B&M~冷たい視線は「あっても」苦労、「なくても」苦労・前編~
「ごめんなさいね、荒井さん。この『体育祭運営委員用のプリント』を全部2つに折ってくれるかしら? 終わったらここの机に置いて下さい」
不気味な声が数名の生徒しかいない2年1組の教室に響いた。
声の主である伏見かおりこと「ブキミちゃん」の含みのあるニヤリとした笑いに、私は目を逸らしながら慌てて頷いた。言われた通りにプリントを1枚ずつ取って丁寧に折って行く。
(……なんだかな)
どうも最近、ブキミちゃんと純粋な気持ちで接することができない。
何処に居ても纏わりつく視線を感じ、逐一行動を監視されているような気がする。隣の彼女は私の心を知ってか知らずか、隣の席でピッタリ席を付けて同じように作業を始めた。
「悪いですわね。生徒会の仕事を、期末試験前の大事な時期に手伝っていただいて」
「い、いえ……」
「でも、荒井さんは先日『体育祭サポート委員』に決まったから、逸早く委員の内容をGETできて、いいわよね?」
「……そ、そうですね」
「そうだわ。どうせならこの失敗作のやつ、あげるわ。今から目を通しておいた方がいいんじゃないかしら? なんせ男子の体育祭サポート委員がアレじゃあ……ねぇ?」
先月末、無事「生徒総会」を終わらせ、生徒会副会長に就任した彼女は、ピリピリしたムードを漂わせることなく、ニヤリと笑いながら印刷が薄くてよれているところがあるプリントを私に手渡した後、窓際の方にある机に向かってクイッと顎で差した。私もその方向へゆっくり顔を向けたが、ブキミちゃんの黒い笑顔とは程遠い苦虫を噛み潰した顔で眺めた。
その机は一番端の窓際、前から5番目の机。隣の席の女子は噂好きなベリーショートの子だ。
「…………」
机の主は既にこの教室には居なかった。
帰りのホームルームが終わった途端、掃除当番のくせに掃除もほったらかしで友人たちと教室を飛び出して行った。試験一週間前にも関わらず、体育館でバスケなんぞを熱心にやっているに違いない。噂では、サッカー部は続けるけども、バスケ部にも助っ人として顔を出すそうだ。どうやら掛け持ちでやるらしい。
「ま、私は『原口』なんかより、体育祭サポート委員が荒井さんで大いに助か……いえ、嬉しいですけど」
「……こ、光栄です」
「只でさえ男子のサポート委員が尾島なのに……『悪魔』に加えて『悪女』が揃って委員だったら、私も一緒にサポートする学級委員として辛いところだったわ。贅沢を言わせてもらえば、本間君があの時に休んだのは痛かったですわねぇ」
「……お、おっしゃる通りです」
私はブキミちゃんの言葉に心の中で大きな溜息を吐いた。どうやら荒井美千子は身近にいる図々しくて傲慢な「神」だけでなく、天にいる本物の「神」にも嫌われているらしい。
(神様、こんな地味で鈍クサイ乙女をいじめて、楽しいのですか?)
きっと神様は、「志村●ん」か「加●茶」に似ているに違いない。『は? あんだって? とんでもねぇ、わたしゃ神様だよ』などとボケたおしているのだろう。それか「神様」でなくて、ブー高木の「雷様」なんだろうか。
次第に訳が分からぬ怒りが込み上げてきた。フルフルと震えるのを懸命に抑えたが、思わずプリントを勢いに任せて乱暴に折ってしまい、ブキミちゃんから「もっと丁寧に」と指導が入った。
*******
キャンプが無事終了し、1学期のメインイベントが終わると、あとは夏休み前の期末考査や個人面談以外これといって目立った行事もなく、いつも通りの面白みのない授業と部活の波風立たぬ日々が続いた。
しかし、私にとってこの「面白みのない授業と部活の波風立たぬ日々」は、「暴れ太鼓を乱舞する祭りだワッショイ!」に匹敵するほどの狂喜であった。
何故なら、今だに忘れられぬ悪夢のようなあの波乱に満ちた2年のキャンプから帰った私を待っていたのは、その前とは比べ物にならない程の平和な日々であったから。
私に「疲労困憊」という思い出だけを残したあの忌々しいキャンプ――大縄跳びでは成田曜子や原口美恵達に文句を言われ、カレー作りの時は完全にシカトされ、シャワーの帰りには拉致された揚句夜這いの手引きをさせられ、トドメは鬼神・修羅と裏で繋がっていることが判明した、雌豹・ブキミちゃんに弱みを握られ……まったく、恐ろしいキャンプったらありゃしない。思い出すだけでガクブルもんだ。
だが忌々しいキャンプが終わり登校してみれば、雄臣自ら宣言した「俺、彼女いるんだぜ!」情報が既に学校中に広がっており、あれだけ騒がれた私と雄臣の噂はあっと言う間に一掃され、まるで始めからそんな事実などなかったように、ものの見事に消滅していたのは有難かった。
『東雄臣と荒井美千子? よくよく考えれば、そんなことあるわけないよな』
などというまったくもって失礼な目線と囁きがオマケについてきたが。
だがここはグッと堪えた。
さすがに学校生徒の大半を我がブラックリストに載せるには、いささか無理があったからだ。
(お陰で平畑先輩からの度が過ぎるゴマすり作戦が無くなり、態度が急激に冷えましたがね)
まぁ、錦戸先輩率いる女バス軍団の厳しい視線が無くなったので、プラスマイナスゼロだ。逆にアマゾネス先輩から特別扱いを受けずに済むのはかえって喜ばしいことだった。あからさまに部長自ら特別扱いの部員がいると、周囲の空気は悪くなるし、後輩にだって示しがつかない。
そして何より劇的に変化したのは、1組での私のポジションだった。
私に対して男子の態度が急に軟化し、女子も一部だが、大人しい鈴木さんや田中さん達との交流が増えたのだ。
だが間違っても荒井美千子が急に「激カワ☆」になったわけでもなければ、女子に積極的に話しかける明るい性格になったわけでもないのに、何故か。
それは、1組のボス猿こと「尾島啓介」の態度のせいである。
尾島はあれだけ私のことを冷たい目で「近寄るな!」と睨んで避け続けてきたのに、その厳しい視線と態度が急に無くなった。
あの男一人の態度でこうもクラスメートが激変するとは……まったくもって恐ろしい男、いや、猿である。中学生且つ猿のクセにここまで人を動かす力があるなんて、尾島といい雄臣といい、ロクでもない男しか私の周りにはいないらしい。女難ではなく、それこそ男難の相でもあるのだろうか。
とは言っても、いきなり男子達の態度が柔らかくなったところで、「桃色ハプニング大作戦を共に乗り切った同士よ!」などとそこまで馴れ馴れしくなったわけではなかった。その証拠にキャンプで以降も、相変わらず尾島達とは口をきいていない。よくよく考えてみれば、普通に学校生活している地味で鈍臭い女子が、男子と話す機会などそう滅多にあるわけないのである。
去年あれだけ尾島と関わり合いが多かったのは、彼に対抗する和子ちゃんや幸子女史が傍にいたのと、単に振り向けば常に後ろにいたからにすぎない。
それに比べて今現在、私と尾島の間には何層もの見えない壁がある。それは、原口美恵や成田耀子であったり、尾島や私を取り巻く友人達であったり、今までに尾島自ら撒いた態度であったり、そして、最近何故か交流が増えに増えまくっている、横でプリントを折っている鬼神のスパイ……いや、「ブキミちゃん」であったりした。
さすがの尾島もそれらを無理に取っ払って、私をからかって遊ぶ余力はないようだった。非常に喜ばしいことだ、平和万歳。
それに、ここが重要なのだが、私は尾島から受けた仕打ちを忘れたわけではなかった。
あれだけの嫌がらせを受けたのに、急に掌を反されたからと言って、すぐに許せるほどお人好しでもなければ忘れっぽいわけでもない。
今でもカレーの時のことや、あの夜の公園のバスケットコートでの一言や、クラスで受けた無視攻撃の事を思い返せば胸がズキンと痛み、ザワザワと嫌な感情が湧いてくる。
もう二度とあんな思いをするのはゴメンだった。
だから私は、尾島を取り巻くグループに対して、よっぽどの用事が無い限り一切近づかないことを決め込んでいたのだった。
m&mでもない、B&Bでもない。B&M。