君との距離は天の川よりも遠く③
この章は多分に過激な発言が出てきます。PG12指定とさせていただきます、ご了承くださいませ。m(__)m
「ゴメン、荒井さん。もう少し待ってて」
周囲の賑やかな声と激しくなってきた大太鼓の演奏のせいだろうか。わざわざ耳に寄せられた囁き声に緊張してしまった。私は慌てて声の主に頷くと、彼はいつもの無表情なまま氷水に浸っていたラムネを私に手渡し、「飲めよ」とジェスチャーした。
受け取ったラムネは冷たく、人ごみの中を縫うように小走りしてきた身体には気持ち良かった。お金を渡そうとバックの中に手を入れ、小銭を取り出して顔をあげた時には、彼はもう既に背を向けてダンボールの箱からジュースやビールの缶を氷水に浸しながらお客に対応していた。私は小銭を握りしめ、後で渡そうと、ありがたくラムネのビンを傾け飲み始めた。冷たい飲み物がカラカラに乾いた喉を潤していく。
(あ~生き還った……!)
豪快に飲んでいた途中でハッと我に返り、夜店が並ぶ明るく賑わっている通りに慌てて背を向けた。安全確保の為、丸椅子を片手で持ちながら客から見えない死角の位置まで静かに移動する。少しでも通り過ぎるお客の目に自分の姿を映さぬよう縮こまり、うつむいたまま地面の砂利に目をやった。視界の中に入るのは、団扇柄の紺の浴衣と脱いである赤い鼻緒の下駄と自分の素足。慣れない下駄を履いたせいで鼻緒が当たっていた部分が擦れて赤くなっていた。とくに親指と人差し指の間が痛い。一応絆創膏は貼ってあるが、汗ですぐ取れそうなのであまり意味がないかもしれない。それに片方の下駄の鼻緒も怪しい。足さばきが難しい和装で無理矢理走ったせいなのか、変なところに重心がかかったせいなのか、新品なはずの下駄の鼻緒が取れそうなのだ。せっかくいろんな意味での戦場から脱出し、無事祖国の土を踏めそう……いや、祭りと花火を楽しもうと思ったのに。これでは楽しむどころではないかもしれない。
(なんか、疲れちゃった……やっぱ帰りたいなぁ)
私はラムネのビンを左右に軽く振って、カラカラ鳴るビー玉の清々しい音を聞きながらため息を洩らした。
***
数十分前、来賓用テントの中で雄臣とお互い目くばせした後、余興の太鼓が始まるのを今か今かと待ち構えていた私と雄臣。
戦の合図であるホラ貝……いや、司会の人がいろいろとこの余興を説明し始めると、以外にも隣のUSBな人達はその司会者に集中し始めた。さすが来賓のお偉い様方。花火の余興として迎えた大太鼓の演奏者達であったが、半分は来賓の方々に楽しんでもらおうと用意したイベントなのであろう。さすがにそれを無視して女子中学生を相手にするわけにはいかないらしい。そのあたりはさすがプロというか、TPOをわきまえているというか、大人しく太鼓の余興の方に神経を傾かせていた。
『ラッキー!』
……とは言わなかったが、大太鼓の演奏が始まると、私は静かに隣のUSBなお偉い様方に「ちょっと……友達が待っていますので」と表面は残念そうにしつつもニコやかに挨拶をしてその場を後にした。
それでもゴッドファーザー・伏見は性懲りもなく、お膝の上においで……ではなく、いや、確実にそのような意味が含まれていたが、「友達も連れておいで」という言葉を残してやっとこさ解放してくれた。ネッチョリとした視線が胸のあたりに絡まった気がするが、TPOをわきまえた大人の振る舞いをしたことに免じて、気がつかなかったことにしてやろう。
それでもまだ油断はできなかった。なんせ厄介なUSB連中を突破できたとしても、もっと複雑極まりない大御所が残っていたからだ。この場合、USBよりもこの味方の上官の方が相当に手強いし、始末が悪い。
背後をチラリとみれば、まだ雄臣は脱出できずに苦戦していた。情報を提供してくれた手前、救出に向かってあげたいが、ここで戻れば全滅である。
『一人でも多く生き延びて祖国の土を踏んだ方がいいだろう!』
……などと勝手に判断した上官思いの私は、嬉々と、間違えた、泣く泣く背を向け、戦線から離脱した。「いやぁ、本当に残念、無念だなぁ!」とスキップをしながら。
これが幼稚園くらいのガキなら、「雄兄ちゃ~ん、美千子トイレ怖いのぉ。一緒についてきて~」などと甘えながら揃って撤収も可能だが、今それをやったらいろんな意味であらぬ誤解を生むお年頃である。ましてやそのままトイレへ連れ込まれたのでは元も子もない。よって、ここはある意味1人でなんとかできる凄腕の上官の力を信じた方が無難である。
それにあんな危険極まりない上官と一緒に行動をして自爆する気はサラサラないので、ランデブーポイントもしっかり無視するつもりでいた私は、のんびり祭りでも楽しみつつ和子ちゃんを捜そうかなと思っていたのだ。
(フフフ、あの強力な4人から脱出するのは至難の技。骨は拾ってあげるから心配しないで、雄臣!)
「バイビー☆」などと言う死語を吐きながら、ウィンク片目に投げチッスで今生の別れの挨拶でもしてやるかと、余裕のヨッチャン気分で後ろを振り向いたとき、信じられない光景に目を剥いた。ムカつくことに、天はさらなる試練を荒井美千子に与えたいらしい。
なんと雄臣が席を立っており、こちらに向かって強行突破をしそうな勢いだったのだ。
上官はギラついた目を私に向けていた。それはまるで、もう助からないなら私を含めたこの場にいる全員を道連れにしようと、無線でこの辺り爆撃して焼き払ってもらおう的な程、切羽詰まっている感じだ。
荒井美千子、何度も遭遇して「史上」なんて言葉が日常化している史上最悪のピンチ!
私はこの光景を見て見ぬふりをし、急いで戦場に背を向けて走り、ジャングルという名の人混みに紛れ込んだ。浴衣姿が多いこの中に紛れば、迷彩服代わりになって探すのが困難になる! ……と思ったまではよかったのだが、慣れない下駄で走っている途中でコケてしまったのだ。幸いだったのは、膝をついた場所がまるで味方の救援部隊のごとく現れた、同じ軍隊飯を食った同期生……ではなく、クラスの同級生である星野君がいたことだった。
『……えっ? モっ、いや……あ、荒井さん、か? どうした?!』
星野隊員は傷ついている隊員を解放する衛生班……もとい、ジュースを売っている夜店の売り子をしていた。
星野君は目を見開き暫く固まった後、酷く驚いた様子で何か叫びながら私の前にしゃがみこんできた。その様子は真剣そのもので、自分が本当に負傷兵になった気分だ。星野君の大袈裟な態度に驚きつつも、自分が無事に脱出できた実感を味わいたくて、同じ祖国の匂いがする同期の頼もしい腕に縋りつき! ……たいところだったが、やめた。大体こんな人ごみ溢れる店前でそんな恥ずかしい真似、出来る訳がない。代わりに相当焦った顔で背後を気にしていたら、星野君は私の気持ちを察してくれたのか、私の足元を見た後「荒井さん、こっち」と夜店のジュース売り場の後方に避難させてくれた。
星野君は同じく売り子をしていた年配の男性2人に声を掛けた。その雰囲気からしてきっと星野君のお祖父さんとお父さんだろう。2人は私の方に顔を向けたので、慌てて頭を下げた。お祖父さんは笑顔で、お父さんの方は生真面目な顔で会釈を返してくれた。お父さんらしき人の、その固い様子からもしかして迷惑だったかな……と思っていたら、星野君は丸椅子を持ってこちらにやってきた。