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振り向けば、君がいた。  作者: 菩提樹
中学2年生編
145/147

1月は氷解~Mr.ブルーの告白⑧~

 私と星野君は、お互い目を合わせたまま、暫く動けずにいた。

 多分見つめ合った時間はそんなに長くない。ほんの数秒だと思う。でも私にはその時間が永遠のように感じられた。



「……ごめんなさい」



 本当は、ハッキリ言いたかった。

 けれど、出たのは情けないほど掠れた声。




 カラン!




 二人の間に張りつめた空気を破ったのは、コーヒーの空き缶だった。

 一際大きい風が吹いたせいか、星野君が飲んだコーヒーの空き缶がベンチから落ちて勢いよく転がっていく。その音に我に返った星野君は慌てて立ちあがり、転がった空き缶を拾いに行った。

 まるで、現実から逃げるように。


「星野君……」


 彼が戻るころには、不意打ちの問い掛けに対して少しだけ、余裕が生まれていた。私は立ったままの星野君を見上げ、もう一度静かに、そして今度こそしっかりした口調で告げた。



「ごめんなさい。『モモタ』っていう人、知らない」



 星野君は身体をピクリと身体を動かし、「そうか……」と気の抜けた声で呟いた。帽子を目深にかぶったまま俯いているので、瞳が見えないから本当の表情はわからない。けれども、一歩も動かない彼からは、明らかに落胆の色が滲み出ていた。


「知らないのか、『モモタ』って人」

「…………」

「親戚にもいないのか」

 

 私は無言で頷いた。そうすると星野君は死刑宣告を受けたかのように、糸の切れた操り人形のようにどさりとベンチに沈んだ。その星野君の落胆ぶりがあまりにも酷かったので気の毒には思ったが、知らないものは致し方ない。敢えて言葉は掛けなかった。

 とは言っても、正確には『モモタ』のこと、まったく「知らない」というわけではない。彼女のことは、貴子から少し話しを聞いていたので、ある程度のことは知っていた。大野小に一年ほどいた大阪から来た転校生だったこと。尾島のせいでクラスからハブ攻撃にされたこと。なんと尾島の初恋相手で、最後尾島をこっぴどく振ったこと。……そして、少しだけ私に似てるということも。でもただそれだけだ。

 もちろん、私の親戚に『モモタ』なんて人もいなかった。

 私の母は兄弟がいない。しかも渡部の祖父母はそれぞれ身内を、戦時中や戦後すぐに亡くしているらしいので、渡部の方の親族はほぼ皆無なのだ。唯一祖父の弟、母にとっては叔父にあたる人が生きているが、その人は独身で子供がいない。

 では、荒井家の方は? こちらもありえないだろう。だって、父以外の兄弟は全員女性で、『モモタ』という苗字の人に嫁いだ人はいないし、私と同じ年のいとこもいないからだ。しかも荒井家はしょっちゅう親戚が集まるうえに、人の噂をあれこれ言う下世話な人達が多いので、もし『モモタ』なんて人がいれば、苗字くらいは話題に上る筈なのだ。それでも親戚だけは無駄に多いので、全員がシロとは断言できない。しかし、その『モモタ』と言う人が私に似ている(・・・・)と言う時点でほぼアウトだろう。私は荒井というより、渡部の「顔立ち」だからだ。


「そっか、荒井さん関係ないんだな」


 深いため息を漏らしながらいまだ項垂れている星野君があまりに痛々しくて、頷くことしかできなかったが、心の片隅では小さく引っ掛かっていた思いを軽くできたことに、ホッとしている自分もいた。

 あの夏の祭りの夜、彼の口から『モモタ』という言葉を聞いた時から、いつかは聞かれるのではと薄々感じていたからだ。結局星野君にとっては期待ハズレな展開になっただろうけど、『モモタ』とは全然縁がないということをわかってもらうのには、ちょうどいい機会だったのかもしれない。

(大体同じものを持っているからって、なにより単純に似ているからって、身内に『モモタ』がいるなんて、ちょっと無理があるよね。それに……)

 たぶんこれは星野君から『モモタ』の名前を聞いた時から一番引っ掛かっていたことだ。今回はっきり問われたことでその疑問がさらに深まった。

 それは、何故星野君がこんなに『モモタ』のことを気にするのだろう、ということだ。

 それにやたら『モモタ』の持ち物に詳しいのもおかしい。特に財布についての個人的なエピソードなんて、ある程度面識がなければ知りえる情報ではない。

(なんで星野君が? それだけ親しかったってこと?)

 でもそんな話、貴子も言ってなかったと頭を捻っていると、星野君は私がまだ『モモタ』のことで心当りを探っているかとカン違いしたのか、慌てた様子で頭を下げた。


「いや、心当たりがなければもういいんだ。ごめん、ヘンなこと聞いて」

「え?! あ、そうじゃなくって、あ~そそその……なんかお役に立てなくて、申し訳ないというか……」


 別に私が悪い訳ではないが、流れで謝り返すと、星野君も気持ちが落ち着いたのだろう。やっと薄い笑顔を零した


「全然。こちらこそ、わるい。いきなり訳わからないこと聞くから、なんだと思うよな」

「ア、アハハ、そんな……」


 実はチョビっとだけ知ってるんスよとは言えずに曖昧な笑いで誤魔化すと、彼は「けどさ、どうしても確かめときたくて」と言いながら、持っていたコーヒーの缶を横にしながら空中に放り投げてキャッチする動作を始めた。


「たまたま今日になったけど、実は前々から訊こう訊こうと思ってた、『モモタ』のこと。いつ切り出そうかとずっと機会をうかがってた。でも学校じゃ他の連中もいるから話ずらいし、まず二人っきりなんて機会がない。……ていうより、話しかけれないし近付けない」


 星野君はいつもの淡々とした調子に戻るどころか、珍しくもクッと笑った。


「啓介がすごい顔して睨んでくる」

「…………」


 私は思いっ切り思い当たる節があったので、苦虫を噛み潰したような顔になってしまった。彼の言う通り、星野君というより男子が私に話し掛けてくると、すごいお顔で隣の尾島がガン見してくる。それはまるで、荒井美千子が男子を片っ端から味見をする悪女だと決めつけ、正義の味方よろしく成敗してやろう的な険しいお顔だ。まったく見当違いも甚だしい。私はアバズレではなくれっきとした控えめでウヴな乙女だぞと一人心の中でプンスカしていると、星野君は手首を柔らかく捻り、缶を一際高く放り投げた。


「だから、今日はラッキーだった。良かった、偶然に荒井さんと会えて。……肝心な内容は空振りに終わったけどな」


 高く上がった缶はやがて落下し、星野君の掌の中に吸い込まれていく。


「か、空振り?」

「あぁ。俺、『モモタ』と荒井さん、身内なんじゃないかと思ってたから」


 缶はキャッチされた途端、星野君の指が徐々に食い込み、べコリと音が鳴った。


「あ、あの……」

「ん?」

「……そ、そんなに似てるの? え……と、その、『モモタ』さんていう人と、私」

「似てる」


 星野君は真顔のまま答えた。


「……今までなかったか? 貴子とか、大野小の奴らに言われたこと、ないか?」


 黙っていると、星野君はそうかと呟き特に詮索はしなかった。


「これはあくまで俺の印象だけど、横顔とか雰囲気とか、似てる。荒井さん見て、『モモタ』と間違えそうになったのも一度や二度じゃない。実は初めて学校で見かけた時、『モモタ』本人かと思って正直ビビった。けど荒井さんは6年間山野小だって言うし、第一苗字違うしな。ならせめて親戚なんじゃないかって、ずっと期待してた。そこで今日の財布だろ? もう絶対だと思った」


 そこまで言うんなんてどれだけ似ているんだろうと、とても気になってしまった。尾島が絡んでいるから少々面倒だと思いつつも、本音は写真があれば一度くらいは拝見してみたいところだ。世の中には自分と似た人が3人いると言われているが、その一人が意外と近くにいた事実に改めて驚嘆した。


 一体『モモタ』という女の子は、星野君がこんなにも気にする私に似た彼女は、どんな子なのだろう?


「え……と、聞いていい、かな?」


 円らな瞳がこちらを見つめた。


「ほ、星野君はその『モモタ』さんって人と、お友達なのかな? なななんでそんなに『モモタ』さんのこと……知りたい、の?」


 ほんの少しの好奇心のつもりだった。会話の流れで聞いたつもりだった。

 つもりだったのに――。


 星野君は缶を握りしめたまま、ゆっくりと口を開いた。


「荒井さんって、俺んちの噂、聞いたことないのか?」

「へ?」

「貴子、何も言ってないのか?」

「た、貴子が? 何を?」


 バカみたいにキョトンとしてしまった。

 私は『モモタ』の話を振ったはずななのに、なぜ星野君の話に飛んでしまうのか。貴子が出てくるのか。先ほど彼自身が言った通り、わけがわからない。話が唐突すぎて、ついていけない。

 星野君はたっぷり数秒間私の顔を凝視した後、ふいと目を逸らし前方を睨んだまま「貴子、言ってないんだな……」と掠れた声を出した。




「知ってる奴は知ってるから、荒井さんの耳にも、いずれ入るかもしれない」




 え?




「2年半位前、親父が出て行った」




 え? え?




「それっきり帰ってこない」




 え? え? え?




――駆け落ち。

 相手の女、モモタの母親だってさ。




 後悔していた。

 話を切り上げて、貴子を探しに行くべきだったと。

 なぜ好奇心に負けたのだろうと。

 なぜ心に浮かんだ、夏祭りからずっと引っ掛かっていたことを、聞いてしまったのだろうと。


 なぜ私は余計なことを――。




――俺の親父、ロクでもないやつでさ。

 昔から家に寄りつかず、何か月も帰ってこないなんてザラ。

 酒屋の長男なのに、店も手伝わず、弟の叔父さんに任せっぱなし。

 たまに日雇いみたいなので稼いでるらしいけど、普段は何人もたらしこんでいる女のところに転がりこんでる、いわゆるヒモ。

 飲み屋で女の尻追いかけて、フラフラ遊びまわって、金が尽きた時気まぐれに戻って来る。けど金を無心にくるだけ。

 酷いだろ?

 でも不思議なことに、こんだけ最低な親父なのに、女が途切れない。警察沙汰にもならない。


 もちろん母さんとは長続きしなかった。すぐ母さんと俺を爺さん達に押し付けて出て行った。

 でも、尻が軽いのか、面の皮が厚いのか、勘当同然の扱いを受けているのに、平気な顔で戻って来る。しかも他の女に産ませた子供を、猫の子を拾ってきたかのように連れ帰って、置いて出ていった。

 そのせいなのか、母さんは病気になった。生きてるけど、年寄りでもないのにボケてる。もう俺が息子だってことも覚えちゃいない。

 けど、苦労した母さんにとっては、そのほうが幸せなのかもしれない。


 親父のやってることは、到底許せることじゃない。理解できないし、したくもない。

 それでも、いくらロクでもない親父でも、自分の親だし、心のどこかでは図々しく帰ってくる親父に安心していた。結局帰るところは家族のところしかないと、どこかで高を括ってた。


 でも俺が小6の夏を最後に、『モモタ』が街を出ていった日を境に、パッタリと消えた。

 いつもは数か月で帰ってきたのに、2年半も行方をくらましたままそれっきりだ。


 女房も子供もいるのに、甲斐性ないくせに、いい年してモモタの母親が務めるスナックに入り浸りなった挙句、本気で追いかけたんじゃないかって。


 バカだろ?


 爺さん達はもう親父に見切りをつけてる。いなくなってホッとしているかもしれない。

 仕方ないと思う。ウチは客商売だし、店にあんなロクでもないのがフラついていたら客が来なくなる。それに養ってくれる爺さんたちの気持ちを思うと、当然の対応だとも思う。だから、俺もいい加減見切りをつけたい。


……けど俺が諦めたら、きっと終わりだ。こんどこそ親父の帰る場所が無くなってしまう。


 本当は探しに行きたい。けど中学生じゃ無理だ。時間も金もない。野垂れ死んでさえいなけりゃ、せめて生きてることさえわかればと思って、叔父さんたちや先生、モモタの母親が務めてたスナックにも行き先聞いたけど、全然わからない。ていうか、知ってて教えてくれないのかもしれない。



 だから半ばあきらめてた。

 ひたすら待つか、金稼いでこっちから探すか、それしか方法がないから。



 だから、モモタに似ている荒井さんを見て、もしかしてって期待した。

 手がかりがつかめるかもって、思ったんだ。




 ポツリポツリとこぼす彼の言葉は真冬の冷たい風のようで、僅かな体温を確実に奪っていく。




 星野君は疲れたようにベンチの背もたれにすべてを預け、目尻皺ありの好感度とは真逆な顔で自嘲気味に笑った。


 見たこともない昏い瞳をしながら。


 星野君の掌に収まったままの空き缶が、彼の握力によって完全に握りつぶされていく音だけが、いつまでも耳にこびりついていた。


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