#6 甘くて美味しい
「なあ輝夜、あの……さ」
翌日、いつものように学園生活を送り、迎えた放課後。
帰り支度をして教室を出ようとしていた輝夜は、どこか不安そうな表情の束咲に声を掛けられた。その声はいつもと比べて弱々しく、表情も相まって輝夜は思わず首を傾げる。
「……どうしたの?」
訝しそうな視線を向けながらも問いかけると、束咲は言いにくそうに口を開く。
「あーー、えっと、その……」
しかし束咲は途中で口を噤んでしまい、輝夜は今度は反対に首を傾けた。
「……本当にどうしたの? 何かあったの?」
「いや、そういうわけじゃないんだが……」
心配そうに尋ねる輝夜に束咲は言い淀み、何かを悩むように頭に手を当てる。それからやや時間を置くと、腹を決めたのか鞄から一枚のチラシを取り出し、輝夜に手渡した。
「……何これ?」
手渡されたそれを見て輝夜はそう呟く。
呟いた理由はチラシ――ビラとも呼ばれるその印刷物に書いてある事が解らなかった訳では無く、何故そのチラシを渡されたのかという事に対してだ。
束咲に視線を向けると、分かっているとでも言うように頷くと嬉々として答えた。
「それは最近駅前にオープンしたばかりの至福の時間って名前のクレープ店のチラシだ」
「それは見れば分かるけど」
チラシにはどれも美味しそうなクレープが載っており、その名前の通りクレープを口にすることが出来たなら至福の時間を過ごす事が出来るのだろう――甘いものが嫌いな人以外は――。
束咲は輝夜から視線を外すと、チラシに映るクレープを凝視したまま、会話を続ける。
「美味しそうだろ?」
「……うん」
言葉の前後が噛み合っていなかったため僅かに遅れて頷く。
「食べたいと思うだろ?」
「まあ、うん」
束咲から溢れ出る謎の熱気に怯えながら輝夜が頷くと、束咲は待ってましたと言わんばかりに眩い笑顔を見せ、そして綺麗な土下座を披露する。
突然の奇行に輝夜が引いたような表情をするが束咲には見えていない為、気にすること無く束咲は真心込めてお願いを告げた。
「今日、俺に付き合ってそのチラシに載ってるブルーベリーアーモンドチョコキャラメルミルクレープアンドアイスクリームスペシャルクレープを食べさせてくれ!」
「……何て言ったの?」
「? 今日、俺に付き合ってそのチラシに載ってるブルーベリーアーモンドチョコキャラメル――」
「ごめん、やっぱり言わなくていい」
難解な名前のクレープに顔を顰めた輝夜はそれをひとまず置いといて話に戻る。
「食べさせてくださいって言うのは奢って欲しいっていう事?」
そう尋ねると束咲は首を横に振った。
「違う、ただ俺に付き合ってこの店に入って欲しいんだよ。そうすれば俺はクレープが食べられるんだ。だから頼む!」
何故自分が付き合うことでクレープが食べられるようになるのか。
疑問に思った輝夜は改まって頭を床に擦りつける束咲に問う。
「なんで僕が行くとクレープが食べられるようになるの?」
「それはだなあ……――」
長くなった束咲の話を纏めると、沢山の女性がいるところに1人で行くのは難易度が高く、せめて誰かが居ればという事で、輝夜に声を掛けたのだという。
他の奴でもよかったのでは無いかと尋ねると、誰も都合が合わなかったと僅かに肩を落として答え、他の日、間近に迫ったゴールデンウィークに入ってからじゃ駄目だったのかと尋ねると、バイトが詰まっていてとても食べに行く暇が無いとのことだった。
「……なるほどね」
「わかってくれたか! 俺がどれだけブルーべリーアーモンドチョコキャラメル――」
「わかった、わかったからそのクレープの名前を言わないで。行くよ、行くから」
まるで餌を待つペットのようだと輝夜は思いながら、正座の体勢で床に座る束咲に了承の旨を伝えると、束咲は両手を握り合わせ輝夜に掲げた。
「おお、神よ!」
「神じゃなくて人間だよ。ほら、行くんでしょ」
軽口にそう返して束咲の手を引き立ち上がるように促す。それに従って立ち上がった束咲は輝夜に無邪気な笑みを見せると、掴んでいた輝夜の手を上下に振った。
「ほんっとサンキューな! まじで楽しみだったんだよ、ブルーベリーアー――」
「うん、わかった! 早く行こう」
尻尾が付いていたらそれは物凄い勢いで振っているのだろうと他愛ないことを考えながら、輝夜は束咲の言葉を遮ると、その背中を廊下に押して輝夜自身も廊下に出た。
†††
《至福の時間》に着き店内に入った2人は、メイド服に似た制服を着た店員さんに案内されて店内を歩く。オープンしたばかりということで席は殆ど埋まっており、やはりというべきか女性の姿が多い。
やや暗めな照明に彩られたことによって漂うシックな雰囲気は心を安らげるようで、誰も彼もが穏やかな表情で幸せそうにクレープを口にしている。
「こちらに座ってお待ち下さい」
店員さんの言葉に従って席に着いた2人は、こそこそと言葉を交わす。
「……なんか目立ってない?」
「そりゃ目立つに決まってんだろ。クレープ屋に男2人で来店なんて」
輝夜の小声での問い掛けに、束咲はまるでわかっていたかのように回答をする。その答えを聞いて、輝夜はまさかと尋ねた。
「……もしかして僕を道連れにしたの?」
「はっはっは、まさか――。ごめん、1人で来るのはまじで無理だったから……」
周囲に目を向けると、クレープを食べながらも輝夜達をチラチラと見る女性達の姿が在った。耳を澄ませばBLだのやおいだのと言った、腐の臭いを漂わせる声も僅かにだが聞こえてくる。
「僕はノーマルだよ」
「俺もノーマルだよ」
輝夜が先に放った牽制球に束咲も同じ言葉を返し、2人揃って安堵の息を吐く。
それを見て、外野は嬉しそうに視線を向けていた。
「とりあえず何か頼もっか。って言ってもクレープしかないけれど」
「そうだな。俺も早くブルー――」
「わかったから黙ってて。――じゃあ僕はどれにしようかな」
悲しそうな目を向ける束咲を放って、輝夜はメニュー表に目を落とす。
メニュー表にはチラシに載っていたのが極一部だったことがわかるくらいに多種多様なクレープが載っており、どれも目を惹く程に美味しそうな見た目をしていた。
「……僕はこれにしようかな」
「お、決まったか」
既に決まっていて輝夜が選ぶのを待っていた束咲が店員さんを呼び、先に選んだクレープを告げる。
「ブルーベリーアーモンドチョコキャラメルミルクレープアンドアイスクリームスペシャルを1つと」
「期間限定の抹茶クレープを1つ」
「かしこまりました。ブルーベリーアーモンドチョコキャラメルミルクレープアンドアイスクリームスペシャルと抹茶クレープですね。少々お待ちください」
よく覚えていられるなと店員さんに感心しながら、離れていく店員さんの後ろ姿を眺めていた輝夜に、束咲が声を掛けた。
「――そういえばさ、告白されたのってどうなったの?」
「なんの話?」
「昨日の話だよ。朝ラブレター読んでただろ?」
「ああ、そのことか。――断ったよ」
「また断ったのか。やっぱり本当は男色なんじゃ……」
「違うって」
わざとらしく身を引く束咲に苦笑しながら否定の言葉を返し――、その後も他愛無い話を続けていると、ついにクレープが店員さんの手によって届けられた。
「お、やっと来たか」
嬉しそうな束咲を目にして輝夜は苦笑を浮かべる。
普段は飄々としているだけにクレープを前にしてだらしない表情を見せているその様子は幼く見えて、輝夜は過去に思いを馳せた。
「うまッ! マジうま!」
しかしそれも一瞬のことで、勢いよくクレープを食べ進める束咲に倣って輝夜も自分が頼んだクレープに手を付ける。
「おぉ、美味しい」
思わず感嘆の声が漏れる程にクレープは美味しく、それ以降は吐息に乗る香りさえも逃すまいと黙々と口を動かしていると、束咲がこちらに物欲しそうな視線を向けていることに気付いた。
「……なあ、それ俺にも一口くれないか?」
「そっちも一口くれるならいいよ」
「おっけ、契約成立だ」
お互いにクレープを差し出し、一口頬張る。
「んぐ、それも美味いな」
「そっちのも中々美味しいね」
その様子を見ていた店内の女性陣は顔を上気させ、目の保養だとでも言わんばかりに凝視していたが、2人は気づく由も無かった。
そうして至福の一時を過ごした2人は会計を済ませて外に出ると、落ち着いた雰囲気だった店内とは打って変わり、賑やかなざわめきが2人を包み込む。
「いやあ、美味かったな!」
「そうだね」
「今日は付き合ってくれてありがとな」
「どういたしまして」
満足した表情の束咲に輝夜は笑みを浮かべ、そう応えた。