幼馴染というより、ただの知り合い~後編~
『……おいおい、泣くんじゃねぇよ。別にとって食いやしねぇっつうの』
桂龍太郎はショックのあまり地面にへたり込んだ私に合わせるように、目の前でヤンキー座りをした。睨みながらも少し困った顔をしている。意外なことにその顔は涙目で謝罪する「蝶子さん」に少し似ているような気がした。親戚なのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、なんかこう……複雑だ。でもそのおかげで少し余裕を取り戻し、あらためて自分が泣いていることに気が付いた。ハッと我に返り、慌ててポケットからハンカチを出して涙をぬぐう。
(とととととりあえず、睡眠の邪魔をしたことを詫びる……べきだよね?)
そうだ、今後憂いを残さない為にも、今なすべき最も重要なことは「謝罪」だ。貴子の事を思うと口惜しいが、正直今はそんなことを言ってられない。
(貴子、ゴメンね……私はまだ生きていたいの!)
『あ、ああああの……』
『あぁ?!』
『ヒッ! (こわっ!)ヒッ、ヒック……そそそその、ですね』
『あんだよっ?!』
『スススミマセンっ! かかかか快適な睡眠を邪魔して申し訳ありませんでしたぁっ!』
『…………』
ガバッと上半身を伏せ完全土下座の謝罪に、桂龍太郎はしばらく黙っていたが、そのうち大きな溜息をついた。そっと顔を上げると、彼はヤンキー座りのままで、3年の女子が退散した方を見ながら金髪頭の後頭部をボリボリ掻いている。
『オマエさ』
『ハ、ハイ!』
『見てると無性にムカつくんだよな』
『えっ?!』
『イライラするってゆーか』
『そそそそんな!』
『……こんな鈍くさい奴のどっこがいーのか……ぜんっぜん、わっかんねぇんだよなぁ』
『へ?』
『な~んか、歯がゆいしよぉ』
『ヒっ! ……まままさか、ワタクシのせいで、頭が痒い、とか……』
『はぁっ? ……ちげーよっ! 頭掻いてるのはそういう意味じゃねぇ!』
『ヒィィッ! ス、スンマセン!』
『いちいちビクビクすんな! ……ったく、これだから呼び出し食らうんだっつーの。大体さ、ボイン。ここに呼びだされるの、これで3回目だろ? いい加減に学習しろやっ! 毎回毎回人が寝てるときにギャーギャー騒ぎやがって!』
本当は5回です、オヤビン!
……とは言えない。しかも何気に「オマエ」から「ボイン」になってるぞと訂正したいところだが、とりあえず事態をややこしくしない方が好ましいので、ここはグッと堪えた。桂龍太郎は膝に手をついて「よっこらせ」と立ち上がり、その時無情にも予鈴が体育館裏に響き渡った。
(ゲゲっ、マズい! 本鈴まで時間が……)
ここはダッシュで逃げ切るべきか。それとももう一度涙でも鼻水でも流してボンタンに縋りつくように謝り、さっさと解放してもらうべきか。
プライドもなにもあったもんじゃないが、この際贅沢は言ってられない。前者は難しそうだし後々呼び出されてもシャレにならないので、後者でいこう! と決意して彼を見上げたら、以外にも桂龍太郎は私の腕を取ってグイっと引き上げた。
『えっ?!』
『きったねーな。泥、ついてるぞ』
『ハハハイ! ももも申し訳ありません!』
いったい誰のせいやっ!
……ではなく。非常に心温まる忠告に慌てて姿勢を正し、スカートの泥を手早く払った。意外な心遣いにほんの少しだけ感動したにも関わらず、心の中では「遠いお空へ飛んでいけ」と恩知らずな言葉を吐く、荒井美千子。しかも裏番は飛んでいくどころか、腕を組んだままこちらをジッと睨んだまま動かない。
(き、気まずい……)
微動だにしない2人の間に不自然な沈黙が流れる。おかげで私の中の恐怖計測器の針がマックスをふり切ってしまい、測定不可能な状態だ。チビりそうなのを我慢していると、裏番はメンチを切ったまま……いやいや、双眸を細めながら口を開いた。
『ボインさ、実際あの3年と、どうなのよ?』
『え?』
『噂の東雄臣って奴だよ』
『…………』
余計なお世話だと思った。
あれだけ「親同士が知り合いなだけ」と言い触らしているのに……なぜみんな同じことを何度も何度も聞くのだろう。大体そんなこと知ってどうするというのだ。それともいちいち、「東雄臣とはなんでもありません、単なる知り合いです、しかも因縁があるのでこの先付き合うことは絶対ありません」と説明して回らなければならないのだろうか。
うんざりとした気分で口を噤んでいると、桂龍太郎はハッと鼻で笑い、「ま、オレにゃぁ、どうでもいいこった」と吐き捨てた。
『気があるなら別にいいけどよぉ、ないならビシっと態度で示せよ。じゃねぇと男はつけあがるぜ』
『気がある…………って、ととととんでもない!』
『それにしちゃぁ、始業式の日、アイツと2人で仲良く登校してたんだって?』
『仲良くっ?!』
『しかも教室までお迎えにきたらしいじゃねぇか』
『お迎えっ?!』
『イチャイチャしながら校内をグルグルしてただろー』
『い、イチャイチャぁっ?!』
『幼馴染にしちゃぁ、随分ベタベタと慣れ慣れしかったよな~』
『ごッごッ誤解であります! た、ただの知り合いですっ』
『ほ~、「嫁に来い」とまで言われた、知り合いねぇ』
『ほぁぁっ?! ななななんでっ?!』
『言ってたそうだぜ。東先輩、ご本人様が』
『ヒョエーっっ!』
私はビックリして飛び上がった。
確かに、始業式の日は2人で登校した。でもそれは初日だから一緒に行こうと誘われたからで、深い意味はない。しかも我が家から学校までは至近距離なので、一緒にいた時間はせいぜい数分だ。そもそもこんなに近いのに、一緒に行く必要性があったのかどうか疑問だ。こんなにややこしくなるとわかっていれば、絶対ドタキャンを決行していた。それに始業式の後、雄臣がわざわざ私の教室に来たのも、こっちは予想外の出来事だったのだ。
呑気に2年1組の教室を覗きながら「ミチ!」と私に声をかける、お色気垂れ流しの雄臣。
これ以上ないぐらい焦りながら彼を廊下へ引っ張り出し、「ななななんで来るの?!」と怒りを押し隠して問いただせば、教室の位置に慣れる為だとふざけた答えが返ってくる始末。決っしてお迎えなどではない。
『ついでに学校案内してくれないか? 学校の様子もざっときかせてくれると助かるんだけどな』
絶対効果をわかってやってるだろ……という完璧なスマイルで返ってきた時にゃぁ、気絶しそうになった。そんなことクラスメートに聞けよと言う前に、そのまま引きずられるように一緒に校内を軽く見て回った学校案内。それも決して2人だけじゃない。雄臣のフェロモンに引きつけられるように友人達も続いてきて、気がつけば大所帯だった。どうみてもあれはイチャイチャベタベタなどとは無縁だ。少なくとも私だけは。
『……その様子だと、嫁はガセじゃねぇのか』
『やややっ、ガ、ガセです! 思いっきりガセです! あああありえません! 雄臣とは幼馴染というより単なる知り合いだし?! 嫁なんて遠いはるか昔親が勝手に言ってたことでとっっっくに無効だし?! そそそそれに大体私には、雄臣より好きなっ! ……って、じゃじゃじゃじゃなくって、いまどき許嫁なんて時代錯誤っすよねぇ~ナハ、ナハ、ナハハハハ~!』
タ●チャンマン風に誤魔化してみた。
あぶないあぶない。一体私は裏番相手に何を熱く言い訳しようとしたのか。「好きな」と叫けびながら咄嗟に頭に思い浮かんだ顔がありえない人物だったので、途端に顔が熱くなり焦った。いや、裏番の顔を見て怒鳴っていたから、思わず目の前の男のダチの顔などを思い浮かべてしまったのだ。
不細工な愛想笑いをしながら目を泳がせていると、「雄臣より、ねぇ」と桂龍太郎は、あきれ半分からかい半分のような苦笑いをしながら肩を竦めた。
『なんでもないなら、そうハッキリ言えっつーの。だからややっこしいことになるんだよ』
『…………』
私はガックリと項垂れてしまった。
(だから、言ってるんだってば……)
実際毎回毎回何でもないと言ってるのに、全然話を聞いてないのは3年女子の方で、私には非はないと思う。大体幼馴染と言えば全てが友好な関係とは限らないのに、何を誤解してるのか。私と雄臣の組み合わせではどう見ても釣り合わないことは火を見るよりあきらかではないか。私はすっかり気が抜けてしまい、目の前の男が全然無関係の裏番・桂龍太郎ということも忘れてしまって、恨めしそうに見上げてしまった。
『……あんだぁ、その顔はっ! 言いたいことがあんなら、ハッキリ言えやっ!』
『ヒッ! めめめ滅相もない! 雄……いや、あ、東先輩とは本当になんでもなくてですね』
『そんなこたぁ俺に言ってもしょうがねぇべやっ?!』
『そ、そうっスよね』
確かにそうである。こんなこと裏番に言ったところでなんの解決にもなりゃしない。
(……それにしても、雄臣め~!)
私の知らないところで彼は何を言いふらしているのか。怒りが沸々と湧きあがり、余計なことを言ったらしい雄臣が憎たらしくてしょうがなかった。いくら私のことが気に入らないとは言え、このような嫌がらせはあまりに酷過ぎる。雄臣は私の平和な生活を、真綿で首を絞めるようにジワリジワリと崩壊させたいらしい。どうりでこんなに頻繁に呼び出しくらうのか原因はわかったが、こんな生活に1年間耐えられるかと不安は募るばかりでハァとため息が出てしまった。
『まぁ、なるべくさっさとケリつけろや。でないとこっちまでトバッチリが来てしゃーねーんだわ』
『え……? ト、トバッチリ?』
『ったく、外でも店でも暴れやがって……機嫌が悪いったらありゃしねぇ。おかげで蝶子が泣きだすしよぉ』
『……な、なぜ、蝶……子さん?』
『うるせぇ! 全部ボインがハッキリしねーからじゃねーかっ!』
『ヒィッ! そそそそんな!』
『ともかく! 二度とここで騒ぐなっ、わかったな?!』
『うううぃっス!』
『それからよ』
『え?』
『どうでもいいけど、本鈴鳴ったぞ』
『ワァァオ!』
今度こそ私は桂龍太郎を置いて、超ダッシュで自分の教室に向かった。
美千子、ほぼ子分と化してます。