勉強ノススメ、部活ノススメ
少し長いです。
ジリリリリリ~!
「はい、そこまで! 筆記用具を置いて、後ろから速やかに答案をまわせ!」
先生の叫び声が、過酷な数日間を過ごした生徒達の解放とも呼ぶざわめきの中を駆け抜けた。答案用紙が次々と前の席を目指して回収されていく。
初めての中間テストが終了した。
試験が無事終了した途端、私は一気に緊張が解けて机にうつ伏せた。周囲は慌ててノートや教科書を出して答え合わせをする者、筆記用具をしまい帰り仕度を始める者、早々と部活の準備をする者、なにより苦痛と緊張の数日間が終わり解放された生徒の声で教室内が騒がしい。私も安堵のため息をもらしながら顔を上げて筆記用具を片づけ、どうかいい点数で返ってきますようにと心の中で祈った。
小学校と違って集中して全教科のテストが行われる中学校の中間、期末試験。
ここ数日間、教室内は勉強モードで試験一色になっていた。どの先生も「ここ出すぞ」という言葉を壊れたレコードのように繰り返し、その度に悲鳴とブーイング、ノートにペンを走らせる音が響き渡った。試験一週間前は部活も中止、職員室出入り禁止というのも初めての経験だった。
家に帰れば、先生のアドバイスを元に教科書、ノート、参考書を使って未知なる試験対策に取り組んだ。こんなに真剣に勉強と向き合ったのは初めてかもしれない。小学校の時は「勉強する」なんて言葉は私の辞書には存在しておらず、正直そこまで重要だと思っていなかったし、危機感もなかった。実際にやってなくても0点を取ることもなかったし、30点~60点を彷徨っていても親は溜息を洩らすだけだった。むしろ見放されていた。
だが中学ではそうも言ってられない。3年後には高校受験という壁が控えているからだ。
中学で義務教育は終わり、その上に進学したければ否が応でも「入学試験」を受けなければならない。もちろん入試一発を狙うのもありだが、勉強は日々の積み重ねが大事なのでなる。直前に勉強して身につくものでもない。なかには奇跡的に点数を取れる人もいるだろうが、高校受験にそれでは心もとない。一瞬で丸覚えできる天才か、よっぽど運がいい奴以外ありえないのだ。
もちろん私は入試一発に掛けるつもりはなかった。小学校の時に「本番一発」を通してきたので、その結果どうなるか、自分がよく知っていたからだ。
中学に入ってから心を入れ替えた私は、見違えるように勉強に取り組むようになった。塾へ行き、家で予習復習をすれば、授業の内容が良くわかるようになった。いつの間にか、今まで感じなかった「知る、わかる、解ける」という行為がすっかり楽しくなっていたのだ。
***
「ミっちゃん、部室行こうよ!」
和子ちゃんは待ってましたとばかりに席を立ち上がり、カバンを机の上にドサリと置いた。
「あ、う、うん」
ホームルームが終わって挨拶も終了すると、教室内は再び賑やかになった。両隣りのクラスからも、校庭からも明るい声が聞こえてくる。
「ちょっと、最後の国語どうだった?!」
幸子女史が最終科目であった国語の問題プリントをヒラヒラさせながらやってきた。
「最初の漢字の書き取りはいいとしてさ、次の問題のさ……」
「それよりもこの長文の問題、厄介じゃなかった?」
和子ちゃんと幸子女史は問題用紙と睨めっこを始めた。私も支度が終わり、後ろの席に振り向いて問題を覗き込んだ。国語が少し苦手な私としては点数の結果が心配だったので、2人の答えが気になる。「わ、私もここが難しかった」と問題を指すと、お呼びでない奴が横から割り込んできた。
「おい、チュウ!」
「え?」
「漢字の問題、『土産』が出なくて良かったな?」
チビ猿のバカにしたような声を聞いた途端、顔がカァっと熱くなり俯いてしまった。
尾島が『土産』という漢字を口にしたのには理由がある。
あれは忘れもしない数週間前。
私は先生から文章を読むようあてられ、文中にある『土産』という文字を疑いもなくそのまま『どさん』と読みきってしまったのだ。
……コイツ、間違えてるよな?
教室内にはそんな空気が漂っていたらしいが、私は最後まで気付かず、『土産』の文字が出る度に『どさん』と読み切った。読み終わった後、そこで初めて先生から申し訳なさそうに指摘された。
『荒井』
はい? と顔を上げると銀縁メガネの奥に浮かぶ先生の苦笑顔。
『お前が読んだ文中の「土産」って文字な、「みやげ」って読むのな? 前もって辞書で調べておけ?』
『…………』
クラスに失笑が流れること数秒。この授業の後、その日は後ろのチビ猿に「チュウ」とは呼ばれず、「どさん」と呼ばれた。
「ちょっと! 勝手に人の会話に入ってこないでよ!」
「そーよ! さっさと部活にでも行きなさいよ!」
恥ずかしさで何も言い返せない私の代わりに、チビ猿にツッコミを入れてくれる2人。当のチビ猿はいつものごとく、「ヒャヒャヒャ」と嫌な笑いを洩らしながら教室を退場した。
「……あの男、マジどっかの動物園に売り飛ばそうか?」
「いっそのこと野生に返すってのはどう? 外国のジャングルにでもさぁ」
2人は「でもそのジャングル、すげぇ迷惑だよね!」と尾島が出て行った方を見ながら笑った。その後いつものように私に向かって、「気にすることないよ」と優しくフォローを入れてくれた。私もこのやり取りがだいぶ慣れてきたので、「ありがとう」と2人にお礼を言った。
*******
中間テストという最初の大きな壁を乗り越えた頃には、クラスメート同士の緊張もほぐれてきていた。
同小グループ間の結束は未だ固いが、私もクラス全員の女子と挨拶を交わすまでに打ち解けていた。尾島とは打って変わり、親しみをこめて「チュウさ~ん」と声をかけてくれる。思わぬところであだ名が潤滑油になったのは否定できなかった。
そしてクラスメイト以外で、友達の領域を広げるキッカケとなる「部活動」。
この「部活動」というのは小学校のそれとはレベルも規模も違い、一種独特な世界が広がっている。これ無しでは中学生活を語れないほど重要ポジションを占める存在であり、殆どの人がこの「部活動」で初めて先輩後輩の醍醐味を味あわされ、「上下関係・縦社会」というものに触れるのだ。
私はバレー部に入部した。
当初は陸上部かバトミントンに入る予定だった。何故かって? 答えは簡単。運動神経の鈍い私としてはボールを使う部活はNGだったからだ。ボールを使う以外の運動部と言えば、「水泳、剣道、体操、陸上、バトミントン」しかない。しかし現実は自分が想像したように都合よく行くほど甘くはなかった。
水泳部はパス。水着なんて授業以外でお披露目する気はないし、だいいち25メートル泳げない。
剣道部もパス。防具が臭いというし、そんな「真っ向から勝負!」なんて代物、鈍臭い私には無理。
体操部もパス! 自慢じゃないが、超ウルトラ身体が固い。自分の身体にレオタード……考えただけで恐ろしい。違う意味で「悩殺」できる自信がある。殺傷率200%だ。
残るは陸上部かバトミントン。
バトミントンはラケットやガットでお金がかかるけど、陸上なら身一つで走っていればいいと陸上部に気持ちが固まったその時。
ここで色々な噂が1年生の間を駆け抜けた。
陸上部の担当顧問が、いつも朝礼で生徒を怒鳴り散らしている顰め面の箕輪(3年保体、独身)と判明したのだ。その時点で陸上部は即効却下になった。
もうお金がかかってもバトミントンでいいか……と思ったが、このバトミントン部には一つ問題があった。
「恐怖のGOGOランニング」
校内で有名なバトミントン部の名物運動メニューである。
「どんな恐怖だよ!」とツッコミたくなるほどのオメデタイ名前だが、内容は意外と厳しい。バトミントンの担当顧問である一之瀬(2年英語、独身)が、学校の周辺を「STOP!」と言うまで部員を走らせるのだ。別にこれだけなら「普通のトレーンングとなんのかわりもないじゃないか」という声が聞こえそうだが、それだけでは終わらない。担当顧問自らストップウォッチ片手に正門で待ち構え、クタクタになりながら通り過ぎる部員達に向かって「GO! GO!」と郷ひ●みも真っ青なほどネイティブ並みの発音でエールを送りながら部員を煽るという、なんともエンターテイメント満載なメニューなのだ。
しかも実施日が先生の気分次第で行われると言うからたまらない。
3日間連続で実施という時もあれば、まったく音沙汰なく忘れたころにやってくる天災的な時もある。素振りの練習中や柔軟をしている最中にいきなりフラリとやってきて、「正門までDASH!」という号令がかかればメニューの開始だ。結果バトミントン部の皆さんは、「黒ひげ危機一髪」並みの緊張を毎日強いられなければならないのだ。
小学生の時に見かけた、学校の周囲をヒィヒィ言いながら走らされていた人たちは、中学のバトミントン部のお姉さんやお兄さん達ということがこの時判明した。
痩せるのにはちょうどいいが、エールを送られながら真っ赤な顔をした不細工のポッチャリが、ボテボテ走る姿を世間様にお披露目するほど私はボランティア精神に富んではいない。近所で「荒井さんのところの娘さんがゼーゼー言いながら走っていたわよ」なんて噂されるのは真っ平御免だ。
私はバトミントンを本格的にやったことがないし、別に差別をするわけではないのだが……サッカー部や野球部などの青春一直線という感じの部活が、このメニューをこなすのは絵的にも内容的にも納得ができる。しかし線も細くていかにも温和で優しそうなイメージのバトミントン部員たちが、何故息も切れ切れになるまで走らねばならぬのか疑問だった。
「たかが羽、されど羽……なのかな」
その姿を見て、こう何というか、切ないものがこみ上げたのは私だけではないだろう。
***
(さて困った、どの部活に入ろうか)
真剣に悩んでいたら、和子ちゃんと幸子女史がバレー部に誘ってくれた。
『どうせなら小学校の時にやってない競技がいいじゃん? テニスも考えたんだけど、せっかく背が高いからさ』
(小学校の時にやってない競技!)
私のコンプレックスを乗り越える為のキーワードが登場し、目を輝かせた。思いっきり球技なので一瞬怯んだが、もう球技しか残ってないなら、いっそ全員スタート地点が一緒な部活を選べばいいのだ!
(友達と一緒ならなんとかなるかもしれないし)
私は仮入部からそのまま本入部の手続きをした。以外にも最初のミーティングの時に「今年の新入部員は豊作だ!」と熱烈歓迎を受けた。バレー部で160センチ~163センチなんてそんなに高くないほうだと思っていたが、中1でこの背があれば十分だよと先輩は言ってくれた。コンプレックスだった体型を真正面から褒められれば悪い気はしない。ますますバレーというのが好きになれそうだった。
けど――本当はやってみたい、入りたい部活があった。
私は球技が苦手だったにも関わらず、バスケ部に入りたかったのだ。
小学校の特別クラブにもあったバスケ部。山野小以外にも近隣の各小学校には学校が主催する特別クラブというものがあった。
男子はサッカーとバスケ、女子はバスケのみ。
そのクラブに入る子達は大概運動神経がよく、クラスの中心にいるような子達だった。またそういう子しか入れないという暗黙な了解も漂っていた。私のような地味で運動神経が鈍い子は入部できる隙間もなかった。だから……中学に入ったら、仮入部くらいなら挑戦してみようかなと思ったのに。
仮入部の初日、バスケ部のコートに集まった新入生の顔ぶれを見た途端、僅かな希望は見る間に萎んでしまい、やっぱり縁がないんだなと悟った。
成田耀子。
彼女は兎にも角にも反りが合わない女子だった。そして、成田耀子の取り巻き達。陰で私のことをコソコソ言っていた女達。同じクラスにならなくて良かったと安堵した顔ぶれ。絶対歩み寄ることができない、交わることのない領域。
(……ダメだ。やっぱり父さんたちとは一生――)
ひび割れた隙間から縫うようにして湧き出る歪んだ感情を抑え込み、逃げるようにバスケのコートと成田耀子に背を向けた。バレー部の方が絶対楽しいし、私に向いている筈と目一杯フォローをしながら。
結論からいくと私の選択は正しかった。
非常に良い友達に恵まれたからだ。バレー自体は特別上手くはならなかったが、球技の苦手意識が見事に消えたのは嬉しい誤算だった。それに、「バスケ部じゃなくてバレー部に入った私、エライ!」と自分を褒めてやりたいくらい、これから迎える3年間の中学生活には「バスケ」が絡んだ因縁ごとが待ち構えているのだった。
「成田耀子」登場です。彼女もこの先「美千子」に絡んで度々登場します、今後ともよろしくお願いします!