ダイヤモンドの野獣たち①
「ありがとう美千子ちゃん! こんなおいしそうな差し入れをしてくれて、いつもいつも悪いわねぇ」
「い、いえ! 喜んでくれて光栄です」
持ってきたケーキの白い箱を開け、目尻をくしゃりとさせて笑った安西先生に、私はとんでもないと手を思いっきり振った。相変わらず東小父さんに似ている極上スマイルに顔が緩む荒井美千子。安西先生はそんな私の締まりのない顔から部屋にある壁時計に視線を移した。時間を確認すると嬉しそうにこちらに振り返る。
「よければ美千子ちゃんも一緒にお茶していかない? ちょうど私たちもそろそろ休憩にしようかと言ってたところなのよ。ねぇ、みなさ~ん! 教え子がお菓子をもってきてくれたのよぉ。一段落していたら、食べましょうよ!」
安西先生は区民センターの一室であるこの多目的室にいる人達に声を掛けると、作業をしていた人達は「まぁ!」と顔を綻ばした。次々と手を止めてこちらにやってきたのは、先生や自分の母親ぐらいの年齢の女性ばかりだった。この部屋に入った時から感じていた化粧品独特のいい香りが、彼女たちが近付くと更に強くなった。
「このお菓子、見て見て!」
彼女たちに声を掛ける今日の安西先生はいつも以上に美しい。普段はナチュナルメイクだが、今はバッチリ化粧を施しキッチリと仕事をしているワーキングウーマンだ。英語の先生とは少し違う雰囲気……そう、デパートの化粧品売り場の売り子さんのような華やかさを身に纏っている。新色の化粧品を紹介し、メイクをお披露目する販売員の顔だった。
安西先生に「お茶を入れるわ」と声を掛けた人もやたらキレイな人だった。綺麗に化粧を施しているところをみると、その人も販売員さんなのだろう。2人以外の人達はお客さんや誘われたお友達のようで、先生を含め全部で7名ほどいた。
(聞いていた人数より少ないな……)
箱に入っているお菓子の数はちょうど12個。全部で10名ほどお客さんが来ると言ってたのに。でも足りないよりマシかと思っていたら、安西先生は改めて私のことをみんなに紹介してくれた。妙齢の女性たちの前で頭を下げつつ、「み、皆様でどうぞ」とお菓子の入った箱に手を添えると、女性陣の皆様は大きめの白い箱に規則正しく鎮座している「シュー・ア・ラ・クレーム ‘シーニュ’」を覗きこんで感嘆の声を上げた。白鳥の形をしたシュークリームはどうやら好評らしい。
「これ、もしかしてあなたの手作り?」
安西先生よりも年配だと思われる、首にケープを巻き、完全に化粧を落としたすっぴん顔の女性に問われると、私はギョッとしながらもぎこちなく頷き、「ハイ。あ、でも、母にも手伝ってもらいました」と答えた。
私の言葉に目を丸くした中年の女性はホォとため息をついた。
「……やっぱり女の子はいいわねぇ。うちなんて男3人だから、こういうお菓子なんて普段まったく縁がないもの! 例え作っても、きっと無言ね、無言。むしろ感想聞いたら ろくなこと返ってこなさそうだわ」
「それわかるわ~! 挙句の果ては『これだけ?』なんて言うのよね~」
「そうそう! 腹一杯になんないとか言い出すしねぇ。カップめんとか勝手に出してくるし。オマケに身体大きいし、部屋汚いし、服脱ぎっぱなしだし、平気でオナラするし、すね毛濃いし、朝全然起きないし。まったくどうして男の子ってああなのかしら?」
「「「「「ホントよね~!」」」」
どうやらここにいる女性の大半はご家庭に男の子がいるらしい。眉毛がないメイク途中やすっぴん丸出しのまま「カカカカ」と豪快に笑っていた。
「…………」
コメントなんぞ百年早い若輩者の私としては、無言のまま引きつり笑いをするしかなかった。そのまま静かにしていると、安西先生もフフっと笑みを零しながら「ホント、そうよねぇ」といいながらウンウン頷いて同意していた。
「あら、でも安西さんのところの息子チャンは、全然違うでしょ?」
「そうよぅ! それにほら、あの素敵な甥っ子さん! あ~んな息子がいたら、オチオチこんなすっぴんで家の中もうろつけないんじゃない?」
この年頃のオバチャンがよくやる招き猫のように手を動かす仕草に、なぜか確固たる年季をひしひしと感じる荒井美千子。安西先生も見た目は若々しく美しいのに、やはり子供をもつ主婦だからか。同じような仕草で返してもなぜか違和感を感じられなかった。さすがなんだかんだで24時間休む暇もないスーパー主婦達。恐るべし、ザ・オカン。
「そりゃ雄ちゃんに対してはねぇ。さすが甥っ子でも、やっぱり気を使うわ。でも、アラタの方はね、そうでもないのよ? 最近なんて何考えているかさっぱりわからなくて、困りモノなのよね~。中学生になってから全然話し相手になってくれないし。何か聞いても、『あぁ』とか『うん』とか『そう』とかしか言わないのよ? そのうち『ウザい』とか言われるんじゃないか心配で~」
「そうそう! わたしも『ババァ』って言われた時は、さすがにビビったわ!」
「それを考えると、やっぱり女の子は最低でも一人は欲しいわよねぇ」
安西先生が頬に手を当てながらフゥっとため息をついているのを見て、「そうなのかな」とアラタの顔を浮かべた。
(……アラタ、ねぇ。別に普通だと思うけど。……あ、でも、やっぱりちょっと話す機会はなくなったかなぁ。なんか、真美子ともあんまり喋っていないみたいだし。いいのかなぁ、このままで。だけど……当の真美子があれじゃぁねぇ)
相変わらず雄臣命の真美子。でも構ってもらえないせいか、最近拗ね気味だ。その愚痴をアラタにぶちまけたいようだが、当のアラタは忙しくて相手にしてもらえないようで、益々機嫌が悪かった。
考えてみれば、私も1学期までは英語のレッスンの度にアラタと少し話しをしていたが、2学期になってからは話すどころか顔を合わせることがなくなってしまった。先生の話によれば、部活でクタクタになって帰ってくると、すぐ夕ご飯とお風呂、あとは部屋に戻って少し勉強をして寝てしまうのだそうだ。それでも相変わらず成績は群を抜いて学年トップ。一体いつ勉強してるのだと驚いて安西先生に聞いてみれば、返ってきた答えは早朝勉&週末勉。ようするに週末と朝早く起きて時間を作り勉強をしているらしい。確かにそんなストイックな生活をしていれば、幼馴染と話す時間すら惜しいだろう。これが好きな相手で、しかも相手も自分に好意を持ってくれると確信できれば態度が違うだろうが、残念ながら真美子はアラタに恋の矢印を向けていない。
(考えてみればアラタも年頃の男の子なんだよね。そうそう都合よく相手をしてられないか。女子と気軽に話すなんて恥ずかしいっていうのもあるだろうし)
どうもアラタは私にとって小さいころの姿のまま成長しておらず、デキの良い可愛い弟という感覚から抜け出せない。しかし彼だってもう中学生。これからぐんぐん頭角を現し、凄い男になるやもしれぬ。いや、確実になるだろう。私が知りえる男性の中では一番の有望株には間違いあるまい。人柄も将来性も、だ。それこそ従兄妹の雄臣にも引けをとらないのではないだろうか。
(雄臣かぁ……)
私は思わず渋い顔をしてしまった。