学校行事的宿泊前夜ノ怪~神ノ正体御開帳編~
この章は多分に過激な発言が出てきます。PG12指定とさせていただきます。読む際にはお気をつけ下さい。
暫く歩いていくと、見慣れた場所に出た。この辺りは去年の暮れとバレンタインの時にも通った場所だ。
アンラッキーなことに、安西小父さんの新しい家は大野小学区の住宅街の中にあり、区民センターよりさらに奥まった場所にあった。さっきの暗い道を通れば、区民センターの付近を避けて大通りに出ることができるのだが……。かろうじて救いなのは、例のお好み焼き屋の前を通らずに済むことだ。
(それでも油断はできない。ヤツらと鉢合わせする事態だけは絶対避けないと!)
なるべく不自然にならない程度に雄臣と離れて歩きながらキョロキョロしていると、彼は忍び笑いを漏らした。
「……さっきからなにソワソワしてんだよ、キョロキョロしてさ」
「えっ?! い、いや、別に、なんでも……。そそそそれより、早く行きま、せん?」
「なんだよ。せっかくだからゆっくり行こうぜ。気候もいいし」
「えぇ?!」
(じょ、冗談じゃない!)
ゆっくりなんてしてたら心臓が家までもたない。会話を交わしたことによって気まずい雰囲気は多少和らいだ気がするが(あくまでもほんの少しだけど)、これなら会話はなくても、雰囲気がマズくてもいいから、速攻で帰った方がマシだ。私は引き攣り笑いをしながら、提案を試みた。
「で、でも遅いし、遠いし、わわわ私明日遠足だし……。自転車に乗った方がいいんのでは?」
「確かに自転車じゃないとちょっと遠いよな。やっぱ安西叔父さんのところじゃなく、無理言ってミチの処に居候すればよかったかな」
「……え? はぁっ?!」
会話がとんでもない方向にそれたので、目が点になった。
「なんてったってミチの家は学校から近いだろ。実際そういう話もあったんだぜ? 悟小父さんは賛成してくれたけど、父さんが猛反対したんだ」
(あああ当たりまえやっ!)
冗談ではない! 何故そこまで我が家が東一家の為にしてやんなきゃならんのだ。
(この場合東小父さんが猛烈に正しいぞ、コノヤロ!)
大体学校でも家でも一緒なんて、考えただけでホラーもんである。翌年の某滋養強壮ドリンク剤のキャッチコピーになる、「24時間、戦えますか?」を地て行くなんて死んでもゴメンだし、命がいくつあっても足りやしない。だいたい私は中学生であって、ビジネスマンではない!
父も父だ。いったい何を考えているのだろう。年頃の男女を同じ屋根の下で住まわせるなんて、いくらなんでもハレンチすぎるではないか。いや、例え天地がひっくり返ろうとも、この世に雄臣と2人きりしか生き残らなかったとしても、彼とだけは「間違いがない」と断言できるが、人間の感情に絶対という言葉は無いに等しい、と思う(この場合被害者はもちろん私だ)。そもそも雄臣ほどの色男がこんな地味で鈍くさい女に手を出すとは考えにくいし、それこそ女には困ってないだろう。
そんなことを考えていると、いつの間にか区民センターが見えた。
隣接している公園にある照明が、チラッとこちらを振り向いた雄臣の顔を照らした。
「それに、ミチの前では気を使わなくて済む」
楽なんだよ、素のままを出せるからな。
彼の青白い顔は、ゆっくりと能面の「小面」のように微笑んだ。
「…………」
修羅がいる。
形の良い口元は弧を描いているのに、目は笑っていないかった。
そのキレイなお顔にはいつもの「神」は宿っておらず、むしろ「鬼神」がいた。眩しい照明が当たっている濃いグレーの瞳から出る眼力は、鋭利な刃物のように研ぎ澄まされており、獲物を易々と捉え決して逃さないことを物語っていた。
狼に追い詰められたウサギのように、ガタガタ震えだ出した私の身体。その反応が可笑しかったのか、それともお気に召したのか。雄臣は薄笑いのままだった。
「そう言えば、ミチとこうして2人っきりで話すのって、母さんの葬式以来か」
震えているウサギの喉笛を捕えている狼は、息の根を止めるようにその顎に力を入れて一気に噛み砕いた。
今まで一緒に話す場面は幾度もあったけど、その時は周りに人がいたし、お互い痛い過去には触れないよう避けていた。特に私は細心の注意を払っていたし、極力2人きりにならないようにしていたから。
『……もう俺達に二度と近づくな!』
そう言った時の雄臣の姿が思い出され、私は怖くなって彼から目を逸らした。
「まぁ、俺がミチにあんな酷い事言ったから……当然といえば当然か。あんときはガキだったからな。それでもあの後、結構反省したんだぜ? きっと傷つけただろうなって」
雄臣は自分の自転車を片手で支え、もう片方の手を伸ばして私の自転車のハンドルを……私の手の上から握った。その手の感触はあの日の気温のように冷たい。
「ミチの、そのどもる癖、以前は無かっただろ?」
彼の静かな言葉にビクッと震え、唇を噛みしめる。
「悟小父さんがうちの父さんに言ってたよ。母さんのお葬式辺りからだって。よっぽど強いストレスがあったんだろうって言うから……俺のせいなのかなって。けど、近寄るなってあれだけ強く言った手前、謝りにも行けなくてさ。……ずっと苦しかった」
私の手を握っている雄臣の手に力がこもり、熱を帯びてくる。
「……それが、父さんの転勤が決まって、安西叔母さんのところに父さんと挨拶に言った時にさ、叔母さん満面な笑顔で言うんだぜ? ミチが、最近頑張ってるって。中学校楽しいみたいって」
私は反射的に手を引っ込めようと思ったが、私の手を握る彼の手の力が強すぎて動かなかった。
「もしかしてミチにとって、俺たちのことが、俺の傷つけた言葉が、過去になって、忘れてしまったのかもって思ったら……嬉しかったんだ」
雄臣は手が食い込むほど強く握りしめた。私は痛さに顔を歪めギュッと歯を食いしばり、この拷問に耐えた。
――2年前の多恵子小母さんのお葬式の日。冷たい雨が降る早春の日。
あれだけダメージを受けたにも関わらず、目の前の鬼神に再会するまですっかり忘れていた自分が恐ろしい。顔を合わせない日々が続き、新しい中学生活に慣れようと悪戦苦闘していると、不思議と辛い思い出は風化されてしまっていた。
「……もう一度やり直せるって。昔みたいに戻れる……いや、違う未来を作れるんじゃないかって。だから俺は、ここに来た」
この時私は、自分の行動の甘さと迂闊さに死ぬほど後悔した。
何故雄臣を取り巻く世界に接触してしまったのか、と。
何故あの時の出来事を一時でも忘れてしまったのか、と。
「それに、ミチを立ち直らせた、そんな中学生活を覗いてみたかったんだ」
薄ら微笑む、雄臣と言う皮を被った「鬼神」。
(この男……絶対何かヤる気だ……)
目の前の「鬼神」は、昔から二重人格だった。それも気に入らない相手には容赦なく徹底的に打ちのめすのだ。
「……そんな顔するなよ。大事な妹には何もしやしない。これでも成長したつもりだし、あの時の償いもしたいと思っている。ただ兄貴として、幼馴染として、元許嫁として……ミチを見守って行きたいだけだ。俺たちにはミチをこんな風にしてしまった責任があるから。だから――」
だから、俺をミチの世界から追い出すな。
徐々に見開く私の瞳に映る雄臣の顔は、残酷なまでに神々しく、鬼気としていた。
私の中で、困惑と焦燥と恐怖と憤りと……グチャグチャに感情が混ざり合う。
償いとか責任とか都合のいいことは言っているが、おそらく目の前の鬼神はあの過去を一瞬でも忘れた私のことを許していないだろう。その証拠に「謝罪」の言葉は一言もなく、私の手を握る力は増すばかりで労わりの欠片もない。
この時私たちは、お互い十二分見つめ合い、そして、睨み合っていた。下手したら殺気を伴うほど緊迫した状況であっただろう。
だから。
ここが危険地帯だということがすっかり頭から抜け、他の人が見たら完全に誤解を生むような状況であろうなどということに気付けずにいた。
ましてや――。
今いるこの場所が、明るい照明のお陰で公園のバスケットコートから丸見えなどと、そこに人影があったなどと、気付くなんて無理だ。
ヒューっ!
高い口笛の音が張り詰めた空気を引き裂いた。
「よぅー東ぁ! 噂の幼馴染と夜のデートかよっ」
二人とも弾かれたように声の方を向けば、目に飛び込んでくるのはバスケットコート。そこには、数人の男女がこちらを見ていた。
私は突然降りかかった最悪の事態に、驚愕のあまり身動きとれずに突っ立ったままだった。だから、背を向けている雄臣の様子に気付かなかった。
彼の端正な顔立ちが一瞬険しくなり、すぐに挑むような、残忍な微笑を浮かべたのを――。