2月は境界~Miss.小リスの詰問①~
歓声が聞こえる中、緊張のせいでバクバクする心臓と震える内股歩きを落ち着かせるために、拳をギュッと握った。
「荒井ちゃん!」
掛け声の方に体を向ければ、光岡さんがボールを放ってくる。バウンドしたボールは砂場のグラウンドのせいか弾みが若干緩く、距離が足りなかったので慌てて自分で取りにいった。
「頼んだよ!」
ボールを受け取った後にコクコクと何度も頷きながら、ボールの具合を確認することもかねて、地面にスパイクを打つような要領で数回弾ませようとしたが止めた。
(き、緊張しているのに、コレが出るのか……)
どうやら今までやってきた癖はなかなか抜けないらしく、こんな事態でも身体は覚えているようで、ボールを持つと無意識のレベルでやってしまうらしい。現場を離れてマネージャーになってから半年ほど経っているし、今は部員としてボールをきちんと触る機会などほとんどないのに。
「荒井さん、しっかり!」
「ぜったい、なんとしても決めてね、荒井ちゃん!」
仲間からの大変アリガタイ追加の声援が背中にグサグサと突き刺さった。
公式な試合でもなければ、保体の成績が決まるわけでもない単なる「球技大会」という場面で、「ぜったい、なんとしても」などの厳しい命令……や、掛け声をするほど意気込んでいるのは、我が2年1組の女子バレー班のキャプテンである奥住さんだ。正直「そんな殺生な!」と返したいところだが、彼女の瞳には必勝の炎がメラメラと燃え盛っている。すでに気分はこの試合に勝った後の対戦相手である2組に向かっているのだろう。故に友人である彼女に後ろ向きの意見はご法度である。おかげで緊張が高まり、引きつり笑いしか返せなかった。
(や、でも、単なる学校行事じゃん? そんなに緊張する必要ナイナイ! こんな試合、気楽に構えていても問題はないぜっ、フォッ~オゥ!)
――軽く流してみたが、しかし。
(なぜにしてあと一本決めれば我が1組の勝利で試合終了というオイシイ場面に鈍臭い私が立たなければならないのでしょうか神様)
ただ今我が1組女子バレーボール班は、決勝進出の切符をかけた準決勝の試合のまっただ中。
試合は両チームとも各1セットずつ勝ち取り、否が応でも盛り上がる3セット目。
点数は20対18の超接戦でマッチポイントを迎え、1組はあと一本獲れば試合終了という、某時代劇なら印籠を出す手前の助さん格さんやっておしまいなさい的な状態。
「…………」
おまけに狭いコートを取り巻くのは、決勝でもなければ大した内容でもない試合にあるまじきギャラリーの数。もちろん、こんなに大勢の人がいるのは、決してショボい試合見たさに集合しているわけではない。
「荒井がんばれ~! あと一点だ!」
とっても素敵な声援でトドメを刺してくれた男子の存在が、理由その1だ。
目の端で、現在学年ナンバー1の爽やかモテ男子が、沢山いるギャラリーをものともせずビッグスマイルで声を張り上げているのを見て泣きそうになった。もちろん感動して、という意味ではない。
や、非常にありがたいことだとは分かっている。しかしモテ男の佐藤君に名指しで声援を受けたことに対する周囲の痛い視線を感じれば、呑気に嬉しさに浸っている場合ではなかろう。
(……みなさ~ん。私は同じクラスメイトってだけで、佐藤君とは特別親しいというわけではないのですよ~。鈍臭い私を見かねて喝を入れているだけなんですよ~!)
しかし悲しいかな。心の叫びはコートを囲っている女子の雰囲気からして(恐ろしくて顔を見れません)、まったく届いていないことは一目瞭然だった。オマケにコートを挟んで佐藤君の反対側に位置している鬼神・修羅に、悪顔……ややや、笑顔を向けられていることが一層拍車をかけているようだ。言うまでもなく理由その2である。
おかげで単なるバレーのコートが、「この豚!」などというセリフが飛び出す愛と憎しみが繰り広げられる昼ドラもびっくりのカオス状態だ。
(胃がシクシクと痛みます……。もうお祓いしてもらうより、先手を打ってこちらから呪いをかけたほうが手っ取り早いのでは)
とりあえず心の中で、白鉢巻でろうそくを頭に括り付け、藁人形を釘ではなくスパイクの連打を浴びせながら、そそくさとサービスラインに下がった。
定位置につくと、ボールを掌の上で軽く回して空気穴を探し、その位置が下に来るようボールを調整する。サーブは一回失敗してももう一回できるのだからと自分に言い聞かせ主審台に座っている先生を見た。ホイッスルの合図を待つことに集中し、コートを囲んでいるギャラリーのことは一切無視することにした。
佐藤君の横で腕を組みながら、理由その3である仏頂面なサルの暗黒視線も見ないふりだ。
少し離れたところで静かに佇んでいる、あの日から妙にぎこちない職人スラッガーの存在も。
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2月に入り、寒さが一段と厳しくなった。そんな冬の最中に行われた今年の球技大会は、去年のマラソン大会とは真逆の快晴に恵まれ、キンと凍るような寒さの中でも日差しが降り注ぎ、受験生やア・テストを控えている生徒たちの心を多少なりとも和らげているようだった。
隔年で行われているこの球技大会は、運動会や遠足に続く山野中の生徒たちの間で大変人気のあるイベントだ。授業はないのはもちろんだが、マラソン大会のようにわざわざ競技場に赴かなくていいし、なにより自分の出番がなければ他の試合を見ながら好きにくつろげる。チームによっては友達と駄弁っていたいがために、早々に負けるチームもいるくらいだ。
そして、もっとも人気がある理由が、なかなか交流できない他学年や違うクラスの生徒たちの試合を堂々間近で観戦できるという点であろう。気になる異性がいる思春期真っ盛りのお年頃な中学生にとって、公然とコートの傍で応援できるこのイベントは、否が応でも愛の告白――いわゆるバレンタインデーの余興として格好のイベントなのだ。
以上の理由で山野中の球技大会は非常に盛り上がりを見せるのだが……それはあくまで恋する紳士淑女や、面倒臭がり屋さんや勉強嫌いな輩の場合であり、全員が全員当てはまるとは限らない。
「ミチ! ナイスサーブだったな!」
――そう。
迫力もなければ勢いのかけらもない、思いっきりトチ狂った挙句横に反れててっきりアウトだと思っていたのに奇跡的にもサイドライン上に落ちてラッキー勝利となった私のヨレヨレヘナチョコサーブを、こんなに大勢の人がいる中で「ナイス」などという嫌味を入り混ぜながら気軽に話しかけやがった鬼神・修羅の嫌がらせのせいで、生理でもなければ風邪でもなく今年はすこぶる絶好調なはずなのになぜか気分が冴えない荒井美千子さんには決して当てはまらない。
断じて、当てはまらないのである!
(妖怪人間め……おとなしくまともな人間になる方法でも模索していればいいのに!)
おそらく受験の息抜きもかねて、荒井美千子の周囲を引っ掻き回しに来たに違いない。満開のバラを背負いながらアイドルスマイルで話しかけてきた雄臣に対し、密かにギリギリと歯ぎしりをしながら聞こえないふりでスルーし、逃げの体制に入った。逃げれば余計に追ってくるとわかってはいるが、放置のままでもろくなことにならないので、敢えて待つことはしない。ここは潔く尻尾を巻いて、卒業まで逃げの一手をブッこむぜ夜露死苦! と気合を入れてみたが、そんな必要はなかった。
ブルドーザーの勢いのごとく耳をつんざく奇声が割り込んできたから。
「きゃぁぁぁ~! 東せんぱ~い!」
頬を真っ赤に染めながら、私の前に躍り出たのは奥住さんだった。
(素早すぎる、奥住さん)
確か今の今まで応援に来ていた1組の男子と勝利を分かち合っていたのに。雄臣が声をかけてきた途端、クラスの男子そっち抜けで雄臣に乗り換えたこのバイタリティー。実に天晴、見事に尽きる。
奥住さんは、雄臣の後ろにぞろぞろと控えている嫉妬メラメラの取り巻き3年や、雄臣の背中に咲き誇っているバラ(しかも黒バラ)、そして私を突き飛ばす勢いで雄臣の前へと駆け寄った。おかげさまで雄臣と私の間には幾重もの分厚い壁――バックには3年女子、フロントには2年女子が張り巡らされ、まったく身動き取れない状態だ。しかもただ今雄臣は世間向けのよそ顔モード。奥住さん以外の女子、光岡さんや鈴木さん&田中さん達を含むおとなしい系でまとめた1組のバレーボール班や、目がハートになっている違うクラスの和子ちゃんを無視できず、爽やかな笑顔で受け答えをしている。充実した層の厚さに、若干イラつき始めてきた幼馴染を遠巻きに眺めながら、脳内でニヤリと笑った。
(奥住さんもなかなかイイ仕事をなさいますな)
黒い笑顔を隠しながら、「シメシメ……奥住さん達そのまま永遠に足止めをお願ぇしますぜ、ゲヘヘ☆」と、この隙にドロンを目論む荒井美千子。人だかりの方を向いたまま、あくまでも自然体を装いながらソローリソローリとコソ泥のように下がると、トントンと肩を叩かれた。このクソ忙しいときに誰やねんと振り向けば、頬にブスリと人差し指が勢いよく食い込んだ。
「ひっかかったァ~」
「…………」
ものすごく痛かった。人口えくぼができそうなほどのえぐれ具合に、悪意を感じるのは気のせいか。
首を勢いよく振って刺された指を弾き飛ばそうと思ったが、いつものように何も反撃できずに終わった。そこには先端が三角の黒い尻尾をユラユラさせながら、いまだに人の頬に指を突っ込んでいる小関明日香の他に、結構なメンツのオールスターズが揃っていたからだ。
ま、オールスターズはオールスターズでも、「サザン」という名の素晴らしい方ではなく「散々」がつく残念な方だが。
前門の虎に後門の狼という故事のようなシチュエーションって本当にあるのだなと、上手いことを言う昔の人に敬意を払いながら、ずらりと勢ぞろいした小関明日香を筆頭とする女バス集団の赤黒シャリジャージを眺めた。他に山野中指定ジャージやグレーピンクの女バレジャージなども交じってはいるが、圧倒的にのバスケ部が多い。この赤黒の配色具合はまるで地獄の風景、もしくはどこかの怪しい宗教団体を連想させるなと思ったところで食い込んでいた指がやっと離れた。
「1組の女バレチーム、試合勝ったんだぁ? 次決勝だし? ミっちゃん、すごいよぉ!」
片側だけものすごく赤くなっているだろう頬を抑えながら、賞賛する小関明日香にとんでもございませんことよホホホと引きつり笑いを返した。
「それにしてもミっちゃんの最後のサーブ、すごかったなぁ。でも絶対アウトだと思ったのにぃ。あんなサーブ、どうやったら打てるのぉ?」
「やだ、小関ったら。偶然に決まっているでしょ、偶然。どう見てもたまたまって感じじゃん?」
どうやら小関明日香は「勝ったんだぁ?」などと聞いてきた割には、あんな私のヘナチョコサーブをしっかり見ていたらしい。明らかにわざと毒を吐いている小リスの屈託ない言葉に原口がご丁寧に答えると、成田耀子を筆頭に女性特有のクスクス笑いを零した。もちろん言葉にも、その笑いにも親愛など込められていない。
「そっかぁ、偶然かぁ。じゃあ、あの2組との試合は結構厳しいかもぉ~。10組とやったとき、凄かったよぉ! 宇井さんなんて、球技大会なのにぃ、マジなんだもん」
拗ねているのか、小関明日香の唇を突きだすプンスカポーズに、「ケッ、そもそも本気を出させたキッカケはアンタでしょうが!」と鼻で嗤いそうになった。