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バイクトーク  作者: 秋山如雪
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第130話 日本史ライダー、史跡巡り。長野県編

 第3弾。


 長野県。

 元々、「教育県」として、教育水準が高く、それが功を奏して、実は全国屈指の「ドライバーマナーがいい県」なんです。

 なので、私は結構長野県が好き。

 これには、北海道の山育ちの自分が「山を見ると心が落ち着く」ことも理由でしょう。

 北海道と気候が似てますが、違うのは、歴史に重みがあること。北海道は全体的に歴史が浅いので。


①川中島古戦場史跡公園(長野市)

 「八幡原はちまんばら史跡公園」とも言います。

 有名な武田信玄と上杉謙信の一騎打ちの像があり、観光客はもちろん、修学旅行生も来る、今や一大観光地。

 元々は、1969年(昭和44年)のNHK大河ドラマ「天と地と」放映の前後頃から、一帯が公園化整備されたそうで、この像は、伝承にある武田信玄と上杉謙信の第4次川中島の戦い(1561年=永禄3年)の再現とされています。


 もっとも、足軽による集団戦、鉄砲隊による戦いが主になっていた、戦国時代において、「大将同士が一騎打ち」なんてのは、まずありえなかったので、恐らく創作だとは思いますが。


 ただ、ここの像自体は見事なものです。


②善光寺(長野市)

 昔から多くの人々が日本中から善光寺を目指して参詣し、「一生に一度は参れ善光寺」と言われました。

 「牛に引かれて善光寺参り」ということわざでも有名。

 創建は、なんと西暦644年と言われており、翌年の645年に大化の改新が起こるので、それより古いという、超古刹です。


 本尊は日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)で、これは絶対秘仏だそうです。


 ちなみに、実は善光寺は、無宗派で、実際の護持・運営は天台宗と浄土宗が担っているそうです。


 善光寺自体は、学生時代も含め、3、4回は行ったことがあります。

 門前町とも言える、参道の店が賑やかですね。


④上田城址公園(上田市)

 戦国時代のヒーロー、真田氏の拠点として有名。

 春は桜が美しく咲きます。実際に花見の時期に、バイクで行ったことがあります。


 建設したのは、真田幸村(信繁)の父・真田昌幸ですが、現在残っている城自体は、仙石忠政によって江戸時代初期の寛永年間に再建・築城されたものです。


 つまり、真田時代の名残はないのですが、城内には真田幸村の像が造られ、真田神社もあるので、真田好きも集まります。


 城内には上田市博物館もあります。


 石垣がとても見事で、私のような「城好き」にはたまらない城だったりします。


戸隠とがくし神社(長野市)

 行政区分的に、長野市になってますが、長野市のかなり北西の山中にある有名な神社。

 2000年以上の歴史を持ち、駐車場から奥社まで続く、巨大な杉並木が有名。


 ですが、駐車場からめちゃくちゃ歩く上に、途中から登り坂。

 体力的にはかなり大変です。


 戸隠は、修験道しゅげんどうの聖地と言われ、昔はいわゆる密教とか修験道の修行の場として知られていました。


 今でも静謐な山の中に存在して、異彩を放っています。


⑤松本城(松本市)

 別名「深志ふかし城」とも。

 

 ここの天守は安土桃山時代末期から江戸時代初期に建造された現存天守の一つとして国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されています。

 姫路城、犬山城、彦根城、松江城と並び、天守が国宝指定された5城のうちの一つです。


 実際に行って、城に入ったことがありますが、さすがに現存天守。


 天井が低いし、狭い。


 これは、昔の日本人の平均身長が150㎝程度と低かったため。

 現代人のように、食が欧米化する以前では、日本人の平均身長はかなり低かったのです。


 元々は戦国時代にこの辺りを治めていた、小笠原氏が築城したのですが、その後、当時の松本城主である小笠原秀政が関東に移されたため、家康配下の石川数正(かずまさ)が入城。


 石川数正とその子である康長やすながが、天守を始め、城郭や城下町の整備を行ったとされています。


 しかし、その石川数正は後に徳川家を出奔して豊臣秀吉の下へ走ったという経緯があり、天守の築城は関東を領した家康に対する牽制・防衛のためだとも言われています。


⑥旧開智(かいち)学校(松本市)

 「教育県」である長野県を象徴する建物として、一見の価値があります。


 1876年(明治9年)に長野県松本市本町一丁目(現在の松本市中央2丁目)に建てられ、その後、現在地である松本市沢村(現在の松本市開智2丁目)に移築された明治時代初期の擬洋風建築の校舎で、実に見事な洋風建築物です。


 開智学校自体は、1873年(明治6年)5月6日に創立され、1963年(昭和38年)3月までの90年間続いた、日本で最も古い学校の一つです。


 なお、「開智」の校名は、学制発布の前日に公布された太政官布告の被仰出書の文中にある「其身そのみを修め智を開き才芸を長ずるは、学にあらざればあたわず」に由来するそうです。


 ちなみに、日本最古の小学校は、京都府にある柳池りゅうち学校で、1868年(明治元年)閏4月に設置され,翌年には上京第二十七番組小学校として開校しています。


 ということで、長野県編でした。

 

 長野県は南北に長い地形なので、実は南信と言われる、飯田市あたりまで行くと、全然雪も降らない温暖な土地なんだそうです。

 北部は寒いイメージしかないですが。

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