1月は氷解~Mr.ゴッドの進路・中編~
新年が明けてとうとう雄臣が帰国する予定日の三日前。穏やかで平和な年末年始を満喫している我が家に、朝から無言電話という嵐が襲ってきた。
『正月早々なんて不吉な!』
取る度に無言電話だった為、怒り浸透の父と福袋でGETした洋服のファッションショーに余念がない真美子に代わって、父のお客が来るために超忙しくおもてなしの準備を手伝っていた私が電話口に出れば、いつかを彷彿させるような応答が受話器越しに滑りこむ。
『――俺だ』
『…………だからこのクソ忙しいときにどちらの俺様でしょう……』
『出るのが遅いぞ。それに言葉使いがなっちゃいないな。……まぁいい、手短に要件を言う。明日の便で帰還するから明後日の午後安西家まで来い。なおこの電話は間違い電話であって、決して東雄臣からではない。そういうことで絶対他言無用だ。以上』
ブツッ! ……ツーツーツー……。
(ハイジャックにでもあえばいいのに)
平和な時間は終了した。
新年の挨拶もろくにしない鬼神・修羅的な上官から徴収命令を受けた水島上等兵……ではなく、呼び出しを受けたペーペー新米女豹の荒井美千子は、手強い女豹達(例えば真美子、例えば伏見さん、例えば先輩たち)に気付かれずに来いと言う、年明け初っ端から高等すぎるミッションを課せられた。
なんとか真美子に悟られずに安西先生の家にお邪魔すれば、そこにはニューヨークの香りをプンプンさせながらソファーにふんぞり返っている雄臣がいた。コーヒーを飲みながら堂々と足を組み、優雅に写真を眺めているその姿を見ただけで、自分もマンハッタンが一望できるペントハウスにいるような感覚に陥るから不思議だ。
『よう、ミチ。A Happy New Year! 俺からの愛の籠ったクリスマスカードは届いたかい?』
『……ハハハ』
引き攣り笑いをしつつ、「わざわざニューヨークから送っていただき恐悦至極に存じます」と慇懃無礼に返せば、雄臣はニヤリと笑いながら「未来のワイフには当然だろ」といけしゃあしゃあとのたまい、手にしていた写真をテーブルの上にスライドさせた。
(……ったく。な~にが「愛の籠った」、だ!)
安西先生経由で受け取ったクリスマスカードはポップアップ形式のカードだった。
ただし、カードを開いた途端にミニスカサンタの衣装を肌蹴さした片乳ポロリの巨乳女が、ベッドで寝ている男を襲っているシーンが飛び出てくるという衝撃的なものだが。
内容に問題アリとか、そんな破廉恥な代物をどの面下げて入手したのかとか、問い詰めたいことは色々あるが――中でも尤も重要な問題は、寝込みを襲っている片乳ポロリのグラマーサンタと襲われている男の顔が、女豹顔の荒井美千子とまんざらでもない顔をしている東雄臣の写真(それもつい最近のもの)にすり替わっていたという、憎い小細工が施されていた点にある。
(大体私の女豹スマイル、一体いつどこで激写されたのよっ?!)
『すまない。それは秘密事項だ』
『ワァォッ! 新年早々思考が筒抜けっ!』
『今年のクリスマスにはあの恰好で来てくれ。ついでにガーターベルトと網タイツも忘れるなよ。――しまった! 肝心な煙突がないな……仕方がない、マンションの玄関からで構わないから』
『ななななにが「構わないから」ですかっ! ていうか中学生の分際で肌蹴たサンタの衣装じゃ飽き足らず、片乳ポロリの破廉恥な格好でマンションまで来いおっしゃるんですかっ?! 公然わいせつ罪で捕まるわっ!』
『な~に、そこは「おいはぎ」にでもあったと言えばいいじゃないか。相変わらずオバカさんだな、ミチは☆』
『その言葉、そっくりそのまま星もつけて返してやるっ! ……って、あ、あれ?』
とんでもないことを堂々とほざいた雄臣に、ビシッと指をさしながら少々論点がズレている怒りを燃やした荒井美千子。が、ある重大な言葉が織り込まれていることに気付き、怒りの熱はすぐに沈下した。
『あ、あの……マンションって、雄兄さん……もしかしてっ!』
嬉しさと嬉しさと嬉しさと……ともかく嬉しさを隠したつもりだが、徐々に口が緩んでいくのを抑えられない。
(ついに……ついにこの時が来たぜっ、ヒャッホー!)
脳内でリン・ゴーンと祝福の鐘が鳴り響くのを止められない荒井美千子――なんせ雄臣が卒業するだけでバンザイものなのに、安西先生宅という私のテリトリーからいなくなると、たった今本人自ら宣言したのだから!
勝利の笑顔を我慢するような私の変顔に、雄臣は大袈裟なため息をついた。持っていたマグカップを静かにテーブルに置き、おもむろに前屈みの体制をしながら、腿で腕を支えて指を組んだ。こちらを睨むように見上げている雄臣の目には挑戦的な光が宿っている。
『……相変わらず心がダダモレでわかり易いヤツだな。まぁ、いい。そんな変顔で笑っていられるのも今のうちだ。こっちは色々と奥の手を準備してるからな。開けてビックリ玉手箱ってやつだ』
『え? 玉手箱? ……ってなんですか?』
『いや、パンドラの箱というべきか――』
謎の言葉を漏らす雄臣に首を傾げたが、当の本人はもうその話題は終わりと言うように「以前住んでいたマンションに戻ることになった」と話題を元に戻した。
『本当に? 本当に戻るんですよねっ?』
『念を押すな。とりあえず卒業までマリ叔母さんのお世話になって、卒業したらO区のマンションに戻る』
『……っていうことは、健人小父さんがニューヨークから帰ってくるんですね!』
私の嬉々とした叫び声に雄臣は頭を横に振り、そうじゃないと言いながら頭の後ろで腕を組んで再びソファに凭れた。
『父さんはまだ帰れそうもないよ。あと1年は無理だってさ。仕事が長引くようなら、俺もアメリカに行くかもしれない』
『アアアアメリカぁっ?!』
『クク……そんなハトが豆鉄砲くらったような顔をするなよ。あくまでも「かもしれない」の話だよ』
『かも、しれない?』
『そう。父さんの出張が長くなるようなら、そういう可能性もアリってなだけ。でも暫くはマンションで一人暮らしをしながら高校へ通うことになった』
『……一人暮らし……』
『あぁ。そもそも父さんのアメリカ出張の話が出たとき、俺はそのつもりだったんだ。マリ叔母さんの家に来る気はなかったんだよ。ある程度のことは一人できたから問題なかったし、それこそ父さんは仕事三昧で家のことなんて俺にまかせっきりだったからな。ほとんど一人暮らしをしていたようなもんさ。こっちに来たのは、たまたまいろんな事情が偶然に重なっただけだよ』
『事情……』
『――そうだ。俺がまだ義務教育の身だったり、叔母さん達がタイミングよくこの家に引っ越して、空き部屋があったり……その他色々と、な』
『そう、だったんですか……』
リビングの大きな窓から外を眺める雄臣を見ながら、あらためて彼の言葉を噛みしめると、パンパンに膨らんだ風船が勢いよく空気が抜けていくように、心が急激に萎んでいくのを感じた。
(本当に帰っちゃうんだ……)
聞いた瞬間はとてつもなく嬉しかった。
嬉しい筈だった。
なのに――心には複雑な感情が渦巻き、焦燥感が募る。
それは決して雄臣がいなくなって悲しいだとか、彼に対する愛情などから湧き上がる感情ではない。正直学校という空間を無事平和に過ごしていくには、彼がいない方が大変都合が良かったからだ。
(……なら、この身体にぽっかりと穴が空いたような、落ち着かないような気持ちは?)
それは多分――お互いを認め合った好敵手に先を越されて置いて行かれるような、大袈裟に言えば兄弟、いや双子の片割れと離れるような感覚に似ているのだ。
雄臣は生活を引っ掻き回す厄介な鬼神・修羅である反面、良くも悪くも「荒井美千子」という人物を認め、真正面から向き合ってくれる唯一の人物であることは、鈍い私でも心のどこかでちゃんと理解していた。一度は最悪な形で絶交になった二人だけど、幸か不幸か再び会う機会に恵まれてみれば、時間が経った分それは意外な方向へと動きだし、新たな関係――お互い本当の顔を、心の奥底にある感情を見せられる相手――が築けたのも確かだった。
それに雄臣は一般的に接すれば非常に頼りがいのある優れた人物であった。勉強面しかり、対人面しかり、生活面しかり。一緒にいればその完璧な人となりに感化され、自然と礼儀正しい言葉と態度を学ぶだけでなく、まるで自分もそのような人物になったような気にさせられるから不思議だ。おかげで最初はなんとなく恰好だけで入っていく人も、最終的にはそんな自分が恥ずかしくなり自然と勉強に力が入ってしまう。実際勉強面に関してかなり助けてもらったのは事実で、英検3級に合格したのも彼による力が大きかったのだから。
そして――
『マンションで一人暮らしをしながら高校へ通うことになった』
おそらくコレが最大の理由だろう。
雄臣の一人暮らし宣言は、私の中で燻っている「ある願望」を刺激するのだ。
この街を出て新天地へ向かいたいという、私の強い願望を。