学校行事的宿泊前夜ノ怪~帰宅道中警報発令編~
この章は多分に過激な発言が出てきます。PG12指定とさせていただきます。読む際にはお気をつけ下さい。
「……お、お邪魔しました」
長居をし過ぎだ。
コーヒーを飲むだけの筈が、先生と雄臣の修学旅行話に付き合わされた。熱いカフェオレを無理矢理早く飲んだと言うのに……火傷したかいもなく、気付いた時にはすでに夜の7時を過ぎていたのだ。しかも明日から2年の遠足。途中で不機嫌そうなアラタの「もう長話やめたら、母さん」という一言がなければ、8時過ぎになっていただろう。私はホッと息をつき、そそくさと挨拶をして安西家を退散しようとした。
「すっかり話しこんじゃったわぁ。明日から遠足なのにゴメンネぇ、美千子ちゃん。そうそう……」
安西先生が耳元に口を寄せてそっと囁く。
『真美子ちゃんに風邪お大事にって言ってね? それと……申し訳ないけど、ちゃんと予習をしてくるように言ってくれる?』
安西先生の申し訳なさそうな言葉に私は恥ずかしくなり、カァと赤くなりながら、「……す、すみません」と頭を下げた。
妹の真美子は英語がどうも苦手のようで……せっかく一緒に安西先生のところで英語を習い始めたというのに、予習をおろそかにしていた。彼女の場合英語を習うというより、他の目的で安西家にきているようなものなのだが、さすがにそれを大っぴらにするつもりはないらしい。まったく困った妹である。
「ミチ姉、これ、持って行って」
靴を穿き、挨拶をして玄関を出て行こうとしたら、アラタが紙袋を渡してくれた。中を覗くとオレンジやレモンが入っている。その意図にピンときてアラタの顔を見ると、心なしか顔がほんのり赤い。
「あ、ありがとう……。必ず真美子に渡すから」
アラタの心遣いに感動し、引き攣り笑いではなく自然に出た笑顔で真美子の代わり素直にお礼を言うと、「べ、別に、マミだけじゃねぇし! ミ、ミチ姉も食べなよ」と照れ臭そうに益々顔を赤くした。その様子を見て、私は真美子がとても羨ましくなった。こんなに心配してくれる男性がいたら、私だったらきっとホロリと絆されてコロリと傾いてしまうに違いない。それなのに、真美子は何故雄臣なのか。真実を「知らない」というのはなんと気楽で、残酷なことなんだろう。
そんなことを思っていたら、今まで部屋着だった筈が、「どう見たってわざわざ着替えましたよね?」という雄臣が時計をつけながら玄関まできた。嫌な予感ゲージが徐々に上昇していく。
「ミチ、遅いから送っていくよ」
結構です!
……とは噛みつかず、「だ、大丈夫、自転車だし!」と慌てて否定した。
冗談ではない。ただでさえ外で一緒に歩くのは避けているのに。しかも2人っきりだなんて……誰か知り合いに目撃されたらエライことである。それにこれ以上学校に居づらくなるのは正直キツかった。まだ痴漢に襲われる方がマシ……な気がしないでもない。
「そうね、雄ちゃん、送って行ってあげてくれる? 大分遅いし、人気がないところもあるしねぇ」
(せせせ先生! 余計な心配は無用です!)
「オレも行こうか? 帰り雄兄さん一人になるだろ?」
(アラタ、エライ! ナイスアシスト! むしろ君が来てくれっ)
「大丈夫だよ、オレも自転車で行くから平気」
(なら私も一人で平気だろっ?!)
私の必死の叫び(心の中)も空しく、雄臣はさっと靴を履き、苦い顔のアラタと満面な笑みで手を振る安西先生に「行ってきます」と残して、私の腕を引っ張りながら玄関を出てしまった。
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「…………」
「…………」
閑静な住宅街を自転車を引きながら歩くのは、中学生男女2人。
その2人に静かに月の光が注いでいる……が、決してロマンチックな雰囲気は醸し出していない。
男の方は家を出た途端、それまで顔に張り付いていた愛想笑いという仮面を取り外し、言葉はおろかまるで息もしてないような能面顔だった。その無表情さが夜の静寂な空気に浮かび、すれ違う人がいたら恐ろしさで道を開けるだろう。
一方、女の方も口を噤んだままだった。こちらは息をしてないというより、この雰囲気に押されて息ができないと言っていい。男の纏う闇に飲み込まれぬよう、必死に距離を取りながら隣を歩いている。
(……はやく、はやく家に着いてくれ!)
必死に願いはするが、雄臣の歩みはゆっくりだった。
門を出て自転車を走らせるかと思いきや、彼は有無を言わさず自転車を引いて歩くという行動に出たのだ。マッハ並みの超高速回転で鬼こぎをしながら即効帰ろうかと思ったのに……お陰で私も歩かざる負えなくなった。普段は何の変哲もない道のりが、三途の川を渡るような恐怖を感じるのは、私の気のせいだろうか。そう考えながら進んでいると、雄臣は私が通るいつもの道のりから一本逸れた道を進んだ。
(あ、あれ?)
おろおろしている間に、雄臣は先に進んでしまう。私がどうしようか迷っていると、やっと雄臣は振り向いた。
「……なにしてんだよ、早く来いよ」
「や、だ、だって、そっち、遠回り……」
「こっちの方が明るくて道が広いだろ? ……もしかしてミチはいつもそっちの暗い道の方、通っているのか?」
私は頷いた。その方が山野中付近まで続く大通りへの道に近かったからだ。多少木々がうっそうと生い茂っているお寺と墓場の近くを通るが、普段は数秒で通り過ぎるから問題ない。そうすると雄臣は眉根を寄せながら息を吐いた。
「危ないだろ。次から遠回りでも安全なこっちの明るい方を通れよ。いいから行くぞ」
雄臣はそう言って再び歩き出した。
(……なによ、いつもは時間が早いし明るいもん。それに自転車に乗ってさっさと通ればいいじゃん。それに……そっちは行きたくないんだよ……)
雄臣の背中に向かって心の中で文句を吐いたが、雄臣は振り返ることなく歩き続ける。
(もう! あぁ……どうか、どうかだれにも見られませんように! 特にアイツらはいませんように!)
私はハァとため息をついた後ゴクリと唾を呑み、天に祈りながら後ろに続いた。