり始めた。


「…………なるほど、おさななじみ……ね」

お互い(・・・)出来の悪い幼馴染を持つと、苦労しますわね。笹谷さんの御心中、お察ししますわ」


 不気味なハスキーボイスを吐き出す割りには鮮やかな赤い唇を持つブキミちゃん。口角を上げてニヤっと笑い、目を細めた。

 恐ろしくも貴子はそれだけですべてを察したようだ。「そう、そういうこと……」と唇を噛み締め、今度は彼女のほうが目をギラギラさせながら神社の裏に聳える小高い山を睨んだ。


(……ちょちょちょっと、ブキミちゃん!)


 あの時、『このことは他言無用』とあの場にいた全員に固く念を押した本人ブキミちゃんが、掌を返したように笹谷さんには詳細を報告してヨシと言ったことに私は驚いて目を丸くした。


「……ふふふ伏見さんっ! あああのっ!」

「あら、笹谷さんにだけ(・・)なら話してもよろしんじゃなくて? 笹谷さんはあの愚かな連中のように周囲に振り回されず、冷静且つ公平な判断ができる頭の良い方ですから。上手く荒井さんの心を汲み取ってくれる筈よ。そうですわね? 笹谷さん」


 私はブキミちゃんに本心を見透かされ、押し黙ってしまった。ここは「ちょっと足を滑らしちゃって。でも大丈夫!」といつものように愛想笑いを披露し、何もなかったこと主張して貴子を巻きこまないようにするのが本当だ。

 けれども――。

 今の私には、そんな心遣いをする余裕もなければ、ブキミちゃんの言葉を否定することもできなかった。この悲しいような虚しい気持ちを誰かに吐きだしてしまいたかった。今夜一気に降りかかってきた、いや、中学入学当初から少しずつ心の奥底で蓄積され淀んだ泥のような感情を、きれいに洗い流してしまいたかった。

 ブキミちゃんの言うとおり、私は貴子に神社の裏山で起こったことを話してしまうだろう。

 いや、この様子だと貴子はもうある程度察しがついているのかもしれない。裏山で花火を見ている連中を待ち伏せし、片っ端から血祭りに上げるんじゃないかと冗談にならない不安が過ったが、傍に日下部先輩がいる限り、とりあえず祭りの間は大丈夫だろうと無理矢理自分を安心させることにした。それに今日のことは、一晩経ってお互い冷静になったところで話すほうが無難だ。今話したら、私も再び泣き出すに違いない。

 ブキミちゃんは貴子の憤怒の形相に満足したのか、声にならない笑いを漏らしながら頷き、すぐにもとの生真面目な能面のような顔に戻って私の腰に腕を回した。


「さぁ、荒井さん。タクシーが来てるから行きましょう。出来のよい幼馴染(おにいさん)が首を長くしてお待ちかねよ」


 ブキミちゃんはまるで既に貴子と日下部先輩など見えぬかのように私にだけ微笑み、私の腕を取って歩き出そうとしたその時。



 スッと私の前に威圧感のある影が立ちふさがった。



 条件反射で身体が震えた。

 顔を見ないよう俯いているというのに、その瞳の中には目を合わせるだけで逆鱗に触れるような、彼の瞳の色と同じ灰にするほどの仄暗い青い炎が灯っているのが気配だけでわかった。


「……遅いぞ、ミチ。待ちくたびれたから迎えに来たぜ」

「…………」


 有無を言わせぬ低い雄臣の声に益々項垂れ、妖怪人間ベムとベラに連行されながら人間界……、いや、山野神社を後にした。


*******


『丈一朗ぉっ、テメェ!』 


 伴丈一朗に一発叩きこんだ尾島啓介は完全に頭に血が上ったのか、私の身体を弾き飛ばしたことも忘れ、奇声を発しながら伴丈一朗に飛び掛かった。馬乗りになり、胸倉をつかんで2発目をもう片方の頬に決めたところで、星野君の叫び声がこの薄暗い階段に響き渡った。


『危ない、荒井さんっ!』


 私は小さい悲鳴と共にむなしく階段の下へ転げ落ちそうになるのと、尾島が揃いもそろって驚愕した表情をしながらこちらを見たのが同時だった。

 私は衝撃と痛みに備えるため条件反射で咄嗟に目を瞑った。花火の残像が閉じた目に残っているのを感じながら、これから身に降りかかることをただ手をこまねいて待つことしかできなかった。



(絶対痛い)

(浴衣完全に汚れる、洗濯できるよね?)

(まさか神社の弊殿まで転がるなんてことは……)

(こんなアホな姿を見られるなんて)

(神を怒らせた罰なのかな)

(打ち所が悪かったらどうしよう)

(完全に足捻った)

(いっそのこと、今まであったことこのまま全部忘れてたら)



 一瞬の間に様々なことが頭の中に過ぎり、それを人事のように考えていた私を待っていたのは――背中を打つ痛みでもなければ、階段を転げ落ちる衝撃でもなかった。

――いや。衝撃はあった。

 けれどもその前に階段の下の方から勢いよく駆けてくる音と多数の叫び声が聞こえ、叫び声の中でもこれだけはしっかりと聞こえた。



『ミチっ!』



 昔より少し低くなったけど、聞きなれていた声色。私の名を呼ぶ叫び声とともに背中にドンっという衝撃を感じ、一瞬ウッと息が詰まった。それでも階段を転げ落ちる気配はなく、自分の体は確かに止まっていた。身体をしっかり抱き止められている感触がハッキリしたときには、「助かった」という安堵と「もし転げ落ちていたら」という恐怖が混ざり合い心臓の鼓動が最高潮、汗がどっと吹き出た。恐る恐る瞼を開けると、そこには――。


 私を見下ろす、すべてを灰にするような燃えたグレーの瞳。


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