その男、チビ猿こと「尾島」!~後編~
「尾島啓介。大野小出身。あまりにも運動神経がいいので、どこの部活に入ろうか迷ってます、よろしく!」
これは一番初めのホームルームの時の自己紹介で、尾島が言った台詞……らしい。
らしいというのは、もうすぐ自分の自己紹介が迫っている私は緊張のあまり人の挨拶を頭に入れてるほど余裕がなかったからだ。男子の1番である「石田」から自己紹介が始まり、次に隣の席の「江崎」、3番目に元気よく挨拶した男の子が「尾島」だった。
次々と自己紹介が終わっていく。
廊下側の列が終わり、2番目の女子の列がきた。女子のトップの「相沢」さんが挨拶している時点で緊張がピーク、手が震えてくる。
前の相沢さんが座り、話声とおざなりの拍手が終わった後そっと席を立った。
……つもりだったのに。
立った瞬間、無情にも「ブブブブ~」というイスの足と床が擦れる音がシーンとした教室に響き渡る。後ろから「ププ」という小さい笑い声が聞こえた気がしてモアっとした嫌な気持ちになったが、振り向くのもなんだし、何より余裕がなかったのでそのまま挨拶の態勢に入った。
「あ……荒井、美千子で、す。山野小学校からきましたよろしくおねがいします」
どもって歯切れが悪いかと思いきや、息継ぎもせずそのまま言葉を続けて頭を下げた。
パチパチパチと疎らな拍手を聞いた途端、真っ赤になっているであろう顔を俯かせさっさと座った。
(あぁ、もっとゆっくりちゃんとした挨拶したかったな)
後悔と反省を頭の中で一杯にしていると、後ろから小さい声が聞こえた。
チュウだな。
(は?)
訳が分からず後ろを振りかえり、挨拶しようと立っている和子ちゃんと隣のニヤニヤ笑っている男子をチラリと見る。
(そういえば……)
隣の江崎君の挨拶の時にもボソリとなにか聞こえたような気がする。
(確か「グリコ」って声が聞こえたような……?)
よく見ると後ろの男の子は色が白くて可愛らしい顔をしていた。整った眉毛がキレイに上がっているのと反対にくっきりした二重の目尻がやや下がっており、右目の横には小さい黒子。
身体全体は小さそうなのに、滲み出る存在感というか覇気というか、ようするにオーラが強い。
(……この子、小学校の時モテただろうな)
そんな第一印象を持ちながらボーっと見てたらバチっと目が合い、瞬間可愛らしい顔からとんでもない台詞を小声で浴びせられた。
何、見てんだよ、バカ。
チュウは前見てろ。
弾かれたように前を向いた。
心臓がバクバク言って、自己紹介前の時よりも手が震えた。いきなり、「バカ」。そのような言葉を面と向かってハッキリ言われたのは初めてだった。昔から陰でコソコソ言われていることは分かっていた。情けないがほぼ事実だったし仕方がないと思って見て見ぬ振り、聞いて聞かぬ振りしていたが……正面から「バカ」。
ショックと悲しさのあまり喉の辺りがキュウっと締め付けられ息苦しくなった。
そのうち怒りが込み上げ、握った拳がぶるぶると震えてくるが落ち着かせるようにお腹に押し付けガマンする。
(……なによ、大体見たくて見た訳じゃない。「チュウ」なんて呟くし、自己紹介する和子ちゃんの方を見るつもりで後ろを振り返ったらたまたま目があったんだ。アンタを見た訳じゃないよ、この自己中傲慢バカ!)
心の中で後ろの男を悪態つき、心を落ち着かせようとした。
同時に嫌なヤツとクラスが一緒になったもんだと溜息が出た。暫くは席が後ろだし、和子ちゃんと話すために後ろを振り返るたびに顔を合わせなきゃならない。輝かしいスタートを切ったと思ったら、いきなり大きな落とし穴が出現……まったくイヤになる。
こういうヤツは経験上無視に限る。変に対抗すると余計に調子に乗って向かってくるのだ。無視は慣れている。
(サラッと流せ、美千子!)
小学生みたいなガキに構っているほど暇ではない。大人の女は余裕を持って構えないといけないのだ。
そう思いながらも、「絶対コイツより勝てるものを1つ以上見つけてやるぅ!」と誓った。
「……です、よろしくお願いします!」
後ろの和子ちゃんが元気よく挨拶し座ろうとすると、またもや小さい呟きが聞こえた。
ドテチン。
今度こそハッキリ耳に入った。後ろの男がまた何か呟いてるのだ。もう絶対振り返るまいと決めていたので黙って固まっていたら、明らかに怒りを含んだ小さい声が真後ろから聞こえた。
「あんた、さっきから何言ってんの? 耳障りだっつーの」
なんと和子ちゃんは隣の席の男にキッパリ言い放ったのである。隣の男もカチンときたのかすぐに言い返した。
「うるせぇな、ドテチンは黙ってろよ。自己紹介が聞こえないだろ?」
(うるさいのはアンタだよ)
心の中でビシっと罵倒すると和子ちゃんがそっくりそのまま代弁した。
「は? うるさいのはアンタでしょ? それにドテチン? 何それ?」
「お前の事だよ。見たことないのか? 『はじめ人間ギャートルズ』。それに出てくるゴリラの名前だよ。お前そっくり」
「何言ってんの? うるさいんですけど? うっとぉしいんですけど?」
「色も黒いしさ、デカイしさ、まさにドテチンだよな」
「……あんたさぁ。自分の姿を見てからいいなさいよ。なまっちろい下っ端のチビ猿みたいなくせしてさ。動物園でボス猿の毛づくろいでもしてろっつーの!」
クスクスクス……クククク……
小声ながらもヒートアップしてくる戦いに回りの席の子が笑いを漏らした。この会話で後ろの男がブツブツ言っていたのは、どうやら「あだ名」を付けていたらしいことが判明した。
江崎だから「グリコ」。
荒井だから「チュウ」。
体型や見た目で「ドテチン」。
しかも本人と実際の映像とがまったくかけ離れている。隣の江崎君など震えながら下を向いて笑いを堪えているが……。
(アンタ笑ってますけど、「グリコ」って言われてますから)
とてもじゃないが一緒になって笑う気になれなかった。
それよりも「いいぞ、もっと言ってやれ!」と無条件で和子ちゃんを応援した。ここまでハッキリ言えてしかも負けてないということは、一種の才能だと思いながら。和子ちゃんのおかげですっかり心は晴れ、低レベルなオツムの男に無駄な感情を使ったことがバカらしくなった。
「そこ静かに! 他の子の自己紹介に集中しろよ~」
ここで1年8組の担任である梨本先生の注意で後ろの戦いは呆気なく幕を閉じた。
それでも。その後も尾島の小声は止まなかったが。
***
それからというものの、この「尾島」という男のおかげで何人かのあだ名が勝手に決まってしまった。さすがに和子ちゃんのあだ名を面と向かっていう人は尾島だけだが、男子全員陰で言っているのは知っている。私や江崎君などは、当人達が大人しくて何も言わない(言えない)からか、それとも親しみを込めてなのか、「チュウさん」「グリコ」と平気で呼ばれる。
しばらく江崎君は尾島から、「やっぱランニングにグリコって書いてあるのか?」とか「バンザイして走ってみろよ!」とか言われてるし、私は英語の時間の前後に「おい、チュウ、『ディス イズゥ ア ペ~ン』って言えって!」と私のイスを後ろから蹴り上げながらしつこく言われた。
まったく、腹立たしいったらない。
(ちなみ平成生まれの子には馴染みが薄いだろうが、この「This is a pen!」や「何だ、ばかやろう!」「何、見てんだよ!」はドリフターズのメンバーであった故・荒井注の有名なギャグである)
幸子女史などは和子ちゃんの席に遊びに来た時うっかり尾島の席に座ったために、いきなり初対面で「勝手に座んな、ヒラメ!」と言われた。言葉が出ない幸子女史にご丁寧にも「目が離れていて身体が細いから」という理由を付け加えることも忘れなかった。もちろんその直後、幸子女史と和子ちゃんから怒涛の反撃を受け、殴られたのは言うまでもない。
彼のあだ名をつける勢いは生徒だけでは満足しなかったようで、担任の梨本先生を「リポーター」、社会の地理担当の青島先生を「チンタオ」と命名したのも彼であった。
ここで、読み手の皆様によっては文中に不快な気分にさせた表現がありましたことをお詫び申し上げます。
本人の了承もなく、人の名前や体格、性格を面白おかしく言ったり、嘲笑したり、噂するのは、相手に精神的・肉体的にダメージを与えることがあります。
このような行為は人としてあるまじき行為であり、人の道を大きく外していると私は考えます。
これを見てる皆さまは常識ある人間ばかりで、このようなことがないことを強く確信しております。
作中の登場人物や内容はフィクションであり、架空の物語であることをご了承くださいませ。
良い子は真似をしないようにしましょうね!
また、私は幼少の頃ドリフが大好きで志村ケンは神でした!同様に荒井注がいたドリフも大好きだったんです。
彼が言った「This is a pen!」は日本人に最も馴染んだ英語のセンテンスと言っても過言ではないでしょう。
土曜の8時は一週間のうち最も極楽の時間だったのを覚えてます。
荒井注様のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。