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マ・キョウ  作者: 武藤 正
3/3

訪問客

 小岳町は山に囲まれたような地形となっており、高い場所から見渡せば、六つの隆起した山々が町全体を囲んでいるのを確認できる。

 六つの山が円形に繋がっている事から、シンプルに『六ヶむつがやま』と名付けられた山の麓付近では稲作が行われていた。

 五月の中旬に差し掛かるこの時期、グレーの作業風を来た年配の農家は、田植え前の手順として、乾いた水田の上でロータリーを用い、田おこしをしていた。

 

 青い空の下、大地を照らす太陽、風に揺られる辺り一面の緑色の景色の中、ロータリーを操作していた年配の農家を含めて、その周辺には複数人の農家達が集っていた。

 ある者はビニールハウスの中を忙しなく移動したり、ある者は作業に必要な大量の道具を一輪車に積めて足場の悪そうな場所を歩いていたりする姿が目に入る。

 そして、ある者は、小型車でも渡る事に躊躇いを覚えてしまいそうな細々とした小道で立ち止まり、一点の方を黙って見つめていた。

 

 作業に必要な場合を除き、蜘蛛の巣のように広がる周辺の小道の上を車が通過する機会など滅多にない。

 そんな障害物の一切ない小道に立ち尽くす農家とは垂直に位置するように繋がる小道の真ん中を、悠然と歩き続ける男がいた。


「……ん?」

 

 立ち止まった農家が、思わずそのような声を発したのは無理もない。

 そもそも、ここは、どこをどう見渡しても農家達の作業場と言えるような場所なのだから、無関係な者が立ち入れば即座に注目の的を浴びるのは当然の話だ。

 

 服装はどこでも見かけるような詰襟の黒い学生服に、黒色のハイカットブーツ、黒い忍者マスクのようなネックウォーマーを付けており鼻から下を全て隠している。髪型も目立たないような黒色のナチュラルヘアだが、目を引く部分はやはり、時期的に考えて不相応と言える鼻下全てを隠すような黒いネックウォーマーだろうか。

 思わず声を掛ける事も躊躇ってしまう農家の前で、その者は通話機能のついたデジタル式の腕時計に向かって話をしていた。


百一ひゃくいち夜津やづです。応答願います」

 

 言いながら、夜津と名乗った者は辺りを軽く見回した。

 側から見れば、無表情のまま何気なく首を僅かに左右しているだけのように見えるが、実際は全く異なる。

 その僅かな動作から、夜津は周囲の状況を一瞬で把握する。あくまでも視線だけを中心的に動かし、風景に紛れている僅かな異変すら見逃さない。

 耳を済ませ、目を細め、やがて夜津は少し先の小道の横にある草むらへ注目した。

 背の高い雑草が生い茂り、一見すれば周囲の状況に溶け込んでいるよう風に優しく揺られているだけに思える。

 しかし、よく目を凝らして見てみれば、一点だけ草の揺れ方が不自然に見えるはずだ。

 その一点に注目したまま立ち止まって観察していると、通話相手の百一と呼ばれた者が夜津に対して返答した。


「夜津。何者にも盗聴されていないと判断できた場合に限り、言葉を続けろ」

 

 しわがれた老人の声だった。

 貫禄のある声といえばそれまでなのだが、夜津は正直この声が耳障りだった。

 より正確に言うならば『声音』そのものではなく、その『声音』を発する人物が気に入らなかったのだ。

 気に入らない人間を見ると、その人間に纏わりつくものにすら僅かながら嫌悪感を覚えてしまうという自分自身の心の隙間を自覚して、夜津は思わずため息をつきそうになるが、ここは通話相手の老人の指示に素直に従い、違和感を覚えた方を観察し続ける事が重要と言えるだろう。

 

 やがて、不自然に思えた草むらの動きは更に不自然さを増し、隠れているはずの何かが隠し通す気もないとばかりに草むらを揺らす様を見て、流石に夜津は警戒心を強めた。

 拳を軽く握り、五指の関節を鳴らしながら静かに臨戦態勢を取る。

 足場の位置、立ち方、身体の調子、目に映る景色に耳に障る音…全てを意識的に捉え、静かに構えを取ろうとした夜津の目の前で、草むらの中から勢いよく飛び出してきたのは…。

 

 ただの鹿だった。


「……、」

 

 無言で固まる夜津の方へ、鹿は首を傾げるようにして視線を移してきた。

 数秒間、時間が停止したかのような状況に陥った。

 鹿と人間の見つめ合いという謎の数秒間から、やがて鹿は訳が分からないといった足取りで抜け出し、どこかへと走り去って行く。

 

 夜津は、去りゆく鹿の後ろ姿を見ながら今度こそため息をつき、もう一度周囲の状況を軽く確認した。

 周辺には複数人の農家達がおり、うち一人はこちらを不審な表情で無言で見つめていた。

 しかし、少なくとも敵性ではないと判断した夜津は、デジタル式の腕時計を口元へ近づけて言葉を続けた。


「盗聴の可能性は皆無…というか皆無に等しいというか…。では、話を続けます」

『…随分と大雑把な応答だな。一見一聞たりとも漏れてしまっては、それがお前の勝算…ひいては我々全体の勝算にすら影響する可能性もあるというのに…』

「分かっています。分かっているからこそ、今一度、貴方にどうしても聞いておきたい事があったんです。盗聴の可能性を考慮してでもね」

『……何だ?』


 老人の簡素な問いかけに対して、夜津は声色を変えずに話を続けていく。


「単刀直入にお聞きします。百一、何故、今回の任務を放棄し、私に委任したのですか?」

『……、』

「貴方は誰よりも率先して奴等を駆逐する事を望んでいた筈。であるならば、それこそ今回の件は貴方自ら動く事こそ道理に適っていた。それを何故放棄し、私に託したのですか?」

『…だからこその判断だ。ただ自分勝手に思案して即行動に移す事が、必ずしも効率化を図った奴等の駆逐に繋がるとでも言うのか?そんな単純な者達を相手にしているという甘い認識ではあるまい』

「…あくまでも効率化を図るため、今回は手を引いただけだと?その効率とは何なんですか?」

『奴等の中に、とりわけ警戒すべき危険因子・・・・が存在する。それを探る為、必然的にワシは現在、動く事ができない状態にあるのだ。故に、今回の件はお前に一任して』

「百一」


 夜津は百一という名で呼ばれる老人の声を、強く深い声色で遮って言う。


「やはり、私は貴方の事が気に入らない」

『……、』

「また、以前から謎にほのめかしていた危険因子・・・・の追跡ですか?いい加減、何故真実を語らないのですか?」

 

 その一言で夜津と百一の間で沈黙が広がる。

 その話し声など聞こえない筈の農家でさえ、その異様な雰囲気に思わず呼吸を止めてしまい呆然と立ち尽くしていた。

 やがて、百一が沈黙を破る。


『夜津。ワシに対して疑心暗鬼を抱くのはお前の勝手だが、ワシからはこれ以上何かを語る事などない。少なくとも、今はな』

「……、」

『何より全て真実を伝えていたつもりだ。ワシは奴等の中でも特に危険な力を持つ怪物に目を付けた。そして、その怪物を殺す為にワシは策を練る必要がある。故に身動きの取れないワシは今回の件をお前に託した。特定できた奴等の中の一人を駆逐しろと。お前に伝えた全てが、紛れもない真実だ』


 老人は流すようにつらつらと言葉を発し続ける。


『いや、正確に言うならばお前達に一任した、と言うべきか。特定も曖昧に終わり、その一人の正確な位置が不明である以上、お前のいる小岳町のみならず、小岳町の周辺地域に至るまで我々が詮索せねばならないのだからな。たった一人と言えど、逃す訳にはいかん』

「…私以外に、他にもメンバーが動いているのですか?小岳町だけでなく、それぞれの場所へそれぞれの人員を配置して。つまり、そこまでせねばならない程に、今回の敵は強大だと」


 夜津の質問に、百一は通話の向こうで若干考え込むように時間を置いた。

 その沈黙が夜津に引っ掛かりを覚えさせた。

 夜津の質問にすぐに答えられないという事が、夜津が現在追跡している者など、通話相手の百一は大して頭に入れてなかったというような応対に思えたからだ。

 訝しげな表情を浮かべる夜津に対し、ようやく百一は言葉を繋げる。


『今回の大掛かりな動きは、敵の正確な位置を掴めなかったという部分も大きい。なまじ知恵のある奴は、厄介な事に己の力を隠し通す。まるで普通の人間のように振る舞い、普通の人間の中に紛れ込む。…もっとも、それを差し引いても、今回の敵が強大であるという事実に変わりはないがな』

「…百一。それ程の敵の抹殺を放棄してまで、貴方は自身が定めた危険因子・・・・とやらの対処を優先すると?」

 

 その言葉を発した夜津を半ば嘲笑うように、百一と呼ばれる老人は告げる。


『まぁ、ワシの我儘わがままとでも何とでも思ってくれ。詳しく話せる状況でもないが、ワシの敵であるソイツは、今お前達が追っているのとは少し訳が違う。…色々な意味でな』

「訳が違う?だからそれは、より強大な力を持った怪物という事なんでしょう?」

『…なぁ、夜津。任務中にいつまで話を続けるつもりだ?』


 夜津の続け様の質問に対して、百一は僅かな間を置いてから静かに言った。

 思わず口を閉じる夜津に対して、百一は続けた。


『お前は一体何者で、お前は一体何を目的に、今を生きている?』

「……、」

『思い出してみろ。こんな悠長に会話をするより前にやるべき事があるだろう?』

「…貴方の意図を理解できなかったから私は…」

『意図が理解できないから何だ?疑心暗鬼を抱いてしまえば、何かの罠だと少しでも想像してしまえば、お前は近くにいる敵を排除するという目的をないがしろにするのか?』


 その突き刺すような言葉の羅列に、夜津は思わず顔をしかめる。

 老人の口調や態度に対する反応ではなく、何か昔の苦い記憶を思い出した時に浮かべるような表情だった。


『悲劇など、いつも一瞬の出来事だ。人間など容易く死ぬ。秒単位のラグで、儚い命など簡単に左右される。今、お前の目に映る人間達に明日はないのかもしれない。だが、救える筈の命は今、たしかに目の前に存在しているだろう?それでも疑心暗鬼に苛まれ足を止めるか?』

「…分かっています」

『ならば早く動け。お前の守りたい者、そして壊したい者は、お前のすぐ近くにいるだろう?急がねば、また手遅れになるぞ』

 

 老人の諭すような口調を聞き、夜津は拳を少しだけ力強く握りしめてから、何かを決断するように言った。


「…分かりました。とりあえず、この話は保留にしておきます。しかし、納得した訳ではないので、また機会を改めて対話する際…その時は私に真っ直ぐ応じてくれる事を願っています」

『その時が来たならば、な…』


 消化不良に思えるような会話が終了したところで、夜津は通話を切った。


「…まぁ、百一の言う通りか。今は目の前の事に集中せねば。口車に乗せられている気もするが…まずは奴の捕捉を優先せねば」


 そう言って夜津は辺りを見渡す。

 視線を上の方に移して、大きな山々が広々と連なっていく遠くの方を見据える。

 その方角は小岳町の中央部に当たる場所だが、ここからでは森林が間に入って中央部に広がる町並みを認識する事ができない。


「…やれやれ。田舎町と聞いてはいたが、流石に一人では手に余るな。最低限、近場にいるという情報以外にも、奴に関連するような情報を手に入れたい所だが」


 独り言のように呟きながら、夜津は周辺で作業をしている農家達に目を向ける。

 先程まで、近くの小道に立ち止まっていた一人の農家だけが、こちらの方を黙って眺めていたようだが、改めて小道の方を見てみると、いつの間にか周辺で作業をしていた農家達まで集まって来ていた。

 何か小声でヒソヒソと話しをしながら、夜津の方をジロジロと見つめている。


(…チッ。これまた百一の言う通り、悠長に話をし過ぎていたか)


 ここで立ち止まっていても仕方がないので、どこかへ場所を移す必要があるのだが、手掛かり一つない中で無作為に行動を起こすのは無謀とも言えるだろう。

 夜津は念の為、この町の地理や情勢などは一応下調べはしていたが、それでも長年に渡り現地で暮らしている地元民には情報力は劣るだろう。

 先程から、夜津の方を眺めている年配の農家達など、いかにも地元の事情には強いといった雰囲気が醸し出されている。

 だからこそ、他所者の夜津がこの場にいる事に、より一層強い不審感を覚えているのかもしれない。

 夜津は、不審者でも眺めるような視線を肌で感じながらも、小さくため息をついてからゆっくりと前へ進み出した。

 その、農家達が集まっている方向へと。


「…まぁ、まずは情報をかき集める事からだ。この件に全く無関係な者との接近など大変不本意ではあるが、もはや時間がない。とりあえず、近場にいるとされる奴に関する情報ではないにしろ、この町中で何か違和感があるのかないのか程度は聞いておくべきだろう」

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