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「冬は空気が澄んでいてきれいだね。」
「うん。」
「春からちゃんと働けることになったの。」
「よかったね。甘えずにちゃんと頑張るんだよ。」
何も起こっていない日常が、一番幸せだった。
「明人君、あのね。明人君の事が今でも大好きです。もう一度やり直しませんか?」
「ごめん・・・。それは・・・ない・・・。」
水樹はうっと唇を噛み締めた。でも覚悟はできていたから泣かなかった。
「わかった。これでやっと諦めるね。今日はありがとう。」
明人は返事をしなかった。
「明人君・・・。最後にあなたが欲しいです。」
二人でまた車に乗り込み無言のまま走る。家に着いたら終わりだ。このまま二人で消えてしまいたい。でも明人は水樹を自宅までは送らずに二人きりになれる場所に行き、そして二人はそこに心のない悲しい状態のままに愛し合った。
いつか明人よりもうんと好きな人が出来たら、自分で光を放てるようになったら、大好きな明人のこの横顔も、ホクロも、細い指も幼げな喉の膨らみも、やっと忘れる事が出来るのだろうか。
初めて肌を知ったあの日よりも水樹の気持ちは揺れていた。
「痩せた・・・?鎖骨とか、肩の辺りとか・・・。元々細かったのに・・・。」
心配なんてしてないくせにと水樹は強がる。
「そうかな・・・。」
愛してるの意味など無い流れの一連の作業の一つとしてキスをしてからまた抱き合った。明人に触れる事が出来るのは幸せだとしても、明人は彼女じゃない女もこうして抱いたり出来る。それがなんとも言えない苦い気持ちだとしても、愛しさが勝ってしまう。
今日のこの行為に理由も罪もない。期待してはならない。二人はもう終わった関係で、ここには利害関係が一致し性欲に支配された哀れな男女しかいなくて、何より証拠もあるのだ。
付き合っていた頃明人は必ず最後に軽いキスをした。水樹はそれも勝手に ‘愛してる’ のサインだと喜んだ。今日はなかった。でも泣かない。そしてまだ熱っぽさが残るベッドの中で精一杯大人ぶって会話した。
「なんか、一日全部奢って貰ったね。ここは私が誘ったから私が出す。」
「別にいいよ。明日誕生日なんだし。」
誕生日・・・。覚えてて・・・。
眉間に力を込めた。
「そろそろ時間だね。着替えなきゃ。」
明人の運転する車は、今度こそ水樹の家に近付いていった。




