暴走する怒り
黒い毛に覆われた獣。
獅子の姿を持つ魔人。
――ゾラは怒りで魔人へと変じてしまった。
「おいおい、マジかよ? そいつ、制御に失敗してんじゃねぇか!」
黄金の鎧に身を包む男が、焦った様子で叫んでいた。
その声に反応したのだろう。
ゾラは唐突に男へ飛び掛かった。
「ガアアアァァァ……!!!」
ゾラの動きは凄まじく速い。
しかし、男はそれに反応していた。
「ちぃっ、舐めんじゃねぇ!」
男は手にした剣で迎え撃つ。
その剣で横薙ぎにゾラへと斬りかかった。
しかし、その剣をゾラの牙が捉える。
顎で受け止め噛み砕いてしまう。
その剣は魔法制である。
それを砕くには、より強い魔法が必要となる。
――つまり、今のゾラの魔法は、男の魔法より強い事を意味していた。
「なぁっ?! 冗談じゃねぇぞ!」
剣を失った男は慌て飛び退る。
ゾラに対して怯えの表情を浮かべながら。
そして、逃げ出すつもりだったのだろう。
出口へその視線を向けていた。
だが、ゾラがそれを許すはずがない。
強靭な爪で男を床へと押し倒す。
「がはっ……!」
床に叩き付けられたダメージ。
それにより、男は口から血を吐き出す。
更に胸部の鎧も砕けてしまう。
その亀裂は、鎧全体へと広がって行く。
「ふざ、けるな……。オレは奪う側だ……! 奪われる側じゃねぇ!!!」
男は見苦しくも藻掻き叫ぶ。
憎悪と恐怖に染まった表情をゾラへ向け。
男は血を吐きながら、再び剣を生み出す。
その剣でゾラへ斬りつけた。
しかし、ゾラはその攻撃を回避しない。
平然と毛皮で弾き返してしまう。
「グルアァァァ……!!!」
「ひ、ひぎゃあぁぁ……!」
ゾラの牙が男の右腕を噛み砕く。
その腕はあっさり切り離された。
それだけでは満足出来ぬとばかりに、ゾラは反対の腕も噛み砕く。
「う、腕が……! 俺様の腕がぁぁぁ……!!!」
肩から血を流し、男が泣き叫ぶ。
しかし、押さえ付けられ身動きが取れない。
放っておいても死んだとは思う。
けれど、ゾラは男にその爪で止めを刺した。
「ご、は……。こんな、ばかな……」
胸を爪で貫かれ、男はビクビク痙攣する。
流れる血と共に目の輝きも失せる。
そして、男の命はここで尽きた。
自らの娘により、その命を狩り取られたのだ。
その光景を見守っていたアン・ズーが、ぽつりと呟いた。
「不味いですね。怒りが収まっていません……」
「なんですって! それじゃあ、ゾラは……!」
アン・ズーの呟きにトゥトゥさんが反応する。
悲痛な叫びが木霊した。
二人の会話でオレも理解する。
今のゾラが非常に不味い状況であると。
しかし、狼狽えるオレ達を無視し、ゾラは外へ向かおうとしていた。
その様子を目にし、アン・ズーがすぐさま指示を出す。
「ワタクシが抑えます。トゥトゥはワタクシへ魔力の供給を」
「し、承知しました! アン・ズー様!」
……抑えるって、どうするつもり?
アレを魔法でどうにか出来るの?
しかし、アン・ズーは想定外の手段を選ぶ。
オレの予想を遥かに超えた……。
「ハッ……!」
目にも止まらぬ速さで跳ぶ。
そして、ゾラの首を抱き、床へ叩きつけた。
……まさかの物理!
レスリングの要領で押さえ付けてるんですがっ?!
黒い獅子は必死に抵抗する。
しかし、アン・ズーはびくともしない。
重量差を無視して、完全にその動きを抑え込んでいた。
「トゥトゥ、早く! 魔力が切れます!」
アン・ズーの鋭い声が飛ぶ。
どうやら、現状は魔力を消費しているらしい。
「は、はい! ただいまっ……!!」
トゥトゥさんはアン・ズーの背に回る。
その背に手を当て魔力を送る。
……本当に抑え込んだね。
けど、見た目の構図が余りにシュールだ。
巨体を持つ黒い獅子、その首を抑え込む美女、背中で介助する老婆。
なんぞ、この光景……。
別の意味で非現実的なんだけど……。
オレが呆然としていると、アン・ズーから唐突に声が掛けられる。
「ご主人様、急いで決断を。ゾラを仕留めますか? それとも助けますか?」
――ちょっ!
何その選択肢っ?!
トゥトゥさんが縋る様な目で見てるし!
仕留める何て選択肢は無いよ!
オレの心を読み、アン・ズーが頷く。
そして、オレに説明を続ける。
「助けるには、ゾラの心を救う必要があります。ご主人様の精神を、ゾラの心へ送る必要があります。急いで、私の肩へと触れて下さい」
急かす様な口調により、オレは慌ててアン・ズーの肩へと触れる。
オレのそんな姿を見て、トゥトゥさんが目を大きく見開いていた。
……ん?
何をそんなに驚いているんですかね?
「では、必ず成功させて下さい。失敗すれば、ご主人様も戻れなくなりますので」
戻れなくなる?
それってもしかして、オレの精神のこと?
……え!
もしかして、失敗したら死亡するクエストなの!
アン・ズーは小さく頷く。
そして、オレへと微笑みを向ける。
「それでは、ご武運をお祈りしております」
詳しい話も聞けず、アン・ズーの魔法が発動する。
オレの意識が薄れゆく。
ああ、失敗した。
話は最後まで、ちゃんと聞かないといけないね……。
こうして、オレのゾラ救出作戦が開始された。