笹谷さんの恋愛事情~後編~
少し長いです。
(笹谷さんと桂……君?)
どこをどうしたらそうなるのだろう。いくら小学校の時に同じクラスだったとはいえ、こんな大人っぽい綺麗な笹谷さんが、どうしてあの桂君なのか。クールというところは2人とも共通してるような気もするが、笹谷さんにはどちらかというともっと大人っぽく落ち着いた人が合う気がする。不良と言うより包容力のありそうな大人……そう、年上がシックリくる。
思いっきり不可解な顔をしている私に、笹谷さんはバツが悪そうに目線を下げた。
「あ……桂君って、あの桂君……だ、よね?」
あのってなんだよと自分で言っておきながら自分でツッコむ、荒井美千子。
笹谷さんは顔を伏せたまま頷いた。今度は笹谷さんの方が顔を真っ赤にしており、その姿は見た目以上に乙女で、むしろ彼女のようなクールな子が真っ赤にしてるとあまりの新鮮さにグッとくるってもんである。
(……しかし、桂君……)
恋は十人十色。人それぞれ顔が違うのと同じで多様であり、自由だ。……自由なのだが。
(何故、桂君?!)
「あ、アイツ、すごい噂が飛び交ってるけど、本当は違うんだよ? 上級生を殴ったのも、多勢に無勢で仕方なかっただけでっ!」
私がよほど歪んだ顔をしていたのだろう。笹谷さんは桂君の印象を少しでも良くしようと、頬を赤く染めながら力説した。
彼女の話だと、どうやら桂君は口も態度も悪いが友達思いで弱い者には手を出さないらしい。裏番長であった彼のお兄様も、見た目より気さくで、意外と怖くないのだという。
(いやいやいや……桂兄弟の長所な一面を訴えられたところで、なんの特典にもならないし。それに私には一生縁がないと思う。いや、ここは是非とも縁が無いことを祈りたい!)
とりあえず内容が物騒な人達なので、彼女の説明を神妙な面持ちで聞いておいた。ほら、どっかから漏れて、後から「おうおう、ワレ! ワイらのことを適当に聞き流してたらしいのぉ!」などとイチャモンつけられてもヤダし。
(でも……桂君かぁ)
例え笹谷さんの言うように本当はいいヤツだとしても、「火のない所に煙は立たぬ」という諺が正しければ、やっぱり普通の中学生とは言い難い。それに、嫌な噂が立っているのは事実であって、その噂の中には女の子が眉を顰めるような内容も含まれているのだ。
私はどう答えていいかわからず目を泳がせていると、笹谷さんは私の心を読んだのか、急に顔を曇らせ始めた。
「……でも、桂と……ここ最近なんか上手くいかなくて。なんだか素っ気ないし……。それに……晴美先輩と噂が立ってるでしょう?」
笹谷さんは眉毛をハの字にして目を潤ませている。まさにその「噂」を考えていただけに、こちらもどう返していいか困ってしまった。私は見た目辛気臭い雰囲気を纏わせているわりには、そういう雰囲気になることが苦手だ。彼女の悲しそうな表情を吹き飛ばすように明るく言った。
「や、でもでもでも、う、噂でしょ? わわわ私、桂君と3年の晴美先輩が一緒にいるところ見たことないし! あの人、色々な男子と噂があるし、ただの友達……じゃないかなっ、ねぇ?!」
どもりながらも慌てて捲し立てた私に、笹谷さんは寂しそうに笑いながら「ありがとう」と言った。
「……でも、3年の晴美先輩と仲がいいのは本当かも。これ内緒だけど、夏休みに美恵……原口なんかと桂の家に遊びに言ったら、晴美さんと家から出て来たの。私達、そりゃハッキリ付き合おうって言った訳じゃないけど……上手く言ってるかと思ったのに」
だって、キスまでしたのに……。
ドッカーン!
あまりの衝撃的な告白に目を剥き慌てふためく荒井美千子、オクテで乙女な13歳。
(うそぉ! つーか、中1で実際キスした人物を初めて見たよ、オイ!)
そんなこと、今日仲良くなったばかりの人に言っていいんですか?! と目で訴えても、当の笹谷さんは俯いたままだった。
(桂君と笹谷さん、桂君と晴美先輩……もしや、こういうのって二股っていうんじゃないの?)
笹谷さんと桂君のことは初めて聞いたが、桂君が3年の晴美先輩と恋仲だという噂が飛び交っていたのは本当だった。2人の付き合いは親密であり、『毎度おさわがせします』も真っ青な、「中学生にはまだ早いんじゃないか」と真っ赤になるような、「そんなところまで行き尽くしているんだぜ、俺達!」な最強カップルだと言われていたのだ。またこの晴美先輩が、この年頃には珍しい程の恋多きクセ者で。学校では1、2を争う、いやおそらく学校1の色気とボディを持つモテ女だったろう。アダモちゃんのような純情な美少女、天然な可愛さではなく、自分を良く知り計算された可愛さ。不良ではないけど真面目でもない、ちょうどよいポジションをキープしつつ、イケてる女を演出。3年になってからは最上級生という立場と桂君の彼女の位置を確保したので、やっかみによる女生徒からの嫌がらせは無くなったようだが、1、2年の頃はそれはひどかったらしい。
(晴美先輩と桂君の噂が本当だけでなく、二股までかけていたんだ、あの裏番。晴美さんと「ムフフ」なことをして、一方で笹谷さんともキス……)
「……私、本気だったのにな……」
いつの間にか笹谷さんは顔を片手で覆いながら涙声で訴えている。その姿を見た私は、桂君に対して沸々と怒りが沸いてきた。桂君が「裏番」というのはこの際置いといて、大体中学1年生の分際で二股なんていい度胸である。いくら強面の不良だからってなんでも許されると思ったら大間違いだ。ここは女子プロの皆様(特にダンプ松本様熱烈希望)に竹刀で御仕置されても文句は言えない。さすが「チビ猿」の親友といったところだろう。
「……さ、笹谷さん。ここっここう言っちゃなんだけど、笹谷さんにはもっとイイ人がいる! ……んじゃないかな……。なにも桂君でなくても! ……ややや、別に桂君が悪いと言うわけではなくて――そう! ももももっと、大人っぽい年上の人が合うと思う! あ、ほら、笹谷さん綺麗だし、桂君にはもったいない! ……な~んて……。で、でも、私はそう思うと言うかなんというか……よよよ世の中広いし、世界にはもっと素敵な男性がいるし! ほら、このリバー様のように!」
私は力作の下敷きをビシッと指差し、彼女の気持ちを和らげるようフォローしてみた。笹谷さんと桂君が親密な間柄というのもあり、ところどころビビって誤魔化すような言葉になってしまったが。……でも同じ女として裏番の態度は許し難いし、黙ってはいられなかった。
(こんなこと、実際桂君当人に聞かれたら「えらいこっちゃ!」だけどね)
笹谷さんは綺麗な茶色い目に大粒の涙を溜めながらこちらを見上げジッと見つめた後、無理して精一杯笑った。「やだ、荒井さん……すごい嬉しいんだけど」と言いながら指で目元を拭い、グスグス鼻を啜る。
その時、彼女のある部分が目に入り、ハッとして息がつまった。
気付けば雨の臭いが教室に漂ってきた。彼女の心を写すように、ポツポツと降り始めた雨。それは次第に強さを増し、校庭で部活をしていた生徒達を校舎の中に押し込めていく。いまだ涙を拭っている彼女。
衣替えしたばかりの長袖のセーラー服の袖元から見え隠れする手首には――。
手首の内側に貼ってあるのは絆創膏であり、茶色いシミが滲んであった。
笹谷さんは私が何処を見てるのかわかったようだ。私は動揺しつつも何も言わなかった。その代わりに慌ててハンカチを取り出そうとする彼女にティッシュを差し出し、彼女も黙ってそれを受け取った。
廊下が騒がしくなった。
生徒達の声が近付くと、笹谷さんはティッシュで素早く涙と鼻水を拭いシャンと背筋を伸ばした。若干目が赤いものの、いつもの涼しげで綺麗な笑みに戻り、静かに「ありがとう」と言ったのだった。
*******
手首を傷つけるほど悩んだ笹谷さんと桂君の恋は、結局噂になることもなく、数人の心のうちに留まるだけになった。
この先桂君は晴美先輩を筆頭に、年上の女と浮名を流すようになるのだが、その当時は彼の行動が全く理解できなかったし、したくもなかった。
しかし年を重ねた今ならなんとなくわかる。彼が余裕ある年上の女に引かれてしまったのは、仕方がないことなのかもしれないと。
この頃の中学生男子の心と身体の事情、特に桂君は同学年の男子生徒と比べてとても成長が早かったので、それを同学年の女の子に理解し受け止めろと言うほうが無理な話だったのだ。
これは私の想像なのだが……もしかしたら彼の取った行動は、当時様々の事情を抱えていた笹谷さんを、自分の性の捌け口にしてしまわぬよう、己から彼女を守るための苦肉の策だったのかもしれない。その結果、笹谷さんは泣く泣く桂君への想いを断ち切り、一つ上のサッカー部の先輩からの告白を受け入れ、山野中の「伝説」通り公認のカップルとなったのはなんとも皮肉だが。
彼らはお互いに想いを秘めながらも、私とは違った意味で酷な道を歩んでいくことになるのだが、それはまた別の機会にお話ししたい。
笹谷さんが桂君と疎遠になる一方で、私と彼女はこの放課後を境に急激に親しくなった。
笹谷さんは見た目も性格も私とはまったく違ったタイプの人だったが、何故かウマがあった。四六時中一緒にいるわけではないのに、一緒に入れば心地良い関係。滅多に会わない親戚だけど、会えば気心の知れる、気兼ねのない親族のような人。それは和子ちゃんや幸子女史とは違った種類の親密さであり、言葉では説明できない奇妙で深い縁だった。
彼女はこの先、私が大変な目にあうにも関わらず、何度も助けてくれるだけでなく、最後まで変わらない友情を示してくた。彼女自身も大変で不安定な時期だった筈なのに、黙って見守ってくれた。
残念なことに彼女とはある事情で離れ離れになってしまうのだが、数年の間は手紙のやり取りが続いた。しかし多くの人がそうであるように、時間と環境が二人を分かち疎遠になってしまう。
が、ここで完全に切れてしまわないあたりが彼女と私の縁なのだろう。
お互い日々の生活に埋もれ、記憶も曖昧になり、この先会うこともないだろうと思っていたのに……。中学からスタートさせた友情が、途中ブランクやお互い様々な事情を乗り超えて再び巡り合い、ババァになるまで付き合いが続くことになろうとは……この時には想像もつかないのであった。
今回はホロリとしたお話でした。けど、こんな中学生いるんかいな? 私はノホホンと過ごしていたからなぁ、きっと知らないところで色々あったんだろうな……あったんだ、と思いこんで書いてます。イマドキの中学生はどうなんでしょ?
それにしても……平成生まれの子は「毎度おさわがせします」わかるかな。当時としてはかなりキワドイ内容だったと思う。中山美穂のお宝映像アリ、そして異様に盛り上がった女子プロ全盛期の時代であります。