第44話 南三陸の夏
ということで、予定通り有給取って、東北まで来ました。
しかも、前日に21時に寝たら、午前2時に起きてしまい。
それなら、「平日だから、高速道路の休日割引は使えないけど、深夜割引なら使える!」と、午前3時台にETCゲートを通過するべく出発。
貧乏性ですね。少しでも旅費を浮かせたいのです。
首都圏の通勤渋滞が始まる前に、さっさと圏央道を通過し、東北道へ。
あとは、非常に順調で、午前9時半には仙台に着いてました。
今日、最初に訪れたのは、大川震災伝承館(旧大川小学校)。
ここは、東日本大震災当時、児童78名のうち、74名が亡くなるという、戦後の教育史上、最悪の惨事が起きた場所で、一度来てみたかったのです。
しかも、実は河口から結構離れてます。それなのに、ここまで津波が来て、避難誘導に当たっていた教師ごと津波に呑まれたとか。
恐ろしいですね。
次に向かったのは、南三陸町のさんさん市場。ここも津波で流された後、仮復旧し、数年前に、本復旧してます。
食べたかった、キラキラうに丼は、お目当ての店が臨時休業中だったので、隣の店に入りました。
ただ、その店は、元々、寿司屋なので、美味しかったです。
今まで、苦いうにばかり食べて、「うにが苦手」と言っていたのは、何だったのか、というくらい、甘くて美味でした。
午後は、気仙沼市に向かい、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館へ。
震災遺構には、珍しく、建物内部に入れます(有料)。
ここには、元々、気仙沼向洋高校という高校がありました、
ただ、東日本大震災で飲み込まれてます。幸い、生徒は避難し、教師は建物の屋上に避難して助かったそうですが。
すごいのが、建物の3階、8メートルの高さにある車の残骸。
つまり、そこまで津波が来たということ。
他にも、流されてきて挟まったまま動かない車などがあり、衝撃を受けました。
その後、時間が余ったので、ぶらぶらと気仙沼大島に渡り、景色がいい海岸線で写真を撮り、岩手県へ。
陸前高田市にある、奇跡の一本松。テレビなどで有名になりましたが、実は松の前にある、陸前高田ユースホステルの建物が防波堤になったおかげで、一本松は生き残ったんだとか。
今日は、晴れていたので、防波堤の上から、穏やかに輝く海を眺めて、「こんなに穏やかな海が、あんな大惨事を起こしたとは」と思うと、感慨深いものがありました。
早く出すぎて、時間が余ったので、隣の大船渡市に行き、さらに道の駅さんりくで買い物をして、早めに宿に。
今日は、晴れてて暑かったですが、それでもまだ東京よりマシ。
東京の暑さは、明らかに異常で、「耐えられない暑さ」なんです。
人、ビル、コンクリートが多すぎて、排熱できず、ヒートアイランド現象になっているのでしょう。
明日は、牡鹿半島に向かい、コバルトラインを通り、友人がいる仙台へ。
今回は、あまり走らない旅ですが、それでも長距離走行が、余裕でこなせるVストロームはさすがですね。
1日600キロ以上、走っても全然疲れなかったです。




