学校行事的宿泊前夜ノ怪~英語塾処安西家編~
この章は多分に過激な発言が出てきます。PG12指定とさせていただきます。読む際にはお気をつけ下さい。
「今日はここまでにしましょう」
安西先生の言葉でホッと一息をつき、テキストから顔を上げた。
「学校の方の教科書はかなり進んだわね。美千子ちゃん、予習してきてくれるから飲み込みが早くて助かるわぁ」
先生からお褒めの言葉をもらい、私は少し頬を染めて「い、いえ、そんな」と返した。
中学生から通い始めた、安西先生主催の英語塾。
月日というものは本当に早いもので、週一回の割合で先生のお宅で個人レッスンを受けるようになってから1年2ヵ月が過ぎた。
『海外へ出て金髪碧眼と結婚する! そしてハーフの子を産む!』
これは小さいころから秘めていた私の野望だ。
しかし日本にいるだけでは外国人の方々と出会えるチャンスは少ないし、ましてやリバー様クラスの上物は難しい。外資系大企業に勤めている東小父さんクラスの人と出逢うにも、それなりの英語力が無ければ無理だ。
――そう、なにはともあれ、英語力を付けなければ話にならないのだ。
野望を成就するために英語の成績をアップしようと決心した、小学校を卒業したばかりの私は、中学の授業まで待てないと思い、母に頼んで暫く交流が滞っていた安西先生にアポを取ってもらった。雄臣のお母さんである多恵子さんのお葬式以来、東一家と関係することは避けていたのだが、知識が無けりゃ何処から手をつけていいかわからなかった私には、背に腹は替えられなかったのだ。
(安西小母さんに勉強の事聞くだけだし、これぐらいはいい、よね?)
電話でよかったのに、わざわざ家に招待してくれた安西先生。
久し振りに先生の御宅にお邪魔した私は、懐かしさの為に鼻の奥がツーンとしてしまった。見慣れた筈のマンションがやけに小さく、そして狭く見えた。それは私が少し大きくなったせいだろう。
1年以上御無沙汰していた私を安西先生は快く迎え入れてくれ、色々と相談に乗ってくれた。
オススメの英語の参考書や辞書、勉強方法などを事細かに説明してくれただけでなく、英語を勉強していくうえで最終的にどういう目標を持っていくのか……などを話し合ってくれた。
もちろん、邪な野望はそのままバカ正直には言わず、『留学を考えていて、将来は安西先生のように通訳などの職に就きたい』という言葉で伏せたが。
それを聞いた安西先生は嬉しそうな顔でウンウンと頷いてくれた。多少後ろめたさが残ったものの、留学や通訳は最終目標に到達するための過程の中に入っていたので、間違ってはいないだろう。
『それなら美千子ちゃん、一生懸命勉強しなきゃね!』
『ハ、ハイ!』
『そうねぇ、もしよければ週一回くらい私のところに来ない? 正直中学生には教えたことは無いから何とも言えないけど、勉強会って形でどうかしら? 中学英語は基礎の基礎だから、一緒に勉強できればお互いためになるし楽しいと思うの。もちろん学校の勉強だけでも、他の学習塾でも構わないけど……どお? お試しって感じで、ね? もっと英語を身近にするような勉強を一緒にやりましょうよ!』
当初は安西先生も私もそんなつもりは全くなかったのに、いつのまにかトントン拍子で話が進み、帰るころにはほぼ決定事項となっていた。私も本音は参加する気満々だったが、ある男の顔が浮かぶと、積極的な意見が言えなかった。とりあえず両親に相談してからということになり、その場はお開きになったのだが、思いのほか両親が賛成してくれたので、結局安西先生のところへ通うことになった。
もちろん結果は先生のおかげで英語の成績は絶好調。勉強内容は結構ハードだったが、全然苦にならず、むしろ週一回の英語塾が楽しみで仕方なかったほどだ。それに安西先生の勉強以外の外国の話は非常に興味をそそられたし、私の大好きな映画のことで大いに盛り上がったりと、毎回楽しい時間を過ごせた。おまけに安西先生が開いている、主婦向けの勉強会にも飛び入り参加させてもらったりと、貴重な体験もできた。なにより外国の雰囲気が詰まった安西先生の一室にいるだけで、学校での鬱積が解消されたのも嬉しいことだった。
それなのに……。
せっかく安西一家が私達の街にやってきて、自転車で通えるありがたい距離になったというのに。
非常にやっかいな問題が付いてくるとは……この事態、想定外と言わずしてなんであろう。
***
「来週からは教科書は読み上げだけにして、英検対策の追い込みをしましょう。一応テストするから、さっき言った場所の構文と単語、暗記してもらっていい?」
私はハイと力強く頷いた。
(いよいよ今月は英検……なんとか筆記試験だけでも突破しなきゃ!)
ご覧のとおり、並々ならぬ情熱で英語に力を注いでいた私は、外部の試験にも力を入れ始めた。理由は簡単、淡い恋やささやかな青春を満喫するということをすっかり諦めたからだ。
クラスで……というより学校で浮きまくっている私に、相変わらず尾島率いる男子の態度は冷たかった。その中には田宮君や佐藤君の名前も入っている。そもそも彼らは冷たいと言うより、私の存在すら眼中にも入ってない様子だ。ていうか、もともと話す接点すらないのだが。
オマケに天敵の成田耀子と原口美恵、この2人大いに気が合うらしく、タッグを組んで尾島を中心としているグループにベッタリで、私を視界に入れさせないものだから余計に、だ。これではいくら田宮君に恋心を募らせたところで、成就する可能性はゼロ……というより、嫌がられる可能性の方が大きい。好きな人に嫌われるのはさすがにキツイので、このまま静かに恋を終わらせようと決めた。
そんな私を慰めたのは、長年温め続けてきた「あの野望」だった。
中学1年の時はなんだかんだありながらも楽しく過ごせたので、野望が若干薄れてしまっていたのだが……ここにきて再確認、俄然やる気が漲ってきた。
ある意味ふっきれた私は、先生に積極的にアプローチを開始し、わからないことはすぐに先生に聞いた。本当は身近な友達に聞きたいのだが、幸子女史は遠いし、クラス一の秀才はあの「ブキミちゃん」こと「伏見かおり」。自分のことは棚にあげて、さすがに私も近寄り難い。だからといってこれ以上塾に通う余裕は我が家にはない。……約一名、勉強という点で非常に頼りになる男がいるが、ヤツだけは大金積まれても遠慮したい。そうしたら、残る望みは先生しかないのである。とりあえず目標は普段の成績を上げることと、「ア・テスト」対策だ。
お陰で中間テストの結果は十分納得いくものだった。英語はなんと満点で、その他の教科もぐんぐんと結果が伸びていた。下手したら「ブキミちゃん」に追いつく勢いである。勉強という点も、浮いているという点も。
ただ彼女と私が決定的に違う点は、彼女は見かけの不気味さから考えられないほど、ハッキリと物事を言うところだった。それが教師をも怯ませる理にかなった正論で、問答無用で痛いところを突いてくるという厄介なモノなのだ。
正真正銘正論正当を振りかざす、学級委員且つ生徒会役員を務めている「ブキミちゃん」。
そんな彼女のバックに控えるのは、正真正銘権力がある家柄とステイタス。地元の大地主で伏見病院の娘である彼女は、市会議員の祖父を持ち、親戚一同揃いもそろって医者の家系だった。しかも市の医師会の会長を筆頭に、大小問わず地元の大きい企業や名のある団体の理事には必ず「伏見」の名前ありという、伏見一族の本家の一人娘。この辺の大きい家は、十中八九「伏見」という表札が掲げてあり、この伏見家より大きい家を建ててはいけない、という暗黙の了解が漂ってるくらいだ。……それに、よくない噂もチラホラある。「893」のような風貌な方が伏見家に出入りしているというブラックな噂だ。
これでは、さすがの天敵女子2人も1組男子も叶わない。それは尾島とて例外ではなかった。
(……そうよ、留学するためには英語だけじゃダメよね。まずはいい高校へ行って、いい大学に入らないと!)
私の野望に応えてくれた中間テストの結果は、少しだけ寂しい心を救ってくれた。
全ての鬱積は拭えなかったけれども、教室では奥住さんや光岡さんがいるし、放課後になれば和子ちゃんや貴子がいたから、それで十分だった。
それに、唯一態度が変わらない男子がいた。星野君だ。
彼は私に話しかける時、よそよそしい態度はおろか、周囲に流されず淡々として普通だった。それは私に限ってではなく、「ブキミちゃん」を含めたクラス全員に対してそうだったのだが。それでも、私にとっては十分すぎるほど嬉しいことだった。
***
「ちょっと大変になるけど頑張りましょうね? 気合入れてやっちゃいましょう!」
安西先生の言葉に現実に引き戻され、私はハッと先生の顔を見た。先生はニッコリとした笑顔で頷きながらテキストを片づけ始めている。私も慌てて広げていた教科書やノートを閉じて勉強道具をカバンにしまい込んだ。
トントン。
部屋のドアが叩かれたので、先生が「ハーイ、今終わったわよ」と答えるとガチャリとドアが開いた。開いたドアから新しい空気が流れてくると共に、一人の男の子が顔を出した。無駄に甘い笑みを浮かべている。
「先生、コーヒー入れたけどどう? よかったらミチもどうだい? それに修学旅行の土産、渡したいんだ」
いえ、帰らせてもらいます。
そう言う前に、「そうね、美千子ちゃんの分もお願い。カフェオレにしてあげて? すぐ下に行くから」と安西先生が頼んでしまった。雄臣は「OK!」という言葉と極上スマイルを残して階下へ降りて行った。