14話 失われた環
エバン·プルートーは、さっきからしつこく追いかけてくる誰かの視線を気づいていた。食事をする時も、日当たりのいいところで眠りを誘う時も、教務部からの依頼で資材を運ぶ時も、その視線はずっとエバンを注視していた。
追跡が得意であるエバンを相手にこんな下手な尾行なんて、いっそ露骨についてくる方がましだ。エバンはこの不器用な追跡者を驚かせるために行き先を変えて路地へ曲がった。まもなく不審な小影がエバンを見失わないように追いかけて路地に入った。 しかし、そこは誰もいない袋小路だった。周りは校舎と高い垣根で囲まれているため、抜け道など見当たらない。
消えた?周りをキョロキョロする追跡者の背後から声がした。
「ストーキングなんて、ずいぶん質の悪い趣味じゃねぇか。プリル・ルエリア。」
「!!!!」
いつの間にこの小さい尾行者の後ろに現れたエバンがそう言った。残念ながら,エバンは今プリルが男性を相手する時にいつも守る安全距離をすっかり無視して彼女と密着しているに気づいてない。
「ヒヤアアアッ!!!」
プリルは小柄の体から出たとは思えないほど大きい声で悲鳴を上げた。悲鳴が校庭に鳴り響くとエバンは慌ててプリルの口を手で塞いだ。男の手が口をふさぐからプリルはさらに脅えて、もう気絶しそうになった。
「落ち着け!頼むからもう落ち着いて!」
「ウッ!ウッ!ウッ!!」
恐怖でもがくのはプリルだけではない。エバンも今のこの状況を他の学生や教職員に見られたら、その場で首になるに決まってる。
「この辺りで何か音聞こえてない?」
「わたくしも確かに聞きましたわ。悲鳴みたいな声が…」
プリルの悲鳴を聞いた学生たちがこちに来ている。
「これはヤバイ… 仕方ないな、ちょっと失礼するぞ。」
「ウッ?!!」
エバンはプリルをお姫様だっこでさっと持ち上げ、そのまま袋小路の塀を飛び越え抜け出した。
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人の目に当たらないところに場所を変えてからしばらく。ベンチに座っているエバンの隣にプリルがいた。この"隣"というのはすぐ側に一緒にいるのではなく、隣のベンチに離れて座っているという意味だ。
「ふうぅ。少しは落ち着いたか?」
「はい。 あの… すみません. 」
「もういいよ。急に現れてびっくりさせた私のせいにしておこう。それで?なんで私を尾行した?」
「話したいことがあるんだけど、なかなか勇気が出なかったんです。だから機会を見ていました。」
「そんなに覚悟を決めなければならないほど私が怖いの?そんな真っ白な顔で距離を広げようとすると、男は誰でも傷つくんだけど。」
「先生が危いとか悪い人ではないのは知ってます。けど… 近くにいると何か本能的に拒否感がするので。」
「さらに傷つくじゃ!何気ない顔でひどいこと言ってるのがヤバイ!」
今もこのやって離れた別ベンチで話し合うのが他人よりもぎこちない間柄に見える。
「心配しなくてもいいです。私はお父さまやお兄さまとも例外なく距離を維持していますから。先生だけではありません。」
「それって逆に心配深くなるんだけど。」
しばらく話しが途切れた。2人が座ってるベンチの後ろから噴水台の水の音だけが聞こえてくる。この気まずい沈黙を先に破ったのはエバンの方だった。
「私に言いたいことは何だ?」
「そ、その··· 少し心を整えてから話してもいいですか?」
「わかった。」
また噴水台で水が吹き上がったり零れたりする音だけが2人の間を満たした。そうやって長い間、ぎごちない沈黙が続いた。エバンはこの状況が理解できなかったけど、すこし我慢することにした。それからどれくらい時間が経ったんだろう?エバンが暖かい日差しを浴びながら居眠りをし始めたところ,やっとプリルが口を開いた。
「この前、先生が教えてくれた私の名前の"ルエリア"についてもっと調べてみました。図書館で本を探してみたり、プグアン教授にも聞いてみたり、知り合いの学者さんにも連絡してみました。」
「すごい向学心だね。それで収穫はあった?」
「いいえ、本には資料が無かったし、私が質問した学者の方々も、みんな初耳だと答えました。」
「だからといってルエリアという名前が何の語源や意味もなく、適当に聞きやすい単語で作られたわけではないだろう?残念だけど君が探しているのは記録が消失されて、その環が失われたようだ。君も知ってるだろ。アーミン世界というのは今この世界の根とも言えるけど、あまりにも深く埋もれている根だから何一つも詳しく掘り出せない。」
「なのに先生はどうしてそんなに詳しく知ってるんですか?」
「それは、まぁ、何となくな。」
「知り合い中で考古学会の方がいますか?」
「考古学会?はっ!そんな偉そうな顔で人を見下すのが生き甲斐であるウザいじじいたちと知り合い同士なんて、そんなのごめんだけど!」
「えっと…私の夢が将来、考古学会の一員になることなのに…」
「もちろんそのうちには立派な学者もいるけど!ふんふん!」
「とにかく先生の言う通りに記録が消失し、どこかで環が失われてしまった真実を先生はどうやって知ってるのでしょうか?どこで調べたんですか?誰が教えてくれたんですか?」
プリルはしつこくエバンに問いかけた。
「詳しいことは業界の秘密だから言えないよ。この前も言ったじゃないか。あんまり気が向かわないけど仕事のために必要な時があるんだと。」
「死滅して忘れられた古代言語が必要な仕事なんて、一体どんな仕事ですか?」
「業界の秘密を守る線で言うと、気難しい上司を相手するに使われるとか。これ以上訊くのは流石に私が困る。」
「はい...」
「用事はこれでいいのか。」
「いいえ、まだです。」
「何だ?」
「先生を派遣したあの≪No Problem Company≫を少し調べてみたんですが。走り使いをはじめ、多目的傭兵までそろえた人材派遣社として知られていますね。先生はその中でもとびっきりの等級ですし。」
「確かに私はとびっきりだけど。正確に調べたな。それで?なぜうちの会社なんかを調べてみた?」
「なぜかというなら、とびきりのNPCに特別な依頼がありますからですね。」
「わるいけど他のNPCとは違って、私のようなS級NPCは誰でも依頼できるものではない。」
「依頼料ならいくらでも支払えます。」
「まさか君みたいな貴族を相手に金の問題を気にしてると思うのかよ?S級NPCは本社の人事部の検討と総会長の最終承認を含めた派遣契約を通じてのみ依頼に着手する。 だから今の私はあくまでもこの学院の指導員としてのお願いだけ聞いてあげられる。 それが契約の内容だから。」
「そうなんですか?すみません。私が先生に困る要求をしましたね。」
プリルはショボっとへこんだ。
'ああ、なんだこの罪悪感は?この最近ロゼとかアラハンみたいなヤツを相手してから少し固い態度を取りすぎたかな?'
エバンはできるだけ柔らかい口調で聞く。
「その依頼って何なの? 一度聞いてみようか。」
「人を探しています。何でもいいから手がかりが必要です。」
「人探しと手がかり捜索か。ちょうど私の得意ぴったりじゃん? 誰を探してるの?」
「その...笑わないと約束してください。」
「絶対に笑わない。プロはどんな依頼にも真剣だから。それで、探してる人は誰?」
プリルはちょっとだけためらってから答えた。
「大水没で生き残ったアーミン帝国の生存者を探しています。」
プリルの答えを聞いたエバンはベンチからすっと立ち上がった。そして、いきなり後ろの噴水台に飛び込んだ。ザブン!!ほとばしった水流が空中に飛び散り、午後の日差しを乱反射して虹を作った。
「キャァァッ!! 先生どうしたんですか?!」
「なんでもない、気にするな。食後だから眠いので、ちょっと眠気覚まししただけさ。」
「誰がこんな風に眠気を払うんですか?! やっぱり私をバカにしてるんですね?!」
「違う、違う。 絶対そんなことない。」
「かぜをひかないように速く乾かして、さぁ。」
プリルはハンカチをエバンのベンチにそっと置く。この騒ぎにも安全距離は徹底的に守るプリルだった。
「要らない。とにかく、予想外すぎだな。」
びっしょりぬれたエバンは水をポタポタ落としながらベンチに座り込んだ。
「大水没は3千年も前の事件だ。あの時水没から免れて生き残ったとしても今まで生きていると思う?」
「アーミン時代の人類の平均寿命も知らないし、アーミン文明の優れた技術が人間の生老病死のどの領域まで征服したのかも明らかでありません。だから生きているはずがないと断定する決め手は不十分だと思います。」
「おもしろいね。いいよ。君の期待に応えて、アーミンの生存者がどこかに隠れているとしよう。わざと会いたい理由は何だ?お茶でも飲みながら昔話を聞きたいの?それとも現代技術では叶えられない望みでも願ってみるつもり?」
「私は歴史に対して興味が多いんす。アーミン語とか、アーミン帝国に興味を持つ理由もそのためです。私たちの歴史が始まる遥か前に、私たちは想像すらできないくらいの偉業を成し遂げた先祖の歴史が隠されているなんて、胸のときめきか止まらないんです。」
自分の関心事の話を始めると、プリルの声が活気を帯びてきた。
「笑わないでほしいですけど、私はアーミン帝国の生存者が今もこの大陸のどこかで生き続いていると信じて、手がかりを探しています。他の学生たちはもちろん、教授たちまでも可能性のない話だと断定してるけど、私はあきらめないんです。」
「多くの人々が不可能だと結論づけるまでには、君の想像よりもたくさんの試みと失敗があった。君が今その失敗の数を増やしているだけだとしても時間と熱情を惜しまない自信ある?」
「結論づけたんですって? 誰が? どうやって? そもそも学問に結論は本当に存在するものでしょうか?私がアーミン世界の歴史に興味を持つ本当の理由は、今までこの世界が威張って誇ったすべての自慢が一瞬にくだらなくなったからです。あの深い海の底に消えた世界の物語を新たに聞く度に、私は今まで私たちが明らかにした知識の領土がどれほど狭いのかを実感します。こんなに途方もなく茫々たる知識の闇の中で狭くて薄っぺらな知識の灯火一つだけを信じて"常識的に考えて不可能だ"と結論づけるのは… なんと傲慢な考えなんでしょうか。」
プリルの声には並々ならぬ情熱が込められていた。アーミン帝国に対するプリルの探求欲は単なる好奇心くらいではない。エバンは面倒なことになる前に出来るだけ丁寧に一線を引いて会話を終えようとした。
「とりあえず言いたいことは分かった。けど君の依頼は私もどうにかできないかもな。君の依頼が非現実的だと思うからではない。契約によってこの学院に縛られている身だから色々調査するのは無理なんだ。力になれなくてごめんな。」
「あ、あの! ちょっと待ってください!」
プリルはこのままエバン行かせるつもりがなさそうだ。
「アーミン時代の生存者を直接探してほしいという意味ではありません。あるかないか分からないけど、私はあると信じるからどうにか探してほしいなんて、そんなムチャな要求はしません。手掛かり… 何でもいいから手掛かりになるような話を聞かせてくれたら、私が気になることに答えてくれたら、それで十分ですので!」
「ねえ、君はいったいどうして私にそんなに期待をかけるの?まるで私なら何でも知っていると確信するようだけど、私がやったことは単語一つ教えてくれたのが全部じゃないの?」
「先生にも言われたあの記録の消失と失われた環という現実に今まで何回ぶつかって、何回つまづいたのかもう数え切れません。だから私の知らない話を一つでも知っている人なら、見逃すわけにはいきません。」
「他の学生たちも指摘した通り、私が教えてあげたのは史料とか文献のような具体的な根拠が全くないのにね。」
「それでも私は信じています。」
「どうしてそんな簡単に信じるの?君から信頼を得るにはまだ早いと思うのに。」
「確信に満ちた顔と声でしたから。それは嘘をつく人には絶対できない表情と言い方ですた。」
「そんな理由で?それならもし私が確信に満ちた顔と声で"実は私が君の探していたアーミン帝国の生存者だ。夏休みになったら海に帰るぞ"なんて言うなら、お前は信じるつもりか?」
「ううむ……」
「冗談だからそんな真剣に悩むのはやめてよ…」
プリルはエバンを上から下にザッとスキャンするように目を通し、微妙な表情で首を横に振る。
「なんだ、その不合格というような反応は?」
「いいえ...私が想像する姿のアーミンの古代人とは違うので。」
「んじゃ、君の想像の中の古代人はどんな顔をしているの?額に目がもう1玉あるとか?」
「それを聞いてくれる人は先生が初めてで、どう説明したらいいか言葉にできないんですね。」
「とにかく、朝から私を追いかけた用事はもう済んだのだろう?」
「いいえ、まだです。 まだ気になることがいっぱいですよ。」
「そうか… でも、今は私も仕事が多いんだけど。」
「ああ、そうですね。ごめんなさい。」
エバンはこんなにしつこく興味をもってくる女の子はアダレイ以来久しぶりだと思った。そんなエバンの本音が分かるはずないこの真っ白でかわいい少女はエバンに頼みがあるらしい。
「もしよければ今週末に合えますか?約束の場所はここにして。」
いきなりのデート誘いにエバンはまた噴水台飛び込んだ。噴水台から設計にはないもう一筋の水流が湧き上がり、虹を浮かべた。