姉弟の真実
こんばんわ、夜神 衣千伽です。
今は酒場でディナータイムです。
そして、当然の様に居る眼鏡さん。
本当に毎日やって来るよね……。
「ほう、この街での滞在は残り数日? その後は、どちらへ向かわれるのですか?」
「ええ、そろそろ一度、祖国へと戻ろうかと考えております」
アン・ズーはいつもの微笑みで答える。
戻る祖国って何処なんだろうね?
そして、動揺を見せる眼鏡さん。
低く、静かな声で、アン・ズーへと問う。
「プロイセン王国の噂は耳にしております。もし、我等の国にも同様の……」
しかし、その言葉はアン・ズーにより遮られる。
口元に人差し指を立てる事で。
アン・ズーは周囲へ視線を這わせる。
そして、視線を眼鏡さんへ戻し、そっと囁いた。
「ジャック様のご厚意は、決して忘れません。我が国にも、その話は伝わるでしょう……」
「お、おぉ……」
二人の間で謎のやり取りが繰り広げられる。
眼鏡さんは満面の笑みであった。
正直、オレには付いて行けない話だね。
いや、どうでも良いと言うべきかな?
オレは隣に視線を向ける。
誰も座っていない、無人の席に対して……。
『兄ちゃんの肉も貰って良い?』
『こら、ドゥーヤ! お野菜も食べなさい!』
たった数日の出来事なのだ。
それなのに、胸に穴が開いた気分がした。
一人っ子だからかな。
妹と弟が出来たみたいで、ちょっと楽しかったのだ。
……それなのに、こんなに簡単に別れてしまうなんてさ。
「そういえば、あの二人は帰したのですね。てっきり、連れ行かれると思っていました」
その言葉に、オレは違和感を感じた。
その言葉は、そうする事が当然に聞こえたのだ。
仮にとはいえ、オレ達は旅の傭兵である。
危険な旅に連れて行くのは当然と思えない。
そんな、オレの視線に気付いたのだろう。
眼鏡さんは不思議そうにオレへと尋ねる。
「知らなかったのですか? 二人の父親はシェヘド家の当主。私の前の領主代行です。――そして、賄賂受け取りの発覚により、領主様に断罪された犯罪者なのですよ」
「おや、そうだったのですか?」
アン・ズーは驚いた様子を見せる。
だが、オレは直感で演技だと気付いた。
アン・ズーは知っていた。
知っていて、その事をオレに伝えなかったのだ。
「誰かに恨みを買い、嵌められたという噂もありました。ただ、結果が全てですからね……。犯罪者の子である二人には、誰も近付こうとしないでしょう。ですので、いっそ連れ出した方が、あの姉弟には幸せだと思ったのですがね……」
眼鏡さんは憐れむ様に、ふうっと息を吐く。
二人の境遇を知るが故に。
オレはアン・ズーを睨む。
彼女は困った表情で、微笑みを浮かべていた。
「我が祖国への道は、長く険しい物です。幼い二人では、厳しい旅になる事でしょう」
「確かにその通りですね。この地へ辿り着いた、お二人が特別なのでしょうからね」
アン・ズーの言葉に、眼鏡さんは納得を見せる。
そして、手元のエールに口を付けた。
しかし、オレは納得する事が出来ない。
この状況を、許す事が出来なかった。
何故、アン・ズーはオレに黙っていた?
何故、二人にあんな言葉を掛けた?
何故、ラザーちゃんは笑った?
何故、アン・ズーの言葉に反論しなかった?
どんなに頑張っても、ドゥーヤに未来なんて無いというのに……。
オレの胸内に、ドロドロした感情が渦巻く。
アン・ズーへの怒りが沸き上がる。
――しかし、その感情が爆発する寸前で、想定外の人物が飛び込んで来た。
「ア、アルフ様! ライラ様!」
酒場へ飛び込んで来たのはラザーちゃんだった。
肩で息をしながら駆けて来る。
そして、蒼白な顔で、オレに対してしがみ付いた。
「ド、ドゥーヤが帰って来ないんです……。お願いします! 一緒にドゥーヤを探して下さい!」
今は既に日が暮れている。
街の多くは、明かりの無い暗闇である。
そんな時間に帰らない?
それに、ラザーちゃんのこの慌て具合……。
そして、オレはふっと思い出す。
初めて訪ねて来た時の、眼鏡さんの言葉を。
『最近、スラム街を中心に、子供の誘拐事件が頻発していましてね』
オレはアン・ズーと眼鏡さんを見る。
二人は頷き、席から立ち上がった。
どうやら二人も、オレと同じ考えに至った様だった。
「私は一度、屋敷へ戻ります。兵士を連れて、スラム街へ向かいましょう」
「承知致しました。ワタクシ達は先行して、ドゥーヤの捜索に向かいます」
オレはラザーちゃんに視線を落とす。
そして、その身をギュッと抱きしめた。
言葉を伝えられないのがもどかしい。
そう思えたのは、転移してから初めてだ。
「ア、アルフ様……?」
だから、ラザーちゃんを抱きしめる。
この気持ちが、僅かでも伝わる様にと。
――ドゥーヤは必ず見つけ出す。
その誓いを心に秘め、オレは――オレ達はスラム街へと駆け出した。