8月15日の乙女たち③
この章は多分に過激な表現と未成年の飲酒を促す表現が出てきます。PG12指定とさせていただきます。読む際にはお気をつけ下さい。
「……お祭りの件、ゴメンね?」
貴子は食べおわったスイカや種を一つのお皿を集めながら、ボソリと呟いた。
「……あー、い、いいよ、みんなで行った方がお祭りは楽しいよ、ね? そ、それにブキ……や、伏見さんも誘ってくれたし」
私は机の上を台布巾で拭きながら、こっちこそ色々オマケが付いてくるから……と慌てて付け足した。
「……本当に?」
「ほ、ほら! 和子ちゃん達も喜んでたしね? ……きっと奥住さん達やチィちゃんも大丈夫だと思う」
「そっか、なら良かった。いや、美千子から電話来た時、ちょっと不安そうだったでしょ? だから迷惑かけたかな~と思って……」
貴子は上目使いで私を見ながら遠慮がちに言った。私はギクッと身体を震わせ机を拭く手を止めたが、すぐに「そんなことないよ!」と引き攣った笑いをしながら慌てて手を動かした。貴子は何か言いたそうにしていたが、何も言わず少し笑って、集めたお皿をお盆に載せて台所へ運んで行った。
私は貴子の後ろ姿をボンヤリ眺めながら聞こえないように息を吐いた後、カーテンを揺らしている窓の方へ視線を向けた。外は夕焼けで赤く染まり、貴子の家の居間に西日が差している。外からはヒグラシが鳴く声が聞こえ、夏の終わりを感じさせる何とも言えない寂しいような気持ちになった。
もうこの部屋には和子ちゃんと幸子女史はいなかった。
先程やっと和子ちゃんが宿題を写し終わり、意気揚々として「また部活でね!」と幸子女史と一緒に帰って行った。貴子が住んでいる団地のベランダから2人を見送った時、和子ちゃん達はこの部屋に来た時とは打って変わって元気が漲っており、力強く手を振りながら暑さもなんのその、自転車を豪快に漕いで帰って行った。夏祭りの件が2人を元気にしたのだろう。
思いがけず雄臣達と一緒に行くことになった夏祭り。
真美子やブキミちゃんの招待を受けるなど余計な要素は付いてくるが、和子ちゃん達にとって雄臣と一緒に行くことが大事なので、その他のオマケは関係ないのかもしれない。さすがにブキミちゃんの名前を出した時には「伏見さんかぁ……」と不安そうな顔をしていたが。
和子ちゃん達はおそらく「893のような男が出入りしている」という例の噂を心配しているのだ。正直言って私もその真相を確かめられるほど親しくなったわけではなく、聞く勇気もなかった。本音としてはやっぱり気になるところだったが、それはもっとお互い仲を深め、親友になってから聞く内容だ。私としては永遠にそんな機会をもてなくても構わない。これ以上親交を深めてドツボに嵌るのも勘弁願いたい。
『そういえば、ミっちゃんって夏休み前頃から伏見さんといること、多かったよね~』
和子ちゃんが不思議そうに言ったので、私は咄嗟に「そ、そうかな? 気のせいだよ」と顔をヒクヒクしながら適当に誤魔化した。実は弱みを握られていて……などと言えるわけがない。それでも、3年のオネェ様方にターゲットされるよりはブキミちゃんの方がずっとマシだった。いくら不気味な変り者で、不穏な噂が絶えず、人の弱みを握りまくっているとしても。彼女は私に雄臣との橋渡しをお願いすることもなければ、呼び出してネチネチ厭味を言うわけでもなく、ちゃんと自分の権力と地位を使いまくって雄臣をGETしようとする姿勢だけは褒めてあげたい。……まぁ、荒井美千子じゃ役に立たないことを悟っているのだろう。
「ねぇねぇ、私達もそろそろ買い物に行こっか?」
貴子が台所から声を掛けてきたので、私はわかったと言って、汚れた台布巾を台所に持って行った。
***
「……夕方なのにまだ暑いね」
「……ん」
夕焼け空を眺めてポツリと呟いた貴子に、私は短い返事を返しハンカチで扇ぎながら頷いた。マンションから出る前に思いっきり制汗スプレーを吹きかけたけど、効いているんだが効いてないんだが……汗で流れているので、意味がないような気がする。
私は貴子と一緒にスーパーに向かっていた。今夜の夕食の買いだしの為だ。
「今日、残念だったね、和子ちゃん達」
私は暑さで半ばボーっとしながら貴子の方を向いて言った。貴子はカツカツとサンダルを鳴らし、財布が入っているらしいポシェットをいじりながら「そうだね」と少し笑った。
私はこれから貴子の家にお泊りすることになっていた。和子ちゃん達も誘ったのだが、2人とも「さすがにお盆だし、家族で送り火をするから、今回は残念だけど……」と帰って行った。チィちゃんは数日前から田舎に行っていて、私だけが貴子の家にお世話になることになったのだ。
「世間はお盆だもんね、仕方ないよ」
「……ほ、本当に今日泊って大丈夫だった? せ、せっかくのお盆なのに……」
「いいよいいよ、気にしないで。どうせ姉貴と2人きりだし、父さんは久々の休みで病院だし、全然遠慮しなくていいって! それよりさ、美千子を誘って良かったのかな~と思って。家族みんな、実家に帰ってるんでしょ?」
「……う……ん、そうなんだけど」
私は貴子の言葉に弱弱しく笑った。
貴子の言うとおり、私の両親と妹の真美子は父親の実家へ帰省していた。父の実家は東京の奥多摩なので特別遠いというわけではないし、小学生まではお盆と年末年始には恒例のように帰っていたのだが、中学生になってからは「部活や勉強があるから」「友達との付き合いがあるから」とお盆だけは帰らなくなってしまった。本当は正月も遠慮したいくらいだったが、さすがに年始だし親戚一同集まるので、自分だけ勝手に欠席するわけにはいかなかった。
父方の実家に行きたくないのは、それなりに訳がある。私は物心つく頃から父方の実家が苦手で、居心地が悪かった。私と母は父方の祖父母や親戚とそりが合わず、良い関係が築けなかった。真美子は凄く可愛がるのに……それはまるで多恵子小母さんが私達家族に接するのと同じような感覚だった。それでも小学校までは我慢してついて行ったが、中学に入ったら義理のお付き合いはもういいだろうと判断し、母には悪いと思ったが一緒に行くことを辞退した。母は笑顔で一生懸命馴染もうとして頑張ってはいたが、私は途中からそんな努力も止めてしまっていた。始終無表情で黙りこんでいる子供……後々考えてみれば随分可愛げのないガキだったと思う。でもぞんざいに扱われれば、そんなものだろう。大体小学生の分際で愛想笑いに長けて世渡り上手の方が普通じゃない。歓迎してくれない所へわざわざ顔を出す今年の正月は本当に苦痛だったが、お年玉の為に我慢した。バイトができない中学生の身としては、お年玉が大きい収入源だったからだ。
「でも、良かったんだ。行きたくなかったから」
「……え? そう、なの?」
私の声が珍しくどもらず、硬くて険を含んでいることを感じたのか、貴子は少し驚いて目を丸くながら、慌てて言った。
(……あ、やだ、いけない)
貴子は関係ないのに。ちょっと配慮が足りなかったなと思い、私は話を逸らすべく明るい口調で、「ご、ごめんね、そ、それより泊らせてくれてありがとう」と頭を下げた。いくら誘ってくれたとはいえ、こんなお盆の時期に泊めてくれるなんて助かったから。もちろん家で1人というのも楽だけど、友達と一緒の方が楽しい。それにこんな娘でも親が一応心配したので、貴子の提案は有り難かった。
「そ、そういえばお姉さんは? 夜帰ってくるなら、1人分多めに用意しておいたほうがいいかな?」
「うん、一応ね。母さんのお見舞いに行ってから、友達と会うって言ってたから、きっと飲んでくるよ。久し振りだからって、ハメ外さないでくれるいいんだけど……」
貴子は苦い顔をしながら、「ちょっと酒癖悪いんだよね……」と溜息を吐いた。
貴子のお姉様は、以前にも紹介した通り、かつてはこの辺りを牛耳っていた泣く子も黙る伝説のスケバンとして名を轟かせたツワモノだった。
その名を笹谷厚子という。名前の通り、仲間に対して情も信頼も厚く(熱く)、族のヘッドも頭を下げるほどの凄味と器量と懐の深さを持ち合わせ、ケンカをすれば天下一品であの桂寅之助ですら敵わないというのは有名な話らしい。5年も年が開いていると言うのに、妹の貴子がまったく面識もないその筋の人に「笹谷」の名前を出しただけで、拝まれたり逃げ出したりされるそうだ。
私はお姉様のかつての雄姿を写真で拝見させてもらったが、なんか、こう、コメント出来なかった。……というよりコメントしようがなかった。だって、どの写真もスカートが地面に着くほど長いものをお召しになり、ヤンキー座りで斜め45度の角度で睨んでいる写真ばかりだったからだ。しかも金髪のスパイラルパーマ(けっしてソバージュという可愛らしい名前のパーマネントではない)で、眉毛ほぼナッシングのガンたれ&マスクを付けて顔の半分以上隠れていれば、どんな顔かコメントする方が無理ってもんである。そんなお姉様は中学を卒業と同時に不良から足を洗い、可憐な女子高生に生まれ変わった。実はそれには訳がある。
お母さんが身体を壊して倒れたのだ。
貴子のお母さんはもともと身体が弱く病院通いだったそうだが、お姉さんが中学3年、笹谷さんが小学4年生の時にとうとう大きな心臓の発作を起こして倒れてしまう。それからは入退院の繰り返しだそうだ。現在も入院中で、何回か貴子と一緒にお見舞いにいったのだが、初めて病室に行きその入院患者の名札を見た時は……驚きを通り越して動揺し、呆然としてしまった。
その名札には「笹谷妙子」と書いてあったのだ。