エイプtoキャンプdeハプニング⑤
この章は多分に過激な表現が出てきます。PG12指定とさせていただきます。読む際にはお気をつけ下さい。
「あ~さっぱりした」
髪をクリップで止め、オヤジのように手ぬぐいを首に巻き、カレーのような煤のような匂いからやっと解放された私は、石鹸の良い匂いに包まれる心地良さを存分に味わった。
個室シャワーは想像通り狭かったが、誰の目も気にせず1人たっぷりと時間をかけてシャワーを浴び、ゆったりとした時間を過ごすことができたから問題なしだ。一晩浴槽に浸かれなかったところで、どうということはない。
個室シャワーの入口に待機していた、女子の保体担当の沖先生に一言挨拶してから、女子の宿泊棟の方へ向かった。私は個室シャワーに来たのが思いのほか遅かったようで、他のクラスはほとんどもう使い終わっていた。
『今年はシャワー使う子、少ないわね』
『…………』
沖先生の一言で今年は犠牲者が多いことが判明したが、もうどうしようもない。私は「ハハハ」と笑うしかなかった。
(……それより、早く戻ろう)
一度通ってきた道とはいえ、暗くて薄気味悪い道を行くのかと思うと憂鬱になった。けどこの後は2組の和子ちゃんのところへ遊びに行くことになっていたので、早く戻らねば。さっさと行こうと早歩きで女子の宿泊棟に向かった。
今回のキャンプで唯一の楽しみである時間を思いワクワクしながら歩いていたが、昨日のことを思い出すと途端に足取りが遅くなった。
(……やっぱ、和子ちゃん達に昨日のこと、報告しないといけないよね)
雄臣に彼女がいることが判明した今、まだ傷が浅いうちに告白しておいたほうがいいだろう。それにすぐバレることだし。なんせ3年のバスケ部の連中やあの小リスも現場にいたのだから。
(まったく、厄介な連中だよ。二度とあの公園の傍は通るもんか! ラッキーキーワードに確か……公園が入っていたけど、全然ダメじゃん)
光岡さんには悪いが、まったくもって当たってない。「湖」も入っていたが、今日の様子からみると完全に大ハズレである。ラッキーどころか、最悪の展開になりそうだった。
(そうだよねぇ、全部が全部占い通りになるわけじゃない。……やっぱ、『ラピス』でも買わないとダメなのかなぁ?)
雑誌の合間合間で登場する、幸運アップのアイテムが載っている広告達。その中でひと際多い宣伝数と読者の喜びの声が大袈裟な『ラピス』の購入を一瞬考えたが、辞めた。それで幸運が舞い降りれば、人間苦労はしない。
全てを悟った身体に夜風が身に染みた。
「……ちょっと、寒いかな」
さっきまで火照った身体は、いつの間にか冷えていた。6月上旬といえども、夜の湖周辺は寒い。お風呂上りに薄手の部屋着のままでは風邪をひく。せっかく身体を洗ったのに、カレーの匂いがしみ込んだままのジャージを着るのは抵抗あったが、風邪をひくよりはマシだ。私は一旦立ち止まり、懐中電灯で照らしながら袋からジャージを取りだした。案の定カレーと煤の匂いが満載だった。その匂いを嗅いだ時、カレー作りのことをふと思い出した。
ブキミちゃんから油を借りた私は、さっさと炊事場に戻ろう振り返ると、そこには頭一つ大きい険しい顔の星野君が仁王立ちしており、心臓が飛び出しそうになった。
『油ごときでこんなに時間かけてんじゃねぇ!』
……などというお怒りのご様子だったのかはわかりかねるが、ともかく私は焦って、なるべく明るい調子で『あああ油借りたよ?』と星野君に引き攣りスマイルを見せた。内心穏やかな星野君の顔をこんなに気難しい顔にする私の行動って一体……などと落ち込みながら。あんな恥ずかしくて情けない場面を見られるとは計算外だったが、そこはどんな辛い時も立ち上がってきた不屈の精神を精一杯発揮し、気分を持ち上げるだけ持ち上げながらカレー作りに勤しんだ。
尾島はもうどうでもいいし、田宮君のことも仕方がないと諦めた。けれども全員平等の学年一モテ男子・佐藤君や、ましてや穏やかな星野君にまで嫌われたくない。嫌われたらそれこそ再起不能だ。
その努力の甲斐あってか、カレー作りをしながら他愛ない話をしているうちに、星野君の顔もいつもどおりに戻った。しかも、肉がショボイ量のカレーのわりには、なかなか良い出来栄えに2人揃って歓びの声を上げたほどだ。
ちょうどカレー作りが終わった頃に他の班の人が戻って来たのだが、この頃には手伝いもしない班員などどうでもよくなっていた。だって、星野君と2人きりの調理は思いのほか楽しかったし、作ったカレーも意外と好評だったから。
まぁ、カレーはどの状況で誰が作っても間違いなく上手いが。
(……星野君みたいな人は、きっと彼女を大事にするんだろうなぁ。言葉は少ないけど、なんかこう、温かいし。神様は絶対そう言う人に幸運をもたらすよ。つーか私が神だったら、普通に幸せなレールを引いて上げちゃうね)
あれだけ星野君を不機嫌にさせたくせに、生意気にも上から目線で彼の人生を応援する荒井美千子。人の応援してるより、自分の中学生活心配しろよという神の声が聞こえてきそうだ。
(将来はやっぱり野球選手なのかなぁ……いっつも放課後ダッシュで帰るもんね。ところでシニアってどれくらいスゴイんだろ? 確かとっても厳しいって聞いたけど、あの住友爺の指導より厳しいのかな? 多分高校は甲子園常連の強豪校に行くよね。将来はプロ野球選手で、ゆくゆくはキレイな女子アナと結婚かぁ。星野君だったら、見持ちの固くてお嬢様タイプがお似合いだよね)
その星野君はいまだ中学生なのに、人の人生設計を組み立ててはその内容に納得する荒井美千子。間違いなく私の心配などいらぬ星野君の将来より、オマエの現在の立ち位置を心配しろよという神の声……というより、キー●ン山田様の声が聞こえそうだ。
適齢期を迎えた息子を心配する出しゃばったオカンの如く、「星野君には、絶対悪い女に引っかかって欲しくないわぁ」とウンウン頷きながら暗い夜道を歩いていると、ある女子の顔が思い浮かび、苦い思いが広がった。
(……ていうか、既に引っかかっているかも。あの小リスが幼馴染を振りかざす限り、星野君の彼女、絶対苦労するだろうなぁ。星野君優しいから、無碍にもできそうにないし。こりゃ厳しいかもね。他の4人も大変だな)
ロクでもない連中だけど、これから先のことを考えると、なんだか気の毒になった。今はいい。けど人は必ず大人になる。いずれ自分の道を決め、それぞれ旅立つ時がくるのだ。ずっと今の関係のままでいられることは、絶対にあり得ない。その時になったら、彼らは一体どういう選択をするのだろうか。そして、どう心に折り合いをつけるのだろう。
(……って、私ったら何を考えているんだか。それこそ彼らにしたら余計な御世話ってもんよね)
そうだ。そんなこと私には関係のないことだ。だって、彼らのことまで気にしている時間なんて私にはない。夢に向かってひたすら突き進む為に、可能な時間を全て勉強に注ぎ込んでいる私には。本来ならば、このキャンプに行く時間だって惜しいくらいなのだ。
(そうだよ……もう、尾島なんて知らないんだから)
私はいつの間にか立ち止まり夜空の星を睨みながらそんなことを思った、その時。
ザッ。
この場に相応しくない物音に全身が硬直した。
(……あ、あれ?)
確かに音が聞こえたのだが、今は聞こえず辺りはシーンとしている。
「ま、まさかね……?」
私は「ハハハ」と一人笑って、もしかしてこの世の物体ではないものに遭遇したのかと恐怖に染まる自分の心を鼓舞した。だからといって、音がした草むららしき方角へ懐中電灯を照らす勇気はない。
(……ややややだぁ、きっと気のせい……よね!)
洗顔セットが入っている袋をギュッと握り、私は宿泊棟に向かって早歩きで歩き出した。
ザザザッ!
私の歩調に合わせて、今度こそ確実に聞こえてきた。
(……ままままさか、本当に幽霊なんてことは……)
そんなことある筈がない。あっていいわけがない! だからって、このまま腰を抜かす余裕はもっとない!
(ちょちょちょちょっと! 覗きスポットのほかに、心霊スポットがあるなんて聞いてないよ!)
涙目を前方の女子宿泊棟へ向けた。ゴールはすぐそこだ、早くこの場から逃げ出そうと走りだした、その瞬間。
ザッという音と共に、後ろから無数の手が肩や腕に触れた。