初めての文化祭④
長いです。
~11月×日 AM.10:19 体育館舞台・本番最終幕~
「ドク、よかった! 無事だったんだね!」
無事に未来から戻って来た『マーティー』は、テロリスト達に大型ハリセンで叩かれている『ドク』を助け出す為、本人の得意技である跳び蹴りをお披露目した。ひ弱なテロリスト達は出番が終わったとばかりに舞台袖へ逃げこんでいく。
「ドク、ドク! 生きていて良かった!」
「マ、マーティの手紙のおかげで、このとおり無事じゃ……」
『ドク』は着ていた白衣の前を開き、胸を守るように付けていた「お椀」を見せた。この後、ズラの上に被っていた「安全第一」とあるヘルメットを外し、ここでお互い熱い抱擁を交わし「メデタシ、メデタシ」でエンディングを迎える筈。
……が、ここで問屋がおろさないのは、8組の運命なのだろうか。
ヘルメットを取った拍子に、勢い余ってズラをも一緒に取ってしまう、江崎君。
一瞬固まる舞台上の2人。唖然として袖で待機している出演者とスッタフ。ざわつく観客達。
(バ、バカヤロ~!)
江崎君の粋なアドリブの計らいで、当の本人も尾島もすっかりセリフを忘れている御様子。こちらを見た尾島と目が合った。舞台袖の私が「固まってないで、セリフをシャベろよ!」というジェスチャーをするのを見て、ハッと我に返ったようだ。江崎君ったらズラも一緒に取っちゃったよ事態にか、私の必死の形相にかはわからないが、尾島は必死に笑いを押さえながら「バカ! 取れたぞ!」と小声で江崎君にズラを被せた。しかも被せたズラの方向がキッカリ90度違うとはどういうことだろう。この期に及んでウケ狙いなんかしてどうする!
「ククク……あ~いやぁ、無事でホント良かったスねぇ? プハッ! え~なんだ、ビックリした。いきなり髪フサフサになった……って違う! イヤイヤ、グリコって本当におもしれぇなぁ~。ま、メデタシメデタシ! ヒャッヒャッヒャ~」
「……そ、そうか? ハハハ……」
若干台本と違う台詞を吐きながら笑って誤魔化そうとする2人(うち一人はマジ笑いで、もう一人は引き攣り笑い)。
舞台袖にいる私や片岡君に向かって、『なんでもいいから早く最後のナレーションしろよ!』と涙目で訴えていた。「どうみたって今のあなた達、素丸出しですよね?」の8組の動きに、以外にも観客は大歓声。
「宇井、最後のナレーション! 中川はカーテン引くよう伝えて!」
真面目な片岡君は笑うどころか慌てて周りに素早く指示して行く。幸子女史は拳で笑いを堪えながらなんとか頷き、奥の舞台装置を管理している放送部の方に駆け寄った。同時に和子ちゃんの笑いを我慢する震え声のナレーションが響く。私は次第に湧いてくる笑いの拷問に耐えながら、他のスタッフに舞台に上がる準備をするよう慌てて奥に引っ込んだ。
和子ちゃんのナレーションに合わせるように、左右から自動で引かれるカーテン。体育館に響く生徒達の笑いと拍手。残念ながらこれで終わりではない、これから出演者紹介のフィナーレが残っているのである。
「練習通り並べ!」
唯一笑っていない片岡君の声に従い、完全にカーテンがかかっている舞台にクラスメートをひきつれて戻って来た私は所定の位置に立つ。出演者を中央に囲むように次々とスタッフも並んだ。全員無理矢理笑いを堪えているような変顔になりながら、宝塚のフィナーレのように鈴付きの星とボンボンを持って待機。一番端の片岡君が奥に合図すると「ジョニー・B・グッド」の曲の冒頭であるギターの音色が体育館に響く。カーテンの向こうで再び沸き起こる拍手。曲に合わせてカーテンが開け放たれると、拍手の音が倍になって舞台に滑りこんできた。
*******
~11月×日 AM.10:45 体育館舞台傍出入り口・本番終了後、それから~
「あ~、笑い死ぬかと思った」
セットを片づけながら言った尾島のこの台詞は、その時8組全員の意見だったにちがいない。尾島を中心にあれだけ熱心に笑いのアイデアを出した演劇が、江崎君のズラ一つでオイシイところを全てを持って行かれたという事態に、いろんな意味で全員腰砕けであった。諏訪君などは相当ストライクゾーンど真ん中だったようで、フィナーレが終わって幕が下りた途端、舞台にしゃがみこんで床を叩き「ヒーヒー」言いながら涙を流していた。
「ったくよぉ、ワザとだろ? 本当は狙ってたな? 俺を出し抜くとは隅におけねぇなぁ!」
当の江崎君は、尾島の称賛なんだか非難なんだかわからない台詞と、暴力という名の洗礼を受けていた。顔を赤くしたり青くしたり忙しない江崎君。彼は瞬く間に8組の注目人物となり、一躍人気者に躍り出ることになる。
「尾島ぁ~お疲れ様! すっごい面白かったよぉ!」
数時間後には焼却炉行きになる手作りのセットを、次々と体育館の舞台傍の出入り口から外に運び出されているところに、数人の生徒達が押し掛けてきた。こんな鼻にかかった可愛らしい声は男の声である筈がない。この声は毎日部活でも聞かされている声、しかも私に対するときとはえらいトーンが違う。声の方を振り向くと、案の定原口美恵と取り巻き連中が尾島や諏訪君達を取り囲んでいた。尾島他出演者達は、衣装そのままで出入り口と舞台を忙しなく往復していたので、その目立つ恰好を目敏く見付け出したのだろう。
(早速来たよ……)
次の部は2年生が演じる出し物が控えている。なるべく急いで片づけなければならないのに。出入り口で固まっている迷惑な連中に、「あんたら邪魔だよ」と言ってやりたいが、あいにくそんな度胸は1ミリも持ち合わせていない。
幸子女史もその「キャピキャピ」雰囲気に気がついたのか、『……なんなの、あのハーレムは?』と厭きれた様子で眼を細め、和子ちゃんに目配せをした。和子ちゃんは目玉をグルリと一周しただけで、『そんなの知るか』と言うようにプイっと無言で片づけの方に専念する。
先週のリハーサル以来、和子ちゃんは心底尾島と関わりたくないらしく、接触を避けていた。せっかく尾島の為に忠告してやったというのに、「あぁっ?!」という台詞に加え、ご丁寧にも「ガンたれ」付きで返されたらそりゃ怒るのも当然である。
……しかし、本当はそれだけではない。結果的に「野生猿」なんぞに負けたという悔しさと、尾島の並みはずれた運動神経を眼の当たりにして、思わず感心してしまったという理由もあるらしい。「私としたことが……一生の不覚!」と言いながらも、相当ショックだった様子。一方「まぁまぁ」と励ました幸子女史は素直に尾島を見直したようだった。彼女は和子ちゃんとは違って、試合の後尾島に走り寄り、「アンタ、すごい!」と褒めたそうだから。
――辺見先輩率いる2年生と尾島を交えた1年生の試合。
ジャンプボールの為にセンターサークルに入ったのは、辺見先輩。対して1年生のチームは以外にも大きい後藤君ではなく、一番背の低い尾島だった。
睨み合う2人の頭上に向けて飯塚さんがボールをトスした瞬間、飛び上がる2人。
背丈では完全に負けている筈なのに、信じられない高さを飛んだ尾島は、辺見先輩と同じくらいの手の位置でボールを触った。その瞬間ボールが弾かれ、ボールは田宮君の手に収まり、2年生を振り切りながらゴールに向けてドリブルをすると全員弾かれるように後に続いた。一番最初にゴール下に来たのはなんと尾島。田宮君のパスを受けるが2年生のディフェンスが立ちふさがる。そのままシュートの態勢に入る! と思わせ、ボールを持つ手を背中にまわして斜め前方にいた後藤君にパスした。フェイク、しかも速い。まるで背中にでも眼があるかのようなノールック。そのボールはしっかりと後藤君の手に収まりシュートをリングに向けて打つ。
ボールがガコンとリングに入ると、諏訪君の口笛とアダモちゃん達の歓声が体育館に響いた。「おりゃぁっ!」と乱暴にハイファイブをする後藤君と尾島。女子のバスケ部員から驚愕と賞賛の声が上がった。
(…………ユウ、ジン)
気が付けば、奥歯をギリッと噛みしめていた。
目の前には体育の授業のようなボテボテ満載の試合ではなく、流れるような試合展開。中学生のバスケの動きとは思えない尾島のプレイ。
お蔭で私は、忘れかけていた嫌な記憶まで思い出す羽目になってしまった。
***
「ねぇ、ねぇ、一緒に写真を撮ろうよ!」
原口美恵はここぞとばかりにカメラを取り出した。尾島や諏訪君達はまんざらでもなさそうに「しょうがねぇなぁ」とぼやく。その声に原口美恵は零れんばかりに顔を綻ばせ、取り巻きに「お願い、写真撮って」と渡してしっかりと尾島の隣に並んだ。
――あのリハーサルの時、尾島がバスケの試合をしているという噂を嗅ぎつけた原口美恵は、いつものように取り巻きを連れて体育館の中まで押し掛けてきた。もしかしたら、リハーサルを見たいが為に体育館の周りをウロウロしていたのかもしれない。文化祭の準備をしている時も時々8組まで覗きに来ていたが、あいにく顔見知りの女生徒は同じバレー部の天敵第一号らしい私を筆頭とする馬が合わない連中ばかりだったので、堂々と入れなかったようだから。
彼女は頬を染めて、恋する乙女全開で尾島を応援をしていた。その姿は女の私から見ても素直に可愛いと思ったし、好感が持てた。
原口美恵は尾島がバスケをする羽目になった理由に気付いてない、と思う。辺見先輩の言葉を聞いていたのは私達3人だけで、本当の意味を理解したのはおそらく私だけだけだったと思うから。
……もし、理由を知ったら原口美恵はどう思うのだろう。それでもやっぱり尾島一筋なんだろうか。
***
「すげぇ演劇だったな」
制服のズボンに手を入れながらハーレムに声を掛ける生徒。山野中で彼を知らない人はいないくらい爽やかな3年生。爽やかさでは佐藤君や田宮君も負けていないが、彼に比べて少し幼く見えるのは、やはり2年のブランクがあるからだろう。
ハーレムの中央にいた尾島に声を掛けたのは、サッカー部の元部長である「菊池さん」だった。その後ろには元女バレの部長「松野さん」がいる。噂のカップルの登場に1年8組の生徒は僅かに色めき立った。
尾島は菊池さんに「チワッス!」と元気よく挨拶し、原口美恵も「松野先輩、お久しぶりですぅ!」とニッコリ微笑んでいた。おそらく2人に自分の未来を重ねているのだろう。
松野先輩は原口美恵に挨拶を返した後、私や和子ちゃんに気付きこちらにわざわざ来てくれた。和子ちゃんは頬を上気させ元気よく「お久しぶりです!」と丁寧に頭を下げて挨拶した。それもその筈、和子ちゃんは松野先輩を大がつくほど尊敬しているからだ。松野先輩はおっとりとした控えめな人で、バレーをやっている割には背もあまり高くなかった。それでも先輩が繰り出すスパイクやフローターサーブはなかなか力強かったのが印象に残っている。とても見た目では想像つかないほどの重いサーブだ。
私も和子ちゃんに倣って頭を下げると、「久しぶりね」と松野先輩は笑った。
「劇見たよ、面白かった」
松野先輩はそういうと私をジッと見てフフフと笑った。先輩から好奇心一杯の視線を浴びてどうしていいかわからず、モジモジしながら「あ、ありがとうございます……」と再び頭を下げる。
「監修・脚本のところに荒井さんの名前が書いてあるからビックリしちゃった。なんか思ってたより、ユニークな人だったんだね?」
「え――」
一瞬なんのことかわからずポカーンと松野先輩を見ていたが、暫くするとジワジワと嫌な予感が足元から這い上がり、終いにはカーッと顔が熱くなった。この時感じた「嫌な予感」は見事的中する。確かに校内に貼られたポスターと各生徒に配られたパンフレットには、「監修・脚本 荒井美千子」と名前が堂々と掲載されていた。
私はこの後、全校生徒に「あのくだらない台詞とアレンジしたストーリーを考えたのって荒井さんなんだ。なんだが見た目と違って、超以外~」という不名誉な印象を植え付けてしまったのである。
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約一ヵ月間という長い時間を掛けて準備した文化祭、2日間はあっと言う間に過ぎていった。
私達の劇は初日の一番早い時間帯だったので、自分達の出し物が終わると文化祭をゆっくり楽しめた。もちろん田宮君のいる9組にも堂々と入室。……幸子女史と和子ちゃんに挟まれ、多少へっぴり腰気味だったが。
それでも好きな人の教室に入れるというだけで、顔が崩れてニヤけてしまう。席はどの辺りに座ってるんだろう? とか、どこのロッカーなんだろう? とか、どの記事を書いたのかな? とか。
まるで事件を捜査する刑事のように眼を皿にして辺りを見回す、ちょいとアヤシイ荒井美千子。両脇の2人は生温かい視線を送った後、「先教室戻ってる~」と9組を出て行ってしまった。
9組の展示品を熱心に見ていると、廊下が騒がしくなった。聞こえてきた声にトキメキ温度が上昇し、そして下降する。
展示してある張り紙の隙間から見えたのは、田宮君だった。しかしその後ろには後藤君やバスケ部のメンバー、そして最後に諏訪君と尾島。
あのバスケの試合から田宮君と尾島は挨拶を交わす仲になった。それも声を掛けるのは十中八九、田宮君からだ。私は尾島のポジションが非常に妬ましく、2人が顔を合わせている現場を見るたびに、見えないところから密かに覗き見しながらハンカチを噛み引っ張っる始末である。
教室内に所狭しとぶら下がっている模造紙に隠れながらコソコソと出口の方に向かう。田宮君と顔を合わせたいが、もれなくどうでもいい顔ぶれまで付いてくるのはイタダケない。絶対何か言われそうだし、しかも強力な味方が不在とくればここはすぐにでも撤収に限る。
その他に理由などありはしない。
――リハーサルだったあの日、私は最後までバスケの試合を見ることなく、途中で体育館を抜けた。教室に戻るためだ。
私達が体育館で立稽古をしている間、8組の教室では体育館組と別れてセットの作成をしている生徒が数名いた。さすがに一度見に戻った方がよいと片岡君に話しかけ、舞台の袖に引っ込んだ。
試合をしている田宮君の方を目配せしながら和子ちゃんが「いいの?」と声を掛けてくれたが、私は首を振り「ちょっと様子を見てくる」と舞台を降りた。
体育館フロアーにつながる扉を開けると、バッシュが床に擦れる音やドリブルの音、声援が大きくなった。
静かに扉を閉めて体育館の端をそっと歩きだす。
私はコートも見ずに、いや、あたかもそこに存在しないかのように黙々と前を向いて歩いていた。
バカだ。
せっかく田宮君の試合をしている姿が見れるというのに、こんなチャンスもしかしたら二度とないかもしれないというのに。
けれども、もう一人の自分がこうも言っていた。早く教室に行かないといけないし、片岡君や文化祭実行委員の子はすでに応援に夢中だから、と。
それに、こんなのは大した試合ではないと思った。こんなの腐るほど見てきた私にとって、こんな試合は感動はおろか、むしろ――
(ムカムカする)
酷く気分が悪かった。早く体育館を去りたいほどに。
ムキになっている尾島、
一生懸命応援している原口美恵、
諏訪君の高い口笛の音、
眼を輝かせて尾島を追う小関明日香、
田宮君の名前を連呼する成田耀子、
満面な笑みで尾島に抱きつく後藤君、
そして、尾島と笑顔でハイタッチをする田宮君。
様々な思惑が交差している熱いバスケットコート。
例え前を向いていても、コートの方を見ていなくても、見たくないと思っても、眼の端に映ってしまう。気配でわかってしまう。
スコア表の後ろを、そして小関明日香や成田耀子がいる女子部員の後ろを通り過ぎた。ひっそりと空気のように。
(お願い、これ以上出てこないで…………ユウジン)
私は静かに目を伏せた。
そして、一度もコートの方を見ることなく、体育館を後にした。