1月は氷解~Mr.タイガーの写真②~
(…………確か……今思いっ切り派手な巻き舌で、『ゴルゥァア!』って呼び止めた、よね……?)
やっだぁ、空耳? ……の訳がない。あれが空耳だったら、私の耳は相当おかしなことになっている。
呼び止められた時の体制のまま固まっていた私は、意を決して後方を振り返った。わかっちゃいたが、そこには派手に染めた金髪を鳥の鶏冠のようにセットし、寒い1月にも関わらず短ランの前を全開、けどやっぱり寒いからかドカンのポケットに両手を入れた、相変わらず怖いお顔の桂龍太郎いがいた。
半分しかない眉毛を寄せながら思いっきりガンを飛ばし、声量はサイレント状態(つまり口パク)で何かを言いながらズンズンとこちらに向ってくる。これぞヤンキーの見本を振りかざすそのお姿は、なかなかどころではない、相当の迫力が満ちていらっしゃった。
(ヒェェ~!)
舎弟ならばここですぐ山野中の裏番のところまでバックし、「おはようございまッス! 今日もお勤めお疲れ様デッス!」とキッチリ90度に頭を下げて挨拶するところだが、あいにく私は舎弟でもなければ、親しいダチでもブラザーでもない。ていうか、走り過ぎた時点で舎弟としては完全にアウトだろう。むしろ「通りすがりのパンピー、もしくは通行人Aでございますのでどうか見逃してくだせぇ、ゲヘヘ☆」と爽やかな引き攣った笑みで会釈し、再び走り出そうとすれば、桂龍太郎は再び声を掛けてきた。
『オラァ、ボイン! ちぃっと待てぇぇやぁっ!』
『ヒャォゥッ!』
ご丁寧にも今度はサイレントではなく最大ボリュームの声量でご指名されたので、速攻オヤビンの前に馳せ参じた。その時間、戦隊モノの変身時間でお馴染み「0コンマ何秒」並みの早さである。
とりあえず清く正しい朝の挨拶と、生まれて初めてした遅刻で気が動転してたのでそのまま通り過ぎようとしましたゴメンなさいというお詫びを兼ねて頭を下げれば、目の前のオヤビンは「面をあげ~い!」というような意味合いの言葉を掛けた。お許しが出たので恐る恐る顔を上げれば、桂龍太郎はつぶれたカバンの中に手を突っ込んで汚い茶封筒を取りだしていた。
『このタイミングで遅刻たぁ、オメーもなかなか空気読んでるな、ボイン。手間が省けて助かったぜ。実はここにブツが全部で10枚ある。ワリィけど1枚三百円で頼むぜ夜露死苦!』
『……は?』
巻き舌の怒鳴り声で呼び止められた割には、以外にも褒められたようだ。が、最後の方はなんとなく物騒な内容だったような気がする。
(ブツが10枚? 1枚三百円?)
訳が分からず頭を捻っていると、1枚三百円と言う響きに妙な胸騒ぎを覚えた。何故かロクでもない臭いがプンプンと漂ってくる。
(オイオイ……確か正月早々、どっかの鬼神・修羅も似たようなことを言ってなかったか?)
苦虫を噛み潰したような顔でダンマリを決め込む荒井美千子に、痺れを切らした桂龍太郎は徐々に顔を曇らせた。
『アンダァっ? ナンか文句でもあんのかっゴラァ!』
『ヒィッ! そっそそそそんなっ、め、滅相もない! ……あ、で、でも、い、1枚三百円って』
なんでしょうかと訊こうとしたとき、パッと突然頭の中にとんでもない答えが思い浮かんだ。
(ハッ! ももももしや……これが巷で流行っているという、噂の「パーティー券」なのでは?! 開きもしないのに高額なパーティー券を一般に売りつけて金儲けをする物騒な不良アイテム!)
自分の行き過ぎた想像があまりにもこの場にマッチングしていたため、気付けば大声を上げてで辞退を申し出ていた。
『ダダダダメです! いっ、いけません!』
『……ンだとぉぉ、ゴラァァッ! コレ買わなかったら、どうなるかわかってるんだろうな……そん時はこの封筒に入っているオメェのブサイク写真、学校中にバラ撒いてやってもいいんだぜっ!』
『ヒィィッ! おおおお言葉ですがっ、い、い、いくらなんでも中学生の分際でパーティー券をばら撒くのはマズイのではないかとぉっ!』
『……はぁっ? パーティー券?』
『……って、あ、あれ? しゃ、写真?』
お互い顔を見合わせて目をパチクリさせながら呟やくと、先に我に返った桂龍太郎がガックリと項垂れ「オメェよぉ……」と大袈裟なため息をついた。
『どっからパー券なんて発想が出てくンだよ……大体1枚三百円のパー券ってどんだけショボいのよ! そんなショボい券、10枚売ったからってなんの足しにもなりゃしねぇ。アホか、オメェは!』
『……な、なるほど……』
思いっ切り厭きれている桂龍太郎の妙に説得力ある言葉に同意しつつも、オヤビンの姿見たまんまの発想ですがなっ! ……と心の中で右手も添えて派手にブッ込んどく荒井美千子。しかし本音を漏らすわけにはいかない。読まれないように小さく縮こまっていると、「そうでなくてよ。これはな? ボインのブサイク写真」と封筒を指でバシンと弾いた。
『え……ブっ、ブサイク写真っ?!』
桂龍太郎の衝撃的な言葉に大きな雄叫びを上げてしまった。「どうしてそんなものがアンタの手に?!」という勢いで封筒に飛びかかろうとしたら、寸前でヒョイと交わされた。私の手が届かないところまで封筒を持ち上げられ、まるで飼い犬にお預けを食らわせる要領で「ホ~レホレ」とブツをヒラヒラなびかせる。
『アニキから頼まれたんだわ。ほら、去年の11月だっけか? オメェ、玄さん達の草野球の試合、見に行ったろ。そん時の。全部で10枚、諸手数料含めて1枚三百円だから合計で三千円だと』
『ささささんぜんえんっ?!』
『耳揃えてキッチリ払えってよ。今金持ってンか?』
『えぇ~! そそそそんなっ! も、も、持ってません! たたたただ今ビンボー中でしてっ! そんな大金すぐにはっ!』
『チッ、シケてんな……ま、いっか。時間やるからよ、今日中に頼むわ』
封筒と共にドドンと顔を近付けながら、闇金融並みの凄味の効いた声で脅す桂龍太郎。声にならない悲鳴を上げている間に彼はさっさと封筒をカバンに入れて去って行った。「放課後回収に行くんで、そこんとこ夜露死苦ぅっ!」という捨て台詞と怯えた荒井美千子を残して――。
(どどどどうしよぅっ~!)
思いっ切り動揺して余裕のなかった私は、桂龍太郎の背中がまるで笑いを堪えるかのように震えていたことに気付かなかった。