ダイヤモンドの野獣たち⑬
「お、お手数掛けまして本当にすみません……」
車の助手席に座った私は、あらためて左側で運転している安西先生に頭を下げると、先生は「あらいいのよ」と言ってウフフと笑った。
「今日中にお友達に渡した方が絶対喜ぶわよぉ。それに、アレを学校には持っていくことはできないでしょ?」
ハンドルを握りながら未だにクスクス笑っている先生に向って、「スミマセン……」ともう一度謝りながら座席の足元にあるアレを見た。そこには缶ビールやつまみが入っているスーパーのビニール袋が置いてある。
(……確かに。化粧品もおそらく校則違反だろうけど、お酒は確実にアウトだ)
前を走る車のテールランプに目線を戻しそっとため息を吐いた。
結局私は「まるやき」には寄らず、星野君や尾島達と別れて先生と一緒に帰ることになった。
先生の争奪戦と尾島の説教が渦巻くあの戦線からどうやって離脱しようかと悶々としていたところ、タイミングよく先生が声を掛けてくれたおかげだ。
やっとデートでないことを理解してくれた先生は、私が貴子の家に行く予定だったことを思い出し、「もう行ったの?」と聞いてくれたのが幸いした。少し暗くなりかけていたけど、そんなに遠くないので今から行きますと赤鬼たちに聞こえるように宣言すれば、先生は車を出すと言ってくれたのだ。申し訳ないので一人で行くと辞退すれば、「差し入れのお礼よぉ」と先生も引かない。まるでランチが終わったオバチャン主婦達がお会計するときのリアクションのように、「いいから、いいから」「いーえ、わるいわ」の勢いで押し問答していたら、赤鬼が何やら私の前に差し出した。
『おら、ボイ……いや、澄み切った青空のように爽やかな関係である後輩のデカイチチコよ。これを持っていけ。貴子んとこなら菓子よりこっちだろ』
色々な形容詞を申し訳ない程度に付けたってやっぱり名前は間違たままどころかもはや原型をとどめちゃいないよこの赤鬼! ……が押し付けたのは、クーラーボックスの中に入っていたと思われる缶ビールと乾きもののツマミの詰め合わせが入った袋だった。確かにシュークリームよりお酒の方が喜ばれるだろう。なんせ酒豪が二人もいるし(厚子お姉さまと貴子のお父さん)、物騒な手下(湘南●走族)が集合するのだから。しかしこれがキッカケで、さすがに重いからということで結局車で送ってもらうことになってしまったのだ。
こうして馬車ではなく真っ赤なジープに颯爽と乗った女王(とヘタレ近衛騎士)は、別れが名残惜しいハイエナ達と一部まだ不貞腐れているデカミニコンビに「チャオ!」とウィンク付きの挨拶をして悩殺させている隙に、無事野獣の巣窟から脱出することに成功したのであった。
「それにしても意外だわぁ。美千子ちゃんって結構ユニークなお友達が多いのね?」
先生は小関明日香では到底足元にも及ばない、これぞ本家大元の小悪魔というような笑顔でこちらをチラリと見た。
「ハァ……と、友達と言うより、どちらかというと単なる知り合いというか……」
「えーと、ほら! 桂……君だっけ? 随分と親しい感じじゃない?」
「ヒィッ! やややっ! ああああの人は単なる友達の知り合いでしてっ、むしろ他人に近いというかっ」
「え? そうなの?」
「そうですっ!」
「……そっか。でもそれ聞いて先生少し安心しちゃったな」
「え……え?」
先生の方を見れば、眉尻を下げた困った顔で微笑んでおり、素敵な小悪魔はなりを潜めていた。
「あ、別に深い意味はないのよ? ほら、あのシャイな美千子ちゃんがアラタや雄臣以外の男の子と仲いい姿なんて初めて見たから、なんだか驚いちゃって。それに美千子ちゃんと桂君随分自然な感じで仲良かったし、彼の大事なカメラ……じゃなくって! 荷物! ほら、荷物預かってたでしょ? だから親しいのかなって。それにビールもくれたじゃない?」
「ヒェーっ! やややややっ、かかか桂先輩は全然親しくありませんっ! 縁は思いっ切り薄いデス、ハイっ。会うの今日で2回めですしっ!」
先生の性質の悪い勘違いを正すため、私は思いっ切り頭から否定した。
「ほんとうに?」
「本当ですっ!」
大体人をナンパしときながらパシリへと一転させるという、まるで「しりとり」のような扱いをした挙句、
『今日の報酬だ、心して受け取れ。ちなみに「愛のアマゾン入らにゃソンソン☆奥まで探究ジャングルルーム」もオススメだ。……ったく、オレっちにここまで気を使わすなんてよ。オマエもなかなか憎いね、コンチクショー!』
……などとウィンクをよこしながら人の腕が折れそうなほど拳でガチンコし、コッソリと手にいかがわしい紙切れ(ホテル・ダブルスプラッシュの平日割引チケット)を握らす男など、仲良くなった覚えもなければ親しい間柄になった覚えもない。
第一思わず受け取ってしまったこのチケットの期限は今月一杯である。どう考えても今月中に使うの無理じゃん! と思ったところで我に返った。
(ななななんで使うこと前提なの! バカバカ、荒井美千子のバカ!)
おバカな想像ついでに浮かんできた、スケベ顔のハンター(桂寅之助)と尻尾をピシッピシッと鞭のようにしならせ妖艶に微笑む女豹(荒井美千子)が、ジャングルルームで睨みあいながらジリジリと間合いを詰めるという恐ろしい脳内光景をバズーカで吹き飛ばし、「やっぱりお好み焼き屋の給料泥棒店員と紹介しとくんだった」と激しく後悔し始めた私に、先生はふーっと安堵の溜息をついた。
「そうか……そうよね! フフッ、やだ私ったら……うん、そうよ! 美千子ちゃんと桂君じゃ、どうみても合わないわよね~。やっぱり美千子ちゃんには星野君みたいな人がイイと思うわ。なんてったってやさしそうだし。ここは断然カメラマンよりプロ野球選手よ! そのほうが悟ちゃんもいずみちゃんも絶対安心するし。そうしなさいな、ね?」
「……あ、いや、別にあの人たちはまだ学生――」
「やぁねぇ~たとえばの話よぉ」
「……あ、ですよね……ハハ」
何故か一生懸命星野君を推す先生に、私は引き攣った笑いしかできなかった。
おそらく先生は身内のような目で私を見ているから、健全な付き合いができそうな男子を勧めただけだろう。深い意味はないとわかってはいるが、正直リアクションに困ってしまった。大体お付き合い云々は私にとって早すぎるし、ハードルが高すぎる。それにむこうにだって選ぶ権利はあるだろう。なによりあそこにいたメンバーは誰一人として私を選ばないに違いない。
(星野君、か。やっぱ、尾島……じゃないんだな。仲良くはなかったけど結構しゃべってたのに……)
先生の目から見ても、不貞腐れている魔王な尾島より、魔導士な星野君の方が私に似合っていると言われたことにチクンと胸が痛んだ。
(……って、なんで胸が痛いのよ。かえって喜ばしいことじゃないの? なにより星野君に失礼だし! 大体説教のクドい尾島なんて、こっちからお断りでしょ)
頭を巡るのは最後の最後までうるさかった尾島の小言。「まるやき」に寄らず私が帰ると言えば、
『はぁ? なんですと? これから「まるやき」でオレ様の武勇伝がお披露目されるんだぜ? 自分の用事を優先してバスケの練習試合をシカトこいたチュウはそれを聞かず帰るとおっしゃるんですかっ? ……クソ……せっかくアツアツなお好み焼きをフーフーのア~ンですべてチャラにしようと思ったのに……そうだよ、そんなオレ様の寛大な処置を踏みにじって帰るとはアンタ何様ですかね!』
……などと途中私的なつぶやきを交えながらくどくど文句を言い出す始末。
(何様もオレ様でもなく大きなお世話様だ、コノヤロ!)
しかし――尾島がいつもの態度に戻ったことにホッとしている自分がいた。理由は多分、あまりにも色々ありすぎて相当疲労が溜まっていたからに違いない。なにしろ尾島の私的なつぶやきが聞こえた途端、明後日の方は向いているが若干機嫌がよくなって鼻の下が伸びた魔王に、アツアツのお好み焼きをフーフーと冷ましてあげるだけでなく、嬉し恥ずかしそうに「ハイ、ア~ン」などと食べさせてあげる、ふりふりエプロンのワイフな荒井美千子が脳裏に浮かんだのだから。
(オイオイさっきからどうしたよ……相当重症だろ、私! いや、それもこれもあの物騒な連中のせいだ。あの連中と一緒にいればストレスは溜まっても、解消されることはまずありえないからね。……やだなぁ、ストレスって結構怖いんだな)
「あっ! でも美千子ちゃん、アラタや雄臣もいること忘れないでね? 先生としては、美千子ちゃんにはどちらかの嫁に来てほしいわぁ。雄ちゃんもそりゃ素敵だけど……うちのアラタ、どう? この際年下でもいいじゃないの、成人したら歳の差なんて関係ないし! 母親が言うのもナンだけどかなり有望株よ? そのうちノーベル賞なんか取っちゃったりしてっ。そしたらスウェーデンよ、スウェーデン! どうしよう、授賞式の時何着て行こうかしらぁ~」
ストレスの恐ろしさを身をもって噛みしめていると、そんなことも知らない運転席の安西先生はルンルンと鼻歌を歌いながら、子を持つ親ならば誰でも一度は経験する親バカぶりを発揮した。
雄臣はともかく、アラタは確かに色々な意味でお買い得だろう。しかし当のアラタは地味で鈍くさい幼馴染のことなど伴侶の対象どころか、出来の悪い姉ぐらいにしか思っていないに違いない。が、自分で言うのも虚しかったので、この場では敢えてスルーで通すことにした荒井美千子なのであった。
ホテル・ダブルスプラッシュではお客様のニーズに合わせて、様々なコンセプトに基づいたお部屋をご用意しております。(総支配人・菩提樹)