1話 信用してくれませんか?
エバン・プルートーは新しい派遣先が余程気に入らなかった。NPC業界でお気に入りの仕事なんてないけれど、少なくとも今まで全うしてきた任務は彼の得意に向いてるし、クライアントのご機嫌を取る必要もなかった。それに比べてこの学院はどうなんだ?
毎日朝っぱらから始まる仕事、しかも専門性とか特技なんてこれっぽっちも要らない下働き、それに他の教職員たちの上からの目線と女学生たちの苦虫顔。
本社から新型の血清を投与されたばかりで後遺症に苦しんでいる最中なのに休暇も取れず派遣なんて、こんなのいきなり過ぎではないか?業界屈指のS級NPCでありながら校庭をほうきで掃いている自分を見ていたら思わず溜め息が漏れるエバンであった。
「ふぅ…」
「朝から溜め息ばかりですね。せっかく掃いて集めた落ち葉がその息風に飛び回したら大変でしょう、新入りさん?」
月食学院の寮の舎監であるエリアが郵便箱の中を見ながらエバンに挨拶の言葉をかけた。エバンはほうきを持ったまま首だけで軽く会釈した。
「舎監よりも早めに出ているんですね。朝に弱いタイプではないようです。」
「いや、違う。私は朝な夕な全部弱いんだ。仕事だからやらざるをえないだけ。」
「少しは寮の業務に慣れた気がしますか?」
「偉い役でもないし慣れるも何もないだろ。心配しなくても良いさ。」
エリアはマグカップのコーヒーをのんびりと啜った。
「毎日目覚ましたらモーニングコーヒーか?」
「はい、一日の始まりって感じで。」
「良くない習慣だな。すき腹にコーヒー入れたら胃袋こわすぞ。」
「ご心配なく。わたしは見た目より丈夫なんですので。わたしよりもあなたの方が心配なんです。」
「私?なんで?」
「あなたは派遣職員NPCだから部署に関わらずにあらゆる仕事が預かれますが、普段はどこに常駐するかまだ決められてないんです。」
「どこ行っても歓迎されないからな。」
「その通り、あなたを寮に配置するのも生徒たちの猛烈な反対に出会いました。近所にごみ焼却場が出来てもこれ程ニンビーされることはないと思います。ある意味ですごいですね。あなたは。」
「くっそ、ありがたきお言葉…」
'女学寮だから男子職員を配置しない方がお互いのためになると思う'というふうに言ったら良いのに人のプライドをこんなにズタズタにするなんて。
「お前らが私のことをどう思っているかは大体分かった。けどさ…私ってこう見えてもかなり高級人材なんだけど?こうやって掃除させるもんならS級NPCまで必要あるの?そもそも床を掃いたり庭園の手入れをしたりするのは魔法でやっちまえば簡単だろう?」
「機械的で冷たい魔法では花草の世話なんて出来ません。校庭は暖かい思いを込めば込むほど風景で答えてきますから。それよりも、そろそろ生徒たちが起きる時間だから急いで掃除を仕上げる方がよさそうです。庭園の仕事は私が手伝いします。」
「いや、一人にしてくれる方が助けになる。」
「そう言われたら仕方ないんですね。あぁ、これ。」
エリアが郵便箱の中にあった手紙の封筒ひとつをエバンにさし渡した。
「どうぞ。あなたの会社からの手紙です。」
「うちの会社からの?読みたくねぇから適当に捨ててくれよ。あ、もしかして社員福祉部門からの手紙?」
「いいえ、顧客満足度管理部門からですね。」
「最悪。絶対読みたくない。はやく燃やしてくれる?」
「寮内では火気厳禁です。私たちみたいな指導員も懲戒対象から例外にはなりません。」
「分かった、分かった。問題起こせず大人しく読むよ。そろそろ掃除も終わるし、すぐ庭園に向くぞ。」
「良いです。ではこちの仕事はあなたに任せて、私は自分の仕事をしに行きます。」
「そう、そう。用がなければもう行っていいさ。」
「どうせここで働くことになったし、そう堅くするより生徒たちに優しく挨拶でもしたらどうですか?優しい人の前で苦い顔なんて出来ないでしょう?」
「まぁ…やってみるよ。」
「すばらしいです。それじゃ、お先に失礼します。」
エリアの後ろ姿が十分遠くなってからエバンは深い溜め息とともに手紙の封筒を切った。大体の内容は読まなくても予想できた。
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S級NPCエバン・プルートー御中
≪No Problem Company≫顧客満足管理委員会からNPCエバン・プルートーに伝えます。本日、貴方の勤め先からNPCに関するクレームと交替要請を受け付きました。
貴方が現在勤めている派遣先は帝国第一の魔法学園と言われる月食学院です。学院の生徒たちは貴族、豪族、高位官僚の娘、騎士団将校の娘、豪商の娘など皆が上流階層の令嬢であります。
その月食学院の総括理事長であり、貴方に失望した顧客であるシリウス・アクルン様は≪煙霧戦争≫の英雄として尊敬される大魔法師です。これくらいは子供でも分かる常識だと思います。
帝国の万人が敬う大物の顧客に相応しいサービスを提供するため、業界屈指のS級である貴方を派遣しましたが、貴方は名声に値する実力を見せず、会社の威信を失墜させた事が分かりました。
≪No Problem Company≫顧客満足管理委員会は早速サービス・ケア管理者を派遣して貴方に改善教育を行うつもりです。真面目に教育を受けて信用と評判を回復するようにして下さい。
~NPCにお任せください~
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「朝っぱらからついてねぇな、ったく!」
エバン・プルートーは新しい派遣先が余程気に入らなかった。だが彼の派遣先の方も彼の事が気に入らなかった。
エバンは手紙をぐしゃぐしゃにしてちり取りにぶち込んだ。たかが態度クレームでサービス・ケア管理者まで送るなんて。しかもS級を相手に改善教育?本社の連中はそんなに尻尾ふりながらシリウスのご機嫌をとりたいのか?
「ちょっ!まずい!もうこんな時間か?早起きする子たちはもう起きてるだろう。」
言ったとたん朝型の女学生たちが寮から出て学院に向いた。きっちりした制服を整えて着て、ヒールの足音を小さく鳴らすその優雅な歩き姿は何の話もしなくても彼女たちの社会的地位を表していた。
いつも通りならエバンはこの高尚たるお嬢さんたちと会わないために早めに掃除を終わらせて庭園に行くけど、今日はエリアと話をしたり手紙を読んだりしたので少し手遅れてしまった。
「まずいな……」
エバンが呟いた。彼は先ほどエリアに言われた話を思い浮かべた。
'どうせここで働くことになったし、そう堅くするより生徒たちに優しく挨拶でもしたらどうですか?優しい人の前で苦い顔なんて出来ないでしょう?'
エバンは近づく女学生に挨拶した。
「おはよう。いい天気だな。」
「……。」
反応なし。彼女はエバンの挨拶を無視して素通りした。まるで透明人間扱いだったが、エバンと距離を開くために歩きが速くなったから完全に見えないフリをしているとは言えなかった。
「あら、今日もすっごく良い天気だわ。お昼は教室じゃなくて外で食べたら良いな。」
「それなら素的な場所を知っていますよ。もし良ければ一緒にどうですか?」
「喜んで。」
他の二人の学生が話し合いながら寮から出た。笑顔で談笑していた二人の和気藹々とした雰囲気がエバンの前でひんやりと冷めた。まるでエバンが良い雰囲気をほうきで掃いてしまった様子だった。エバンは気まずい顔で挨拶した。
「お、おはよう。」
「あ……。」
二人の学生は気まずく会釈して、すぐエバンの横を過ぎ去った。
「なんでこんな時間にまだ通学路にいるのでしょうか?」
「そうね。それよりも急に挨拶なんて一体どんな風の吹き回しかしら?」
やはり余計なことをした気がした。あの冷たいお嬢さんが言った通り、一体どんな風の吹き回しで挨拶なんかをしたのか? 優しい人の前で苦い顔なんで出来ないって?完全に虫噛み潰した顔するんですけど?どういう事?優しさが足りないわけ?
そう思っているうち、また他の勉強熱心の女学生が一人で単語を覚えながら通学していた。もう一回、もう一回だけやり直してみよう。できる限り優しい顔でな。
「一人称単数 rah、複数は raham、二人称単数 rad、複数は……」
夢中になって詠唱言語を覚えている女学生に挨拶をしてみた。すると…
「おはよう。」
「??!!]
蒼天の雲みたくフワフワで真っ白な銀髪にリボン髪飾り。かわいいお人形ちゃんみたいな小さい女学生はエバンの声が聞こえた瞬間びくっと驚いて後ろへ一歩下がった。脅えた小さい少女の前に暗い印象の男。人に見られたら絶対に誤解を招く状況だった。
「何そんなにビックリしてんの?勉強も良いけど歩く時はちゃんと前を見ろ。怪我するぞ。なぁ?」
「ううぅっ……」
エバンは彼なりに優しく声をかけたが、あの学生は両手がガタガタ震えて単語帳を落してしまった。落した単語帳を拾ってあげるためにエバンが近づいて手をだすと、彼女はビックリして逃げ出してしまった。逃げる彼女の小さい後ろ姿を眺めながらエバンは溜め息をついた。
「はぁ……これだから性に合わない真似なんてしない方がましなんだからさ。分かってたのに。」
エバンは落し物になってしまった単語帳を拾った。
「返してくれないと。名前くらいは書いてんだろう?」
単語帳の表紙に書かれている彼女の名前を探すのは簡単だったが、よほど本の虫さんであったため、名前さえも詠唱言語で書いておいた。しかも古代詠唱言語の中で駆使できる術士が最も少ないアーミン語。
「これって…まさかアーミン語?しかも御殿文字。どれどれ…'プリル・ルエリア'と読むのだろう。」
でもあんなに怖がるのに無事に返してあげられるのか?なんだか嫌な予感がした。
「はぁ…今日は本当についてねぇな。」
「何をそんなにブツブツ呟いてるんですか?見ているとこちも気が抜けそうです。」
冷たい声が聞こえてきた。長い黒髪とラベンダー色が混ぜた碧眼の組合が異国的な魅力を発散する、とても凛とした女学生がエバンに寄ってきた。
彼女は高校一年生のユリア・リリス。眉目秀麗、品行方正、八方美人、生徒会長。シリウス・アクルンが設立した学院全体で序列6位、月食学院では序列3位、一年生では序列1位。そして帝国最大の大手企業≪白華商会≫の会長の一人娘。
だが彼女のこんな百花繚乱たるプロフィールなどエバンは何の興味も持たなかった。エバンにとってユリアはただの面倒くさい女の子に過ぎない。ユリアはエバンのことを無視したり、嫌がったり、脅えたりしないけど、いっそその方がましだと思われるほど飽き足らずエバンに寄って来て説教を事とした。
「ごきげんよう。」
「またお前か?」
「あなた今、またお前かっと言いましたか?大変失礼ですね。お前じゃなくてちゃんと名前で呼んでください。」
「それを言うお前もいつも'あなた、あなた'で、私のことをちゃんと名前で呼ばないんだろう?」
「それは…確かにそうですね。すみません、今後はもっと気をつけます。エバン・プルートーさん。」
しまった。'あなた'で良かったのに。余計に言い返してから後悔しても無駄だった。
「それよりエバン・プルートーさん、ほうきを持った手が休んでいます。大人ながら任された仕事もちゃんと出来ないんですか?そもそも今は掃除を済んで庭園の世話をしている時間ではありませんか?大人ながら任された仕事も間に合わせないんですか?」
「こうやって邪魔されると更に遅れるぞ。」
「わたしはあなたをここの指導員として認められません。ここは帝国屈指の名門学院である月食学院。その名に値する振る舞いを身につけないと'指導員'と呼ばれる資格などありません。あなたは厳しい採用審査を受けず、ただお金で雇っただけの不真面目な傭兵に過ぎません。」
「耳が痛てぇ……。」
「どうやらあなたは何で私に苦情を聞くのか理解していないみたいですね。いちいち並べると授業に間に合わないんですので、最も矯正が必要な所だけ話しておきます。まずはその死んだ魚みたいな目付きと真っ暗な印象、やる気ない表情がこの校庭の美観を損ないます。」
「おい、おい、一発目から見た目の話なんて余りすぎじゃねぇか。」
「それに話し方も矯正すべきです。ここは路地裏でありません。場所に相応しい格式を重んじる態度は大人の基本でありませんか?」
「分かったから私もう掃除しに行ってもいい?」
「まだです。舎監エリア様に礼儀正しく敬語を使ってください。同じ指導員であってもエリア様は多くの寮生たちに尊敬されているお方です。あなたがタメ口をきいても良い相手ではありません。」
「分かった、分かった。」
「ちゃんと聞いてください。とにかくあなたは月食学院に相応しくありません。態度を改めるつもりがないなら辞表を出してください。そうしたらわたしも嬉しいし、あなたもそんなやる気なくて面倒い顔しなくても良いでしょう?エバン・プルートーさん。」
毒舌を浴びせたユリアは背を向けて行ってしまった。疲れたエバンはそんなユリアに反論とか自己弁護をしなかった。
「ふぅ……やっぱりあの時のあれのせいで嫌われたみたいだな。自業自得か。」
理由がなんだとしても若い学生に毎日叱られているこの状況が未だにも慣れなかった。なぜかと言うと私……戦闘役NPCなんですけど?
「庭園の仕事はちょっと急いでやっとこう。」
エバン・プルートーはどう考えても新しい派遣先が気に入らなかった。