されどお礼……だけども
少し長いです。
「もう~ミっちゃん、気の使いすぎだよ! 星野君はわかるけどさ、野生猿には必要ないでしょ? 大体アイツ図々しいんだよね!」
和子ちゃんはプンスカ怒りながら、吐き捨てるように文句を言った。和子ちゃんが図々しいと言ったのは、私が祝日明けに登校してから昨日まで、尾島がしつこく付きまとっているのを見ていたからだ。
『あ~腹減った! 俺、菓子パン超好物なんだよなぁ』
『すげぇ寒かったのに、チュウにジャージを貸しちまったばっかりに、俺が風邪をひきそうになって……』
『キャベツ太郎って、どこらへんがキャベツなのか知ってるか? あの青いやつ、どうみたってアオノリだろ?』
『本当、稀に見るダッシュで先生呼びに行った俺って健気だよなぁ~』
……最初にお礼を言わなければならない星野君より先に、登校一番で尾島に頭を下げたというのに。ハッキリ言って、「恩着せがましい」の一言以外何が当てはまるというのか。
3学期になっても私の後ろの席に落ち着き、年間通して後ろから小言を言われる羽目になってしまった私は、とうとう昨日の帰りに後ろを振り向き、「大変申し訳ございませんでした。お礼はキッチリさせていただきます」と宣言してうるさい小言を黙らせた。
『は? どうしてもお礼したいって?! そうかぁ~そう言うなら、仕方ねぇよなぁ!』
『…………』
尾島はワザと目を大きくしてすっとぼけてはいたが、その小さい生意気そうなお顔には、
「オレ様に礼をするのは当然だろ! 忘れやがったら、末代まで呪ってやるからな。覚悟しとけ! フハハハハ~」
……などという文字が首筋にまで書かれていた。
非常に不本意ではあったが、口の達者な猿に敵いっこないので早々にあきらめた。それにお礼をしなければなぁと思ったのは本当だし。
でもそれは尾島がうるさかったせいではない。心の底から申し訳ないと思った、あの御方にお礼をするためでもあった。
(ここは是非、介抱してくれた優しい星野君にお礼をしないと)
しかし当の星野君は遠く離れた、しかも原口美恵のいる1組。しかもこんな鈍臭い地味女子がのこのこ1組まで出向き、礼などしてあらぬ冷やかしの対象になるどころか、いかがわしい噂が立ってしまったら恩を仇で返すことになる。
なので尾島がお礼を強請って来たのは絶好のチャンスだと思った。直接頭を下げるはできないけど、尾島にお礼をするついでに、星野くんの分も渡してもらうよう、尾島にお願いすればいいと思いついたのだ。
……ま、この場合、ついでは星野君ではなく、尾島の方だが。
私はいまだブツブツ文句を言っている和子ちゃんを宥めるように、もっともらしい言い訳を口にした。
「で、でも、後々怖いし……。星野君にあげて尾島にあげないと、なにを言われるか……」
「ま、そりゃ一理あるわ。あいつネチネチ恨みがましそうだもんねぇ。なんだかエロ店員とそっくりじゃん? 弟は桂君じゃなくて、実は尾島のほうだったりして!」
幸子女史が大胆発言すると、それ大いにありえるよねと和子ちゃんは笑いだし、チィちゃんは苦笑いをした。大仕事を終えて、嬉しいような緊張がほぐれたようなホッとした気持ちだった私も一緒になって笑い、手元の紙袋をチラリと見た後、もっとも緊張した『まるやき』の帰り際を思い出した。
***
私は、もうひとつ重要な頼みごとをベティちゃんに頼む為に、一歩前進して紙袋からラッピングしたものを取りだした。中身はそれぞれ手作りの菓子パンと駄菓子、である。
パンは母親にも手伝ってもらい、手間のかかるデニッシュを焼いた。カスタードクリームも手作りし、その上にフルーツを載せて手作りのマーマレードジャムも丁寧に塗った。自分で言うのもなんだが、快心の一作だ。
そして、尾島の方にはしつこく押す「キャベツ太郎」を一緒に入れた。星野君には貴子から好みのお菓子をリサーチし、彼の好物を入れておいたのだ。
『た、貴子。星野君て、どんなのが好みなのかな?』
『え? 好みのタイプ? やだぁ、もしかしてっ?!』
『ち、違うよ! 好みのタイプじゃなくて、好みのお菓子なんだけど……』
『な~んだ。でも星野はオススメだよ? 野球バカで無愛想だけどね。あ、友達もロクな奴がいないな』
『あ、あの、そうじゃなくてですね……』
『フフ、わかってるって! どうせマラソン大会のお礼でしょ? しっかし、見かけによらず星野もやるわね。やっぱ、苦労してるからかなぁ……』
『苦労?』
『あ、いいの、いいの!』
『え?』
『え、え~と……そう! 星野って下に4人もいるんだよね』
『ええっ?!』
『ビックリでしょ? そんなわけだから星野、面倒見がいいんだよね』
『へぇ、そ、そうなんだ……』
『そうよ! どっかのロクでもない他の小隊員とは大違いなんだよねっ!』
『……た、貴子?』
『あら、いやだ、私ったら。あぁ、星野の好みのお菓子だよね。たしか……酢昆布じゃなかったかな』
『……なるほど(シブイな)』
『そうなの、見た目も中身もやることもシブイんだよね。でも野球してる時とか結構カッコイイよ? 諏訪いわく、職人みたいな構えでバッターボックスに入るらしいし。もしその気になったら、橋渡ししてあげるから! 試合見に行きたいならいつでも言ってね?』
『……ハハ』
職人みたいな構えってどんなだろうと気になったが、とりあえず試合観戦は辞退しておいた。何気に私の思考を読んだ貴子もニヤニヤした顔しているところを見ると、からかい半分なのだろう。しかし、星野君がそんな大家族なんて、驚きだった。きっと優しくて面倒見がいいお兄さんに違いない。とりあず星野君には「都こんぶ」を一緒に入れておいた。迷惑だと思ったが、せっかくなので、余った生地で小さいクロワッサンもどきを焼けるだけ焼いて一緒に付けた。
今日のメインイベントは、あくまでもベティちゃん(プラス桂寅之助)にチョコを渡すことだった。しかし……ベティちゃんに申し訳ないが、どちらかというと、こちらのほうが私にとってメインイベントとなってしまった。
『あ、あのぉ……』
『なぁぁにぃぃ~ミチコちゃぁぁん!』
『ウワォっ!』
ベティちゃんは目にもとまらぬ速さでシュッと私の前に近付いたので、思わず飛び上がりそうになった。覗きこまれた顔は相変わらず皺がないキレイなお肌だったが……いかんせんものすごい至近距離の為、涙で化粧が落ちかけているせいでうっすらと髭の剃り跡が見えてしまった。心の中では「髭は幻、幻だぞ、美千子!」などと言い聞かせるが、どう頑張っても顎にピントが合ってしまい、思わず視線を彷徨わせた。しかしベティちゃんは私の怪しい行動にも臆せず、何故か懸命に目を合わせてくる。……最初に会った時からどうもスキンシップが過剰な感じがするのだが、気のせいだと思いたい。
『あ……そそそんな大したことではないのですが、ほ、星野君と尾島……君って、今日お店に来ますでしょうか』
『カズくぅぅんとケイくぅぅん? 来るわよぉぉぉぉ、呼んでもぉぉなぁぁいのにぃ、週末ぅぅほっとんどぉ来るんだからぁ! ……ってぇ、あれぇぇぇ? やっだぁぁぁ!』
ベティちゃんは私の顔と手に持っているラッピングしてある二つのプレゼントを交互に見た後、ニンマリ笑った。思いっきりアイメイクが落ちている妖艶の微笑みというものは、バタリアン並みに恐ろしい。
『え? やっ! ちちち違います! こ、これはチョコじゃないんです! ……そ、その、お、お礼っていうか……』
『おれいぃぃ?』
『は、はい! マラソン大会のお礼と言って渡していただけますかおねがいします!』
息継ぎもせず一気に言って頭を下げ、はてなマークを頭につけているベティちゃんに、お礼にいたるまでの過程を簡単に説明した。尾島と星野君には大変お世話になったので、そのお礼もかねて……という言葉で締めると、ベティちゃんは「あらぁぁぁ、そんなのいいのにぃぃぃ!」と息子の活躍を喜びつつも、「そうだろ、そうだろ」と親バカを隠せない父……いや、母親のような口調をした。
『わかったわぁぁぁ、じゃぁ、渡しておくからぁぁぁ』
『お、お願いします』
『いいのよぉぉ、でもさっすが女の子ねぇぇ。野蛮な男どもとはぁ違うわぁぁ! ……でもぉぉ、直接渡した方がぁぁいいんじゃなぁぁい? あの子たちもぉぉ、よろこぶわよぉぉ?』
『い、いえっ! めめめ滅相もない!』
私は慌てて首と手を振って、風が起きるほど否定した。
実を言えば、朝登校するまでは「教室でサクっと渡しておくか」と呑気に構えていた新井美千子。
……が、その余裕は見事に吹き飛んでしまう。何故なら、尾島は朝からバレンタインチョコの嵐を受けていて、渡す隙すら無かったからだ。
クラスメートの女子に数日前から「俺はチョコが大好きだ! 14日受けてたつ!」宣伝してまわったいた尾島。それを聞いて「クラス全員の女子が尾島に? まさかねぇ?」と思っていた私だが、予想は大外れだった。大穴よろしく、尾島はヌリカベトリオ以外の女子全員からチョコを受け取っていたのだ。それに加え、他のクラスの女子から何度も呼び出されていたのは、正直驚きだった。
確かに尾島は顔がいいし運動神経も良かった。加えて文化祭では主役、マラソンをやらせりゃ1位、オマケに秋のバスケの試合のせいで、バスケ部の2年からもチョコを渡される始末。
よくよく考えてみれば、尾島は私や和子ちゃん以外の女子には、至って態度が普通だった。少々ふざけてはいるが、巧みな話術で女の子を軽くからかい、逆に彼女たちの乙女心をくすぐるほどだ。楽しい話題で周囲を和ませ、言葉づかいは乱暴だが基本的には優しい。これではいくら頭と口と態度が悪かろうが、モテる筈である。
……わかっていたつもりだった。けど、本当に「つもり」だったらしい。
私は苦手意識がある上に、尾島から毎回小言を言われているせいで軽く流すようにしていた為、あまりよく見えていなかったのかもしれない。
その現実をあらためて突き付けられた私は、目の前が真っ暗になるほどの衝撃を受けた。尾島は私のことが相当気に入らないんだと実感してしまった。いつも邪険に扱われていることに、それを今まで耐えてきた自分に、落ち込むどころか滑稽すぎて笑いたくなってしまった。
客観的に自分の位置を確認してしまった私は、嫌な緊張と震えが湧きあがってしまったのだ。
それだけではない。尾島がチョコを渡される姿を見るたびに、段々とお礼をする気が萎んでしまった。まだ高をくくっていた登校したばかりの朝に、さっさと渡せばよかったと後悔した。朝、尾島が得意の悪魔顔でニヤリと笑いながら私に声を掛けようとしたあの時に。その時ちょうど尾島は、他のクラスの女子からの呼び出しだされていたけど、無理にでも押しつければことは済んだのだ。
――それなのに。なぜ私は、フイっと明後日の方向を向いて無視してしまい、完全にタイミングを逃してしまったのだろう。
おかげで一日中後ろから「お礼はどうしたよ、あの言葉は偽りか?!」というような無言のプレッシャーを受け続けた。某アニメのニュー●イプも真っ青なほどのプレッシャーに、後ろを向く勇気が出てこなかった。別になんてことはない、「ハイ、どうぞ」と軽く渡せばそれで済む筈なのに、どうしてもできなかったのだ。
(……ベベベ別に今日渡すと言ってないし!)
苦しい言い訳で自分を納得させつつ、帰りに尾島が原口美恵から呼び出しを受けている間に、和子ちゃん達とそそくさと教室を出てきてしまった。
それは断じて逃げたという訳ではない。貴子のデートの時間に間に合うようにベティちゃんのところに行こうと約束していたという理由があったからだ。それに学校で渡せば、原口美恵の耳に余計な情報が入ってしまう可能性もあるし、ありもしない誤解を招くほうがもっと大変だ。これ以上面倒なことに巻き込まれるのも御免だと思った。
思ったのだが……。
学校の校門を出る時、お礼すら渡すことのできない自分が、もどかしくて情けなかった。
おそらくこういうところが尾島の癇に障るのだろう。
けど尾島にとってあのお礼の請求は、からかいのネタにすぎないのだ。
ベティちゃんから渡してもらえればそれでいいじゃんと、私は前向きに気軽に考えることにしたのだった。
*******
後ろを振り返り、遠くなった『まるやき』の暖簾を見た。来月一杯でこんな気の張る生活ともお別れなんだな、と考えながら。
2年に進級し、尾島とクラスが離れてしまえば、私には波風が立たない平凡で平和な日々が訪れるだろう。尾島も私のことなど気にもかけないだろうし、「あ、そういえばこんな奴いたっけか」程度で忘れてしまうのだろう。
余計な騒動に巻き込まれず、部活や仲の良い友人に囲まれ、ちょっとした恋に焦がれる……そんな普通の中学生活を送りたかった私には、それは嬉しいことの筈だった。
それがどうしたことか――。
心の奥底ですごく寂しいと思っている自分が確かにいた。
もしかしたら尾島と一生接点が無くなるかもしれない可能性に、まるで冬の海に一人で立っているような悲しさと切なさが押し寄せた。
胸が締め付けられるこの感情が、今日一日尾島に対して感じた自分の気持ちが、一体どういうものなのか……、この時の私には気付くことができずにいたのであった。