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「東」方神起な親子~後編~

 初めは東小父さん同様、憧れだった。


 多恵子小母さんは、容姿面でも性格面でも全てにおいて完璧だった。理想そのもの、こうなりたいという女性像に近かったのだ。

 しかしその夢のような憧れは、出会ったその日に砕け散った。

 彼女が私を見る目は、東小父さんと真逆な冷たい眼差しだった。真美子はとても可愛がるのに、私には可愛がっているフリ(・・)をする多恵子小母さん。しかも皆が見ていない時は態度が豹変した。そしてそれをひた隠しにしていた。幼稚園の頃からイジメられ体質だった私には、彼女の態度といじめっ子の態度のそれと変わりないのはすぐわかった。そんなの被害妄想だ、子供のくせになにがわかると言う人もいるだろう。けど子供だって同じ人間だ、バカじゃない。少なくとも無条件で可愛がられているかそうでないかくらいは肌で感じるものなのだ。


『美千子ちゃん、さとるに似れば良かったのに。残念ねぇ』


(残念ってどういうこと……?)

 彼女は私に聞こえてないと思ったのだろうか。

 みんなが見ていない時に、大人しく本を眺めている私の背に向かって冷たく言い放ったのだ。私は小学校の低学年頃だったので、何が残念なのか良くわからなかったけど、良くないことを言われていることだけはわかった。最初に抱いた憧れが強かった分ショックは大きかった。あの時の言葉では言い表せないような衝撃は一生忘れないだろう。

 その一言をきっかけに、私の足は東小父さんの家から遠のいた。例え多恵子小母さんから嫌な態度を受けようと、東小父さんに会える事といろいろな外国の絵本と写真集で帳消しだった筈なのに、だ。

 おまけに、多恵子小母さんが私だけではなく、さりげなく母にも冷たい態度を取っていることに気付いてしまった。しかも東小父さんの前で、うちの父にベタベタしながら甘える多恵子小母さん。幼馴染だか同級生だかなんだか知らないが、その姿は人の神経を逆なでするには十分だった。まるでザワリとした嫌な感触を直接心臓に当てられたようだった。しかもうちの父親は困った顔をしながらも、多恵子小母さんにいいようにさせたままなのだ。それどころか、必要以上に気を使い、黙って悲しそうにしている母の顔に全然気付きもしない。

 仲のいい親友同士、楽しい時間を共有する集まりが、私にはまるでド素人の茶番劇に感じた。こんな痛い劇、誰が好き好んで自分も混ざらなければならぬのか。

 それからは「行かない」とゴネ続ける私を、父は最初根気良く誘ってくれたが、そのうちなんとも言えない苦い顔になり、次第に憮然とした表情で真美子だけを連れて行くようになった。


 しかし――月日が経ち、そんな子供を交えた家族ぐるみな付き合いも、意外な形で結末を迎えることになる。

 2年前、私が小学六年生に上がる少し前に多恵子小母さんが病気で亡くなったからだ。

 その前はいろいろと大変だった。うちの父はよほど東夫婦と仲良かったのか知らないが、病院に通い詰めだった。私も一度だけお見舞いに行ったが、急激にやせ細った多恵子小母さんの身体を見て多少は同情はしたものの、悲しいなんて気持ちなど湧かなかった。しかも「ある会話」を聞かされたのでは、同情した気分を返して欲しかったくらいだ。

 それは、私がトイレに立ち、父と真美子が売店へ言った時のことだった。


 広い病院をうろついてトイレを見つけ、用を足して戻ってくると、多恵子小母さんの病室から声が聞こえた。母に対して何か言っているようなのだが、その声色からあまり感じがよくないのはわかった。私は入って行くのを躊躇い、その場で突っ立ったまま聞き耳を立ててしまった。


『どうせ、イイ気味だと思ってるんでしょ』

『私の事嫌いなくせにわざわざ見舞いに来るなんて、そんなに健人の感心を引きたいわけ?! 結婚してからも周りをウロチョロウロチョロ、目ざわりなのよ!』

『悟も可哀そうよ! 健人の傍にいたい為に、自分の友達に未練タラタラな女に引っかかった揚句、ご丁寧に妊娠までさせられてしまって! 悟は優しいから後に引け無くなったのよ! 大体、あの美千子って子、本当に悟の子?! 全然似てないじゃないの! アンタら母娘おやこ二人揃って健人と悟にベタベタベタベタ……本当にムカつくわ。あぁ、そういうずうずうしい点、美千子は絶対アンタの子ね。それが雄臣の嫁!? 冗談じゃないわ! 考えただけでも吐き気がする』

『もう二度と来ないで! アンタの顔なんて見たくないの!』


 私はその場から逃げだした。

 気がつけば病院の中庭のベンチに何十分も座ったまま途方に暮れていた。

 それからは、どうやって家に帰ってきたのか覚えていない。多恵子小母さんの言葉は頭の中にしっかり残っているのに、それ以外記憶があやふやなのだ。もう小学校高学年だったので、来た通りの道を引き返し、持っていたお小遣いで切符を買って一人で電車に乗って帰ったのだろう。その日はなぜ勝手に帰ったと、父親からひどく怒られた。

 それからの私は、家での口数が減った。両親の顔を見ると、多恵子小母さんの顔と言葉がチラついて、まともに会話ができなかった。そんな私を母は心配そうにしてたが、「思春期だろ、心配するな」と一言で片づけけてしまった父を見て、湧きがった一つの疑惑が大きく膨れだす。

 

(……まさか、そんなはずはない)


 そう言い聞かせても、多恵子小母さんが投げつけた、私は本当に父の子かという言葉が身体を蝕んだ。

 親戚の人達も噂していたことも拍車をかけた。私は両親が結婚する前に授かった子だと。

 それは想像以上にショックを与えた。

 男女の違いを「性教育」という形で知り始めたばかりの多感な年ごろだった私には、耐えがたい事実だった。

 だが、そんな疑惑はものの数日で解消した。たまたま偶然に目にした戸籍謄本で、そんな事実はありえないと判明したのだ。第一そんな昼メロのようなことあるはずもない。


***


 短い入院生活を送った多恵子小母さんは、息子の中学生姿を見ずに亡くなった。

 彼女の死を父から聞かされた時は、涙なんて出なかった。むしろ人を振り回すからこんなことになるのだと冷ややかな気持ちが沸いただけだ。

 母は泣いていたが、何故あんだけ罵られた上に自分を嫌っていた女の為に泣くのかと、その気持ちが全く理解できなかった。ただ残された東小父さんや雄臣が気の毒なだけだ。

 お葬式は冷たい雨が降る寒い日にひっそりと行われた。

 弔問客がやけに少ないと思ったのは、来るのは友人や東小父さんの親戚関係の人ばかりで、多恵子小母さんの親族関係はいなかったからだ。この時に初めて私は、偶然聞いた東小父さんの親族のヒソヒソ話で、多恵子小母さんが家族に恵まれない不幸な人生であったのを知る。彼女は子供の頃に両親を亡くし、唯一の身内であった祖母に育てられたが、高校を卒業する手前でその祖母も亡くし、大学を泣く泣く諦め就職したという苦労を重ねた人だったと。

 私は多恵子小母さんのもう一つの顔を知り、式の間中、多恵子小母さんに向ける感情をどのようにすればいいのかわからず複雑な気分だった。残酷にも、私の中では多恵子小母さんへ憧れや憐憫の情などは微塵も残っていなかったから。


 人が亡くなったというのに、ボーっと考え事をして涙を流さない私を、雄臣は睨んでいた。


 雄臣は両親の素晴らしいところだけを全部受け継ぎ、この世に受けるべきして受けた「神」に選ばれた子だ。東小父さんに似た顔、2人の優秀な頭脳を譲り受け、並みはずれた運動神経、異国を思わせる容姿と身のこなし。そして、紳士的でやさしい性格。

 ただし――極度のマザコンで、気に入らない人間には容赦ない二重人格だったが。

 私は彼が苦手だった。東小父さんと仲良くしているとすぐに邪魔するように割って入ってきた。それはまるで、東小父さんが「俺と母親のもんだ」というように。

 逆に東小父さんに近付かなければ、私にも普通に優しかった。初めは多恵子小母さん同様一目見て憧れを抱いたが、すぐに判明したそんな雄臣の性格が、彼の背後に見える多恵子さんの面影が、どうしても馴染めなかった。よくよく考えてみれば、東小父さんに「顔が似ている」だけで、彼はまったく別の人間だ。

 父の付き合いに顔を出さないようになってから、彼の態度が段々と硬化し始めた。多恵子小母さんのように素っ気なくなる、雄臣。少しずつ狂い出した歯車。

 最後の決定打が、多恵子小母さんのお葬式での私の態度だった。

 お通夜の後、人気のないところでぼんやり座っていたら、雄臣が来ていきなりグイッと乱暴に立たされた。強張った表情をしながら、泣きはらした赤い目で睨まれた。


『こんなところで、なにしてるんだ』

『…………』

『ミチは、泣きもしないんだな』

『…………』

『マミは泣いていたのに』

『…………』

『そういえば、ミチは全然見舞いにも来てくれなかったもんな』

『…………』

『どうせオマエにとっては父さんだけだもんな? ……母さんの言うとおりだ。母娘おやこ揃ってこんな薄情な奴らと付き合ってたなんてさ、父さんも悟小父さんも見る目ねぇよな。しかも俺の嫁? アホらし』

『…………』

『……もう俺達に二度と近づくな!』


 雄臣は低い声で吐き捨てた後、みんながいる方へ行ってしまった。私は何も言い返せず俯いたまま動けなった。

 私は悔しくて悲しくてやりきれなくて……この時に初めて泣いた。お葬式の時には一滴も涙が出なかったというのに。

 東小父さんに冷たい奴だと思われたに違いない、嫌われたに違いないと思うと、涙が次々と溢れた。多恵子小母さんには一生嫌われたまま、存在を否定されたまま会うことがないという事実に、涙が止まらなかった。

 しかし――例え本当の事を雄臣に言ったところで、複雑だった気持ちを伝えたところで、ママっ子だった彼が私の言葉を聞く筈もない。信じる筈もないのだ。

 好きでこんな立場に生まれた訳ではないのに、どうしてこうなってしまったのだろう。


 それからの私は、二度と東親子に近付かなかった。

 その後暫く家族とも会話がないという酷い状態だった。なんとか立ち直ったのは良かったが、過度のストレスによるどもり癖、いわゆる「吃音症」も発症してしまっていた。


 後になってよく思うことがある。この頃から中学卒業する頃まで、特に中学の後半は結構物騒な連中に囲まれていたのに、よく道を踏み外さなかったと。鈍臭い性格のおかげなのか、自ら不良になる勇気も無かったのか、たまたま運が良かっただけなのか……とりあえず少年鑑別所にお世話になるようなことにはならなかったのは幸いだった。


*******


 写真の中の雄臣は、東小父さんと多恵子小母さんの前に立って笑っている。あの頃は彼も、何も知らない私も、幸せだった。それが無情にも、月日は残酷な方向へと流れて行った。

 目尻からこめかみに温い涙が落ちて行く。

 久しぶりに思い出した嫌な記憶を振り払うように、涙を指で拭った。ベッドから身体を起こし、写真を抽斗の奥に乱暴に押し込んで、音を立てて閉め、鍵をかけた。

(……こんなもの出すんじゃなかった)

 自分の行動を罵りつつ、写真の映像を振り払ったが、なかなか消えてくれなかった。


 今日顔を合わせた時や食事をした時、雄臣の態度は出会った頃に近かったと思う。2年前の憎しみが籠った感情は見えなかった。……あの巧妙に作られた仮面の下はわからないが。

(嵐が来る)

 窓に叩きつける雨と風の音を聞きながら、来月からアラタだけでなく、雄臣も山野中に通うことになると思うと、正直うんざりだった。


『父さん、仕事が忙しいって言うし。それに、母さんも日本ここで眠ってる』


 これは雄臣が食事の時に言った言葉だ。

 東小父さんは仕事が忙しい上に頻繁に移動するというので、最低中学卒業するまでは安西先生のところで居候することになった雄臣。

 それを聞いた父は「えらいぞ! さすが男の子だな」と、もう中学3年生になる彼に対して小学生にするような口調で褒めた。真美子も目を輝かせ、飛び上がらんばかりの喜びようだ。


『アラタとマミ、それにミチもいるから、心強いよ。四人で仲良くやっていこうな? オレは中学最後の1年間だし』


 親たちの信頼をしっかり握る容赦ない笑顔で力強く言われたら、誰が「とっても胡散臭いので、私は無視していただいて結構です」などと言えるだろう。2年が経ち、やっと傷が癒え、類人猿に鍛えられた私は、「よろしくな、ミチ」という雄臣に、「よ、よろしくお願いします」と愛想笑いを浮かべて頭を下げられた。


『美千子ちゃん。どうか……どうか雄臣と仲良くしてやってくれないか』


 食事会の後にさりげなく私の側に来て、真剣な顔で言った東小父さん。その言葉で、私と雄臣に距離があることを、小父さんは知っているのだなと悟った。

(でも……小父さんの頼みでも無理だ)

 大好きな東小父さんの期待に応えたい気持ちは十分にあったが、おそらく期待には添えないだろうと、曖昧に微笑むことしかできなかった。

 雄臣と私の間には、決定的な溝がある。その溝を埋めることは恐らく一生叶わない。また、埋める気も、歩み寄る気もさらさらない。ただ物理的な距離を離れられるまで、平穏な日々を手に入れるまで、ひたすら逃げ回るだけ。

(……二度と東母子に振り回されるもんか)

 東小父さんには申し訳ないが、私は密かに心に誓った。



 引き出しから目を逸らし、結露がひどい窓に近付いて水滴を手でグイッと拭った。



 春の訪れと共に突然「東」からやってきた風。ますます強くなる暴風雨は、まさしく「神」が起こす凄まじい神風そのもので――この先私の周囲を根こそぎ巻き込み、元には戻れない程破壊し尽くすのだが、この時の私には知る由もなかった。



美千子結構キツイです。こうして見るとスゴイ小学5年生やな……。コメディ路線を求めていて、シリアス苦手な方、スミマセン。m(__)m でもこれ書いてて、親のあるべき行動を再確認させられちゃったりして。

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