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振り向けば、君がいた。  作者: 菩提樹
中学1年生編
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RUN・乱・ラン♪⑥

「おい、一幸かずゆき!」



 緩やかなカーブを描いている道の向こうから、白とブルーのジャージを着た1年男子が、猛スピードで走ってきた。


「あ、啓介けいすけ

「●△◆×@%&¥っ!」


(ゲゲゲゲロンパっ! ……いやっ、な、な、なんでこんな時にっ!)

 今の今まですっかりあの男存在を忘れていた自分が憎い。そういえばスポーツだけは動物並みに優れているんだった。それはマラソンとて例外ではなかったらしい。

 こっちに突進してくる類人猿……いや、腹をすかせたというより腹の虫がおさまらない的な『グリズリー』の憤怒ふんぬの形相を見て、このまま倒れて死んだフリをキメたかった。

(それか今すぐにでも『マタギ』を呼んでくれ、頼む……)

 尾島は私達の前で止まり、膝に手をつきハァハァ息をついた。息を整えた後、キッと顔を上げる。なまじ可愛らしい整った顔だけに、怒ると半端なく怖い。月一の出血という事態だけで、どんどん騒ぎが大きくなっていくのは何故なのか。

(ヒィィ……な、なんで私が睨まれないとアカンですたい……)

 もう方言もごっちゃ混ぜな程、焦る荒井美千子。

 もしやさっき体育館に箕輪を送り込んだのは、私と貴子だというのがバレたのだろうか?

 それとも「俺の親友の足を止めたのはテメェかっ?!」と熱い友情を炸裂しているのか?

 まさか……先日の合唱コンクールの時の本番で、尾島の指揮も見ず、音を外したのがバレたのか?!

(いやいや、そんなアホな!)

 心当たりが一杯ありすぎて、どれに当てはまるか皆目見当つかない。腹と腰の痛みではなく、別な意味で冷や汗をかいていると、尾島は私と星野君に怒鳴り始めた。


「オ、オマエらぁ……何やってんだよ、ここでっ!」

「ちょうど良かった。啓介、先に走って先生に知らせてくれ。もしかして誰か立ってるかもしれないから」

「は? 知らせてくれ? ……って、なにをだよっ?!」

「荒井さん、熱がある。このまま放っておけない」

「えっ?!」


 一瞬尾島はいかつい表情を崩し、本当に驚いた様子でチラっとこちらを見ながら叫んだが、すぐに「……ななな、なんで俺がっ!」などと怒鳴った。星野君はその澄んだ瞳でジッと、「なんでオレがそんなことせにゃならんの」口調になった尾島を見た後、「そう」とアッサリと返事をした。


「荒井さんここで待ってて。俺、沖呼んでくるから」

「はぁっ?! 沖って……今から元来た道、戻るのかよっ?!」

「俺シニアだから順位なんて関係無いし」

「なんで、おまえがそんなことっ! 一緒に走って先にいる先生に言えばいーだろーが!」

「どれくらい先に先生が立っているかわかんないだろ? それより沖に言った方が確実だし、そんなに遠くない」

「っ! やっ、け、けどよ……どうして」

「啓介も早く行けよ、もうそろそろ他の連中もくるぞ。『5位以内に入る』って、明日香や原口達にも宣言してただろ」

「へっ?! そそそんなん今はどうでも……って、あっ、おい! チョイ待てって!」


 星野君は尾島の掛け声も聞かずに、クルリと踵を返して競技場の方へダッシュした。どんどん遠ざかる星野君の背中。あっと言う間に姿が見えなくなった。


***


 尾島は星野君の背中に呼びかけても無駄だと悟ったのか、「なんだよ……」と舌打ちをして、こちらに向き直った。


「…………」

「…………」


 稀に見る気まずい状況である。

 しかも尾島の顔は眉間に思いっきり皺が寄っており、非常に怖い。まるで蛇に睨まれたカエルのように、一歩も動けなかった。

(な、なんで、こんなことに……)

 星野君が沖先生に呼びに行ってくれたのは確かに助かったが、来るまではここから勝手に動けないのが辛い。

 さて、この絶対絶命の大ピンチからいかにして脱出するか……と考えた結果、とりあえず尾島には先に行ってもらうのが一番だという答えが出た。この際気を使ってもらうなどという贅沢は言ってられない。それでなくとも今は具合が悪いのだから。不本意だが、ここは原口美恵の『猫なで声』を見習って、「このまま気にしないで走って」と柔らかい口調で言えばいい。なによりも事を穏便に済ますのが得策だ。


 そうだ。それがいいに決まっている。


 このまま走れば尾島は確実にトップだろう。

 原口美恵達に宣言した通り、尾島は確実に『5位以内に入る』ことができる。




(……けど、ヤだ)




 私はなんだか無性に腹立たしく、そして……ひどく悲しかった。

 こんなところでヘバッている自分が惨めだった。

 尾島に好かれてないのは十分わかっている。それはさっき尾島が言った台詞でも明らかだ。それなのに私はこの男に何を期待しているのだろうか。こんな時ぐらいは、星野君の半分とまでは言わないから、ちょっとの優しさを見せてほしかったなどと思ってしまうなんて。そんなこと、無駄なことなのに。

(なんかもう放って置いてほしい。てか、なんでこんなに辛いのよ……)

 私は今にも涙がこぼれそうになる顔を見られたくなくて、「早くこの場からいなくなって」と俯きながら必死で尾島にテレパシーを送ったが、尾島は黙ったまま動かなかった。

 やっとの思いで息を呑み、仕方なく口を開く。


「……あ、あの」

「あぁっ?」

「ひっ! ……あ、その、めめめ迷惑掛けて……ごめんなさい。……先行ってくれるかな。サッカー部って上位に入らないとマズイんでしょ」

「イイんだよっ、んなことは! ……そ、それよりも」


……なんでアイツが……額に……手ぇ……


 尾島は私の素っ気ない言い方にカチンときたのか、最初は大声で怒鳴ったが、そのうち声を小さくして、ゴニョゴニョ訳のわからないことを言い出した。具合が悪いせいか、その声はとぎれとぎれで全然聞き取れなかった。

(……なんかヤバイ。これは本格的に具合悪くなってきたかも)

 もう尾島の小言を聞く体力もなくなり、悪いと思ったが座っている柵から身体をずらしズルズルと地面に座り込んだ。


「えっ?! お、おい、大丈夫かよ……」


(……大丈夫の訳、ない、でしょ)

 既に文句を言える気力も残ってない。さすがに尾島も私が本気で気分が悪いと悟ったのか、心配そうな声を出した。出来ればもっと早くそのしおらしい態度を見せて欲しかったと思い、この際もっと大袈裟にしてやるかと意地悪な心がムクリと起き上がった。いつもしてやられているのだから、これくらいは許されるだろう。このまま心配させるもよし、無視して行っちゃうもよし、と半ば投げやりな態度で、私はワザと辛そうな表情を作り(実際に辛いのだが)、目を瞑って足を抱え膝の上におでこを乗せた。



 その時。



 頭上から聞こえたのは、ジャっとジッパーを下す音。




 ふわっと頭の上に何かがかぶさった。身体が一瞬温かくなり、視界が暗くなる。

 僅かに鼻をくすぐるのは、洗濯洗剤の香りと自分以外の人の匂い。




(…………え? …………えええっっ?!)

 ガバっと頭を上げると、頭に覆われた布が背中の方に落ちて肩に引っかかった。肩に視線をやると、そこには白とブルーのサッカー部のジャージ。

 唖然とした表情で尾島を見上げようとしたときには、尾島は学年色のジャージ姿で背を向けて走り出していた。


「あああああのっ!」


 ジャージ、どうして?! と言おうとした時、尾島がクルリと後ろを振り返った。


「しょ、しょうがねぇからっ? オレ様の俊足で先に立っている先生に知らせてやる! ありがたいと思えよっ?! とりあえず寒いから、そのジャージ着てろ! いいか、これはあくまで親切心であって、間違っても礼など期待してるわけじゃねぇからな! ちなみに俺は菓子パンと『キャベツ太郎』が大好物だ、覚えとけっ!」

「…………」


 尾島はビシッとこちらに指をさしながら、実に恩着せがましい言葉と図々しい要求を催促し、終いにはどうでもいい情報を置き土産した後、再びゴールに向かってダッシュした。

 私はものすごい勢いで走って行く尾島の後ろ姿を、見えなくなるまで見送った。

 後ろから見た彼の耳と首が真っ赤だったのは、普段全然使っていない親切心を出したせいなのか、それともただ単に寒い中を走っていたせいなのか。

(…………とりあえず、一応気を使ってくれたってことだよね?)

 尾島の取った行動をあらためて思い返すと、さっきまで私を支配していた、惨めさや悲しさなどはどこかへ飛んで行ってしまった。それどころか尾島に対して、このままトップまで頑張れ! などと思ってしまった。たとえそれが、原口や小リスちゃんを喜ばせる結果になったとしても。


 野外の気温は5度以下。しかも2月の雪が降りそうな曇り空で……本当は寒い筈なのに。

 尾島のジャージ一枚羽織っただけなのに。


 私の身体は信じられないくらい温かくなった。それに自分以外の人肌の香り。不思議と尾島の匂いは不快じゃなかった、むしろ……ギュッとジャージを抱き寄せたい気分になってしまった。

(男の子って、こんな匂いなんだなぁ)

 思わずクンクンとジャージの匂いを嗅いでしまったが、ハッ! と我に返った。

(へ、変態じみたことをしてもうた!)

 急激にカーッと身体中が熱くなる。

(わ、私ったら、なにをバカなことを! 今のナシナシ!)

 誰も見ていないというのに、顔の前で手を思いっきり手を振るその姿は、傍から見ればちょっとイタイ光景だろう。少し深呼吸をして、なんとか落ち着かせようとしたが、やることなすことドンドン深みに嵌る勢いに、恥ずかしさで身体は熱くなるばかり。

 そのうち意識が朦朧としてきた。

 身体は着実に具合が悪くなっているというのに、わずかに残る意識に不快感は無く、雲の上に浮かんでいるような夢見心地だった。 


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