憂鬱な夏休み
少し長いです。
「期末テスト返すから、静かにしろ!」
興奮して落ち着かない生徒達を一喝しながら、梨本先生は出席番号順に名前を呼び始めた。
やっと悪夢の期末テストが終了し、次々とテストが返却された。その結果は……まぁまぁ満足できるものだった。苦手な理科や国語は中間テスト同様あまり芳しくなかったが。それは、まぁ、仕方がない。いくら頑張ってもやる気の出ない、苦手な科目と言うものはあるものだ。かわりと言ってはなんだが、数学と社会はいい出来栄えだった。特に英語は相性が良かったのか、気合の入れ方が並みじゃなかったからか、戻って来た答案は予想以上のものだった。
しかも教壇から、リポーター直々に「クラスで最高点だ、よくやったな」とお褒めの言葉も追加されたではないか!
たかだか中1の1学期の期末テストで一位はたいしたことはないかもしれないが、落ちこぼれ成績を取り続けてきた私には十分すぎる結果だった。
「……さすがチュウだけあって、英語はすごいな」
余計な感想が斜め後ろから飛んできたが、無視だ。勉強に関しては点数をとった者が勝ち。
(フフン、負け犬。いや、負け猿は後ろで吠えてろ!)
頬を染めながらも胸を張って堂々と答案を取りにいった帰り、小6の時に同じクラスだった子の顔がチラリと見えたのだが、まるで信じられないという表情。
その顔を見た時、心の中でガッツポーズを取った。
テストの答案用紙が全て帰ってくる頃には、生徒達の気持ちは夏休みに飛んでいた。
どんな評価の通信簿が返されるかという不安はあるものの、中学生活初めての夏休みが待ち構えているのだ。夏休みをどう過ごそうかと考えるだけで、全ての憂いを吹き飛ばすほどの長い休み。例え、それがほぼ部活動で占めると分かっていたとしても。
「やっと1学期が終わったぁ! 2学期の席替えでこの尾島とも、おさらばだぁっ!」
本人の目の前で遠慮なくルンルンに浮かれまくる和子ちゃんに対して、私の気持ちは「とうとう夏休みが始まってしまう……」とあまり喜ばしくないものだった。
確かに夏休みは起床時間は自由、宿題を除けば強制されて勉強する必要はないという、解放気分の40日間ではある。しかし……。
(あ~あ、田宮君と9月までサヨナラかぁ)
王子の姿を見れない長い休みなんて、「チャーシューめん」の「チャーシュー抜き」に匹敵するほどの味気なさだ。
休み時間やお昼に行くトイレと手洗いの度に、9組の前を通るのが一日のうちで唯一の楽しみだった。偶然廊下であったり、部活の帰りで姿を見かけたり、月曜の朝礼で整列する時に隣同士になる貴重な時間が、9月までお預けなんて……なんという拷問だろう。
彼に恋してからと言うものの、私の中学生活はバラ色に変わった。「自分の生活の全てが、好きな男性を中心にして回る」女の典型的な見本を突っ走っていたのである。
*******
「よ~し、15分休憩」
バレー部顧問の岩瀬先生が休憩の号令を掛けると、コートの中にいた先輩達は「疲れた……」「やっと休憩だ……」とフラフラになりながら、コートを出て冷たい麦茶が入っているビバレッジークーラーに群がった。1年生も先輩達に続いてコートを離れる。
「あ~暑い、暑過ぎる……」
和子ちゃんが手で仰ぎながら空しくぼやいた。冗談ではなく本当に暑い。ただ今午後3時、体育館の中は相変わらず蒸し風呂のようだった。全員顔が真っ赤で、汗だくだ。タオルをオヤジみたいに首に下げてTシャツの中に入れているし(むしろそのままブラの下にまでタオルを通したいくらい)、指定体操着の子は汗が乾いて塩が噴いているのがわかる。
全員倒れるように地べたに座り込んだ。少しでも涼をとるため、体育館の扉に密集し風を受けようとひしめき合ったが、残念ながら扉からは涼しい風が吹くことはなく、熱風が僅かに流れてくるだけ。体育館から見えるグラウンドには、この時間でも真夏の太陽が容赦なく照りつけ、眺めているだけで余計に暑さを煽られた。さっきまで砂埃を上げながら走り回っていたサッカー部員もいない。
しかし、もう少しの我慢。あと2時間ほどでこの一泊二日のキツイ合宿が終了しようとしていた。
「ねぇ、もうそろそろ空いてそうだからさぁ、外で水飲んでトイレ行かない?」
幸子女史は外から帰って来た数人の1年生の方を差しながら囁いた。素晴らしい提案に私も和子ちゃんも頷き、立ち上がった。本当は汗を出し切ってしまって尿意はないのだが、外で水を飲むのは大賛成だ。
「冷たい麦茶を飲みたいなぁ」とビバレッジクーラーのほうに視線を向けるが、ここは気を使って後輩は水道水で済ますのが得策だ。
「麦茶=先輩」、「水道水=後輩」。
麦茶だけではない、他にも上げればキリがないほど目に見えない暗黙のルールが女バレだけでなく他の部活にも漂っていた。21世紀に入ってからの中学の部活事情は知らないが、少なくとも80年代後半であるこの頃は、先輩後輩の上下関係が異様に厳しい時代であった。
例えば、
一つ、先輩と廊下ですれ違った時は、立ち止まってキチンと挨拶をしなければならない。
一つ、コートの中に入る時は、必ず「失礼します」と言って入らなければならない。
一つ、登校する時は部活指定の靴を履かなければならない。
一つ、靴下は長く、短いのは2年生、超短いのは3年生から。(私達の時代はルーズソックスなどの長いものよりも、くるぶしが出るくらい超短いのが「クール」とされていた)
一つ、1年生は基本、学校指定体操着でなければならない。
一つ、1年生は大きめのジャージを着てはいけない。
一つ、1年生、2年生の髪の色は黒のみ。地毛で茶色の人は、黒に染めるべし。無理なら親からの証明書を提出しなければならない。
一つ、1年生はカーラーやコテを使って髪の毛を派手にセットしてはいけない。
一つ、カラーゴムは禁止で黒か茶か紺。カラーゴムやリボンやボンボン付きは2年生になってから。
一つ、1年生は色つきリップはダメ、無色透明でなければならない。
……などなど、数え上げればキリがなかった。
おそらく心の中では先輩も後輩も「バカバカしい」と思っていたに違いない。しかし生徒達は代々この厳しいルールを我慢し、ご丁寧に守り続けているのである。決められたレールを踏み出すアウトローな奴は「生意気だ」の一言で片づけられ、なんらかの制裁を受けるのが決まりだった。大概の生徒は怖くて決められた枠からはみ出ることは滅多にないのだが。
***
体育館の外に出るとムアっと熱い空気が全身を覆った。垂れてくる汗も一気に蒸発ほどの熱気だ。体育館周辺を覆っている補強したばかりの真新しいコンクリートに容赦なく日差しが照りつけ、熱と共にキラキラと反射していた。グランドの方を見ると暑さで蜃気楼のように揺らいでいるように見える。つい先程撒いたばかりのスプリンクラーの水も完全に干上がっており、気休めにしかなっていない。
ぼんやり見ていたグラウンドから手元に視線を移し、水道水の蛇口を捻って温い水を飲んで顔を洗うと僅かだが涼しくなった。
「ミっちゃん、先にトイレ行ってるね」
「う、うん、すぐ行く」
和子ちゃんと幸子女史は「暑い暑い」と降り注ぐ太陽光線を避けるように体育館の中に入って行ったその時。
ガコン!
体育館に続いている校舎の扉が開き、和子ちゃん達と入れ替わるようにして出てきたのは5人の男子生徒達。
(……げっ!)
オヤジのように首にタオルを巻いたまま豪快に顔を拭っている勇ましい姿を見られ、慌てて首に巻いたタオルを引き抜いた。しかも、ある男の姿をバッチリ捉えてしまった自分が憎い。このままタオルで顔を隠しフェードアウトしたいところだが、どうみても不自然極まりない。
(さっさと体育館に戻れば良かった……)
「なんでこんな地味な場所から出てくんのよ!」という不躾な視線に、「昇降口が閉まっていて、ここしか開かなかったからだよ!」と言う類人猿の厳しい視線が返ってきた。
「よお! 荒井、久しぶりじゃん」
声を掛けたのは、真っ黒に日に焼けた男の子だった。
ツンツンヘアーだった髪の毛は少し伸びたが、相変わらず切れ長の目を細めながら人懐こい笑顔はいつものまま。サッカー部であり、元クラスメートの佐藤伸君。
馴れ馴れしく「久しぶり!」……なんて答えることはできないので、曖昧な笑いを浮かべながらチョコンと頭を下げた。
彼の台詞からわかるように、佐藤君は中学に入ってからも思春期特有の「恥ずかしさ、照れ」などとはおよそ無縁だった。
男女問わず知り合いには爽やかなスマイルで声をかける佐藤君。それがクラスメートであろうが、サッカー部員であろうが、成田耀子であろうが、荒井美千子であろうがお構いなしだ。初めはてっきり勘違いをしてしまい、「もしや私に気がある?!」などと浮かれていたが、残念ながらこれが佐藤君の素だと、他の女子に声を掛けている現場を目撃した時点で悟った。彼にしたら相手がクレオパトラでも、マンドリル並みの顔の持ち主であろうとも、「知り合い」であれば関係ないらしい。
アダモちゃんに負けず劣らず天然気味の佐藤君は、相変わらず中学でも「モテ男」だった。面白いだとか顔がイケてるという噂は相変わらず飛び交っていたけど、なによりもモテることを鼻に掛けず人を差別しないところが「人気者」である最大の理由だった。結果、佐藤君は中学でも「学年一」という地位を守り続けている。
「……カッコ!」
隣にいた尾島は佐藤君に強い語気で声を掛けたが、私にはいつものように「一言モノ申す!」……どころか、目が合うとすぐ視線を逸らした。
(え? な、なに?)
定番となりつつある嫌な笑いを浮かべもせず気難しい表情。こころなしか顔も赤い。他のサッカー部員に「いこうぜ」と顎で裏門の方を差し、足早に歩き出した。
何か言われると身構えていた私は、予想外の尾島の態度に「あれれ?」と拍子抜けしてしまった。
(暑さにでもヤられたのか? それとも腹でも壊しているのか? ……ノグティーじゃあるまいし、まさかね?)
そんな尾島の態度とは裏腹に、他の3人は顔を見合わせながら私を見てニタニタと笑っていた。すぐに尾島の後を追いかけ何やら耳打ちをしている。途端チビ猿は無言で3人の頭を軽く平手で殴った後、「オラ、行くぞ!」と顔をさらに真っ赤にさせてドスドスと歩いて行ってしまった。
(……何だアレ?)
「なんだよ、あいつら……ごめんな、荒井。またな!」
佐藤君は訳が分からんという表情を浮かべて尾島達の後を追いかけた。彼らの背中を見送りながら、いつもと違う違和感に眉をひそめる。――なにか引っかかる。
「……あ、そっか!」
違和感の正体がわかった、尾島だ。色の白かった彼もさすがに連日の部活動のせいか真っ黒になり、佐藤君と同じく髪も少し伸びていたのだ。背も低かった筈なのに、私と同じくらいの背丈の佐藤君の隣に並んだ時、大きな身長差が感じられなかった。
(もうそろそろチビ猿は卒業かな)
尾島が歩いて行った方向を見ていると、昨夜のガールズトークで盛り上がった話題がふと思い浮かんた。
(尾島の初恋、ねぇ)
色々と衝撃的な事実が明らかになった昨夜。なかでも――寄りにもよってあのチビ猿に「好きな女の子がいた」なんて、正直今でも信じられない。仇名を命名することに無上の喜びを見出す、まるで小学校低学年のようなお子様が恋。ハッキリ言って、「恋に対しての冒涜だ、全国にいる恋愛中の皆様に土下座で謝れ!」などと失礼なことを思ってしまった。
「ミっちゃん、もうそろそろ始まるよ!」
待っても来ない私を心配したのか、体育館の中から和子ちゃんが声を掛けてくれた。
「ご、ごめん、今いく!」
私は尾島のことは忘れ、慌てて体育館の中に入った。ふと鏡が視界に入ると、髪がほつれているのが気になり確認しようとしたら、信じられぬものが目に入った。
「いっ?!」
体育館入口の正面の壁にあにある全身鏡。鏡の下の方には「昭和50年度・山野中学校卒業記念」と書かれた文字が所々消えかかっており、その上に映っている自分の姿を見て固まってしまった。
視線はほつれた髪の毛ではなく、ブルマから出ている太い脚でもない。中学生にしては若干ボリュームのあるバストの位置。
「う、うそぉ~!」
キツイなぁと思って最近新調したばかりのピンクのフリフリDカップブラが、くっきり浮かび上がっていた。思った以上に白いTシャツは薄い素材であり、おまけに汗でスケスケだったのだ。




