学校行事的宿泊前夜ノ怪~公園内籠球区画編~
この章は多分に過激な発言が出てきます。PG12指定とさせていただきます。読む際にはお気をつけ下さい。
「よぅー東ぁ! 噂の幼馴染と夜のデートかよっ!」
一瞬言われている意味がわからなかった。
……というか、言われた言葉に身体が拒否反応を示し、脳が勝手に一体どこの御国の言葉だろうかという処理をした。いや、どちらかというと宇宙人からの暗号通信だろうか。
脳内が許容範囲オーバーでショート寸前、顎が外れそうなほど驚いている私を置き去りに、雄臣はあろうことか自転車のスタンドを立てて、公園に張り巡らされている低い金属の柵を長い脚でまたいだ。
(ちょ、ちょっと! なんでいちいち相手すんのっ?! ここはさっさと手でも振って退散だろうがっ!)
「なにしてんだよ、8時近いのに。補導されるぞ!」
あわわわ……と慌てふためく私を無視して、雄臣は注意と言うより、厭きれた様子でバスケットコートに向かって声を掛けた。
「別に学校帰りじゃねぇよ! それにこんな時間に堂々とデートをしてる奴に、言われたかねぇし~」
声をかけてきた男は笑い、照明の眩しい光をバックにボールを小脇に抱えながらこちらに近づいてきた。逆光のせいで不鮮明だった男の顔が明らかになっていく。
(……3年バスケ部キャプテン、辺見先輩……)
この状況、去年の文化祭のリハをしたときの体育館の時と一緒だ。やっと雄臣の手から解放され、真っ赤になている右手の痛みと雄臣の手の感触を振り払うように、息を吹きかけ手を振っていると、辺見先輩は雄臣にボールをパスした。難なく受け取った雄臣は、苦笑いを浮かべている。
「こんな遅くまで練習、か。熱心なんだな」
「もうすぐ大会が始まるからな。少しでも時間が惜しいんだよ。それより東は夜遅くにデートかよ? 女子共に知れ渡ったら、大変なことになるぜぇ」
辺見先輩の言葉に手の痛みが吹き飛び、凍りついた。
「そりゃこっちのセリフ。そっちだって人の事言えないんじゃないか? あそこに『飯塚さん』、いるし」
雄臣はこっちを黙って見ている集団に向かって顎で差しながら、からかうような笑みで辺見先輩を見た。途端に辺見先輩は「う、うるせぇな!」と顔をほんのに赤くして抗議した。
「そ、それより! いい加減オマエもバスケ部に入れよ。そうだ! もし入部したら、今日見たことは忘れてやってもいいぜ? 学校で噂されたら、東もそっちの2年も困るだろう?」
(雄臣、今すぐバスケ部に入ってくれ。そして一緒に練習してろ! 私はとっとと帰らしてもらう!)
期待を込めて雄臣を見たが、彼は口を歪めて笑っただけで、何も答えなかった。
その時――私はふと思った。
(そう言えば雄臣、なんでバスケ部に入らないんだろう? あんだけ上手いのに)
彼は小学校の時からバスケを続けており、しかもかなりの腕前で、学校のクラブではなく都内にある外部のクラブチームに入っていた。その関係で大学までバスケをやっていたうちの父とも大変仲がいいくらいだ。でも、今回の引っ越しの際、外部のクラブチームは遠くなったので辞めたと聞いた。だから学校のバスケ部だけでも入るかと思ったのに……よりによって入った部活は、あの「ブキミちゃん」も所属する地味な生徒が集まった、『英語・英文タイプ部』。しかも女子ばかりの中に雄臣男一人という黒一点状態だ。
そのおかげで、新3年生が不在だったこの地味なこの部活に、我が妹を含め、女生徒がいきなり集中しだした。2年生にもかかわらず、すでに部長の地位を獲得していた「ブキミちゃん」は、邪な入部希望者駆除……いやいや、対策の為か、毎回日本語絶対不可のディベートを実施し、入部希望者の度肝を抜いた。日本語を少しでも使ったものはペナルティが加算される。学年を問わず、ペナルティ1ごとに高校入試用の必須構文を5、単語を10を丸暗記しなければならないという厳しいものだ。そして入部したからには、英検を必ず受けることを必須条件に加えた。これでは、英語に対して真面目でやる気のある人物しか残る筈がない。もちろん結果は、「ブキミちゃん」の圧勝で試合終了。妹を含めた邪な入部希望者は『英語・英文タイプ部』を去った。
「別に、噂なんてどうでもいいだろ。第一、彼女は安西先生の英語塾の帰り道で、夜遅いから送ってるだけだよ」
「そんな言い訳で女子共が納得するかよ。なぁ、いい加減一緒にバスケやろうぜ? あんな英語部に入って、腕鈍らせることねぇだろ? そりゃぁオマエにとって学校の部活じゃ物足りねぇかもしんないけどさ。オマエとさ、ほら、あそこにいるデカイのと小さいのがいるだろ? かなりの腕前なんだよ。これだけいれば神奈川、いや関東、下手したら全中狙えるかもしれねぇんだ。部活掛け持ちがキツイならさ、俺からも顧問に頼んで、気が向いたときだけでも構わないようにするからさっ。顧問も絶対それでいいって言うって! ……つーか、英語部ってそんなに大変じゃねぇだろ。絶対悪いようにはしないから、な? 頼むよ!」
両手を合わせて頭を下げる辺見先輩。しかし彼の台詞の中には聞き捨てならぬ言葉がいくつかあった。
(あんな英語部って、そりゃないでしょうよ)
なんだか英語をバカにされたように感じでイラっとした。第一、あの英語部に居られる人物は、かなりの英語力がなければ無理だと私は睨んでる。雄臣がいなければ、私が掛け持ちを考えたいくらいだ。
(それに今……「デカイのと小さいの」って……言ったよね)
私はなるべくバスケットコートにいる集団にピントを合わせないようにしていた。さっきからひしひしと感じる最悪の事態と殺気から必死に現実逃避をしていたのだが……。気候の良い涼しい宵なのに、なぜか背中と脇に嫌な汗をかいているのをハッキリと感じる。
「……まさか、オマエも女がらみじゃねぇだろうなっ? そんな理由で辞める奴はアホだ! しかも才能ある奴に限って、そんなことほざくなんざぁ、我慢できん!」
辺見先輩は雄臣から私の方に視線を移し、ジロッと睨んだ。
私は身に覚えのない視線に、慌てて「私のせいじゃありません!」と首と手を高速で振った。雄臣はそんな私の様子が可笑しかったのか、フフっと笑いながら肩をすくめた。
「俺だって別にやりたくなくて部活に入らないわけじゃないんだぜ? 膝がさ、結構厳しいんだよ。お遊びなら構わないけど……本格的にやるとなるとドクターと相談しないと、な」
「えっ?!」
私は思わず大声をあげながら雄臣の顔を見ると、彼は困ったような寂しいような表情をして私を見降ろした。
(……そんなの、知らなかった……)
外部のクラブチームを辞めたことは知っていたけど、土日地元の方に出かけていると聞いたので、てっきりクラブの方に顔は出していると思っていたのだ。
だって、雄臣はそれはそれはバスケが好きで、小学校の時から練習一筋だった。なにより彼の父親である東小父さんが、大学時代バスケの名選手だったのも影響していた。悔しいが、彼のバスケをしている姿はさすがの私でも称賛のため息が出るほどだ。ハッキリ言って、尾島の比じゃない、と思う。……そのおかげで、一時無謀にも私もやってみたいと思ってしまったのだ。そうすれば、東小父さんに少しでも近づけるかなと思ったから。
(それに、父さんにだって……)
無性にやるせない気持ちが湧いてきたので、考えるのを止めた。
結局自分のやる気と実際の運動神経、雄臣や成田耀子……その他諸々の事情を天秤にかけ、バスケの道から遠のいてしまったのは私自身だ。それに今となってはそれで良かったと思っている。なんせバレー部に入って、マイナスの要素はあれども、プラスの方が大きかったから。それにバスケ部なんぞに入ってたら、今頃退部届を出していただろう。
けど、雄臣は……。
父親に尊敬の念を抱いていた彼は、父を超えるといつも意気揚々と亡き母親に語っていたのに。それさえも道が断たれていたとは知らなかった。
「なんだよ。そんな顔するなよ、ミチ」
「……だ、だって……私、知らなくて……」
「いいんだ。これも運命だよ。身体が動かないんじゃ、仕方がない。諦めも肝心なんだ、時には」
遠くを見つめながら言う雄臣の言葉に、さすがの辺見先輩も苦い顔になった。
「それに、運動部じゃ、土日に女と遊べなくなる……だろ?」
珍しく同情的な気持ちを寄せていたのに。
急にニヤリと笑いながら私の方を見て言った雄臣の言葉に、感傷的でしんみりしていた空気が一気に殺気立った。
「……てめぇ、やっぱ女絡みじゃねぇか! おい、幼馴染、どういうことだ?!」
「ちちちち違います! 私は関係ありません! だだだだ第一、私も土日部活です!」
私の慌てて弁解した言葉に、雄臣は堪え切れず吹き出した。……どうやら完全に遊ばれているらしい。
(くそぉ……呑気に笑っているその顔を、苦痛で歪ませたい! 私の同情した気持ち、返せ!)
「ククク……冗談だよ。それに、そこのデカイのはバスケ部で見たことあるけど、隣の小さいの。彼は確かサッカー部で、バスケ部じゃないよな? 日下部が言ってたぜ、『絶対尾島をバスケ部にはやらない』ってな」
雄臣がからかうように辺見先輩の後ろの方に目配せすると、ハッとして私も辺見先輩もその視線の方に目をやった。いつのまにか、私達三人の傍まで来ていた、数人の男女。
「すみませんねぇ。その小さいのがバスケ部じゃなくてサッカー部で」
地獄の底から轟かせるような声を出したのは、小さいほうの尾島だった。