笹谷さんの恋愛事情~中編~
少し長いです。
猫のように目を細め、魅惑的な表情を湛えながらニヤリと笑った笹谷さん。
男なら確実にダラしなく顔が緩む可愛らしい顔だが、何かを含んだその顔つきに、正直「またか」とため息を漏らしそうになった。
(……笹谷さんも誤解してるのか)
実は「親睦遠足会」の新聞に貼られたスクープ写真のおかげで、不本意にも私とチビ猿はちょっとした噂になったのだ。実際奥住さん達のような8組以外の生徒(特に女子)に、「尾島となんかあるでしょ? アヤシイ~」と言われたり、尾島にホの字の女子から睨まれたり、嫌味を言われたり……。しかしそんな噂は事実無根なので、すぐに沈下した。呼び出しなどの大事にならずに済んだのは幸いだったが……残念ながらいまだにいるのだ、根も葉もない噂を信じ疑っている人が。その筆頭が原口恵美なのだから、まったく迷惑以外なにものでもない。
(笹谷さん、原口と仲良かったからなぁ)
心の中でため息を吐いたが、ここは今後の為に笹谷さんの誤解を解いておこうと口を開きかけた。が、彼女の方が一歩速かった。
「しかも荒井さん、『モモタ』にちょっと似てるしさ。特に横顔、時々ドキっとしちゃうんだよね」
「……え……は?」
笹谷さんはスッと真面目な顔に戻り、黒板の方に視線をやった。一方私は、尾島と映画の話題が急に関係のない内容に変わったので、思わず目をパチクリしてしまった。
(え? モモタ?)
何処かで聞いたことがあるような名字――だった筈。しかし思い出せない。妙に引っ掛かるだけでなく、モヤモヤした煙のようなものが頭に中を立ち込めていく。
「忘れられないんだろうなぁ。……しかも今回もまったく見込みなさそうだし。可哀想だけど、仕方がないかもね。だって……荒井さんって、好きな人いるでしょう?」
『モモタ』という名前が気になって、ろくに話も聞かず「何処で聞いた名前だっけか?」とウンウン頭を捻って考えていたが、さすがに最後の言葉は頭を貫通し、思考が止まった。
頬が徐々に熱くなっていくのがわかった。おそらく顔は真っ赤だろう。
でもすぐに「ハイ、そうです」とは言えなかった。笹谷さんとはお互い蟠りが取れたと言っても、ついさっきの話だ。すぐに、
『や~ん、わかったぁ? 実はね……私の好きな人、1年9組のバスケ部の田宮君なのっ! キャッ、言っちゃった、どぅしよぉ~☆』
……なんてパジャマパーチィー的なガールズトークができるほど進展したとは正直言えない。それに好きな人の名前は、まだ和子ちゃんと幸子女史にしか教えていなかった。
茹でダコのように真っ赤になったまま固まっていると、笹谷さんはプッと吹きだした。「やだっ荒井さんって、カワイ~!」と笑いながら。
こんな素敵な女生徒に可愛いなどと言われ、ますます恥ずかしくなった私はさらに縮こまりながら俯いた。
「ごめんごめん、別に無理矢理聞こうって訳じゃないから! けど、好きな人って『尾島』じゃないでしょう? むしろ苦手な感じ?」
笹谷さんの言葉にハッと顔を上げた。今まで疑われたことはあったけども、「尾島のこと、好きじゃないでしょ」と正面から理解してくれたのは和子ちゃん以来だった。思わず、
『いやぁ、わかる? わかってくれる? やっぱ原口とは違う、違うねぇ!』
……などと親しみを込めながら、どっかの首相同士のように盛大に握手をかましてハグをしたいところだが――何故かな、彼女の表情が寂しそうな苦いような感じだったので、結局引き攣った笑みだけしか出てこなかった。
「え~あ、あの……ど、どちらかと言えば苦手、かもしれない……というか」
言いにくそうに言葉を濁していると、笹谷さんは特に気を悪くせず、頷きなながら「そっか」と息を吐いた。例え私にとって尾島は嫌な奴でも、笹谷さんにとっては元クラスメート。映画だって見に行くほどの仲間みたいだし、もしかしたら男女の域を超えた大親友かもしれない。そんな彼女の前で遠慮なく「そりゃもう、超絶ウザイっつうかぁ、むしろ嫌いの域なんっスよぉ(笑)」と軽々しく肯定するのは憚かられた。
でも、こうして笹谷さんに「私と尾島はなんでもない」と認識してもらえたのは喜ばしいことだった。そういう噂が広まれば、少しは原口美恵の心も穏やかになるだろう。いや、是非ともそうなってほしい。そうすれば私のバレー部でのポジションも過ごしやすくなると、知らず知らずのうちに都合の良い計算が働いてしまった。この際、笹谷さんから原口美恵にその旨を伝えてもらえればもっと確実なのだが、生憎彼女達は絶交中である。だからこそこうして笹谷さんとも話す機会もあったのだが……。
「……やっぱ、そうだったんだ。こりゃ望み薄、か。ま、動機も「似てる」じゃ不純だしね。尾島の単純な性格らしいっちゃらしいけど……やっぱ、こっちとしては納得できかねるわよ、ねぇ?」
肩を竦めて溜息をついた笹谷さん。その姿は本当に厭きれているという訳ではなく、しっかりものの姉がどうしようもない弟を見守るような感じに見えた。……言っている意味は分からなかったけど。
「本当『ロクでもないんジャー』のメンバーってどうしようもないからなぁ。ニブイというか、ホント子供と言うか……。今ならわかる、『モモタ』の言うこと間違ってない。ガキくさいアホな連中かも」
その瞬間、頭の中で笹谷さんが言ったある名前がパチンと弾けた。
『モモタ』
……そう、思い出した。その名前は確か「チビ猿」に苦い失恋を体験させた浪花の転校生の名前じゃなかったか。
(しかも笹谷さん、私に似てるって言わなかったっけ?)
「……荒井さん、どうしたの?」
今まで引き攣り笑いをしていた私が、急に険しい顔をしながら固まってしまったからだろう。笹谷さんは急におろおろしながら聞いてきた。「なんでそんなに顰め面なの?」と軽く眉根を寄せている彼女に、慌てて「なんでもない」と手を振って答える。
「あ、あの! さささ笹谷さんはどうなの? 誰か好きな人はいるの? ややや山野中の生徒? っていうか、笹谷さん、もう、すすす既に誰かとお付き合いしてそう!」
『モモタ』という名前と「私と似てる」という言葉は非常に気になったが、そのことを聞けば尾島に興味があると誤解をされかねない。なんとか話題を逸らそうと、苦しいながらも笹谷さんに話題を振ってみた。
「え……えぇっ? わ、私?!」
笹谷さんは慌てた様子でどもった。咄嗟に出た割にはなかなかナイスな切り替えし! などと思いながら笹谷さんを見れば、彼女は茶色い目をキョロキョロと忙しなく動かし、そわそわし出した。
(……あ、もしかして……いきなり図々しかったりして……)
どう見ても今の笹谷さんは、今日親しくなったばかりの地味な私に恋の話を突っ込まれるとは思わなかったというような感じだ。今後仲良くしていくためにも、「あ、ごめん、答えにくいことなら、言わなくてもいいから」とフォローしようとした、その時。
「あ……うん。実は、ね……」
(あ、あれぇ?)
以外にも笹谷さんはガッツリ乗って来てくれた。
「桂――なんだけど」
またまた以外にも笹谷さんはハッキリと名前を言った。
(かつら?)
その名前を茶色いサラサラヘアと潤んだ目元を持つ、大人びた笹谷さんの口から聞いた時は、耳を疑い思わず「えっ?」と最大に眉を顰めて聞き返してしまった。
(まさか……小五郎、のわけないよね)
笹谷さんは私のアフォな考えを読んだかのように、今度はフルネームで繰り返した。
『桂 龍太郎』
お気付きの方もいるだろう。彼は『大野小隊・ロクでもないんジャー』の一員であり、クールな一匹オオカミを彷彿させる黒のポジションを名乗る人物である。
通称、バカツラ。
しかしその通称を呼べる人物は極々一部に限られている。私の知っているメンツでそのあだ名を堂々と言えるのは、「2人しかいない」と言えばおわかりいただけるであろうか。もっとも、彼は既に『大野小隊・ロクでもないんジャー』を脱退しているというのが正しい。
そんな桂君は入学式の日からその名前を校内に轟かせ、知る者はいない程目立っていた。
それも悪い意味で。
入学式の当日から髪と細く整えられた眉を黄金色に染め、制服は規格外の代物をお召しになり、極めつけは同じ匂いのする素行のよろしくない上級生との派手なお戯れ。仲間が駆けつける前にその上級生を思いっきりボコってしまった。後藤君ほどのガタイ(なんと180センチ!)ではないが、決して名前負けしていない筋肉質な体格と背の高さ、さらに空手の段を持ってらっしゃるヤンチャな桂君には、それ相応の大物がバックにいることもあり、さらに「不良」という肩書に拍車をかける。
そのバックの名前は『山野中の鬼夜叉』。
この付近を統括している「伝説の裏番」と呼ばれ、裏番どころか、むしろ堂々と表番だよ! ……と言いたいほど、『山野中の鬼夜叉』の肩書を持つ「桂寅之助先輩」は、なんと桂君の三つ年上のお兄様でいらっしゃったのだ! 在学当時、「山野中きっての史上最悪のワル」とまで呼ばれた桂先輩は相当ハチャメチャだったらしく、教師も身内も手を焼いていた……どころか丸焦げだったようだ。その桂先輩は弟である桂龍太郎君が入学するのと入れ替えに無事山野中を卒業され、その後は「美園工業高校」と言うおよそ名前とは程遠い、荒くれ者が多く進学する高校に通っていらっしゃるとのことだ。
そんな『山野中の鬼夜叉』を身内に持つ桂龍太郎君は、ほんの半年前まではランドセルをしょっていた筈なのに、数いる先輩方を押しのけて山野中のボスを若干12歳で襲名。「オマエ、本当に中1かっ?!」という無敵な彼の目の前には、敵はおろか、開けて道ができる今日この頃である。
その桂君と「よぉ!」とか「おぅ!」とか、なんの躊躇もなく挨拶を交わすのは、あの尾島を含めた「ロクでもないんジャー」のメンバー達。その結果、尾島達は周囲の生徒だけでなく、先輩や先生達にも一目置かれる存在となったのだった。