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振り向けば、君がいた。  作者: 菩提樹
中学1年生編
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RUN・乱・ラン♪⑤

 ハァ、ハァ……。


 誤解しないでほしい。

 これは電話越しに聞こえる変態男の喘ぎ声でもないし、満員電車の中で背後にピッタリくっつく痴漢の興奮した声でもない。

 この声はれっきとした、荒井美千子の喘ぎ声である。しかも糖度はゼロ。どちらかというと非常に辛いシチュエーションの中で醸し出される声であった。

(つーか、もうダメ……)

 女子1年のマラソンがスタートして、そろそろ30分……が経過している、多分。


 初めは緊張で気分の悪さがなんとなく誤魔化されていたけども、グラウンドから出てマラソンコースに入った途端、お腹と腰の痛みが増してきた。また前方から吹きすさぶ北風がさらに拍車を掛ける。和子ちゃんや貴子の励ましを受けながら、先頭とはいかなくてもなんとか中堅どころの集団についてこれたが、開始10分を切った辺りでもう限界だった。


『ミっちゃん、大丈夫?』

『さっき沖先生がいたでしょ、戻って先生に言ってこようか?』

『なんか、顔色真っ青だよ……無理しない方がいいよ』


 和子ちゃん達だけでなく、奥住トリオまでが私に気を使ってくれた。

 おかげで全員の足が止まってしまっているその横を、どんどん通りすぎる他の生徒達。その中には赤と黒の派手なジャージのバスケ部や原口美恵達の集団がいた。彼女たちはチラリと見ただけで、我関せずと通り過ぎて走っていく。

(……くそぉ、なんかムカつく……。けど、今はそれどころじゃない)

 自分の身体は自分がよくわかっている。もうこれ以上無理して走ったら、おそらく倒れるだろうと自覚した私は、みんなに先に行くよう言った。どうしようと顔を見合わせる彼女達。貴子と和子ちゃんは反対したが、私としては、特に貴子には、あの通り過ぎた原口美恵と小関明日香に絶対負けてほしくない。それに、ここにみんな立っているだけでは何にもならないし、どんどん1年女子は先に行ってしまう。


『ご、ごめん。私はゆっくり歩いてゴールするから、やっぱ先に行ってくれる? と、途中で待機している先生に事情話すし……ね?』


 私が何とか笑いながら言うと、みんなは渋々ながら頷き「絶対先生に言うんだよ!」と言って先に走って行った。最後まで心配していた貴子は、「一緒に歩く」と言ってくれたが、私は首を振り、そっと前方を促し「ま、負けるな!」と密かに声援を送った。貴子はハッとしたように前を見据えて「了解!」というように頷き、絶対無理しないようにと強く念を押してダッシュした。

(が、頑張れ、貴子!)

 多分、日下部先輩は上位に入るだろう。10位以内に入れば全員の前で一緒に表彰を受けられる。是非とも貴子には日下部先輩と一緒に並んでもらいたかった。それなのに私のせいで足を引っ張ってしまったと、申し訳なさで一杯になる。

 女バレの友人達の背中にエールを送りながら一人解放された私は、長いであろうゴールまでの道のりを思い溜息を吐いた。

(いかん、ここでボンヤリしていたら、余計具合が悪くなる……)

 ほとんどウォーキングに近い走りでなんとか前進するが、前方の集団から距離が広がるばかり。そのうち文化部の生徒達にも追い抜かれ、とうとう最後尾コースとなってしまった。

(うわぁ、最後尾でドン尻決定だ。……けど、ここで無理しても)

 キリキリとお腹に痛みが増し、腰はこれ以上ないくいらいダルくなり、なんだか寒気もした。これだけ外が寒けりゃ当たり前といえば当たり前だが。

 もう足を動かすのも辛く、私はとうとう足を止めてしまった。

 マラソンコース沿いにずっと張り巡らされている低い木の柵に手をついて腰掛け、息をつく。前屈みになり膝に肘をついて手で顔を覆った。こうして座っていれば、先生が来てくれるかもしれないと思いつつ、あとゴールまでどれくらいあるんだろうと、指の隙間から落ち葉が敷いてある地面をぼんやり見つめた。


 ザッザッザッ……


 遠くから、落ち葉を踏む音が微かに聞こえてきた。


 その音は規則的で早い。歩いているより走っている感覚だ。

(あれ……? もしかして、和子ちゃん達が先生に知らせてくれたのかな)

 先生が来てくれたかも、と期待で胸が膨らみ急に安心し気が緩んだ。

 何故和子ちゃん達が向かったゴールの方向からでなく、出発した競技場のトラックの方角から聞こえてくるのだろうか? と不思議に思ったが、そんなのどちらでもいいことはすぐに消えた。多分沖先生だろう。ともかく誰か来てくれたことにホッとして、ワザと顔も上げずにそのまま疼くまったままにした。もちろんそれは本当にしんどいということもあるが、「もう麿まろは走れぬぞよ、ヨヨヨ……」アピールというなんとも小賢しい悪知恵の為でもある。


 とうとう規則正しい足音は止んで、私の目の前に止まった。


 ハァハァと乱れた呼吸音が聞こえる。

 助かった、と思って目を開けたその視界に入って来たのは、沖先生が着ていたジャージではなかった。自分と同じ学年色のジャージ。深い紺に白のラインが入っている見慣れたジャージ。

 一瞬、まだ私の後方に1年女子が走っていたのかと思ったが、履いている靴はどう見ても女子のサイズよりも大きい。

 ビックリして顔を上げるのと、上から声を掛けられたのが同時だった。


「大丈夫か、荒井さん」

「え……え?!」

「……でもなさそうだな、顔色悪い」

「……ああああの」


 声を掛けてくれたのは、1年男子。

 年末にお知り合いになった、つぶらクンこと「星野君」だった。


(何故こんなところに星野君が?!)


 訳がわからずパニックになった。

 しかし、すぐに今日のマラソンの予定が思い浮かんだ。1年女子の後、最後の滑走者が1年男子。時間差でスタートした筈なのに、ここに星野君がいるということは……?

(まさか、男子の先頭?!)

 後ろに男子が続いている気配はない。ということは、ブッチギリでトップを独走していたということだ。

(す、すごい、星野君! ………………じゃなくて、こりゃ、ヤバイ)

 呑気に感心している場合ではない。

 星野君がここにいるということは、もうすぐ1年男子もやってくるということだ。こんなヨレヨレの姿を男子に見られようとは……さすがにそこまで考えていなかったので、余計に血の気が引いた。それにここで星野君を足止めさせては、せっかくトップを走っているのに申し訳ない。私はなんとかお腹の痛みを抑えて微笑んだ。


「だだだ大丈夫……ちょっと調子が悪くて。ごめんね、せっかくトップ走っているんでしょう? もうすぐ他の子が来ちゃうから、構わず先に行って?」

「そんなのいい。それより先生呼んでこようか、さっき、沖がいたから」


 星野君は少し眉根を寄せながら、覗き込んできた。

 あまりにも顔が近付いたのでギョッとし、慌てて「いいよいいよ」と首と手を振ってのけぞった。女性特有の止む負えぬ事情で具合が悪いところを、何が悲しくて男子生徒にわざわざ先生を呼んできてもらわねばならないのか。それに生理の独特の嫌な臭いがしてるんじゃないかと気が気でないので近付いてほしくない。ここはなんとしても他の1年男子が追い付くまでに、先で待機している先生に事情を話して、棄権しなければ。星野君からジリジリ離れつつ立ち上がろうとした。


 その時である。手がニュッと伸び、おでこにフワリと柔らかい感触を感じた。


(……温かい大きい手だな…………って、アホんだらっ! 私ったら何をっ!)

 星野君の手の感触が心地よくて一瞬ウットリした私だが、すぐに自分がどういう状況にいるか一気に我に返り、ボンっと顔が熱くなった。星野君はまだ私の額に手を当てて、難しい顔をしている。


「あ、あ、あ」

「やっぱ熱い。やめておいたほうがいい。沖に言ってくる」


 おでこが熱いのは、YOUのせいですがな!

……とウッカリ言いそうになってしまいそうになるのをギリギリ寸止めした私、エライ。


「やっ……あ、あのっ! 本当に大丈夫ですからっ!」


 声を裏返しながら慌てふためいていると、競技場の方からザザザザという落ち葉を踏みつける音と、ゾワリとものすごい殺気を感じた。

 何故だか周囲の温度が冷ややかになっている。「あ、あれ? 気温が下がった?」と腕を摩ると、星野君が「待ってろ」とザッと落ち葉を蹴り今まで走って来た方向に踵を返そうとした瞬間。


 遠くから聞きなれた声が耳に入って来た。


……というか、槍のように耳に突きささった。


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