サラリーマンがランドセルで通勤すると見える世界
私はしがないサラリーマン。
特にこれと言って特別な才能はない。
営業成績が飛びぬけて良いわけではないし、かといって仕事が全くできないわけでもない。
そこそこ出世して、そこそこの地位につき、上司の顔色をうかがいながら、大した実績を上げることもなく定年退職。
ありふれた人生を送る普通の男。
つまらない人間だ。
そんな私だが、いま特別な体験をしている。
いつものように起きて、妻が用意してくれた朝食を食べ、いつもと同じ時間に電車に乗り、出勤する。
普段と変わらぬルーティーン。
ただ一つ、違うのは。
私がランドセルを背負っていることだろうか。
息子が昔使っていたランドセルを物置で見つけカバンの代わりに使ってみたのだ。
ランドセルは子供が使う道具。
それをいい年した大の男が背負って通勤電車に乗っている。
だたそれだけのことで、周りから向けられる視線が違う。
普段は誰も私のことなど、気にも留めない。
しかしランドセルを背負って通勤するだけで、誰もが私に注目する。
この快感……病みつきになるな。
乗車中は足元に置いているが、それでもやはり人目を引く。
ジロジロ、じーっ、じっとり。
誰もがランドセルに注目しているのだ。
会社では気味悪がられた。
上司から仕事に支障をきたすと注意を受ける。
しかし……それでもやめる気にならない。
それから毎日ランドセルを背負って会社へ向かう日々が続く。
妻は何も言わなかったが、内心では呆れていたことだろう。
そんなある日のこと。
通勤中に赤いランドセルを背負ったOLを見かけた。
目が合う。
軽く会釈をする。
なんだか戦友に会った気分だ。
心が熱くなる。
それから次第に真似をする人が増えた。
一人、二人、ちらほらと同志を見かけるようになる。
『ただいまランドセルがブームです!』
ニュースキャスターが楽し気に原稿を読み上げる。
どうやら世間ではランドセルを通勤カバン替わりにすることが流行っているらしい。
私は使っていたランドセルをそっと物置に戻した。
今までありがとう。
「あら、ランドセルはもう飽きたの?」
出勤しようとしたら妻が話しかけて来た。
「ああ……もういいかなって」
「そう、熱がさめたのね」
誰もが当たり前にランドセルを使うようになった世界。
もはや続ける意味はなくなった。
私は普段通りの生活に戻る……はずがない。
「これからはこれの時代だ」
そう言って自分の頭を叩く。
立派なちょんまげが朝日を受けて輝いていた。