プロローグ
空には雲の一つも無かった。
しかし、黒い霧に覆われ、日の光が殆ど届いていない。
踏みしめる足元は砂地である。
周囲には草木が生えておらず、生命の気配が感じられない。
地獄を連想させる禍々しい世界。
ようやくオレは、この地に戻って来た。
仲間達が道を切り開いてくれたお陰で……。
「――勇者か。よもや、生きていたとは……」
「ああ、魔王よ。オレは生きて戻って来たぞ」
目の前には実態の無い亡霊が佇んでいる。
黒くて濃い霧が、赤い瞳でオレを睨んでいた。
そして、そこから感じる怒り、憎しみ、恨み、嫉み、悲しみ、苦しみ……。
――あらゆる負の感情。
その集合体こそが魔王である証だった。
姿こそ変わってしまったが、奴こそがオレの宿敵で間違い無かった。
「……いや、貴様は本当に勇者か? その身に纏う力は何だ?」
「これはこの戦いを終わらせるため、世界がオレに与えた力だ」
魔王の動揺が伝わって来る。
初めて感じる気配に、戸惑いを感じているのだ。
その証拠に、今も場の瘴気を強めている。
オレの力を僅かでも弱らせようと必死になっている。
「無駄だ。もはや今のオレに、お前の攻撃は通用しない」
「どういう事だ……。私の力が、掻き消されてしまう!」
魔王の力とは心への攻撃。
人の心を弱らせ、堕とし、意のままに操るのだ。
相手が強く抵抗しようとも無駄。
本来ならば、その能力を弱らせる事は出来るはずなのだ。
――それが、普通の相手であれば、だが。
「言ったはずだ。この戦いを終わらせる力だとな」
「私は知らない! そんな力が有るはずがない!」
魔王が恐れ戦き、僅かに後退する。
その心に、大きな動揺が感じられた。
だが、それも仕方がない事だ。
魔王は自分の事を、全知全能だと思っていたのだから。
全ての人類がが知り得る知識。
それを収めた自分こそが、全ての頂点と考えたのだ。
「――未だ人は、世界の全てを解き明かしてはいない」
「……っ?! そ、それは……!」
オレの言葉は、魔王の拠り所を突く言葉だった。
それを認めれば、魔王の力は大きく減じてしまう。
それをわかっても否定は出来ない。
その事実を、魔王自身がわかっているからだ。
知識を求める賢者達の願望。
未知への探求を、魔王自身も持っているのだから。
「さあ、そろそろ幕引きとしよう……」
「なあっ……?!」
オレが右腕を振るうと、周囲の瘴気が消滅する。
空が晴れて、日の光が大地に降り注いだ。
先程まで負の感情に汚染されていた魔力。
それをオレが、一瞬にして浄化した為である。
不利を悟った魔王は焦る。
その心を感じながら、オレは魔王へと歩み寄る。
「これが、あいつの書いたシナリオなんでな。悪いがオレはお前を倒し――真の勇者と成らせて貰う」
「ふ、ふざけるなぁぁぁっ! こんな不条理が、許されてなるものかぁぁぁ!」
奴からしたらそうだろう。
長年掛けた計画が、オレの存在で崩壊したのだ。
納得なんて出来るはずがない。
オレも奴に、納得して貰うつもり何て無い。
「――ただ、これはそういう物語ってだけだ」
終わりが決まった物語。
そのエンディングに向けて進むだけなのだ。
これは、我が友の考えた、オレを勇者とする為の物語なのだから……。
――そう、この旅こそが、オレとアン・ズーの『千夜一夜物語』なのだ。