勇者が死んだ日、私は彼に口付けた
「ゼールは、俺が魔族だって言ったらどうするよ」
「私は国に仕える勇者だよ。だから、国から殺せと言われたら殺さないといけない」
私は勇者。戦場のみを居場所とし、戦いのみを存在理由とする生きる兵器。
だから例え幼馴染であろうと殺せと言われたら殺さなければならない。
「でも、幻武を殺したくはないよ」
例え幻武が魔族だとしても、殺したくはない。
ずっと孤独で空っぽで。
もう望まないと誓って自ら凍り付いた心を温かく溶かしてくれた彼を、命令といえど殺したくはないからと。
そして、その為にするべきことを。
ゼールは理想として、目標として掲げた。
「だから、私は魔族と人間が平和に暮らせる世界を作りたい」
例えこの身を犠牲にしようとも。
それから約十年。
ゼールは掲げた理想の世界を実現しようと身を尽くした。
魔族に対する差別的な政策を、謀略を幾度も握り潰してきた。
誰にも臆さずに正しいと信じたことは貫き通して。
その智略を巡らせて理想を実現しようと努力してきた。
しかし、そんなゼールの姿は貴族からして見れば鬱陶しいもので。
次第にゼールは政府内での居場所を失っていき。
それでもゼールはひたむきに理想を目指して努力していった。
そんなゼールに貴族連中は遂に堪忍袋の緒が切れたようで。
遂にその時は訪れた。
「勇者ゼール・セレスティアを死刑とする」
王都中央、最高裁判所。
陽光が見下ろす法廷に粛々と響く老齢な声。
言い渡された罪状は国家転覆罪。
魔族に対する差別的な政策に一際強く反発し、策謀を阻止してきたゼールは魔族の工作員であると判断されしまったのだ。
あながち間違ってはいないのだろうか、とゼールは思う。
しかし、どうであれゼールが貴族達の謀に嵌められたのは変わりようのない事実だ。
円形の議場に目を配れば、立ち並ぶ貴族達は揃いも揃って下卑た笑みを浮かべている。
罠にかかった獲物をざまぁみろと嘲笑うような眼差し。
この貴族連中からしてゼールは張り巡らされた罠に自ら飛び込んでしまった愚か者に見えただろう。
売国奴の汚名を着せられて。
けれどゼールは諾々とその宣告を受け入れ、跪く。
「国王陛下。かような身でありながら一つ、申し上げたき儀がございます」
軽やかな美声が小雪の落ちるように、されど議場ざわめきを突き抜けて力強く響く。
「なんであるか」
ゼールは顔を上げ、冷え切った双眸で国王を見据え言い放つ。
平静なその表情の裏に隠した揺ぎ無き覚悟を滲ませながら。
「陛下。これまでの忠義に背く蛮行を、どうかお許しください」
言い切ると同時。
泰然と立ち上がり、高々と腕を伸ばして覚悟を示す。
「爆裂術式、起動」
淡く光り、直後には巨大な立体魔法陣が天高く顕現する。
強大な魔力を感知したアラートがけたたましく鳴り響き。
議場の貴族達は我先にと押し合い逃げ惑う。
術式阻害の結界は今日に限って故障していて役目を果たさない。
「ごめんね、幻武」
「ま、待て!! 話をッ────」
一際強く光を発し閃光。
強烈な爆轟が議場を襲い、地を揺るがすほどの熾烈な衝撃が王都に響き渡った。
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死刑宣告が下る日より幾日か前。
魔族の証たる角を見せつけるようにして、幻武は唐突に告げる。
「俺は魔族、四神の幻武だ」
たった一言。
それでも、彼の優しさは十二分に伝わった。
私は優しく微笑み、同じようにたった一言呟く。
「......そうなんだ」
そうして本に目を戻し、数秒何事も無かったかのように時が流れて。
痺れを切らしたように彼が口を開いた。
「そうなんだって、いいのかよそれで。お前このままだと死刑なんだろ」
苦笑交じりに言葉を返す。
「そうね、正直ここまで徹底しているとは思わなかったけど」
私は自分で言うのもなんだけれど智略に富んでいて。
だからこそ私を完膚なきまでに詰みに追い込んだ今回の謀略には正直感心してしまった。
気付いた時には既に手遅れで、もうどうしようも出来ないくらいに詰んでいた。
それこそ、魔族が崇める四神の首でも持って帰らねば挽回は不可能なほどに。
星空を見上げて、私は彼の優しさを拒絶する。
「でも、私は幻武を殺してまで生きたいとは思わないよ」
だって、彼の居ない世界で一人取り残されてしまったら、私はきっと世界を滅ぼしてしまうから。
彼の愛した、この希望の無い世界を。
嘆きを押し殺すようにして彼は淡々と告げる。
「生きたいとか思わないのかよ。やりたいことも、何も無いって言うのか?」
「あるよ、たくさん」
「......言ってみろ」
「幻武と一緒に暮らしたい。幻武の為に、魔族の為に身を尽くしたい」
不意に一筋の雫が頬を伝う。
「それで、魔族と人間が──幻武と平和に暮らせる世界を作りたい」
「だったら──」
「でもね、幻武には生きていて欲しい。私の夢は、幻武が居ないと叶えられないから」
声はきっと震えていただろう。
涙が溢れて、視界が僅かに歪む。
「私の心は幻武に託してる。だから、私が死んだ後も生きていて欲しい。生きて、ずっと遠くの未来まで私の心を連れて行って欲しいんだ」
忘れないでほしいとは言えなかった。
だって、それは呪いになってしまうから。
何年かに一度──あるかも分からないけれど──お墓参りでもして、その都度この世界のことを語ってくれればそれでいいから。
そうでなくとも生きて、託して手放した私の心を。
今はまだ清い、けれど後世には悪名高く残るだろう私の名前を。
彼に託したいから。
そうすれば、悔いはないからと。
「それにもう色々済ませちゃったから、後戻りはできないしね」
傍らに堆く積まれた書類。
役目を終えて切なさげに垂れる金貨袋。
傷付いて久しい、もはや価値も無いであろう穢れた体。
やるべきことは全部やった。
伝えたいことも全部伝えた。
「大丈夫。幻武なら、私が居なくても大丈夫」
一度深呼吸して、痛む心臓を落ち着かせる。
「──だから、私の死を......無駄にしないでほしいな」
彼は思い詰めた表情をして、何も言わずに去っていった。
「そう、それでいいんだよ。幻武」
そして最後に一つだけやらなければいけないことがある。
涙を拭い、張り裂けそうな心を縫い付けて。
私は部屋を後にした。
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空気を震撼させてなお体の奥底に重く響く爆轟を感じながらゼールは空高くから議場を見下ろす。
吹き抜けであるゆえに衝撃波は空へと逃げてしまい、魔導防壁も正常に作動したため死傷者はゼロ。
建物自体も大した損害は無く、精々爆心地が黒焦げになった程度だ。
「良かった、誰も死んでないね」
ここまで予定通りに進行してゼールはほっと息と吐く。
そして次第に黒煙が晴れていき、一人の魔族が議場に姿を現す。
今回の茶番劇の主役にして一番の懸念事項。
もしかしたら来てはくれないかもしれないと思っていた。
「良いタイミング。信じてたよ、幻武」
しかし、幻武は来てくれた。最後のお願いに応えてくれた、とゼールは穏やかに微笑む。
斯くして、未だ黒煙が色濃く居座る議場に一人の魔族が忽然と現れる。
魔族の証たる巨大な角を隠しもせず、ゼールからの最後の手紙を握りしめて。
幻武は怒りに満ちた瞳で不気味に空に佇むゼールを仰ぎ見る。
唐突に一人の貴族が声を上げた。
「この際魔族だろうと構わん! そこのお前、あの反逆者を殺せ!!」
貴族が指差す先は遥か空。
反逆者を──ゼールを殺せと声高に叫ぶ。
幻武は一瞬切り裂くような殺意を貴族に向けるも。
ゼールの理想を叶える為、死を無駄にしない為に覚悟を決める。
そして、怒り任せに叫んだ。
お伽噺の勇者が、最後の戦いに挑むように。
「我が名は魔族が四神の一人、幻武!! 貴様を、愚かなる反逆者を殺す者の名だ!!」
先に仕掛けたのはゼールの方だった。
無数の立体魔法陣が顕現したと思えば次の瞬間には火炎弾の驟雨が議場に降り注ぐ。
それを幻武は真っ向から受け止める。
間断無く降り注ぐ火の玉が、されど全てが魔導防壁に防がれて火の粉を散らす。
幻武は押し殺すようにして呟く。
「手加減してんじゃねぇよッ!」
僅かに数個、立体魔法陣を展開。
つんざくような充填音を響かせて、ゼールに向けて水色の熱線が放たれる。
ゼールは軽やかにそれを回避し瞬間火炎弾の弾幕が止む。
その間隙を見逃さず、幻武はゼールの眼前に躍り出た。
ゼールは驚いたように目を見開き、けれど微笑んで告げる。
「幻武......ありがとう、来てくれて」
「なんなんだよ、あの手紙は!」
幻武は怒りとどこか後悔の滲み表情でゼールを睨む。
ゼールは不敵な笑みを浮かべ、幻武の問いに答えるでもなく呟く。
「分かるでしょ?」
そうして再び炎と空を切り裂く閃光の応酬を繰り返していく。
ゼールは空高く陣取り、地を這うように低空を駆ける幻武に炎の雨を撃ち降らす。
幻武は台本通りに市民を庇うように戦い、ゼールも決して本気は出さず照準を幻武ただ一人に絞る。
暫く攻防を繰り広げ、ゼールは王都中央に続く大通り。
その真ん中で親とはぐれてしまったのか。
逃げ惑う人波の只中でうずくまって動かない子供に照準を合わせる。
「ごめんね、幻武。これも必要なことだから」
降りしきる炎が止むと同時、指向された腕の先を見て幻武は意図を悟り。
一拍置いて尖鋭と細く引き伸ばされた巨大な氷の弾丸が子供に向かって放たれた。
それは見事に幻武の薄く張っていた防壁を打ち破って深々と肩に突き刺さる。
子供を庇って負傷した魔族。その非常識的な光景に逃げ惑う誰しもが足を止めてしまう。
人類に牙を剥いた勇者と、人間を負傷してまで庇い守る魔族。
茶番劇が終わりを告げる。
作り上げられた舞台は終わりへと向かう。
突き刺さった冷徹な弾丸を幻武は抜き取って剣とし。
ゼールに、この茶番劇の悪役に振り下ろす。
防壁はいとも容易く打ち砕かれて。
血潮を吹いてゼールは力なく落ちていく。
演技だと、作られた演出だとは分かっていても幻武は焦燥を隠しきれずに毒づく。
「ゼール! クソがッ!!」
重力に従い加速していくゼールを抱きかかえ、幻武は人目のつく王都を離れて近くの森林に身を潜め。
幻武は周囲に誰も居ないことを逸る気持ちを抑えて確認し、必死の思いでゼールに回復魔法をかける。
「ゼール!! 起きろ! こんなところで死ぬとか許さねぇからな!!」
呼びかけに応じるようにゼールは目を開く。
「もう、幻武はせっかちだなぁ」
深々と斬り付けられているというのに全くもって自然な笑みを浮かべる。
「ゼール......!! お前──」
「幻武」
幻武の手に自身の手を被せてゼールは呟く。
「ダメだよ」
言い放つと同時。
幻武が拙いながらもかけてくれていた回復魔法を破壊する。
「なっ?! なんで!!」
「幻武、ダメなの。私が生きてたら、今度は幻武が殺されちゃう」
「そんなのバレなきゃいいだけの話だろ!!」
頑固だな、とゼールは思う。
仮にゼールが生き残ったとしても理想を実現することはできるだろう。
しかし、それでは新たな争いの火種にゼール自身がなってしまう。
今回の計画は人類に対して反旗を翻した勇者を、魔族を代表する存在たる幻武が打ち倒すという内容。
策謀の檻の中でゼールが必死に考えて導き出した最適解。
その為に色々と根回しをしたのだ。
反逆者を殺せと幻武に命じた貴族もゼールが買収した一人。
術式阻害の結界を故障させたのも。
他にも限られた日数でゼールは手を尽くした。
そして、幻武に渡した最後の手紙。
内容は計画の全容と王都上空で繰り広げた茶番劇の台本。
ゼールを殺し、幻武を英雄に仕立て上げ、人間と魔族の橋渡し役とするためのもの。
ゆえにゼールは生きていてはいけないのだ。
反逆者は死ななければならない。
英雄は逆賊を討ち取った証を持ち帰り武勲を立てる。
ゼールの場合それは異なるものではあるが。
やることは変わらない。
長い沈黙を破り、ゼールは告げる。
「幻武、最後にしたいことがあるの」
ゼールの言葉に覚悟を決めたのか。
幻武はただ一言返す。
「なんだ?」
ゼールは優しく笑みを深めた。
呪いにはなりたくは無い。けれど、これくらいは許してくれるよね。
そう思い幻武の頬に手を添える。
裂傷に痛む身体を起こして、そして。
押し付けるようなキスをした。
ほんの一瞬。
けれど、永遠にも感じた時間が終わる。
「ゼール......」
悲しそうな目をして見つめてくる幻武に、ゼールはつい笑ってしまう。
「そんな顔しない」
そうだ。そんな顔をしてはいけないのだ。
幻武はこれから魔族の国、ギルヴァ―ナ同盟の統領となる。
そして、人類と魔族の架け橋となるのだからもっと胸を張ってもらわないと困るのだ。
「大丈夫、私が付いてるから」
私は死んでも、心は幻武の中に残るからと。
「そうか......そうだな。ゼールも、一緒だもんな」
「うん。だから、後の事はお願いね?」
「あぁ、任せとけ」
その日、勇者が死んだ。
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一年後、ルヴァ―ナ同盟は初めて人類諸国と国交を結んだ。
国交を結んだ当初は勇者の喪失による軍事バランスの偏りが懸念されたが。
それも魔族側の譲歩によって解決された。
そして、意外にもその後の交流は順調に進み。
単なる都市同盟であったギルヴァ―ナ同盟は国号をギルヴァ―ナ騎士団国に改め、幻武を全国指導者として据えて近代化の道を歩むこととなる。
今にして思えば、それも全てゼールが水面下で尽力していたからこそなのだろう。
技術交流から始まり、今では人と魔族は同じ国の土地を踏んでいる。
長きに渡る魔族への差別と禍根は未だ燻っていて、完全に消し去ることは難しい。
しかし、それでも幻武はゼールの理想を実現するため。
ゼールに人類と魔族が共存する平和な世界を見せるために身を尽くしている。
そうして数百年の長きに渡り続いた人類と魔族の対立は終わりを迎える。
「ゼール、これで良かったんだよな」
人と魔族の入り乱れる大通りを眺め幻武は呟く。
心を、理想を託された者として。
この夢の到達点を見届けるのが自分の役目だと信じて。
「......でもよ、ゼール。お前はほんとに、罪な奴だよな」
最愛の人を失い、心にぽっかりと空いた空白を感じ目を眇めて。
一人残された幻武は悲しみに暮れる。
あの時、ゼールを説得しようともっと話せていられれば。
手紙の台本通りに動かなければ。
世界を敵に回してでもゼールを救っていれば。
無理やりにでもゼールを連れ去っていれば。
けれど、それはきっと──。
「お前の望みじゃねぇよな。ゼール」
幻武は気付かぬうちに涙を流していた。
今まで数百年間生きてたくさんの別れを経験して。
涙などもう流さぬと思っていたのに。
「ゼール。俺が魔族だとしても殺したくは無いって、そう言ってたよな」
ゼールはもうここには居ない。
それでも、言わずにはいられなかった。
「俺も、ゼールを殺したくなんてなかったよ」
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