山野中体育祭!~幸福の赤いハチマキ④~
読者様によっては少し気味の悪い表現が出てきます、虫関係がダメな方、申し訳ありません。m(__)m
階段下の狭いスペースで、お互いの顔を近くまで寄せていた私と尾島。
一瞬時間が止まったかのようにピタリと固まっていたが、校舎の扉が派手に閉まった音で弾かれたように絡み合った視線をパッと逸らした。
(何やってんの、私は!)
何もやましいことはしていないのに、変に言い訳したいような、逃げ出したいような気分だ。
(いやいやいや、今はそんな事考えている場合じゃない)
そうだ。うかうかしている時間はない。こんな狭い場所で二人っきりでいるのを誰かに見られたら、それが原口だったら……大変マズイことになる。
私は尾島に「リレーに行った方がいい、先にここから出て」と言おうとしたら、それより早く校舎に入ってきたらしき人物の声が聞こえた。
「おい、啓介、いるのか?」
どうやら声の主は星野君のようだった。
彼がこっちの方へ歩いてくる気配を感じると、私だけではなく尾島も息を飲んだ。どうしようと尾島の方に視線を向けると、尾島は何を思ったのか、シーッと人差し指を口に当てた。「こっから出るな」と小声で囁き、廊下側から見えないように私の身体を階段で斜めになっている壁に押し付けた。「いいな?」と念を押す尾島に私が何度も頷いた後、彼はサッと身を翻して廊下に出た。
(……って、あれ? なんで隠れなきゃいけないの?)
星野君なら普通に出ていけばいいのに、と思った。だって、彼なら変にからかったり、冷やかしたりはしない筈だから。それに尾島の友達だし。
そんなことを考えていると、二人の話し声が聞こえてきた。
『啓介! そんなとこでなにしてんだ、リレーの集合場所に行けよ!』
『あんだよ、星野かよ。いや~応援合戦で声張り上げたら喉がカラッカラでさ! 事務のオバチャンにいつものように麦茶を拝借して戻ろうとしたらな? いや、そこで足がメチャ長くてデカイ例の黒い蜘蛛を見かけてよ~。ほら、この間授業中に出ただろ? 青島先生が捕獲し損ねたあの気味悪いヌシだよ! 相変わらず逃げ足が速いのなんのって、そっちの階段の下の非常口の方へシャカシャカってさぁ~思わず追いかけちまった』
『……なにやってんだよ……。そんなの追いかけるなよ、気持ちワリィな』
(◆▽*$#&%@っ?!)
尾島は適当に誤魔化すために言ったのだろうが、私は青島先生の歴史の授業中に出没し、大騒ぎになったあり得ない大きさの生物を思い出し、危うくここから飛び出すところだった。まさか本当にいないでしょうね?! ……と周囲を見渡してしまった荒井美千子。
だが以外にも星野君には効いたようだ。尾島が不自然な場所から出てきたことに深く突っ込もうとはせず、厭きれた声が聞えた。
『それよりこれ、啓介のハチマキだろ。応援合戦の後、学ラン脱いだついでに取ったのか? 後藤は仕事があるから、頼まれて預かった』
『おっ、サンキュー! ……って、なんでこんなにハチマキ汚ねぇんだ?』
『落ちてたみたいだぞ。派手に踏まれてたらしい。……で、荒井さんは?』
『いっ?!』
(えっ?!)
前言撤回。
(なんか速攻バレとるがな!)
いきなり確信をついた星野君。彼の淡々とした問いに対して、尾島は返事を詰まらせた。
『……は……ぁ?! ななななんで、チュウ?!』
『だって、そこのドアのところに啓介と荒井さんの靴があるし。荒井さんグラスを取りに行ったみたいで、戻ってこないと伏見が怒ってた。麦茶飲んだなら、会っただろ?』
『ゲッ!』
(ゲッ!)
いろんな意味でゲロゲロ状況な私は、いますぐ本部テントへ飛んでいきたかったが、息をひそめて事の成り行きを見守るしかなかった。尾島から隠れてろと言われている手前、今更「ジャーン!」なんて効果音&ポーズ付でここから出るわけにもいかないし。
それより私がここにいるのが既にバレバレなら、隠れている意味がないうえに、それこそ「アヤシイことをしてました、エヘ☆」と自らバラしていることにならないだろうかと思った。
いやいや、そんなことよりブキミちゃんが怒っている方が問題だ。ゲロゲロなどと思っている場合ではない。私に狙いを定め、蜷局を巻きながら舌をチロチロしている大蛇なブキミちゃんの幻が目の前にチラついている。
(なんか私、非常にヤバいのでは……)
最近蛇関係の人物(デビ●マンとベラ)と縁がありすぎだろと思っていた時、尾島のわざとらしい笑い声が聞こえた。
『ア、ハハハ! あ、チュウね? チュウなら、ささささっき偶然バッタリあったかな! え、えーと……そう! 学ランの犯人をあのチュウが見たって後藤達が言ったから? 仕方なく一応確認をとっていたんだよな! や、誤解すんなよ? オレだって好きこのんでこんなところにチュウと二人っきりでいたんじゃねぇぞ? だだだから、別になんもやましいことなんてなんもしてねぇから! ちなみにチュウはションベン行ったぜ? ハハハハハ!』
『……ふぅん』
尾島が慌てて捲し立てた言い訳と引き攣り笑いを、星野君は「Ah,so(あっ、そう)」といかにも信じてない的な相槌でスルーした。最初は尾島の言葉を肯定するように頷いてはいた私だが、徐々に心の中に砂塵が吹き荒れ、星野君がスルーした時には、砂嵐が巻き起こり先が見えない憤りと不愉快さで一杯だった。
(……ほぅ、そうですか。すみませんねぇ、好きでもない私と二人っきりなってしまって! な、なによっ、大体こんなところに連れてきたのはアンタじゃないのさっ! それにそこまで二人でいたことを否定しなくてもいいじゃないのよっ! 大体どうして誤解されちゃマズイのよ?! しかもションベンって失礼な!)
原口に見られたらマズイと慌てた自分のことは棚に上げ、尾島の「偶然こんな事態になりました! 不可抗力であります!」な態度に、今度は恐怖ではなく怒りでお盆の上のグラスをカタカタ鳴らしてしまいそうな荒井美千子。今すぐにでも尾島にこのグラスとお盆を派手に投げつけたい。おかげで足の怪我のことを謝られたことや、僅かに淡いピンク色の雰囲気になった二人の時間などは跡形もなく吹っ飛んでしまった。
(バカヤロ! もう絶対、絶対、二度とあの猿と二人きりになるもんか! 嬉しかったのに、せっかく素直に好きだなって思ったのに! …………って、や、やだ――何考えてんの、私!)
何故ここで「好き」なんて言葉が出てくるのか。
(ち、違うよ! 「好き」とかじゃなくって……そう! 「好感が持てる」の間違いじゃん!)
カーッと身体中が熱くなった。
ずっと心の奥底で発火し熱を含んだ煙がモクモクと立ち上ったせいなのか。この苦しくむせるような感覚は、今にもわかりそうな答えが見えないからなのか。それとも、見えそうになるのを恐れているからなのか。
とりあえず頭の中で煙を一生懸命払っていると、急に雰囲気がガラリと変わった星野君と尾島の低い声が聞えてきた。
『……それより、ちょうどいい。他の連中がいないうちに言っとく。啓介、学ランの件、もうこれ以上騒ぎを大きくするな』
『はぁっ? なんだよ急に。騒ぎを大きくするなって、どういうこった?』
『間違っても制裁なんて考えるなってことだ。そんなことすれば要らぬところに火の粉が降りかかる』
『あんだよ……じゃぁなにかっ? このオレに、あの「クソ野郎」から売られた喧嘩を黙って見過ごせってゆーのかよっ?!』
『そうじゃない! ……けど、あんな幼稚なイタズラなんかほっとけ。報復はさっきの応援合戦で充分だろ。それに、せっかくの荒井さんの好意が無駄になる』
『はぁぁっ? なんでここにチュウが出てくんだよっ!』
『荒井さん、きっと啓介や田宮と犯人が顔見知りなの知ってたんだ。それがわかってたから、昼休みの時わざと啓介に言わなかったんだ。あの時、あの校舎にバスケ部の3年がいたって正直に言っていれば、みんなから疑われずに済んだのに』
『オレは疑ってねぇ!』
『わかってる! ……それよりこれ以上騒ぎを大きくしたり、それこそケンカを吹っ掛ければ余計な事態を招く。もしあの連中が、自分たちを見た人物が荒井さんだと知ったら、荒井さん、トバッチリ受けないか? 昔、俺らが受けたような嫌がらせ、されないか?』
『っ!!』
『あの連中がやらないって保障、あるのか?』
『バカ言え! だからその前にキッチリと落とし前を付けさせるんだろーがっ! 第一チュウに手を出してみろ……今度こそ、ボッコボコにすんぐらい締め上げるってんだよっ!』
『啓介!』
『うるせぇっ! オレに命令すんじゃねぇっ!』
『違う! ……けど万が一喧嘩になって、それが明るみになったらどうする? せっかくバスケをヤル気になったのに、バスケ部はおろか、サッカー部まで巻き込んだらどうする? それこそあの連中の思うつぼだろ。それに、荒井さんはそんなことをして欲しくないから、啓介に黙ってたんじゃないのか? あの時原口や成田達に疑われても、啓介やクラスの連中の前じゃなくて、わざわざ佐藤や後藤にこっそりと教えたんじゃないのか?』
『……わーってるよ……んなこと、一幸に言われる前からわかってるんだよっ! けどなぁ……クソぉっ!』
昼休みの時、尾島が黒板を叩いた時のような激しい音が聞こえてきた。でもそれ以降は、二人の会話は私の耳にまったく入ってこなかった。
再び身体が震え出しそうになるのを一生懸命堪えるのに、精一杯だったから。
その震えは――恐怖でも怒りでもなく、信じられないことに、感動によるものだった。
会話の内容は物騒であり、怒りを剥き出しにした発言は鋭いナイフのようで……正直ものすごい怖かった。
でも――。
感情の赴くまま、なんのためらいもなく突っ走ることができる尾島。
思った通り冷静に対処してくれた星野君の落ち着きのある態度。
例え言い合いになっても、二人の間に、いや彼らの周囲に存在する確かなな絆。
私にはわからない、男の子の世界。
苦手で、意地張って見ようとしなかった、尾島を囲む世界。
そしてなによりも……ギュウッと心が捻じれるほど切なかったのは、私の気持ちを酌んでくれた星野君の数々の言葉と、まるで私になにかあったら守ってくれるような尾島のセリフ。
(どうしよう――とっても、嬉しい)
さっきまで感じていた煙のようなもどかしい気持ちは、吹っ飛んでしまった。
代わりに湧き出てくる愛おしいような温かい気持ちは、紛れもなく確かなものだった。しっかりと全身全霊で感じていた。
私は認めざる負えなかった、
彼らの魅力を。
彼らの周りに人が集まる理由を。
怖くて、鋭くて、凶暴で、苦くて、でも暖かくて……そんな彼らの世界を覗いてみたい気持ちを。
放って置けないと思ってしまう気持ちを。
私はいつの間にか座り込んでしまい、歪んで見えるタイルの床をジッと見つめていた。